『刹那』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
君と過ごした刹那的な時間はもう戻っては来ない。振り返ってしまえば嬉しかったことよりも辛いことの方が多かったようにも感じるがそれよりも君が私の隣で笑って居たことが奇跡だった。だが楽しい時間は続くはずもない。君は私から去ってしまったが私はまだ諦めはしない。君がこちらへ戻ってくることを願うよ。刹那的な時間は今はもうただの思い出だ。
薄灰色に濁った世界が、目を伏せても滑り込んでくる。痛いのか、それとも違うのか。手首の切り傷は鋭い。あんなに発明の得意だった手は、汚れてもないのに黒い。そんな気がする。もっとも、指まで隠れる錆た鉄の手錠さえ、なければ見えるのだが。
がっちり組んだ石レンガを重々しく踏みつけ、見上げた奥には何体もの兵が槍と盾とを持ち歩き、自分を恨めしげに見る。そうか、僕は罪人か。
…殺人の。
「罪状 イヴァライト・テルヌン!被告は親類を切り裂き、殺人した罪に追われる。よって、公開処刑とする。」
槍がクロスに立てられ、首の横にやってくる。
…次生まれてくるときは、こんな人間になりませんように
何も分からなくなるまで0.1秒の間、そんなことをおもった。
お題
刹那 より
刹那という言葉を見た時、一瞬とイコールかな、ということくらいしか思い浮かばなかった。
この世界、まだまだ知らないことだらけだ
刹那…
え?なんで読むんだ??
頭の悪い私はすぐには読めなかった。
このアプリを初めて1日目。
刹那
ずっとそんな生き方してきた
ほんの一瞬の度に、永遠を待ってる
「刹那的に生きる」
私はこの言葉が好きだ。
過去を反省することなく、未来に希望を持つこともなく、短縮的に生きる。
過去は過ぎたことだから仕方ないし、私は未来に希望を持っていない。
ただ、意味もなく今を生きている。
刹那は美しいね。
刹那。お前が生きていた時間の表現にはその単語がよく似合う。そう思いかけて、個人に限った話ではないと気がついた。全ての人間は俺より命が短いのだ。
現実的に言えばそこには何十年という時間があったはずなのに、それさえも圧縮してしまうほど永い生にはいい加減鬱屈としてくるもの。お前が遺した本はかなり擦り切れて脆くなってしまったのでもう触っていない。あんなに本を大事にしていたのに良いのか、などと独り言を口にするのも馬鹿らしかった。名前も薄れつつあるのに、未練がましく愛を主張するほど傲慢なことはない。
青い空を見上げて欠伸を零した。お前がいた刹那は楽しかったよ。薄っぺらい言葉で括ったその時間は、確かに存在したのだ。
『刹那』
限界なんですと泣いていた先輩を助ける方法はなんだろうとずっと考えていた。限界だと訴えかけながらも、毎日笑顔で登校して日常を送っている先輩にとってはそれだけで必死なんだったと思う。
だから、限界だという訴えかけが死にたいに変わった時驚かなかった。死なれたら悲しいなんて言葉も言えなかった。理由を訊く勇気もなかった。ただ、それを受け止めて泣いている先輩の背中をさすってあげることしかできなかった。
ある日、夏服の上にカーディガンを羽織って先輩が登校してきた。いつもの笑顔はなく、深く沈んだ表情を隠さず歩いていた。いつもの放課後になってまた屋上に集まった。体調の心配をすると、袖を捲って傷だらけになったその腕を見せてきた。リストカットしたのだとすぐにわかった。
「昨日、切ってお湯につけてたけど全然死ねなくて。だからもっとたくさん切ってしまえばって思ったんだけど、全然ダメだったの」
嗚咽をもらしながら、涙を流す先輩。私にこの痛みはわからない。だけど、本気で死のうとして、ここまで追い詰められている先輩が見ていて胸が締め付けられた。
「先輩、本気で死にたいのなら私が手助けします」
涙でぐしゃぐしゃになった顔をあげて、先輩は驚いた顔をしていた。
「じゃあ、お願いがあるの」
二人で屋上のフェンスを乗り越えた。風が強く吹き付ける中、下を向くと舗装された煉瓦造りの道があった。ここから落ちれば確実に死ぬことができる。手を繋いだ先輩の横顔には涙の跡が浮かんでいたが、表情はどこかすっきりとしていた。するりと私の手を離した刹那、先輩は地面に背を向けて落ちていた。はっきりと聞こえたありがとうが先輩の最後の言葉だった。
目が合った。
それはほんの一瞬だった。
吸い込まれてしまいそうな瞳は、僕の姿を写すこと無く消えた。
多分、向こうは覚えちゃいないだろう。
だけど僕は覚えてしまった。
『これから自分がしようとした事』をした人間がする顔を。
だけど、まぁ…。
あーあ。
先を越されてしまった。
今日はやめておこう。
『刹那』
刹那の別れ
なんだか永遠《とわ》の
顔してる
だけどそれだけ
さみしい証拠
【刹那】
【刹那】きわめて短い時間のこと。
調べていたら、「刹那主義」という言葉を
見つけたので、これも調べてみた。
「過去や将来のことを考えないで、ただ現在の
瞬間を充実させて生きればよいという考え方」
一般的には、一時的に享楽にふけるという意味合い
らしいが、それは今、別として、説明だけ読んで
いると、ちょっとマインドフルネスと似てると
思った。
過去や未来に意識が行っても、今この瞬間に戻ってくる。悪い考えが浮かんでも、自分を否定や批判をせず、心を元に戻していく。そんな考え方だ。
身につける方法として、瞑想が挙げられるが、
これが難しい。どうしても、周りの環境に左右
される。それだけ、日常生活の中で、今この瞬間
というのを意識しているのが、ほとんど無いと
いうことだ。
とりあえず、You Tubeに上がっている、マインド
フルネスの音楽を目覚ましに使っている毎日だ。
―ちょっと、お題からずれたかな?
「刹那」
「刹那」
人生の半分もない青春は、
刹那に終わりを迎える。
刹那って明確にどれほどか知ってる?
調べてみるといい…きっと貴方は困惑する
けれど、今、この瞬間でさえ
過ぎ行く時間 『刹那』の一部
私達人は、明確で、正確で、昭然たる答えを欲しがる
そう…生きる意味を欲しがる
だから、貴方は押すんでしょう?
自分という承認欲求(グラス)を満たすために
「いいね」を推すの
ありがとう
今日も私は『刹那』をイキテル
#刹那
一瞬、また光が光った
真っ暗闇の中、何も見えない空間にたった一瞬だけ光が灯る時がある。
ロウソク、デンキ、カミナリ...タイヨウ。
我はそれらを知らない。
言葉だけは我の頭の奥から聞こえてくる。
いまだ見た事はないが、光の種類だということは知っている。
我は何者か。
暗闇に1人、実態も持たずに“生きて”いる。
また一瞬暗闇が光った。
今度は先程よりも少し長い時間。
変わることのない暗い景色に、その光が灯る刹那を我は“タノシイ”と感じる。
我はカンジョウというものが分からない。
けれどタノシイ。
我は何者か?
なんとなくその光が教えてくれるような気がして、たったの数秒しか光らないその空に手を伸ばした。
[刹那]
刹那 って文字を見て思い出すのは
GReeeeNの刹那って曲
私の認識してる刹那は
あの曲そのもの。
_ ₃₉
宛もない、明るみの空のもと。
果てしなく、掴むは
虹の指す光の先、手を伸ばして。
凛とする、彼方の景色が霞むのは
他のなにかのせいだよと、意味も無い言い訳を繰り返し。
2023/04/28/Fri 〈刹那〉
ふわり、ひらり、舞い踊るのは
刹那の刻々を刻むことを知らせる
あの蝶の紋様の印だった。
舞い上がれ。終焉の刻を刻むんだ。
ぱちり、と瞬きにも似た合図が聞こえた。
じー……っと音を立てて、レンズの付いた機械が小さな紙に思い出を現像していく。私の掌の上で形を成した思い出は、私の記憶の中に存在する光景よりもずっと鮮明に映っている。
そう思って、脳の奥に仕舞い込まれた記憶を掘り起こしてみると、いずれも写真のように日常の一瞬が切り取られた画ばかりだ。写真の技術は人が造り出したものなのに、些かそちらに引っ張られているらしい。賢いはずなのに、人は何処か間抜けだと他人事のように考え、技術の詰まった箱を机の上に置いた。
箱を置いたその足で本棚へと向かい、棚から一冊のアルバムを取り出す。少し古びたそのアルバムには、高校時代の自分達の写真がぎっしりと収められている。懐かしい思い出だ。何気なく最初の方を開き、一枚一枚ページを捲ることについ夢中になってしまう。早送りをするようにアルバムの中の時は流れ、高三の時の写真の並んだ一番新しい見開きの隅に、空いたスペースを見つけた。そこに、たった今現像した写真を挟んで、透明なシートの上からそっと撫でる。映した写真も、記憶に眠る思い出たちも、自分の大切な宝物だ。窓から届く温かい光が、そっとアルバムを包み込む。写真越しの彼等が、記憶の中で静かに微笑んだ。
「刹那」
多くの人がきしめきあい、互いが互いを牽制しあっている。誰もが互いの隙を疑い、今か今かと待ち構えている。
目の前の人々を選別し、どの位置につけばいいのか心理戦を繰り広げている。
かくゆう私もその心理戦を繰り広げる戦士たちの1人である。
私の予想では左前の男はかなりチャンスだ。少しだけではあるが焦りが見えるし、さらに言えば正面をまっすぐに向いているのは「つぎ」がある証だろう。
そして、その時はきた。
ーーチャンスだ…‼︎
目の前の男が動き出した。
私はすかさず荷物を片手にもち、右足を一歩前に出す。
勝利が間近と思われた瞬間、黒い影が目の前を通る。
「…‼︎‼︎⁉︎」
はやい。あまりにも速すぎる。
歴戦の戦士であろう壮年の男は私が踏み出す頃には既にポジションに入ろうとしていた。
ふざけるな。
どう考えてもソイツは私の獲物だろう…‼︎
私はイラついていた。ここでもしこの男を許してしまえば、次に私が安息を得るのはいつになるというのか。
ここで情けなく諦めるのか。
いや、そうではないだろう!!
私は自分の持つ全ての筋力をフル動員し、思いきり腰に捻りを入れた。
その刹那、男と私の目があった。
男はどこか讃えるような目をしていた。
ーーーー次は、中野、中野です。
アナウンスとともに私の尻は椅子についた。
ーー私は、勝ったのだ。
この椅子取りというデスマッチに。
どこか込み上げるものがあった。
もしかすると疲れてたのかもしれないが、とにかく何か大きな達成感を得た気がして私は泣きそうになっていた。
そうして涙を溜めながら座っていると、右手の扉から女性が乗車してきた。
「………」
その女性は少しだけお年を召していた。
「…………………」
その女性は杖をついていらした。
「………………………………席、お譲りします。」
遂に私は涙を落とした。
「刹那」
人生は時間。時間は人生。
そんなことをよく聞く。子供の頃、意味がわからず大人は不思議なことを言うな、なんて思っていた。
しかし、この歳になれば、と言ってもまだ15歳にも満たないのだが、少しわかるような気がしてくる。
説明しろと言われるとまだ難しい。自分なりに解釈すると一分一秒、人は生きていてその1秒に刻まれていく思い出が人生として遺る。
というところだろうか。
そう考えると短く感じる。
例えば80歳まで生きたとしよう。1年は365日、たまに6日のときもあるが、ここは365日に合わせる。
1日は24時間なので24×365は8760。これを80回繰り返すから70万8000時間になる。
やはり中々短い。のうのうと生きていてはすぐに終わってしまう__
ここまで来たが、なぜこんな話をしているのかと思った人もいくらかいるのではないか。
知っている人もいるだろう。刹那、という言葉には極めて短い時間という意味がある。
この"時間"を"人生"として話していたわけだ。
とまぁ、こんな感じだな。タイトルにあっていたのだろうか?
自分の何かを綴る場所が欲しくて始めてみたはいいものの、いきなり難しい題が出て驚いた。
そろそろ寝ないと行けない時間ということもあって随分と短いものになってしまった。しかも内容も薄いと来た。
ここで少しでも学べたら良いな。
幼いころ
つがいの小鳥を飼っていた
ジュウシマツというのだと
かわいい声で鳴くのだと
嬉しいわたしは
友達に見せたかった
庭に吊るした鳥かご
背伸びして小さな扉を開ける
夕陽が照らす中
薄茶色のやわらかな小鳥は
わたしたちの目の前で
羽を広げて空へ飛び立っていった
いまも鮮やかなその映像は
刹那にも永遠にも感じる
悲しいのに 美しい記憶
「刹那」
#90