『友だちの思い出』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
僕の友達は頭が良い
でも運動は苦手
絵は上手い
そんな奴との思い出なんて無い
言い合い
僕がぶっ叩く
そいつがからかう
ほらね?
思い出なんてこれっぽっちもない
でも、一般的にはこれも思い出の内なのだろうね
# 55
友だちの思い出
あの時、落ち込んだ君になんて言えば良かったんだろう。
どうすれば君を元気付けられたかな。
今でも考えるけど、答えは分からない。
むしろ、落ち込んだ君に慰められて情けなくなった。
そんな18の冬。
青く未熟な、私の冬。
「友だちの思い出」
子供の頃の友だち。
きみは僕に、たくさんのことを教えてくれた。
好きな本や、アニメ、出かける場所。
他人にこんなことを言ったら傷つくんだ、という
コミュニケーションも、教えてくれた。
今はどこにいるかもわからないけれど。
今も元気で、誰かと幸せでいてくれたら、
それでいい。
友だちの思い出
最近できた友だちと出会ったのはインターネットのなかだった。
わたしはその友人の描く絵に惚れ、友人はわたしの書く話が好きだと言ってくれた。
ネット上だけのやりとりで半年くらい経ったころ、お互いに好きなアニメがテーマパークとコラボすることになって一緒に遊ぼうとなった。
待ち合わせをした駅で友人を見つけたとき、その場から逃げたくなるような不安に襲われた。友人はとてもおしゃれで、もし同じ教室にいたら絶対に話さないタイプの人間だった。話が続かなかったらどうしよう、退屈な思いさせたら嫌だな。なにを話したらいいか分からなかった。
対面で話をするということはネットでは分からなかった部分が見えてくる。その人の話し方とか、外での振る舞い方とか。それはわたしも同じで、相手がわたしを知れば知るほど幻滅される可能性が高くなるということだ。
緊張しながら過ごしていたが、解散するころにはすっかり打ち解けていた。夜7時くらいの解散だったが、帰りたくないと思ったほどだ。会うことができて本当に良かった。
わたし達は価値観、好きな音楽、映画、アニメ作品、どれをとっても似ていて、話が尽きることはなかった。唯一似ていないのは服装だけだった。
きっと街中で会ってもわたし達は仲良くならなかっただろう。だけど話をすることでこんなにも分かり合える人間がいることが嬉しく感動した。人は見かけによらないし、話をすることは大事なんだと経験することができた。これが、わたしの友だちの思い出だ。
友人は今度の休みにも会う約束をしている。早く約束の日にならないかな。
友達ってなんだろう。
いくつになっても時々考える。
自分は友達だと思っていても相手からはそう思われてなかったりもするし、どこから友達って言っていいのかわからない。
贅沢
昔に比べて出会いはすり抜けていく
フィルターの性能が落ちたみたいで
昔の出会いもすり抜けていく中
それでも残る大きな存在
それはまるで宝石
または
天然の真珠
※友達の思い出
後の席の君。
ある時席替えをした際 後の席になった君。
いつも後ろからちょっかいを出す君。
思えば朝からツイていない日だった。
朝から母親に叱られた。内容は今となっては思い出せないような些細なことだった気がする。その勢いで弁当も持たずに家を出たので昼飯は購買の残り物のパンだったし、何故か友人には金を貸して欲しいと言われてなけなしの千円を渡して一文無し。授業ではやたらと指名され、体育は持久走でヘロヘロになるまで走らされた。
そして帰宅後。夕飯時に今朝の続きと言わんばかりに母親と言い合いをして、子供の思考で夜の闇に飛び出したのだ。
本当に勢いだけで飛び出してしまったので携帯もなければ財布もなく、勿論行く宛もない。ただ、無意識に辿り着いた近所の公園には何故か友人がいた。
「何してんの?」
「お前を待ってたんだよ」
乗れよ、と友人の相棒である自転車の荷台を指され素直に従った。拒否した所で寂れたブランコに揺られる予定しかなかったので。
俺が荷台に座ったのを確認した友人は静かにペダルに足を掛け、自転車が二人分の体重に音を立てながらゆっくりと走り出す。
「昼がパンだったからおばさんと喧嘩したんだろうなって。んで、まあ帰っても直ぐには仲直りできないだろーなと」
肯定はしなかった。否定もしなかった。
友人の背中を見つめながら、どこ行くの、とだけ問いかける。
「駅前のケーキ屋。今日サービスデーで遅くまで開いてるらしいよ。あと、はいこれ。昼間借りてた金返すわ」
サンキューな、とポケットからしわくちゃの千円札を取り出して差し出される。風に飛ばされないよう気をつけながら受け取ったそれは、昼休みに自分の手から友人に渡ったものと同じものに見えた。
「変なこと言っていい?」
「どーぞ」
「お前って未来視の能力者だったりしない?」
友人の笑い声が薄暗く道を照らす街灯を超えて夜空へと響く。近所迷惑という考えは自転車の速度に置いていかれた。
「ありがとう」
「お礼は明日の弁当の唐揚げでいいよ」
「……入ってたらな」
翌日の昼休み。昨晩ケーキ片手に謝った俺に自分も悪かったと頭を下げた母が作ってくれた弁当に入っていた唐揚げを一つ摘み上げて、友人はニヤリと笑った。
やはり、俺の友人は超能力者なのかもしれない。
そう語り終えた俺に、当の友人はぱちくりと目を瞬かせた。
「そんなことあったっけ?」
「あったよ。俺、マジでお前に予知能力あるのかと思ったもん」
「えー」
覚えてないな。そう首を傾げた友人は何か思いついたのか、あ、と唐揚げを摘み上げたあの時のように悪戯な笑みを浮かべた。
「今日飲む酒は最高な気がするなぁ」
未来視というには御粗末なお誘いに、今度は俺が夜空に響くような声を上げて笑った。
/友だちの思い出
最近、高校の友達とカラオケに行ったんだ。私はボカロやアニメの曲を歌って友達はアイドル系の曲を歌ってた。とても楽しかったからまた行こうねって話してその日は解散したけど本当に楽しかったからまた行きたいなぁ~
『思い出のハンカチ』
ーーー2023年7月6日
今日、親友が死んだ。
原因は不明。急な体調不良で倒れたと聞いている。
「チーン」
いつもは好きな線香の香りが、きつくピリッと鼻先にまとわりついた。
線香の匂いを嗅がないようにと、鼻にハンカチを当てる。
「……あ」
このハンカチ、昔親友がくれた物だ。
ーーーー2013年8月8日
「ねぇ、ちょっと待ってよ~」
「お前足おっせーなぁ」
その日は、八月にふさわしい真夏日だった。
夏休みということもあり、僕たちは公園へ遊びに出掛けていた。
「そーだ。これ、やるよ」
「え?…ハンカチ?なんで?」
「お前怪我よくするだろ?血とかそれで拭けねぇかなって」
ーーそう言って彼は僕に黒色のハンカチをくれた。
……なに言ってるんだよ。勝手なこと!!
俺は体調不良なんかで倒れてない!お前が殺したんだろ!
死ぬ前に見たよ、お前がそのハンカチで血に濡れた手を拭くのを!
線香の香りがきつかったのだって、まだハンカチについていた血の匂いだろ!!
「……黒色をチョイスしてくれた君はさすが僕の親友だなぁ」
そりゃそう思うだろうな!!黒色だと血が付着したこと分かんないもんな!!
クソ……お前を親友だと思った俺がバカだったよ!!
「……また、お通夜で会おうね」
僕にとっては、思い出のハンカチ
君にとっても、思い出のハンカチ
思い出…記憶の中の出来事や体験を思い浮かべること
お題『友だちの思い出』
友だちの思い出
(友達を作れなかった時期の思い出)
小学生になったときのこと。
体育の授業か何かで先生が、
『お友達と協力して、大きな石を
イメージして持ち上げて』と言われた。
クラスの皆は友達数人で一緒に抱えて
大きな石を持ち上げる仕草をしていた。
私は声をかけることができず
一人で重い石を持ち上げた。
『お友達と協力して、長いヘビに
なってみて』と次に言った。
クラスの皆は友達数人で一緒に繋がって
ニョロニョロ長いヘビになっていた。
私は声をかけることができず
一人で小さなヘビになった。
双子の私は、片割れと幼稚園でのクラス
も同じで常に一緒だったので、さびしい
思いをしたことがなく、友達の作り方を
知らなかった。二人でいると、勝手に
友達の方が寄って来ていた。
小学校に入ってクラスが別れ、はじめて
別々に行動することになり、あえて友達
を作る必要性を知った。
あのときの、重い石と小さなヘビは
今も忘れずにいて、その記憶は、今の私
をつくる糧となっている。
あるには、ある。
良いものも、悪いものも。
それがきっかけで、さらに仲良くなったり、離れてしまったり。
どうしていたら良かったんだろうって、考えることもあるけれど。
”友だちの思い出”は、多分、このままが一番良いのかもしれないね。
友だちの思い出
私は、自分の感想を言うのが恥ずかしい時期があった。
自分が何か間違ったことを言ったらどうしよう、見当違いな事を言って恥をかきたくない。
ある時。友達との会話の途中、私はそんな迷いが出てしまい、話を打ち切ってしまった。
気まずい空気が流れてしまったと困っていると、友達は私の手を引いた。驚いてついていくと、彼女は喫茶店に入りコーヒーを頼んだ。
彼女は私が話の続きを話すまでここで待つという。
何分、何十分過ぎただろうか。何も整理できていない私の言葉を彼女は聞いてくれた。
あの時、彼女が聞いてくれたお陰で私は今、ここに文章を書けている。
友達の思い出
友達の思い出
ぼんぼりの明かりがゆったりと灯る和室。その上座に堂々と腰を下ろす。私の着物の衣擦れの音だけが、静かに聞こえた。
今日はここに、待ち望んだお客様がいらっしゃる日。いつもは気乗りしないこの仕事も、今日だけは頑張れる。いや、私がやらなくては。
私は、故人が大切にしていた物から記憶を読み取り、故人の遺志や染み付いた思い出を遺族に伝える、という少し変わったことを生業にしている。故人の強い思いにさらされ、気分が悪くなることが多いが、こういう仕事がないと立ち直れない人だっているのだ。積極的にはなれないが、私ができる数少ないことだと思って今まで続けてきた。
しばらくすると、喪服姿の初老の女性が部屋に入ってきた。彼女が、私が待っていたお客様。友達のお母様だ。
「これが…、あの子がずっと大切にしていたものなの」
たった一人の娘を亡くし、打ちのめされているのだろう。挨拶もなく、ふくさに包まれたストラップを差し出した。
「これは」
お母様は黙ってこくりと頷いた。
これは、私と彼女が初めてお揃いで買った、思い出のストラップ。死ぬまで、大切にしてくれたのか。
溢れそうになる涙を堪え、ストラップに触れる。
閉ざした目の裏に、彼女との思い出が蘇る。
たまたま入った雑貨屋で、このストラップを見つけたこと。一緒にはしゃいで学校へ通ったこと。大人っぽいカフェでお喋りしたこと。私が記憶を読み取る力のことを打ち明けたこと。病室で、お母様や私に笑顔を向けていたこと。
本当は不安で仕方なくて、夜に一人で泣いていたこと。
ストラップから、手を離した。
気付いたときには、涙が頬をつたっていた。
友達の思い出
中学時代の友達に会いたいな
高校でもできたけどやっぱり年月って大事だからね
まだ心のそこから輝いてはないんだよ
中学校の友達とは10年の付き合いだからな
高校の3年に勝てるかね
しかもクラス替えもあるから維持が大変よね
まあ環境も変わるし性格大革命が起こるかもしれんし
楽しみですなー
現時点の状況はというと
みんな大人だから何かお互い都合がいい友達にってとこかな多いのは
完
友だちとして始まったのに、いつの間にか好きになってた、なんてこともあるよね
しかも気がついたら親友の恋人になってたりして
これはなかなか複雑だよ
やっぱり親友とイチャついてるのを見るのは辛いし、だけど急に二人と距離を置いたら変に思われそうだし
まあ、そんなこともあったけど、今となってはほろ苦い思い出さ
『道順』
小さな頃は活発だった。休み時間になれば外で遊んで、帰ってきてからも公園で遊んだ。
いつも周りには友達がいて、皆でかくれんぼやおにごっこ、泥団子作りとかしたっけ。
少し大きくなった。昔ほど外で遊ばなくなった代わりに、ゲームを一緒に友だちの家でやったり、オンラインゲームで夜中まで遊んだ。
私の世界が広がった瞬間だった。
顔を会わせる友だち以外に、ネットという場所があることに気が付いた私はネットでも友達が出来たものだ。
そして今。共通の趣味を持つ友人が出来た。
学校を卒業してからも関わりがある友達は少なくなる。今では一緒にお酒を飲むこともある。
なんだか少し大人になったなぁと思う瞬間だった。
お題:《友だちの思い出》
今回は自分語りなので、嫌な人はスキップしてほしい。
人との繋がりは、宝物。今まさに体感している。一期一会とは、良く言ったもので保育園、小、中、高と別の地区の学校に通って、痛感した。
学校が変われば、本当に縁が切れる。全く音沙汰も無い。中学の時に、連絡先を交換した人で、今でも交流があるのは本当に少ない。
高校に入学した年の夏に体調不良で休学した時は、社会との繋がりを絶たれ、明らかにおかしくなった。暗闇は怖く、独りでは寝れなくなり…足に虫が上がってくる感覚があったり…、幻聴、そして…気分が沈みがちで、外に出るのが辛かった。
今、思えば…寂しかったのだ。私は、それまで自分自身は自立していると思っていたし、周りからもよく言われていた。
でも、違ったのだ。其のように錯覚するほど、依存先が多かったのだ。
周りに流されず、芯が強く、同世代より落ち着いていた私は、決して自分の力だけで形作られたものでは無かったのだ。
私を救ったのは友人に家族に知人だった。
中学時代からの友人や高校時代からの付き合いが短い友人までもが、電話で私の話に耳を沢山傾け、弱っていた私に寄り添い、受け入れてくれた。
ある人は、何度も、何度も、何も言わず…私の話に耳を傾けて、寄り添ってくれた。
ある人は共感して、肯定してくれた。貴方なら、大丈夫と。
ある人は、私が甘えたいというと甘えさせてくれた。
『決して、人は独りでは生きられない』。という言葉を実感した。
今、生きづらさを抱える方や生きることが辛い方、気分が沈みがちな方など、
どうか、忘れないで下さい。
人を頼ることは、難しいです。頼れる人が居ない方も居ると思います。
でも、助けを求めることは恥ではないです。
欠点は、人間の最大の長所です。
何故なら、欠点が無ければ、頼り頼られることも…お互いを支え合うことも…人との繋がりも…出来ないから。
どうか、忘れないで下さい。
お互いを尊重し合う喜びを、信頼される喜びを、分かち合う喜びを、生きる喜びを。
どうか、どうか、忘れないで…。自分の喜びを大切にすることを。
過ぎ去った日々の中で、キラキラして、涙が出るほど懐かしくてあったかい。
それが、友だちの思い出。
小3のとき、幼馴染に鉛筆のキャップを盗まれた。2年後、その友達から遊びに誘われた。彼女の家に行くと、自転車の鍵をなくしたと言い始めたから、一緒に探した。どこを探しても、結局見つからなかった。5時が近づき、彼女は探してくれたお礼に、どれか1つあげるよ。と10個ほどのキャップのストックを差し出した。そこには、あのとき盗まれたものが入っていた。私は迷うフリをして、じゃあ、これにする。と言ってそのキャップを取った。帰り、彼女は私を家まで送ってくれた。その帰りに、あのキャプはあなた自身のものだよ。と言われた。私は、そうだっけ、昔間違えて持って行っちゃったみたいな?と誤魔化した。そんな感じ。と彼女はいった。その翌日、彼女から手紙をもらった。そこには、鍵はおもちゃ箱の中に入っていたと書いてあった。おもちゃ箱は何度も探したはずだった。
今はそれから6年経つ。あのときのおもちゃ箱の中には、過去に遊んでいたであろうプリキュアやいないいないばあのおもちゃがいくつも入っていた。小学校5年生の子が、そのような物で遊ぶことはあるのだろうか。鍵を、そのおもちゃ箱に入れてしまうことはあるのだろうか。今考えると、すべて彼女の計算だったのではないかと思う。彼女の心には、キャップを返したいという思いが少なからずあったはずだ。