中宮雷火

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【海のギター、風の歌声】

お風呂から上がった後、晋也さんとのオトウサン巡りの旅はまた始まった。
「大学はお互い別々の所に進学して、しばらく疎遠だったんだ。
年賀状のやりとりだけになっちゃって。
だけど、『大智くんが病気になった』ってお袋から聞いて、それからお見舞いに行くようになったんだ。
最初の頃はとても病気とは思えないほど元気で、外出許可が降りたらうちの楽器店に来てくれたりしたな。
あと、病院で弾き語りのライブをしてるっていうので有名で。
だけど、晩年は本当に弱っていたみたいで、面会を拒絶された時期もあった。
それでそのまま亡くなってしまった。
ショックだったよ、友達の最期に立ち会えないなんて。
まだ『ありがとう』も伝えてないのに。」
私は黙って話を聞いた。
これは、日記にも書かれてあった。

2010/09/01
今日、ぼくとの面会をやめてもらうようにお願いした。
僕はかなり弱ってきていて、もう人に見せられるような姿ではない。
たとえ友達でも親でも家族でも、こんな姿を見せたくないないと思った。
本当にひどいことをしたと思う。
僕はひどいやつだ、そう思われても構わない。
もういっそのこと、僕のことを忘れてほしい。
全部無かったことにしてほしい。

私は最初にこの日記を読んだ時、「オトウサンはなんでこれを選んだんだろう?」と不思議だった。
面会謝絶を選ぶ人なんているのだろうか、と。
しかし、きっとオトウサンは負けず嫌いなんだと思う。
他の人に弱いところを見せたくない。
それは一種のプロ根性かもしれない。
オトウサンは決して国民的なミュージシャンでは無いし、知っている人はごく少数だと思う。
だからこそ、舐められたくなくて、「自分はこんなところで止まらない」という想いを抱えていた。
だから、どんなに大切な人の前でも弱みを見せたくなかった。
オトウサンが選んだ苦渋の決断だった。

夜9時。
私は布団を借りて寝ることにした。
私は寝る前に色々と考える癖がある。
今日も例外ではなかった。
この一日でたくさんオトウサンのことを知ることができたこと。
しかし、所詮私には「知ること」しかできなくて、それが寂しいと思ってしまう。
それでも、オトウサンの生きた証が確かに残っていることが堪らなく嬉しい。

それと、あとはお母さんのことが心配だ。
今頃、何してるかな。
恐らく今日は当直の日だ。
翌朝、もしかすると昼まで帰ってこないかもしれない。
私が家出しているなんて、知る由もないのだろう。
連絡しておくべきだろうか、
いやそれは家出じゃないでしょ。 
そもそも私はお母さんの言葉にムカついて、
もう嫌になって、それで家を出たのに。
そんなことを考えているうちに瞼が重くなってきて、いつしか私は深い眠りに誘われてしまった。

私は夢の中にいる。
と、私は自覚している。
そしてここは、中山総合病院の中庭。
なんでこんなところにいるんだろう、と不思議に思い始めた時、どこからかギターの音色が聴こえてきた。
私は吸い寄せられるように歩くと、やがて人だかりが見えてきた。
子供から高齢者まで集まっていて、その中心には
「…オトウサン?」
流れるようにギターを弾くオトウサンは、本当に楽しそうだ。
聴く人もうっとりと笑顔を浮かべている。
なんだか、海みたいな音。
オトウサンはギターに合わせて歌い始めた。
歌はやがて風を起こした。
声が枯れてもどうでもいいと言わんばかりに
一生懸命歌っていた。

忘れたくない、忘れちゃいけない。
そう思っていたはずなのに。
朝、目が覚めると記憶は朧気になっていた。

10/21/2024, 12:37:31 PM