『夢と現実』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
夢と現実
私は狂おしい程に自分への期待が強い人間だったのだと思う。
現実はなかなかうまくいかないことが多い。
だからこそ、「夢」なのだ。
うまくいかないことが多すぎて、私はもう追いかけるのをやめてしまった。
でも、今思う。
私は自分の欲しいものすらよく分かっていなかったのだ。自分の人生をどうしていきたいか、色々と想像を膨らますことはあっても、それは本当に私が求めているものかと聞かれると違うのかもしれない。
自分の理想はいつも他人主体の上で成り立っていた。
現実の自分なんて大嫌いだった。
だけど、現実の自分を好きになってくれる人がいた。
「賢いからって何が偉いの?」
「仕事できるからって何なの?」
「メイは、メイでしょう」
彼の言葉にハッとした。
たった1人ありのままの私を受け入れてくれる人がいればもう十分だ。
これが現実。
現実でないと出会えなかった人がいる。
彼。そして、私。
現実もそう悪くはない。
将来の夢について
キラキラした笑顔で話すあなたたち。
いつか。
夢と現実の狭間で
苦しむ日が来るかもしれないけれど。
そんな時にはどうか思い出してほしい。
自分ができること。強み。個性。
みんな、素敵な力をいっぱい持っている人だから。
その人にしかない魅力は必ずあるものだから。
だから、そんな自分に自信をもって
自分だけの道を笑顔で歩んでほしい。
そして、欲を言えば。
いくつになってもキラキラした笑顔で
夢を語れる人になってほしい。
夢と現実
〜夢と現実〜
人は誰もが夢を持つ。今は見つからない人も、いつかは必ず何かしらの夢を持つ。夢を持つことはとても素晴らしいことだと思う。その夢に向かって頑張って努力してるいる人を見ると、自然と元気や勇気をもらえるし、そういう人こそが、本当にかっこいい人だと思う。どんなに大きな夢でも、どんなに小さな夢でもいい。ただなにかを追って入れさえすれば。それが生きる希望になるんだったら、どんなことでもいいから、何かに希望や夢を持って生きて欲しい。それはとても素晴らしいことだから。何かに一生懸命になって必死になれることは、凄いことだし、自分に誇りを持って欲しい。例え現実が、夢に程遠くても、諦めないで最後まで頑張って欲しい。努力は絶対裏切らない。私はそう信じて自分の夢に向かって今必死っで走り続けています。綺麗事だって思う人もいるかもしれない。馬鹿だなって思う人もいるかもしれない。でも、絶対無理だとか、叶うはずがないとか、やる前からそう決めてたら当然叶わない。できるできないとかの問題じゃなくて、やるかやらないか次第だと思う。だから、今何かに夢中になってたり、夢を持っている人は、堂々と胸を張って生きていって欲しい。例え叶わなかったとしても、それまでの努力は決して無駄なんかにはならないから。もし叶わなかったとしても、絶望しないで欲しい。自分が今までしてきた努力を誇りに思って、自分を沢山褒めてあげてほしい。
確かに現実を受け止めることも大切な事だと思う。けど、その現実にとらわれて、夢を失って欲しくない。夢があるんだったら、その夢に向かってひたすら努力して欲しい。現実を気にしてたら何も変わらないから。無理かなって思っても、1度夢に向かって動いてみてほしい。そのあなたの1歩が、きっと現実を変えてくれるから。だから、諦めないで。どん底でも、もうダメだって思っても、夢を失わないで。夢さえ持ってれば、きっといつか、人生に光が刺すから。
夢と現実
夢はどこか現実の苦しかった一場面を舞台に描き出す。夢さえ過去の現実を残酷なほど綺麗になぞるのだ。こうだったら良かった、ああすれば良かった、そんな声は夢には届かない。
目覚めたときには汗をびっしょりかいて涙なんか小さく流している。たかが夢だ、たかが夢なのに。頭はそんなことも覚えていたのか、とどこか他人事のように関心して夢を受け入れる。頭の見えない場所で忘れないように保管している。忘れていいのに、そんな記憶捨ててしまえばいいのに。
夢は過去との戦いなのだろう。いつだって現実に過去からはなれた今に、生きている世界に嫌でももどる。生きてきた日の数だけが勝ちだ。必ず覚めるものだから大丈夫なのだ。いつかとてつもない大きな記憶をつめこんで保管場所から過去の居場所をなくしてしまおう。そのくらいの気持ちで夢から覚める。悪が一番嫌うのはきっと希望だ。
暗闇で息を立てるヤツがいた
いつも目は虚空を追っている
外の世界ではいつも何かが
かつてから産まれてきていた
それはいつも誰にも覚られず
夜明けの海へと消えていた
風が肌を刺すようになったが
燻んた私の心を刺すのは
風ではないことしかわからない
もうこんな時間じゃないか
明日早いからもう寝ないとな
今日もあの子への手紙の返事が書けなかった
明日こそは書こう
って何回目だよ
憧れのギタリスト
経歴がご立派でなぜか焦ってしまう
自分は自分の人生がある
それでいいんだって言い聞かせるけど
私が生きている世界が現在だとすると
彼らは近未来くらいにいる
そんな気がしてならない
そういえば、
病気と戦ってるやつがいたな
「諦めない」って言ってたな
あいつは今日も苦しみに耐えて笑ってるだろうか
こうやって私はまた彼を踏み台にして...
って具合に悪循環さ
せめて明日は手紙を書こう
一歩ずつ
#夢と現実
#夢と現実
私が生きてる世界が現実で生きるために必要なのが夢。
どちらも私の中に必要なんだ。
頑張りたいのは現実、見ていたいのは夢。
このふたつがどちらが掛けても私は成り立たない。
大切にしたい
テーマ“夢と現実”
とても、暖かかった。
パパとママと私。
晴れた日にピクニックとか行って。
一緒に遊んだり
お話したり。
そんな夢を見ていた。
私が全く経験したことのない夢。
だって私は…
ゴミ袋に囲まれた部屋。
開かない窓。
何ヶ月も開かないドア。
時々誰かが外から殴ったり蹴ったりする音だけはする。
真っ暗な部屋に動けない私が居る。
どのくらい食べ物を口にしていないんだろう。
どのくらい飲み物を口にしていないんだろう。
誰かに抱きしめられた記憶も
笑いかけられた記憶もない。
そもそも、私は今、生きてはいないと思う。
それが、現実。
誰も私の存在を見つけてくれなかった。
それが、現実。
パパとママという存在は
いつの間にか私の前から姿を消した。
それが、現実。
(フィクションです)
夢と現実
「ハッ!」
車窓の景色を見て気づいた、やっぱり寝過ごしてる…
次の停留所で降りなきゃ!と押しボタンを手早く押し、至って冷静なふりをする。ふと斜め後ろを見ると、鞄をゴソゴソ、落ち着かない様子の若いスーツ姿の男性。
この人もやったな。
仲間がいたからといって、バス代が安くなることも、これから歩く歩数が減ることもない。状況は同じなのだが、気分の落ち込みは些か軽減された。
「お疲れさまでした。どうぞお気をつけて」
バスが去ると真っ暗な通りに男女2人きり。そして、ロマンチックな展開が待っているわけもなく、無言で別れて、各々の家に向かい、ただただ歩く。
どこまでが夢だったのだろう?バスの中でのことを思い返すが、いつも利用する停留所を通過した記憶がない。夜風に吹かれ、眠けはすっかり飛んだ。
この世界が夢ならいいのに
何度そう願ったことか
辛いことも苦しいこともいつか醒める夢なら耐えられる
けれどもこの世界が現実であることは周知の事実で
どんなに願っても私の幸せが手に入ることは無いのだ
そんなふうに悲観していた私に念願の幸せが訪れたのは
もう4年も前の話である
4年前の私は確かに幸せで
満ち足りた日々を送っていた
ただその幸せが夢なのではないか
いつか醒めてしまうのではないかと不安になった私は
なんとあろうことか自ら幸せを手放してしまったのだ
そして今の私はどうだろうか
何もない日々を送り
悲観していた頃に比べれば
真っ当な現実を歩んでいるといえるだろう
ただ何故か時折
暗い海の底に沈みたくなる
私を知る人がいない遠くへ消えたくなる
私の夢はいつ醒めるのだろう
ふと思い出す
3年前の大晦日に救急搬送され生死をさまよったのがちょうどこの時期だった。
あれから3年本当に月日の流れは早いもので、もう還暦過ぎて63になる(笑)
昨日から風邪を久々に持ち込んでしまい、ノドの痛みと咳にやられてしまった。
〇〇〇ではなかったのが救いだ!
も少し安静にしておこう。
就きたかった仕事に辿り着くことができて
夢を叶えたねと言われたけれど
就いてみれば
ヒリヒリするような現実が待っていて
甘くない 全く甘くない日常があって
けれど これこそが
自分の辿り着きたい夢=現実だったのかも知れない
夢と現実
夢と現実
滅多に夢に出て来ない実家の父と、実家の兄が、どうした訳か夢に出てきた。
圧の強い父が脇役で、いつも控え目な兄が主役の夢だった。
現実には二人はもういない。
目が覚めてから、もう一度二人に会いたくなった。夢で良いから。
わたし今話したいこと、聞いて欲しいことあるんです。
還暦も過ぎて、そんなふうに思ってしまうわたしは、まだまだ甘ったれなんだと思う。
出来ることなら一生現実は見たくないし、夢の中で漂っていたいし、課題なんてやりたくないし、何もかも手付かずな自分自身に目を向けたくない。
布団の中で緩い熱を享受し続けていたい。
けれどそんな訳にもいかないのが現実で。
毎朝起きて学校に行く理由も、勉強する理由も、友達の輪が存在する理由も、苦手な人に気を使う理由もわかっていないのに。
朝ごはんを食べるのも億劫。靴紐を結ぶのも億劫。友達の愚痴を聞くのも億劫。なにもかも、なにもかも
でも明日から学校行かなくて良いって言われても私は多分行くんだろうなと思う。学校にさえ行かなくなったら私はもうダメになる気がする。学校に行かない勇気もない、私は一体何ができるんだろう。
#夢と現実
夢って何が見れるのか自分じゃ決められない、
嫌なゆめと幸せなゆめどちらかがランダムで見れる。
現実は自分で作り出すもので幸せか不幸せかは自分次第で決めるものだ
でも現実は夢のように自由ではなくて
じゃあ死んで自由になったらどんな夢が見れるんだろうって
死への憧れが大きくなっていく
あなたと一緒にご飯を食べに行きたい。
あなたと一緒にお花畑に行きたい。
あなたと一緒に楽しくお喋りをしたい。
あなたの隣に居たい。
そんな未来があると思ってた?
今、あなたの隣には、美人で素敵な女性がいて、私の隣には、小汚いおっさんがいる。
きっと、あいつは早くして結婚でもするんだろう。
じゃあ、私は?
ネットで自分を売りに出して、おっさんと体を重ねて、金を稼いで。
毎日毎日、偽りの私を提供している。
嗚呼、あなたみたいな美しくて楽しい人生は私にはやってこないのだろうか。
そんなこと願ったって無駄なのは分かっている。
「…あ、そろそろ行かないと」
私は今日も、夜のネオン街へと消えていく。
『夢と現実』
つい夢見がちになってしまう
夢は優しいから
現実は厳しい
甘くもない
直視なんてしたくない
でも見るしかないから
薄目を開けて
指の間から恐々と、見る
たまーに、本当にたまーにだけど
優しくしてくれる時があるの知ってるから
だから、まぁ、見られるかな
夢と現実の区別がつかなくなっていた。
先月の休みの日、好きな漫画の新刊を買いに行った。別の本も買おうと思ったが、入荷されていなかった。何週間か前、駅で切符を買い間違えた。それについて、最寄り駅の駅員さんと話をしていた。
気がつけば、そんな些細なことが夢の中の記憶であったか、はたまた現実で起きていたことであったか、あやふやになって思い出せないでいた。
5年前、「夢日記」についての記事を読んだ気がする。
夢で見た内容を日記に書き記すことによって、いつか夢と現実の区別がつかなくなる、そんな内容だった。
当時は「何をそんな馬鹿なことを」と思っていたが、今の自分はまるでその兆しを感じているように思える。
いつか、大切なことさえわからなくなってしまったらどうしよう。誰かとした約束、家族と出かけた記憶、友人とのくだらない時間。すべて、夢だと思ってしまうかもしれない。もしそうなってしまえば、自分の存在すら掴めなくなるのだろうか。
漠然とした不安が、自分の胸を締めつけていた。
夢と現実.
《夢と現実》
君から連絡が来る夢
君から連絡が来ない現実
君と会える夢
君と会えない現実
君の歌を聴ける夢
君の歌を聴けない現実
君と手を繋ぐ夢
君と手を繋げない現実
君とハグする夢
君に触れることすら許されない現実
君と同じ夜を過ごす夢
君と同じ夜を過ごせない現実
君が彼氏になる夢
君が別な子の彼氏になる現実
夢と現実
夢がなかった中学生時代。就きたい職業なんて考えられなかった。
今だに忘れられない。中学3年生秋、総合的な学習の授業中にパソコンで適正職業診断なるものをクラス全員受けさせられた。画面上の質問に直感答えていくと自分の適正職業が出てくる。
私の適職は「なし」。そんなことあり得る?あの時のショックをたまに思い出す。
そんな中学生時代に私は「25歳で結婚、30歳までに2人子どもを産む」と家のパソコンのWord文章に夢を書き込んだのを今思い出した。その頃からただ漠然と子どもを育ててみたかった。
現実では、年齢こそずれたが、2人の母親となり、出産後も子どもを育てる職業で給料をいただいている。
これが適正職業なのかはまだ分からない。