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愛情

愛情が何か分からない、と書くと虐待されていた過去があるように思う。あながち間違いでもないのかもしれない。幼少期、一番母親に振り向いてほしかった時期に振り向いてもらえなかった。他の子のことは大袈裟に褒めちぎるのに、自分にその称賛が向けられた覚えはない。
小学校2年生の時、図工の時間に読書感想画を描いたら何かの賞を貰って市民ホールに飾られることになった。祖父と祖母も観に来てくれて、母親と4人で市民ホールへ訪れた。他の子の作品や、書道、美術の作品等いろいろな展示がある中に自分の絵もあった。祖父母はすぐに足を止めて「あったぞ、すごいな」「上手だね」と頭を撫でて褒めてくれた。「元気いっぱいでいい」とか「色塗りがキレイ」とか。数分間は何かしらを褒めてくれた。自分は嬉しくて得意気で、きっと母親もこれなら褒めてくれると思って視線を送ったが、母親は一言「そうだね」と何に対する同意なのかも分からない言葉を放って他の子の作品を観に行ってしまった。その時初めて心の中で(この人は自分に興味が無いのだ)とハッキリ言葉にしてしまった。母親のことを"この人"とまるで赤の他人のように感じ始めたのもこの出来事からだった。
その後も母親が何か行動を起こすと自分の存在感は薄まるばかりで、この人にとって自分は要らない存在なのだと自覚させられることが多々あった。一人っ子なのも良くなかったのかもしれない。自分の思いを共感してくれる存在はいなかった。
肯定してくれることは一切無い一方で、母親は過干渉であった。話のテンポが遅めな自分が話し始める前に、先に全部喋ってしまう。何も要らないと言っているのに「あんたはこういうのが好きだから」とよく分からない玩具を買い与えられて「ありがとう」と言うしかなかった。「これが欲しい」と言ってみても「こっちの方が良くない?」と同意されることはなかった。
しかし母親の逆鱗に触れた時は全くの逆なのだ。今度は一切合切の干渉を止めてしまう。ご飯も服も何も用意はなく、目が合えば舌打ちをされ挙げ句「出ていけ」と言われる始末。何が悪いのかも理解出来ないまま自主的に家の外に出るしかなかった。まぁ一日も経てば「お母さんが悪かったね、ごめんね」と泣きながら抱き締めてくるのだから、気持ち悪いと思いこそすれ、愛情を感じ取ることはなかった。

今になって、過去の経験が自分の首を締める。君からの干渉を母親のソレと重ねてしまって、君を悪く思ってしまう。何かを決める時に君の顔色を伺いすぎて不快にさせてしまう。自分の考えを口するのがどうにも苦手で、君は待ってくれるけれど、どうにも待たせすぎて罪悪感に苛まれる。君からの優しさを素直に受け取ることが出来ない。

11/28/2024, 2:51:52 AM