中宮雷火

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【「ただいま」、「おかえり」、「」】

日本には「お盆」という行事がある。
これは先祖を祀る行事で、8月の中旬に行われる。
そんなことは知っている。
幼い頃から知っている。
でも、こんなことは初めてだ。
「こんなこと」って何かって?
自分でもよく分かっていない。
だけど、目の前の事実を飲み込まなければいけない。

「よっ、ただいま!」
目の前にいるのは、俺の姉だ。
享年21歳。
去年の10月に事故死した、はずだった。

どうやら、「お盆」には俺の知らないシステムがあるらしい。
「死んだら、1日だけこっちに顔を出すことが出来るんだって。まじか!って思ってさー」
目の前の姉は、髪をかき上げながら俺に説明してくれた。
俺は姉のことを「まや姉」と呼んでいる。
俺は17歳、まや姉は21歳(もし生きていれば22歳になるはずだった)だからだ。
「まや姉、それって今回限りってこと?」
「うん、そうだよー」
まや姉は嬉しそうに答えた。
まや姉が嬉しそうなのは良いことなんだけど、その貴重な1回が今回であるのは大丈夫なのだろうか。
こういうのって、未来の為にチャンスを残すのが普通だと思うのだが。
「じゃあ、来年からは」
「こっちに戻ってこれないよー」
まや姉は顔色を変えずに答えた。
本当に大丈夫なのだろうか。

「何も変わってないなー、この田舎は」
まや姉は縁側に寝そべって、そんなことを言っている。
俺達が住んでいるのは岐阜のど田舎で、見渡す限り緑と青と茶色しか存在しない。存在比は4:5:1といったところだ。
俺は近場(といっても自転車で40分以上はかかる)高校があるので良いが、まや姉がこのど田舎から大学に通うのは不可能なので、まや姉は3年前にここを離れた。
まあ、これ以外にも別の理由はあるけれど。
まさか、その2年後に事故死して翌年に幽霊となって帰省するとは思わなかった。

「東京では友達に『え〜田舎良いな〜』とか『田舎暮らし憧れる〜』とか言われてたんだけどさ、」
まや姉は不意に石ころを一つ拾い上げた。
水切りにちょうど良さそうな石ころだった。
「田舎暮らしが良いわけねえだろー!!」
まや姉は石ころを思いっきり投げた。
石ころは庭に置いてあるバケツにクリーンヒットし、バケツはそのまま倒れてしまった。
「何が『田舎暮らし憧れる〜』だよ!!
どうせあれでしょ!?
エモい暮らしが出来るって思ってるんでしょ!?
そんなのできるわけねえだろー!!」
「まや姉もストレス溜まってんだな」
俺は呆れながら言った。

「あれ、バケツ倒れてる」
後ろから声がした。
振り向くと母さんがいた。
「風なんか吹いてないのに。不思議だねえ」
お母さんは首を傾げながら、キッチンへと戻っていった。
そこで、俺はあることに気づいた。
「まや姉の姿って、俺以外には見えないの?」
「あ!それ!それ言おうとしてたの!」
まや姉は足をバタバタさせながら言った。
「なんかね、みんなに会うことはできないんだってー!
会いたい人を1人だけ選んで、その人のところに顔出しに行くんだってー!
だから遥陽以外には私のことは見えないんだってー!」
「それ最初に言えよ。
まるで俺が大袈裟なひとりごと言ってるみたいになるから」
「ごめんごめん」
まや姉は、良くも悪くも何も変わっていない。
昔からこうだった。
上京しても性格が根本的に変わっていないということは、東京での暮らしはそれなりに充実していたということか。
「なんか、4年ぶりに帰ってきたんだからどっか行きたいな。
ほら、あそことか。」
「あそこって?」
「駄菓子屋」
俺は少しだけ考えて、「じゃ、行く?」と返した。

「え、私の自転車まだある!
なんか感動したんだけど」
「それは使うなよ。他の人から見たら自転車が動いてるだけにしか見えないんだから」
「それはそれで面白くない?」
「面白くない。あと、その自転車錆びてて使えない」
俺はピシャリと返した。
「後ろ乗って。爆速で行くから落ちるなよ」
そうして、俺達は二人乗りをして駄菓子屋まで向かうことになった。
「うわー久しぶりの自転車だー」
「東京で自転車使わなかったんだ」
「東京は電車とバス使ったらどこでも行けるからね」
まや姉の声だけで、目がキラキラしているのが分かる。
さっきはあんなに「田舎暮らしが良いわけねえだろー!!」と叫んでいたのに。

駄菓子屋は、壁の塗装とトタン屋根がかなり劣化しているが、未だに現役だ。
「あ、私お金持ってないや。奢って」
「ちぇっ、仕方ねえなー」
「わーい」
いい大人なのに、とも思う反面、東京じゃ駄菓子屋なんて行かなかっただろうからな、と思いつつ、俺達はチューペットを2本買った。
店から少し離れたタバコ屋(今はただの廃墟と化している)の軒下で、1本のチューペットを分け合った。もう1本は、家に帰ってから食べるつもりだ。
「チューペットだー」
久しぶりに食べたチューペットは、シャリシャリして、冷たくて、少し酸っぱくて、とにかくおいしかった。
「チューペットってこんなにおいしかったっけ?」
あまりの美味しさに、俺は言葉を漏らしてしまった。
「よーし、じゃあ次はこっからあそこまで行くかー」
「えっ?!そんなの聞いてないわ!!」
「いいじゃん、折角なんだから」
「仕方ねえなー」
まや姉の無茶ぶりで、それから俺達は33℃の青空の下を1時間ほど駆けることとなった。

夕方、俺は家族と晩御飯を、まや姉は縁側で鼻歌を歌っていた。これも昔と変わらない。
父さんにも母さんにも、まや姉の姿は見えていない。
「まや、今頃天国で何してるんだか。」
「そんなの知るか。」
「……」
まや姉はそっぽを向いている。
俺は「やっぱりか」と思った。
というのも、まや姉と親はあまり仲が良くなくて、まや姉が上京した理由の一つも、親が原因だった。
田舎特有の閉鎖的な価値観を持つ親と、開放的かつ社交的なまや姉では、相性が合わなかった。
何回か大きな喧嘩もしていて、因縁は深い。
まや姉が俺の元に帰ってくるのも当然だ。
それにしても、まや姉に関しての話題が「まや、今頃天国で何してるんだか。」「そんなの知るか。」だけなのは、流石に可哀想だ。
「ごちそうさま」
俺は早々に夕食を食べ終わり、自分の部屋へと戻った。

「あいつら、やっぱ何も変わっちゃいないね」
まや姉が溜息を吐いた。
昔から何も変わっていない。
俺は、こんなまや姉の姿を幾度となく見てきた。
「うん……」
俺には、どちらが正しいのかは分からない。
だが、まや姉のように生きたいとは思った。
親みたいになりたいとは思わなかった。
「……なんで、今年戻ってきたの」
「え、だめだった?」
「いや、そうじゃないんだけどさ。
これからお盆なんて何回もあるのに、なんで今年帰ってきたのかなって。
今年帰ってきたら、来年からは戻ってこれないじゃん」
まや姉はしばらく考え込んで、こう言った。
「それは考えた。
もっと先、10年後とか20年後に戻るのも良いなって思った。
でも、遥陽は10年後には社会人になってて、20年後には新しい家族と暮らしてるかもしれない。
遥陽の未来は邪魔しちゃ駄目だって思った。
だから今年会っておこう、って。」
まや姉は、やっぱり姉だ。
俺には一生手の届かない存在。
強い存在。
こんな存在が、もうこの世にいないだなんて。
まや姉が死んで約1年経って今も、ショックだ。

「さて、もう寝る時間だぞ坊や」
「分かってるよそんなこと」
時計の針は10時を指していた。
いつもなら、11時に寝るつもりで準備をして結局1時に寝てしまうのだが、今日はすぐにでも寝てしまいたいと思った。
12時になる瞬間を、起きたまま迎えたくなかった。
「やっぱ昔から変わんないね。
寝るときは布団に潜るタイプなんだ」
まや姉が笑っている。
「別にいいだろ」
俺も笑った。
泣いているのを悟られないように泣いた。
「今日は、楽しかった。
帰ってきて良かったって思ったよ。
ありがとうね」
「うん」
ありがとう、と言うと泣いているのがバレてしまいそうで、2文字しか言えなかった。
「あと、これはお盆のルールの1つなんだけど、」
「なに?」
「幽霊の存在は、人にはバレちゃいけないらしいんだよね。
たから、遥陽は今日の出来事を忘れることになる。
それでもいい? 
あ、駄目って言われてもどうせ忘れちゃうんだけどね」
「……」
俺は涙で声が出なかった。
「……寝ちゃったか。おやすみ。
そういえばチューペット食べるの忘れてたね。」
これが、まや姉の最期の言葉だった。




翌朝。
いつもより早く起きた俺は、なぜか腫れている目を気にしながら、冷蔵庫を開けようとした。
だが、寝ぼけていたのか間違えて冷凍庫を開けてしまった。
見ると、そこにはチューペットが1本あった。
「ああ、そういえば昨日チューペットを買ったんだった」と思いだしたが、1つ不思議に思うことがあった。
「俺、誰とチューペットを分け合おうとしたんだ?」

8/4/2025, 12:12:24 PM