『声が枯れるまで』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
声が枯れるまで。
声が枯れるまで
「ゆうが
大好き」と
叫ぼう。
大阪までは
なかなか
届かないけど
大丈夫。
「人生には二つの悲劇がある。
一つは願いが叶わぬこと、
もう一つはその願いが叶うこと。」
こういう言葉が、とある戯曲の中にあるそうです。
私は今日初めて知りましたが、
どうにも好きになりました。
願いが叶わないのは辛いことです。
どうしたって叶わないとわかってしまったら、
とても悲しいのです。
でも、叶うかもしれない願いに向けて
進んでいるその道中は、
生きている意味だとか未知への期待だとかで
希望を持てる日々でもあるのです。
そういう意味では、願いがまだ叶っていない段階には
それなりの幸せがあると言えるのでしょう。
こういう解釈が一般的なのかもしれませんが、
私はこの言葉が、
願いを叶えることのネガティブさを
肯定している部分が気に入っているのです。
悲願を達成したとして、
喉元過ぎれば熱さを忘れるように、
一瞬、後悔する瞬間があるのです。
頑張って行きたかった学校に合格したけど、
勉強が難しくて嫌になってしまう瞬間のような。
過去の自分や応援してくれた人に失礼な気がして、
そんなこと考えるものじゃないと、
思考に蓋をしてしまうのです。
この言葉は、そんな私を、
認めてくれる言葉のような気がしました。
願いを叶えるということは
幸せを掴むことであると同時に、
新たな困難へ挑戦する権利を
得ることなのだと思います。
大小を考えなければ、日々は願いの連続です。
叶った願い、叶っていない願い、
その両方に喜びつつ嘆きつつ、
心のままに生きていこうと、
そう思える言葉でした。
『始まりはいつも』
私には決して消えない後悔がある。始まりはいつも些細なことだった。仲の良い相手との喧嘩なんてそんなものであることがほとんどだろう。かく言う今回も言った言っていないの論争から始まった。最初はいつも通りだった。少しずつ言い争いに熱が入っていって一度冷静になるために距離をとる、お互いの性格上すぐに謝罪につながらないことだけが難点だがそれでも一食それぞれが食べたいものを食べに出かければ帰ってくる頃には話し合うことができるようになっていた。しかし、今日はそうではなかった。気になっていた定食屋に入り、おすすめだというセットの到着を待っていると唐突にスマホが振動した。それはさっき落ち着いて話し合うために一度離れた相手からだったのだが、聞こえてきた声は全く違うものだった。電話の相手曰く出会い頭で車にはねられてしまい意識不明の重体とのことだった。はじめは何かの冗談だと思った。しかし、切羽詰まったような電話の向こうの声がこれは現実なのだと伝えてくる。私はあわてて店を飛び出し、タクシーで指定された場所に向かった。しかし、時すでに遅く私が到着した時にはすでに息をひきとってしまっていた。喧嘩別れが今生の別れになってしまうと分かっていたら、そう後悔しても時すでに遅しである。せめて向こうで再会した時にはまず私から謝罪しようと思う。だから直接の謝罪はそれまで待ってくれないだろうか。
『声が枯れるまで』
私は今カラオケに一人でいる。別に一人カラオケをするために来たわけではない。もともとは仲の良い友人と昼食を食べて、そこから今度参戦するライブに向けて予習をする予定だったのだが友人が体調不良を訴えて帰宅してしまったのだ。歌う気満々だった私からすればまさに青天の霹靂だったため、予約人数を変更しての参戦と相成った。しかし、部屋に入ってみると一抹の寂しさを感じた。その思いを振り払うかのように部屋を飛び出し、大量のコップにジュースを注ぎ机に並べた。そう、祭りの始まりである。まずは一曲目、普段だったらゆったりとした曲調の曲を選択して声出しをするのだが今日は違う。のっけからアップテンポな曲を投下して声を張り続ける。一曲歌い終えアドレナリンと心地よい疲労感に包まれた私は無敵だった。のどが乾いたら机に大量に置かれたジュースで潤し、ノンストップで曲を投下し続けた。はたから見れば変な人だっただろう。しかし、部屋の中には私しかいないのだ。完全に無敵の人となった私は声よ枯れよと言わんばかりに歌い続けた。結局声が枯れるまでと思って始めたはずの一人カラオケは退店時間ギリギリまで続いた。店を出た後の私の胸には確かな満足感が宿っていた。
題 声が枯れるまで
私は歌ってる。
今日も誰もいない広い公園まで来て大好きな歌を空へと響かせる。
音符が空へと飛んでいるイメージで
風に含まれてその音符達が美しくクルクルと上空へと舞い上がっているような想像
私は歌い続ける
歌うのが好きだから
希望だから
何も日常にいいことがないから
人が信用できないから
辛いことしかないから
この世の中に諦めることしかないから
私の心がグレーだから
そうなの
何もないから
私には何もない気がしているから
だからこそ余計に歌いたい気持ちに包まれる
歌声が響くと心が軽くなる
歌が色とりどりの色を持って私自身も包んでくれる気がする。
そうすると身体がふわりと浮き上がって
全てが
全てを癒してくれる気がする
そうして空を見上げながら歌っていると
目尻に涙が浮かんでくる
風でひんやり感じて
このまま何もかも忘れて歌い続けたいと思ってしまう
でもね
いつしか何もかも忘れて歌い続けていると
声が掠れてくることに気がつくんだ
声の限界を感じるまでいつも歌ってしまう
私は苦笑して、それでも胸の中の何かを出せたような、心の色がグレーから淡い緑色に変わったように感じながら
いつもの帰路をたどるんだ
なにもない私
なにもなかった私
でも、私には歌があるんだ
そしてその歌を歌う私、っていう存在があるんだ
歌い終わった時いつも
それを強く意識しては希望の欠片を胸に感じている
【海のギター、風の歌声】
お風呂から上がった後、晋也さんとのオトウサン巡りの旅はまた始まった。
「大学はお互い別々の所に進学して、しばらく疎遠だったんだ。
年賀状のやりとりだけになっちゃって。
だけど、『大智くんが病気になった』ってお袋から聞いて、それからお見舞いに行くようになったんだ。
最初の頃はとても病気とは思えないほど元気で、外出許可が降りたらうちの楽器店に来てくれたりしたな。
あと、病院で弾き語りのライブをしてるっていうので有名で。
だけど、晩年は本当に弱っていたみたいで、面会を拒絶された時期もあった。
それでそのまま亡くなってしまった。
ショックだったよ、友達の最期に立ち会えないなんて。
まだ『ありがとう』も伝えてないのに。」
私は黙って話を聞いた。
これは、日記にも書かれてあった。
2010/09/01
今日、ぼくとの面会をやめてもらうようにお願いした。
僕はかなり弱ってきていて、もう人に見せられるような姿ではない。
たとえ友達でも親でも家族でも、こんな姿を見せたくないないと思った。
本当にひどいことをしたと思う。
僕はひどいやつだ、そう思われても構わない。
もういっそのこと、僕のことを忘れてほしい。
全部無かったことにしてほしい。
私は最初にこの日記を読んだ時、「オトウサンはなんでこれを選んだんだろう?」と不思議だった。
面会謝絶を選ぶ人なんているのだろうか、と。
しかし、きっとオトウサンは負けず嫌いなんだと思う。
他の人に弱いところを見せたくない。
それは一種のプロ根性かもしれない。
オトウサンは決して国民的なミュージシャンでは無いし、知っている人はごく少数だと思う。
だからこそ、舐められたくなくて、「自分はこんなところで止まらない」という想いを抱えていた。
だから、どんなに大切な人の前でも弱みを見せたくなかった。
オトウサンが選んだ苦渋の決断だった。
夜9時。
私は布団を借りて寝ることにした。
私は寝る前に色々と考える癖がある。
今日も例外ではなかった。
この一日でたくさんオトウサンのことを知ることができたこと。
しかし、所詮私には「知ること」しかできなくて、それが寂しいと思ってしまう。
それでも、オトウサンの生きた証が確かに残っていることが堪らなく嬉しい。
それと、あとはお母さんのことが心配だ。
今頃、何してるかな。
恐らく今日は当直の日だ。
翌朝、もしかすると昼まで帰ってこないかもしれない。
私が家出しているなんて、知る由もないのだろう。
連絡しておくべきだろうか、
いやそれは家出じゃないでしょ。
そもそも私はお母さんの言葉にムカついて、
もう嫌になって、それで家を出たのに。
そんなことを考えているうちに瞼が重くなってきて、いつしか私は深い眠りに誘われてしまった。
私は夢の中にいる。
と、私は自覚している。
そしてここは、中山総合病院の中庭。
なんでこんなところにいるんだろう、と不思議に思い始めた時、どこからかギターの音色が聴こえてきた。
私は吸い寄せられるように歩くと、やがて人だかりが見えてきた。
子供から高齢者まで集まっていて、その中心には
「…オトウサン?」
流れるようにギターを弾くオトウサンは、本当に楽しそうだ。
聴く人もうっとりと笑顔を浮かべている。
なんだか、海みたいな音。
オトウサンはギターに合わせて歌い始めた。
歌はやがて風を起こした。
声が枯れてもどうでもいいと言わんばかりに
一生懸命歌っていた。
忘れたくない、忘れちゃいけない。
そう思っていたはずなのに。
朝、目が覚めると記憶は朧気になっていた。
声が枯れるまで
毎年11月になると楽しみしていることがある。全国高校サッカー選手権の県予選をママ友と見に行くことだ。もちろん私たちの子供たちはとっくに高校を卒業していて、どの高校が優勝しても私には全く関係ない。でも、県予選の決勝戦だけは見に行きたい。
自分の出身高校や子供が通っていた高校が決勝にでも残れば応援団に混じって応援するが、そんなにサッカーで有名な校ではない。ただ、住んでいる地域はサッカーが盛んで、家の近くの高校は決勝に残ることがある。その時は、生徒さんたちに混じり、声が枯れるまで応援をする。
ボールを追いかけひたむきに走り、メンパーを信じてパスを出す選手たちの姿は、ああ青春。応援したくなるに決っている。
でも最近の子たちはそれだけではない。足技が得意なドリブラー。フリーキックはめちゃくちゃ曲がり、ゴールまでの距離はお構いなくボレーシュートを打つ。昔とはレベルが違う。
そんな見ごたえのある県予選を勝ち抜き全国大会に出場しても、1回戦を突破できない年が続いている。
サッカー好きとしては寂しい。
私が中学生のころは、サッカー王国などと言われていたが、今は南のほうの県や北関東あたり、何と言っても本州最北端の県にはなかなか勝つことができない。
全国のレベルが上がっている証拠だが、それでも自分の県には全国優勝してほしいもの。そのためにもまずは、県予選を勝ち抜き全国に行く学校を決めなければならない。
今年はどここ高校が県代表となるのか。ドキドキ、ワクワクの11月が始まる。
《叫ぶ声、届かぬまま》
(刀剣乱舞/長曽祢虎徹)
「この刀は"虎徹"ですよ」
その言葉に、その刀に宿る付喪神は目を見開いた。
「おぉ、これがあの虎徹か!」
自分を手にする男の目は輝く。
それに反し、自分は焦るばかり。
「違う!!ソレは虎徹ではない!!」
声が枯れるほど叫んだ。
「俺は、源清麿の刀だ!!長曽祢虎徹ではない!」
それは"源清麿"から"長曽祢虎徹"と呼ばれるようになった始まりの日。
新撰組、近藤勇の愛刀として振るわれた一振の刀の物語
なけなしの金をはたいて
学校終わりに飲み歩く
カラオケになだれ込んで夜を明かす
酒でカラカラの喉を振り絞って
叫ぶように歌っていたあの曲は なんだったっけ
楽しい時間がいつも終わることを知りながら
先のことを思い詰めることも怖くて
次の日もまた、同じことを繰り返す
いつしか 玉突きみたいに
押し出されるように大人になって
押し付けられた多くのものを
ただ受け入れるしかない日々は
後退ることも
進むこともできない
大人になっても 僕は空っぽなんだって
行き場のないむなしさが
身体中を何度もはねかえる
夜に取り残された間抜けな月が
ぽかんと浮かぶ下で
叫ぶ
声が、枯れるまで
…『声が枯れるまで』
あー死にたい
でもひとりで死ぬなんて寂しい
私の体内から爆弾で爆発して
私の周りの席のにんげんを
半分ぐらい削って死にたい
「声が枯れるまで」
泣き叫び声が枯れても
何も変わらない事は
わかっている。
だからか
泣き叫ぶ事はなくなった。
でも
泣く事もやめたはずなのに
無性に泣きたくなる事がある。
泣ける映画を観てる振りをして
無理矢理泣く理由を作るんだ。
声が枯れるまで、歌い続けるんだ。
君は言葉では笑ってくれないけど歌なら笑ってくれるかな。
枯れ果てて声が出なくなってもそれでもいいから。
君が笑顔になるまで歌い続ける義務が僕にはあるんだ。
叫んでさけんで
泣いてないて
枯れてしまった声は
でも、3日後には戻ってたりする
生きているというのを嫌でも思い知らされる
『僕たちは頭から』
魚は腐る 頭から 僕たちはどうだ? 頭は砂漠
砂漠は渇く 言葉が出ない 感情が足らない でもでも 腐ってたまるか 恋が腐敗しても 日常が朽ちても 僕たちの頭の中だけは、、
声が枯れるまで
声が枯れるまで泣く
悲しくて、悔しくて、切なくて
声が枯れるまで叫ぶ
心に湧き上がる激しい想いを吐き出したくて
もう二度と戻らないものを呼び戻したくて
自分の中にあるなけなしの力を振り絞るために
声が枯れるまで応援する
少しでも闘っているあなたの力になりたくて
声が枯れるまで、応援した。全てをアイツらに託した。俺は声を枯らした。全てを投げ捨ててでも熱くなれた。俺は出し尽くす。まだまだ枯らす。メンバー外のアイツらの分まで。甲子園に行けなかった俺らの、俺の分まで。声を枯らす。これが野球。大好きな野球。まだやっていたい野球。
声が枯れるまで
歌が好きだった。
いつもあの子が歌ってくれるから。
ロックが好きだった。
あの子と一緒に聞いていたから。
夕焼けが好きだった。
それを背景に、あの子と一緒に帰れたから。
あの子が好きだった。
一生懸命に歌う姿が目に焼き付いている。
歌声も、ギターの音も、鳴り響いている。
私は声が枯れるまで、歌い続ける。
あの子の想いを涸らさないように。
いつかとどくといいなぁ
ショッピングモールで買い物してたら、どこかの家族の幼い娘さんがギャン泣きし始めた。
耳を塞ぎたくなるくらいの大音量で、周りの人達の視線が一斉に注がれる。
若い夫婦は焦り戸惑い、一生懸命娘を宥めすかしている。
私はといえば、奥さんと娘達がコスメを物色している間、手持ち無沙汰に廊下をウロウロしていたところ。
何となく、ホントに何となく、足を止めて、ギャン泣きしている子供とその家族を眺めている。
自分にも、こんな時代があったんだな。
そんなことを考えながら。
若い夫婦だった時代もあった。
親を困らせるほどギャン泣きしていた時代もあった…たぶん、覚えてないけど。
今や、いっぱしの大人みたいな顔して、おやおや、大変だねえ、みたいな立場で傍観している。
イイ気なもんだ。
そんな、イイ気な立場から言わせてもらうと。
声が枯れるまで泣いていいよ。
泣いて想いをぶつけられるのは君達の特権だ。
でも、きっと君の願いは届かない。どれだけ泣いたって。
どれだけ君が可愛い娘でも、親にだって叶えてあげられない願いもある。
何だって叶えてあげたいけれど、出来ないことだってあるんだ。
だから、声が枯れるまで泣けばいい。
泣いて、泣き疲れて、ああ無理なんだと気付いて、世の中というものを少し覚えて。
きっとそうやって、私は大人になったんだと思う。
まあ…とはいえ、耳をつんざくような甲高い泣き声は、この距離ではなかなかツライものがある。
やっぱり、飴玉あげるから泣き止んでくんないかな。
そしたら、家族皆で楽しく買い物が出来るんだけどな。
現金なおっさんでごめんなさい。
夏。
暑い夏。
「ねえ、春(はる)ちゃん」
「……うっ…ゲホッゲホッ」
春は泣いて。
「本当は」
私は笑った。
「ちょっと!!こんな事した人は誰ですか!?中学生にもなって…」
先生のお説教は長い。
その分授業が潰れるから迷惑だ。
「あの、先生」
隣から声がした。
「今は話の途中です」
「いえ、その、私見たんです」
如月 桜(きさらぎ さくら)。
通称『真面目ちゃん』
桜は優しくて皆に好かれてる。
だけど裏では、真面目ちゃんって呼ばれてる。
「ちっ、チクリ魔が」
そうそう、チクリ魔とも。
「犯人を見たのですか?」
「いえ、昨日、教室で“春さん”が何かやっていました。ずいぶん遅い時間までいたと思います」
「如月さんは何を?」
「算数でどうしてもわからないところがあって、時間がかかってしまいました。教えてくださったのは鈴木先生ですので聞いてみてください」
「…わかりました、百瀬(ももせ)さん!本当ですか?」
春が席を立つ。
ちらっと目配せしてきたけど、知らないフリをした。
面倒くさい。
「……違います、放課後はすぐに帰宅しました」
「誰か、放課後に春さんの姿を見た人はいますか?」
教室がざわつく。
いるはずがない。
春は確かに放課後はすぐに帰宅した。
私と一緒に。
でも、人気の無い裏道を通ったから目撃者がいるはずがない。
「私、雫(しずく)ちゃんと一緒に帰りました」
「歌川(うたがわ)さんと?」
おっと、次は私かぁ。
「確かに一緒に帰宅しましたが、途中までです。私と別れてから直ぐに戻ったのなら可能性はあります」
「雫ちゃん?」
春は少し涙目になっていた。
「百瀬さん、放課後少し残ってもらえますか?」
「でも、私やってない」
「でもじゃないです。貴方が学校の備品を壊したのであれば、大変な事ですよ」
春がクルッと顔だけ動かして私を見た。
「ねぇ、雫ちゃん。なんで庇ってくれないの?」
「百瀬さん、こっちを見なさい」
「先生、そもそも如月ちゃんがでっちあげた可能性も無い訳じゃないですよね」
「はぁ、いいですか?貴方は普段から信用できないことの方が多いんですよ。如月さんはあなたとは違って信頼していますから」
私は席を立った。
「先生、むしろ如月さんは信用できないと思いますけど。先生が如月さんを信用しているのって普段からチクっているからでしょ?」
ここで、如月が立った。
「チクってるって何?報告してるだけなんだけど。私は普段からあなたとは違って先生の手伝いだってしてる」
「あのさぁ、報告ならありのままのことを話してくれない?この前、先生に私が隣のクラスの子をいじめてるって言ったでしょ」
私が言うと、如月は「なんで知ってるの?」とでもいいたそうに目を見開いた。
「なっ」
「どうしてそんな事言ったの?あの子と私が仲いいの知ってるよね」
ー声が枯れるまでー
保存で、また書きます。
秋の虫が鳴き出した
あんなにずっと鳴いていて
声が枯れないのだろうか
秋の大合唱
静寂な夜に響き渡る
声が枯れるまで
どんなに下手だといわれても
少しでも抱いた夢を目指せなくても
好きなことをし続ける
私の好きなことは歌うこと
声が枯れても歌い続けてやる