『小さな命』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
生まれた時は、みんな小さくて可愛い。
動かないし、甲斐甲斐しく世話をしなければ、死んでしまう。
少しずつ大きくなって、肉塊から生物っぽくなっていく。
歩いて、お喋りするようになったら、もう大変だ。
自分の付属パーツだと、ステータスアップするためのアクセサリだと思っていたのに。
自分の好き勝手に出来る人形だと思っていたのに。
思い通りにならない、言うことを聞かない。
どこも自分に似ていない。
不快、不愉快、不潔。
嗚呼、不運だ。
産むんじゃなかった、こんなゴミ。
お前なんかもう要らない、目障りだから消えてちょうだい。
ズタボロにした玩具、汚いから焼却炉へポイ。
今度は、もっと可愛いのを造ろ。
テーマ「小さな命」
眠れないから、夜中の道を歩いた。
行く宛てもないから、いつもの丘に登った。
胸が痛いから、寝転んで星を眺めた。
そうして、目に映る全てのものを星空にした。
それから、目を閉じて星空のずっと向こうを想った。
風が、凪いでいた。
-小さな命
#小さな命
ダンゴムシが顔を出した。土に温もりが感じられた。今年は暖冬である。生命の息吹が幾分早く感じられる二月である。今年に限らず、近頃の四季はまるで昔のフィルム映画のようである。展開が早い。
そういえば、最近こんなことを耳にした。「若者の間では映画やドラマを早送りで観るのがトレンドである」。私たちの青春時代は早送りで映画を観るなど言語道断であったのだが、どうやら事情は違うらしい。「タイムパフォーマンスが悪い」。「緩慢に作られすぎていてとてもじゃないが等速で見ることはできない」。これといった色のない人生を送ってきた私には理解が追いつかなかった。
思い返せば、私の人生はきらびやかな装飾とは全く無縁であった。全てが平均的であった。無意識のうちに高校を選び、中堅企業に就職し、何回とも思い出せぬお見合いの末に結婚した。子供はできなかった。馴染みの定食屋の親子丼が一週間にいっぺんの楽しみであった。小皿のたくあんを、それはそれはありがたくかじったものである。旦那には先立たれ、定食屋は暫く行かぬうちに暖簾を下ろしてしまった。
映画は人以上に観てきたつもりである。4Kなんて夢のまた夢、2Kどころか1Kすら出ているのか怪しいテレビで、毎日昼の一時からの映画をただひたすらに観ていた。洋画は好まない。端正な顔立ちの男と女が愛を交わすシーンなど、全くもって反吐が出る。邦画の、それも日常をそのまま切り抜いたような映画を観て、自分と同じような境遇の人物と心を通わせる、これが究極の愉しみ方である。
そんな映画であるが、決まりきった勧善懲悪ものでも、恋愛ものであろうとも、はたまたドキュメンタリーものであっても、一つ確かなことがあると最近気づいた。それは、どんな映画であっても「主人公一人で物語は完結しない」、ということである。何と平凡な感想か、と思われるかもしれない。ある意味でそれは正しい。このような平凡なことしか考えられないから平凡な生活を送っているのである。
しかし、私の気づきもある意味で慧眼である。時代劇に例えて考えていただきたい。いかにも剣の達人であろう者が人を斬ったとしても、斬られた方がなんとも歯切れの悪い死に方をしてしまったら、興醒め半分カッコ悪さ半分であろう。映画でも一緒である。主人公にピントが合って、ぼけて見えることすらあるエキストラであっても、画面を構成する一部であることに変わりはない。脇役であれば尚更である。
早送りでの鑑賞で、果たして主役から脇役、エキストラに至るまで全ての人物が織りなす一つの物語を味わいきることはできるのだろうか。確かに主人公中心の、映画の根幹となる物語だけを味わっても楽しめるかもしれない。しかし、その楽しみは間違いなく意図したものではないし、大味である。バラの花を見て感動して涙を落とす人は少ない。しかし、バラの花の栄枯盛衰を目の当たりにできれば、皆の目から自ずと涙が溢れてくるであろう。
ダンゴムシはとっくに退陣した。薄い窓が音を立てて揺れ、一本の筋を描きながら通り抜ける。風の声が聞こえるようだ。「あぁ...」。一言発する。脚光を浴びる主人公、地味な盛り立て役の脇役とエキストラ。どちらも同じ命を吹き込まれているはずなのである。一筋の涙が顔から滴り落ちる。日は傾いていた。
お題 小さな命
道路に残る雪が小さくなり
コートを着なくてもいい日が増えてきた
きっともうすぐ
小さな命たちが地に出てくる
固い蕾は薄桃の花びらに変わり
静かだった庭には虫たちがやってくる
皆さん、もうすぐ春ですよ
楽しみな人にも、そうじゃない人にも、
新しい季節がやってきます
地に出て、お出迎えしましょう
小さな命 と聞いて浮かぶはなに…
子供の頃に飼っていた鳥 ぴーこ
去年突然なくなった オッドアイの猫のしろ
小さな命といっても
命に大きさなんてないね
みんな大切な大切な命だよね。
今日、入学式用にスーツを買った。
まだ一ヶ月と少し先だけれど、父が早く着せたい、と購入を決めたのだ。
着られている感の拭えないスーツ姿は、成人とは思えないぐらいに子どもに見える。けれど、父は「嬉しいなぁ」「幸せだなぁ」といつもの仏頂面はどこえやら、笑顔を綻ばせた。
聞くところ、私は生まれた直後がよろしくなく、死にかけていたらしい。
だから両親はあんなに小さくて危うかった生命がこんなに大きくなって、と改めて成長を感じていた。
そりゃあ、スーツ姿を見て喜ぶわけだ。
今日も、生きていて良かった。
この世界で生きている
小さな小さな命
ちっぽけだけど、力強く生きている。
私達から見た小さな命はなんだろう。
きっと、何者かから見た私達も、小さな命なのだろう。
小さな小さな命でも
それは、私達の持っているものと
何ら変わらない『命』
命の重さは、変わることがない。
私達たちは、それを知っているうえで小さな命を奪う。
軽く見ちゃいけない。
それだけでいい。
簡単なことだろう。
何かの命の上に、私達の命は成り立っていることを
私達は、決して忘れてはいけないんだ。
それでは
『いただきます』
小さな―――命よ。
小さい子供が小さな命じゃないと思う。大人の命も小さな命だと思う。命は尊いくてどんなものでも測れない、天秤にかけるのも難しいものだから。でもこれはあくまで自分の考えだから実際は知らない。しらなくてもいいものかもしれない。
お久しぶりです
小さな命か…
この前廃車になるほどの大事故をした時は
人の命を預かってた身でそうなってしまったので
小さな命どころじゃなく将来を抱えた大きな命を
自分の手で摘んでしまうところだった
いや命に大小つけることはよくないのかな
こんなこと言ったら綺麗事かしら
宇宙生物
命を大切にしなければいけないということには当然反対はしようとは思わない。自分が問いを持つのは小さな命とはなにかについて。特に、”「小さな」”命という点についてである。
この題を見た深夜、なぜ自分の思考回路が止まったのか、考えてみよう。
宗教的考えは除くとし考えてみると、一般には生き物には全て命があると言ってよいだろう。ここにおいて、「全て」と言ったが、この言葉は文字通り、全てであるのだ。自分は何を言いたいのだろうと思いながらももう少し吟味してみると、ありふれてる言葉だがよく考えるととんでもない言葉であることに気づく。生き物には全て命があると言った場合には、地球上だけでは収まらない、そう銀河系をも飛び越え宇宙さえ凌駕する所にまで生き物の範囲を広げることになる。これはとんでもないことだ。地球上だけでも今もそしてこれからも生き物の数、種類は数え切れないものなのである。好奇心旺盛の人であれば、どこかしらで地球がどんなにちっぽけな存在であるかを教えてくれる動画や文章に触れ、興奮、あるいは恐怖まで感じた人がいるだろう。宇宙に他の生き物がいることは立証されていないが、自分は生物がいない方がおかしいだろ派の人間であるがゆえに、更に困惑するのだ。なにに困惑するか、予想できる生き物の数と種類である。宇宙が無限に広がっていた場合、その分だけ生き物が増えることになる。そしてそれらの生き物には当然「命」があるのだ。ここで最初に述べた、「小さな」という点について戻ってみよう。
全ての生き物といった場合には、計算不可能である莫大な量の「命」が存在することがわかった、そしてこれらの生き物はみな、体の大きさが同じであるのか、そのはずがない。そのことは奇跡の惑星地球が十分に証明済みだ。宇宙の果てでは、どんな大きさの生き物がいるだろうか、太陽をも超える生き物がいるかもしれない、はたまた電子や原子ぐらいの大きさの生き物がいるかもしれない、いや、自分たち人間には想像不可能な次元の生き物がそこに君臨しているだろう。もしかしたらその先をゆく——。それらそれぞれの生き物の優劣をつけようとしてみると、当然それが可能なわけがないのことに気づく。
ここで自分が話しているのは体の大きさであって「命」の大きさではない。更にここでいう「命」は心臓を示す事はないことにしてみよう。そうすると何が見えてくるだろうか。もはや「命」を大きさで測ろうとするのがバカらしくなってくるのだ。「命」は言ってしまえば概念だと考える。それは体の大きさに比例することなく生き物それぞれに等しく存在するのだ。先ほど言った、太陽よりも「大きい生き物」と電子くらいの「小さい生き物」この両者がどっちが良いか、ここで「大きい生き物」といってしまうのなら未熟なのかもしれない。
はたまた大きさが測れないであろう「命」まで大きさで見ようとするのなら、地球上で人間は永遠にカースト最上位の鬼として他生物の「命」を消していくことになるだろう。
あとがき
今回は頑張って今日のうちに書き終わることに成功した。自分で読んでいて何を言いたいのだろうかと思いながら必死に頭の中を表現してみた。自分も宇宙の大きさの動画をYouTubeで見てブルブル震えたことがあるな。
そんな宇宙の果てに太陽よりでかい生き物がいたとして、こんなちっぽけな自分でも同じ命(概念として)を持っていると思うとすごく自分が強くなったように思える。明日から太陽のように頑張ろう。
恋愛魔法伝の続きはがんばってかきます!本当に待っててほしいです!お願い!
月野
小さな命…いつか君と願ったこの日いつか産まれてきてくれたら良いなぁ…待ってるからね。#小さな命
あなたに出逢って
どんなに優しい人が現れても
私の本質なんて、誰も理解できないでしょ
そんなこと言って突っぱねてほんとに可愛くないなって
5分でも会えたらいいねって、乗換駅で待っててくれるあなた。
始発で仕事してきて、私よりも疲れているはずなのに。
照れてまともに顔も目も合わない私に笑いかけて抱きしめて優しいキスをしてくれる。
キスをするたびに、身体があなたを求める。
この感覚になるのは、あなただけ。
突然小さな花束。
どうして?
何でもない日にあげるプレゼントが良いでしょ?って
この前夜の電話で話した、
お互いの家の庭に咲いてる花を選んで
それを何日も楽しめるように7分咲の花束なんだって。
同い年なのに、どうしてこうも人への愛の示し方が上手なのだろう。
逆に怪しんでるでしょってあなたは茶化す。
少しさみしい顔をする。
私は素直じゃなくて、会っているあいだ
『それほどあなたに興味ない』フリをしてしまう。
付き合ってるかもわからなくて。
よくある告白フレーズもなく、気づいたら毎週会いたくなって、会うことが普通になっていって。
今日は明日仕事のお客さんと友達と軽く飲んで遊ぶって言ったら
『行ってほしくない』
『聞かなきゃよかったとも思う』
ちょっと悲しげに笑いながら言うあなたに
やっと私は
(この人、私の事本当に好きなんだな)
とどこか他人事だけど、少し心にチクリ。
『念押しで言わないとダメだな』
なんのことだろうと思いながら、
普段の会話、あまり私はまともに受け取ることもないからそのことなのかな〜とふわりと考えて、別れのキス。
『俺との関係、あまり人に言わないで?』
「どうして?言われなくても言わないよ?笑」
『…でも、仲の良い、近い人になら言ってもいいよ』
「近い人?言ってほしくないのにいいの?」
『私は今こういう人と付き合ってますって』
「え?」(聞こえてるけど)
『今こんな人と付き合ってますって言っていいよ』
もしかして。
念押し、ってこの事?
流石に、、
自分の鈍感さに吐き気がとまらなくなる。
気づいたらあなたへの壁、崩壊して
溶けてしまいそう
良いのかな
あなたを本気で好きになっても。
生まれたときには
色がなかったであろう
小さな命。
自然とのふれあいで
人との関わりのなかで
たくさんの色をもらった。
感情という名の彩りをもらった。
この命を終えるとき、
それはどんな色をしているだろう。
綺麗な色じゃなくていいや。
悲しみも喜びも幸せも
すべての感情をのせた
私だけの色であればいい。
「小さな命」
1.『小さな命』
小さな命そう聞かれたら何を考えるだろう
ベビー?子供?植物?小動物?
私はベビーか小動物だと思った
小さな命は奇跡だと思える。
触れただけで
今にも壊れてしまいそうなのに
一日一日を
小さいながらも毎日生きている。
16.小さな命
うまれたての
ちいさないのち
かよわくて
こわれてしまいそうで
だいじにだいじに
そだてあげた
いつのまにか
たくましくなっていた
これからももっと
おおきくなってほしい
ねがうのはらくだよ
きみは
わたしのためにしんだ
まだ
ちいさなちいさないのちだった…
小さな命
小さな命っていうか命が小さいというか。
命をいずれは水で満タンになるコップという風に考えると、生を受けたばかりの赤ん坊は小さな命というふうに言える……いや言い難い。たしかに水の量は0に近いのかもしれないが赤ん坊は言わばコップ。0を0でなくする存在と言えるのかもしれない。
小さいようで大きい、人間とは不思議な物だ。
お祭りで金魚を見つけた。
水の中できらきらと輝く小さな赤い魚。
ぼくは綺麗なものが好きだった。だから、金魚を掬って、水をたくさん詰めた袋に泳がせて家へ連れ帰った。
明日から、綺麗なこの子と一緒に暮らせるのだと思うと、少し寂しくて振り返るはずの帰り道も、今すぐに走り出したくなった。
次の日、ぼくは連れて帰ってきた金魚にご飯をあげた。お母さんが買ってくれた、魚用のさらさらした粒のご飯。こんなものでお腹いっぱいになるのかと思ったけど、金魚は沈む途中のそれをぱくりと上手に食べてみせるのだった。
これからも、この子と楽しく過ごせたらいいな。光る鱗はまるで晴れの日の着物みたいで、ぼくはうっとりしながらスマホのカメラを向けた。金魚は、どうだとばかりにその尾びれを振って見せるのだった。
1週間くらいしたとある日。
金魚は、元気がなかった。底の方に沈んで、目もどこかどんよりとしてある。ご飯も食べてはくれなかった。いつもなら水から飛び出ちゃうんじゃないかと思うほど元気よく向かってくるのに。
その日の夜は金魚鉢を布団の隣に置いて寝た。お母さんはぼくが躓いたらと心配していたけど、しばらく話して、金魚が元気になるまでの間ね、と言ってくれた。布団に横になると、金魚と目が合った。明日は元気になっていてくれたらいいな。
その次の朝。
ぼくは起きてすぐに、金魚鉢を覗き込んだ。
金魚は、白い腹を見せてぷかぷかと浮いていた。なんだか嫌な感じがしたけど、ぼくはお母さんを呼んで、金魚を見せることにした。
お母さんは、金魚を見ると、ぼくの頭を優しく撫でてくれた。魚の病院に連れていこう、とぼくが言うと、お母さんは静かに首を横に振った。
金魚は、しんでしまったのよ、とお母さんは言った。
死ぬ、という事はよく分からない。きょとんとするぼくに、お母さんは、あの金魚にはもう会えないことを教えてくれた。
ぼくは静かにお母さんの話を聞いていたけれど。
急にぽたり、と涙が零れた。
ひく、と声が漏れて、それから。僕はわんわんと、もう涙が出ないんじゃないかってくらい泣いた。
もう金魚に会えないなんて考えたくなかった。
お祭りの金魚はこのくらいで死んじゃうものだから、ぼくは悪くないのだと、お母さんは背中をさすってくれた。
ぼくはその日、命、という言葉の意味を知った。
大きな命、小さな命、どれも終わりがあるのだと言うことも知った。もしかして、お母さんもいつかいなくなってしまうんだろうか。そんなことを考えて、お風呂の中でまたちょっと泣いた。
ぼくはその日、お母さんたちの布団で寝た。
温かくて気持ちがよかった。命、がいつか終わってしまうのならぼくはどうしたらいいのだろう。
考えても、考えても、ぼくにはまだ分からなかった。
まだまだ暑い風が吹いて。ちりん、と窓の風鈴が鳴った。
「「宇宙船地球号」「一寸の虫にも五分の魂」「植物にも言葉がある」·····あなた方がお題目のようにこんな言葉を唱える前から、我々は知っていたのです」
複眼に私の顔がいっぱい映っている。
「あなた方が知っている生命はおよそ175万。しかし幸いにもあなた方に見つかっていない生命はそのおよそ15倍」
緑色をした爪が目の前に突き付けられる。びっしりと小さな産毛が生えた、薄緑色の鉤爪。
「もう、いいでしょう」
穏やかな声だが、静かな怒りを孕んでいる。
「この星の生命の頂点としての繁栄を、もう十分楽しんだのでは?」
蜜を吸う為の口吻が小刻みに揺れている。
「あなた方が理不尽に弄んだ我々の命·····返して下さいとは言いません。ただ·····もう終わりです」
背中の羽根が、鱗粉が、きらきらと輝いている。
「命に大小の差はありません。あなた方の尺度で測る時代は、もう終わりです」
ぐ、と複眼の目が間近に迫る。
鉤爪のついた腕が大きく上がる。
そこで·····私の意識は途切れた。
END
「小さな命」
小さな命
「皆んなで、飼おう!そしたら
マリーも寂しくないし、皆んなで、
ちょっとずつ餌持ってきたら良いし!」
そうして私たちは、公民館裏の物置の陰で、ノラネコ マリーを皆んなで
飼うことにした。マリーは仔猫ではなく
成猫だったので、私たちが家族に「飼って」と言ってもダメだろうと思ったからだ。
給食の余った牛乳、パン、小パックの鰹節、
今にして思えば、そりゃダメよ、
てな餌だけど、マリーは私たちが行くと、
物置の陰から飛び出してきて、
必死で餌を食べ、私たちにその白い体を
撫でさせた。呼吸で上下する腹。
指で鼻あいさつの時のひやっとした感触。
マリーはこの小さな秘密基地で、
その小さな命を生きていた。
いつまでもこの生活が続くと思っていた。
思いたかった。
しかしある日、当然の如く大人にバレた。
マリーの行方は…薄情なことに記憶に無い。私たちの仲間が引き取ったのか、或いは。
それから半年ほど経った頃、
マリーに似た仔猫を、私たちの仲間が
公民館裏の物置のあたりで見かけた、という風の噂を付け加えておこう。
花が散るように私たちも散る
命どうしが結び合い新しい命を生む
そんななか私は貴方と結ばれたい
きっとそれは0.1%にも満たないけれど。
#小さい命