【航海】
海賊は、船の奥深くにしまっていた宝物を引っ張り出してきた。
ありとあらゆる島で奪ってきた金品を、
あろうことか海に投げ込んでいく。
どす黒い青緑の海に、宝物がきらめいているのが見える。
「俺には、宝物はもう要らない。
だって、君がいなけりゃ意味が無いから。」
海賊にとっての本当の宝物は、
とっくの昔に失っていたのだった。
【灯火】
この村では、火を使えない。
遠い昔に、村は忌々しい炎によって焼き尽くされてしまったのだという。
それから人々はこう言うようになった。
「火は呪いだ、私達を殺す悪魔だ」
火が使えないから、電気で代用することがほとんどだ。
熱も光も、すべて電気。
マッチだって無い。
火が無いので火事も起こらない。
そんな村に、ある少女がやってきた。
マッチ売りの少女だ。
マッチ。忌々しい火を灯すもの。
当然、人々は少女に近づこうとしなかった。
通りのあちらこちらで、こんな言葉が聞こえる。
「呪い」「忌々しい」「何をやっているんだ」
「疫病神め…」「あいつは悪魔だ」
「今すぐこの村から去れ!」
少女はきっと気づいていた、
自分がよく思われていないことを。
それでも少女は立ち去らなかった。
来る日も来る日も、暗い通りに座っていた。
少女はただのマッチ売りでは無かった。
「愛」を売っていた。
愛の炎。灯火。
誰かを暗闇から救い出す炎を売っていた。
少女は色々な村を巡り、孤独を感じる人々にマッチを売っているのだった。
しかし、誰もその事に気付かなかった。
いや、気付こうとしなかった。
少女が「これは愛の炎です」と言っても、
「何が愛だ、悪魔め」と一蹴されるのだ。
誰も少女に聞く耳を持たなかった。
少女は次第に不満を募らせた。
「何で誰もマッチを買ってくれないんだ」
「私はこの村を救おうとしているのに」
「この村の人は皆冷たい…」
少女は限界を迎えていた。
遂に、彼女は我慢できなくなった。
少女は自分のマッチに火を付け、
通りにポイッと放った。
あっという間に炎は燃え広がり、道を黒く焦がし始めた。
黒煙の匂いが酷くなっていく。
少女は別の場所に移動して、同じことをやった。
村人の家に、火の付いたマッチを放っていく。
やがて、村中が黒く焼き尽くされていった。
昔と同じように。
残された村人はこう言った。
「やっぱり火は呪いだ、私達を殺す悪魔だ」
【ラストディナー】
横長の食卓はがらんとしていた。
何も置かれていない、真っ白なクロスがあるのみ。
白いタキシードを着た者が椅子に腰掛けると、
そこには、続々と料理という名の記憶が運ばれた。
これは、ある人の晩餐。
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【アミューズ】
あるサーカス団員がいた。
その人はいつもピエロの格好をしていた。
決して素の姿を見せない、正体不明のピエロ。
しかし、そのピエロに惚れた人がいた。
ピエロという「偶像」に惚れたのではない、
ピエロと言う「人」に惚れたのだ。
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【オードブル】
リルという女性がいた。
リルこそが、唯一ピエロに惚れた女性だ。
天涯孤独のピエロにとって、リルは太陽だったのだろう。
宝石を照らす太陽だった。
ピエロは孤独では無くなった。
しかし、ピエロはその事に何一つ気付いていなかった。
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【ポタージュ】
出会いはもう遠い昔のように感じる。
あの時、ピエロは演者、リルはたった10歳の観客だった。
見かけだけ良さげなテントの中、空元気な音楽に合わせてピエロは無言劇を行っていた。
白塗りの肌、大きな赤鼻、黄色い派手髪、大きなハット、緩くかしこまった服装、そして
目の下には青い雫。
彼はステージで一人動き回った。
ピエロは喋らない、動きで語る。
愉快で滑稽、いつもニコニコ。
リルはそんなところに惚れたのだろう。
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【ポワソン】
大人になったリルは仕事を求めていた。
とりあえず何でもいいから仕事が欲しいと思っていた。
そんな時に彼女に舞い込んだのは、サーカスのチケットを売る仕事だった。
幼い頃に観た、夢と希望がつまった場所。
リルは「これだ!」と思い、早速申し込んだ。
が、実際に行ってみるとそこは夢も希望も無い古びた小屋だった。
「何これ?本当にサーカスなの?」
リルは疑いながらも扉を叩き、無事に仕事を得たのだ。
リルはきっと気づいていないが、このサーカスはリルが幼い頃に観たサーカスだった。
記憶力の良いピエロはそれに気づいていた。
しかし、感慨深さを押し殺して黙々と練習に励むことしかできなかったのだ。
ピエロは人との接し方を知らなかったから。
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【ソルベ】
しばらくすれば、リルはサーカス団員と打ち解け始め、次第にピエロとも話すようになった。
「明日は晴れるといいね」
「好きな料理は何?」
他愛もない会話だったが、きっとお互い楽しんていた。
この絶妙な距離感が心地よかった。
リルはチケットを売る仕事だから公演中は暇で、舞台袖から公演を眺めていた。
ピエロの無言劇も、じっと眺めていた。
笑って楽しんでいた。
しかし、ピエロは無言劇が終わると笑顔を消して、愉快の「ゆ」の字も感じられない程のオーラを纏っていた。
毎公演そうだった。
リルはその光景を間近で観ていたから、本当に心配になってしまった。
「お疲れ様。はい、ドリンクよ」
リルはピエロを労ってドリンクを手渡した。
ピエロはそれを受け取り、美味しそうに飲むのだ。
リルが近づけばピエロはまた笑顔を取り戻すので、それがまた不気味だった。
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【ヴィヤンドゥ】
リルはピエロに恋をしていた。
それは端から見ても一目瞭然の恋。
いつもいつもピエロのことを眺めているのだから、バレバレだ。
しかし、ピエロはその好意に気づいていないのか、あるいは気づいているが無視しているのだろう。
何らいつもと変わらない笑顔、動作だった。
それでもリルは健気に愛情を注いだ。
しかし、ある冬の日。
ピエロの様子がおかしかった。
何か思い詰めたような顔をしていた。
そして、どこか覚悟を決めたような顔もしていた。
これにはリルだけでなく他の団員も心配し、皆が彼に声を掛けた。
「顔色が悪いぞ、今日は休みなさい」
しかし、ピエロはその優しさも振り切って、
舞台に立つことを選んだ。
皆が見守る舞台、リルも舞台袖から固唾をのんで見守っていた。
まさかピエロが倒れるのでは無いだろうかとハラハラしていたのだ。
結局、その日の公演も大成功で幕を閉じ、皆の心配は杞憂に終わった。
「お疲れ様、今日も素敵な劇だったわ」
リルはピエロにジュースを手渡した。
しかし、ピエロはそれを受け取らずに独りで外に出ていってしまった。
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【フロマージュ】
その日の公演が終わって暫くした後のこと。
「ピエロがいない」と大騒ぎになった。
どうやらどこにもいないらしいのだ。
リルはとてつもなく不安になってしまった。
そういえば、今日はずっと様子がおかしかった。
さっきだって、元気が無かったじゃない。
そしてそのまま外に……
そこでリルは気づいてしまった。
彼は外に出た。
なぜ?
この言葉の続きは、言いたくない。
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【デザート】
その後。
ピエロは崖の下で見つかった。
時既に遅し、頭から血を流して死んでいた。
あんなに運動神経の良いピエロが、崖の下から落ちて死ぬわけが無い。
しかも、あまり高くない崖なのに。
リルはショックを受け、暫く引きこもっていた。
涙が止まらない毎日だった。
なぜ死んでしまったのか。
それほど辛かったのだろう。
なぜ私はそれに気づけなかった?
飽きるほど自分を責め、哀しみに暮れた。
それからというものの、彼女はピエロの死を悼むために黒服を着るようになった。
赤や青、白などの色をした服は着なくなってしまった。
それは、リルがピエロに向けた哀情だった。
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白いタキシードを着た人は最後の一口を食べ終えると、途端に立ち上がって鏡を見た。
鏡に写るのは、白塗りの肌、大きな赤鼻、黄色い派手髪、大きなハット、緩くかしこまった服装、そして目の下には青い雫。
死んだピエロだった。
ピエロは涙を流していた。
大粒の涙を流す度に化粧が落ち、やがて本当の姿が見えてきた。
そこにはピエロでは無く一人の人間がいた。
愛を求めた一人の人間。
そして人間は今しがた気づいた。
リルは確かに愛情を注いでいた。
そして、自分がそれを上手く受け取ることができなかったことも。
孤独では無くなったと気づかず、死を選んだ。
人間は酷く後悔した。
ああ、もし今生きていれば、リルの愛情を素直に受け取ることが出来ていたのだろうか。
見終わった走馬灯達は、たくさんの想い出に変わっていたのだろうか。
人間は大きな後悔を背負い、食卓を去った。
「冬といえば?」と訊いてみたら、
「鍋」と返ってきた。
あったかい。
【金木犀】
昨日、友達と他愛もない話をしながら帰った。
流行りの曲とか、明日の授業のこととか。
やがて分かれ道になり、私達は手を振って別れた。
「じゃあねー」と言って手を振って去っていく友達を見送りながら、
私は去年のことを思い返していた。
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去年の今頃、私は別の友達と帰っていた。
今の友達と同じく、とても明るい子だった。
ちょうど受験期だから、話題はいつも受験のことだった。
「金木犀の匂いがする」
そういえば、いつもそんなことを言っていた。
好きな匂い、と。
秋風が冷たく当たる午後5時、友達との時間はいつも温かいものだった。
晴れて受験に合格した後も、私達の交流は続いた。
一緒に帰ることは無くなったものの、一緒にいる時間は長かった。
しかし、いつしか友達に嫌われてしまい、
話す機会も無くなってしまった。
私の言動が悪かったのかもしれない。
あるいは、もっと他に理由があるのかもしれない。
私の知らないところで、第三者が絡む事情があるのかもしれない。
私達の仲は冷めきってしまった。
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友達と別れた後、しばらく一本道を進んだ。
冷たい秋風がビュウッと吹いて、甘い匂いが辺りに立ち込めた。
あ、金木犀。
「金木犀の匂いがする」
そう君は言っていた。
あの言葉から1年後、まさかこんなことになっているなんて。
1年前の私がこの事を知れば、きっと泣いてしまうだろうな。
1年後、私の隣にいるのは誰なんだろうね。