宇宙生物
命を大切にしなければいけないということには当然反対はしようとは思わない。自分が問いを持つのは小さな命とはなにかについて。特に、”「小さな」”命という点についてである。
この題を見た深夜、なぜ自分の思考回路が止まったのか、考えてみよう。
宗教的考えは除くとし考えてみると、一般には生き物には全て命があると言ってよいだろう。ここにおいて、「全て」と言ったが、この言葉は文字通り、全てであるのだ。自分は何を言いたいのだろうと思いながらももう少し吟味してみると、ありふれてる言葉だがよく考えるととんでもない言葉であることに気づく。生き物には全て命があると言った場合には、地球上だけでは収まらない、そう銀河系をも飛び越え宇宙さえ凌駕する所にまで生き物の範囲を広げることになる。これはとんでもないことだ。地球上だけでも今もそしてこれからも生き物の数、種類は数え切れないものなのである。好奇心旺盛の人であれば、どこかしらで地球がどんなにちっぽけな存在であるかを教えてくれる動画や文章に触れ、興奮、あるいは恐怖まで感じた人がいるだろう。宇宙に他の生き物がいることは立証されていないが、自分は生物がいない方がおかしいだろ派の人間であるがゆえに、更に困惑するのだ。なにに困惑するか、予想できる生き物の数と種類である。宇宙が無限に広がっていた場合、その分だけ生き物が増えることになる。そしてそれらの生き物には当然「命」があるのだ。ここで最初に述べた、「小さな」という点について戻ってみよう。
全ての生き物といった場合には、計算不可能である莫大な量の「命」が存在することがわかった、そしてこれらの生き物はみな、体の大きさが同じであるのか、そのはずがない。そのことは奇跡の惑星地球が十分に証明済みだ。宇宙の果てでは、どんな大きさの生き物がいるだろうか、太陽をも超える生き物がいるかもしれない、はたまた電子や原子ぐらいの大きさの生き物がいるかもしれない、いや、自分たち人間には想像不可能な次元の生き物がそこに君臨しているだろう。もしかしたらその先をゆく——。それらそれぞれの生き物の優劣をつけようとしてみると、当然それが可能なわけがないのことに気づく。
ここで自分が話しているのは体の大きさであって「命」の大きさではない。更にここでいう「命」は心臓を示す事はないことにしてみよう。そうすると何が見えてくるだろうか。もはや「命」を大きさで測ろうとするのがバカらしくなってくるのだ。「命」は言ってしまえば概念だと考える。それは体の大きさに比例することなく生き物それぞれに等しく存在するのだ。先ほど言った、太陽よりも「大きい生き物」と電子くらいの「小さい生き物」この両者がどっちが良いか、ここで「大きい生き物」といってしまうのなら未熟なのかもしれない。
はたまた大きさが測れないであろう「命」まで大きさで見ようとするのなら、地球上で人間は永遠にカースト最上位の鬼として他生物の「命」を消していくことになるだろう。
あとがき
今回は頑張って今日のうちに書き終わることに成功した。自分で読んでいて何を言いたいのだろうかと思いながら必死に頭の中を表現してみた。自分も宇宙の大きさの動画をYouTubeで見てブルブル震えたことがあるな。
そんな宇宙の果てに太陽よりでかい生き物がいたとして、こんなちっぽけな自分でも同じ命(概念として)を持っていると思うとすごく自分が強くなったように思える。明日から太陽のように頑張ろう。
恋愛魔法伝の続きはがんばってかきます!本当に待っててほしいです!お願い!
月野
2/24/2024, 4:04:40 PM