そっと
起こさないように、そっと。君の生活を邪魔したくないだけなんだ。君が普段寝ている時間に不自然に起きてしまうことがないように。ゴミを片すビニル袋の擦れる音では起きない。ホッとする。着替える際の衣擦れの音でも起きない。このまま。寝ていてくれと頼みながら、最後の難関に挑む。いつもここで起こしてしまって、寝ぼけて打った『がんばれ』の文字が届くのだ。玄関に置かれた鍵を手にドアを開けてそっと外へ出る。内から鍵を開けるのは大丈夫。外から鍵を描けるのも大丈夫。最難関は鍵をポストに入れること。どんなに慎重に事を進めても"カツンッ"という音が響く。あとは運任せ。車に乗った時にメッセージが届いていたら負けなのだ。今のところ勝率は五分五分。今日は勝てるだろうか。
機嫌を損ねないように、そっと。君の顔色を伺う。君の声音に耳を澄ます。何が悪かった?どれが駄目だった?怒っているのとは違う。拗ねているのとも違う。あるのは、自分が君の機嫌を損ねたのだという事実だけ。言い方が悪かったのだろうか。それともタイミングが悪かったのか。考えても分からなくて、自分が原因だということしか分からなくて。自分を見ているだけで機嫌を損ねるのではないかと、そっとその場を離れる。君の機嫌をまた損ねてしまった。
そっと消えてなくなってしまえば。
手を繋いで
自分の記憶にないぐらいの年の頃から皮膚科兼アレルギー科のかかりつけ医がいる。幼少期は皮膚が弱すぎて、日光に負けて顔を火傷したり、膝丈程の草むらに入ったら全身に蕁麻疹が出たり。市販薬に負けるからと水疱が一つ出来ただけで病院に行っていた。病院に行ったところでステロイド軟膏に負けるから「清潔にしてください」と言われるだけだったらしいけど。
そんなこんなで自分は人との触れ合いが嫌いである。幼少期に慣れてないというのもあるけれど、過敏症で指先の感覚が少しばかりおかしいせいもある。蛇口を捻って出てくる水はスライムみたいに感じるし、手触りが良いと思う生地感はとても限定的で服やタオルはおいそれと買い足せなかった。まだ2歳ぐらいだった頃、出掛けた先で親が手を繋ごうとしたら泣いて嫌だと拒否されたと恨みがましく未だに言われる。
それでも酷かった手荒れは年齢を重ねる事に回復していて、今では季節の変わり目に水疱がぽつぽつと出来るぐらいだ。中学〜20歳ぐらいまで酷かった手掌多汗症も、環境が変わって躁鬱病が軽くなったら殆ど無くなった。過敏症は未だに治りそうではないけれど、自分の中の許容範囲が広がったのか水をスライムみたいに感じても(今日もスライム!)と思うだけ済むようになった。あれだけ気持ち悪くて泣きそうだったのに。
それなのに、親ですら拒否を示したのに、なぜか君とは手を繋ぐ。繋ぐと言うよりは一方的に握ると言った方が正確ではあるけれど。君は握り返すわけでもなく、ただただされるがままで、邪魔だと思った時は手の甲をぺっぺっと払ってくる。そういう時は大概トイレに行きたいだとか煙草に火を付ける時や誰かに返信をする時で、それ以外は(どうせ握るんでしょ)と言わんばかりに手をこちらに差し出してくる。差し出してくるだけで君から繋いで来ることはないから、たちが悪い。そんな君は最近、君が酔っている時にこちらから手を繋ごうとしないと時たま手を繋ごうとしてくる。シラフの時に聞いてみたら「友達と手を繋ぐの好きだもん」と返されて自分は首を傾げる。酔っている間だけ友達認定されている……?
ありがとう、ごめんね
半ば強引に。都合の良い条件をチラつかせて周囲を巻き込んで、我が強い割に押しに弱い君を逃げられなくしたの。君が提示してきた条件を飲むフリをして、君が断る理由なんて何処にあるんだと追い込んだ。君はまんまと罠に嵌って、今ではもう「なんで逃げなきゃならないんだ」と檻の中に入って出てこない。信用を得て、信頼を寄せられる度に自分の中がぐちゃぐちゃになる。
ありがとう、こんな自分を信じてくれて。
ごめんね、こんなに裏切りたくて。
愛情
愛情が何か分からない、と書くと虐待されていた過去があるように思う。あながち間違いでもないのかもしれない。幼少期、一番母親に振り向いてほしかった時期に振り向いてもらえなかった。他の子のことは大袈裟に褒めちぎるのに、自分にその称賛が向けられた覚えはない。
小学校2年生の時、図工の時間に読書感想画を描いたら何かの賞を貰って市民ホールに飾られることになった。祖父と祖母も観に来てくれて、母親と4人で市民ホールへ訪れた。他の子の作品や、書道、美術の作品等いろいろな展示がある中に自分の絵もあった。祖父母はすぐに足を止めて「あったぞ、すごいな」「上手だね」と頭を撫でて褒めてくれた。「元気いっぱいでいい」とか「色塗りがキレイ」とか。数分間は何かしらを褒めてくれた。自分は嬉しくて得意気で、きっと母親もこれなら褒めてくれると思って視線を送ったが、母親は一言「そうだね」と何に対する同意なのかも分からない言葉を放って他の子の作品を観に行ってしまった。その時初めて心の中で(この人は自分に興味が無いのだ)とハッキリ言葉にしてしまった。母親のことを"この人"とまるで赤の他人のように感じ始めたのもこの出来事からだった。
その後も母親が何か行動を起こすと自分の存在感は薄まるばかりで、この人にとって自分は要らない存在なのだと自覚させられることが多々あった。一人っ子なのも良くなかったのかもしれない。自分の思いを共感してくれる存在はいなかった。
肯定してくれることは一切無い一方で、母親は過干渉であった。話のテンポが遅めな自分が話し始める前に、先に全部喋ってしまう。何も要らないと言っているのに「あんたはこういうのが好きだから」とよく分からない玩具を買い与えられて「ありがとう」と言うしかなかった。「これが欲しい」と言ってみても「こっちの方が良くない?」と同意されることはなかった。
しかし母親の逆鱗に触れた時は全くの逆なのだ。今度は一切合切の干渉を止めてしまう。ご飯も服も何も用意はなく、目が合えば舌打ちをされ挙げ句「出ていけ」と言われる始末。何が悪いのかも理解出来ないまま自主的に家の外に出るしかなかった。まぁ一日も経てば「お母さんが悪かったね、ごめんね」と泣きながら抱き締めてくるのだから、気持ち悪いと思いこそすれ、愛情を感じ取ることはなかった。
今になって、過去の経験が自分の首を締める。君からの干渉を母親のソレと重ねてしまって、君を悪く思ってしまう。何かを決める時に君の顔色を伺いすぎて不快にさせてしまう。自分の考えを口するのがどうにも苦手で、君は待ってくれるけれど、どうにも待たせすぎて罪悪感に苛まれる。君からの優しさを素直に受け取ることが出来ない。
夫婦
いい夫婦の日だからだね。分かるよ。自分には関係ない話だけど。まぁ結婚しようって言ってる相手がいるから完全に無関係っていうわけでもないけどさ。今のままだと結婚は死ぬまで出来ないからね。お互いに結婚理由を利害の一致って言ってて、だからこそ歩み寄りの姿勢はあるし仲は良い方だとも思う。でも結婚は出来ない。一緒には住むし、家族になる予定もある。そこまで共通認識だし。じゃあなんで結婚出来ないの。たまたま同性だっただけなのに。