『光と闇の狭間で』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
光と闇の狭間で
愛していいというのなら
もう一度チャンスをくれるというなら
時間が戻ってくれるというなら
『光と闇の狭間で』
闇のない世界に光は無く、
光が無ければ闇もない
太陽の光が届かず、光を知らない生物たちはきっと、
闇という概念にも触れることはないのかもしれない。
幸か不幸か、私たちは日々、
光と闇の狭間を生きている。
揺れ動く心、さまざまに移り変わる心の
二面性に対して
光と闇と、私たちは、しばしば表現する。
光に照らされれば、よく見通せることから、
人は少なからず、光から安心を得ることができる。
対して、一寸先も見えない暗闇の中にいる時、
先行きが見えないことで、人は恐怖と不安に
煽られるものだ。
しかし、未知との遭遇は、人を強くし、
奇跡を起こしてきたのも事実。
先が見通せないということは、
可能性は無限ということでもある。
闇という言葉の別の一面とも言える。
そして、闇に抗おうとして、自ら光を放つという
プロセスにおいて、
闇は、光を生み出す原因にもなっている。
光と闇の狭間で、私たち人類は
今日も明日も、迷い、戦い、生きていく。
「光と闇の狭間で」
光は明るい。
印象は楽しかったり、わくわくしたり、喜んだり、、、、ぱぁっと光がさすよう。
闇は暗い。
印象は落ち込んでたり、病んでたり、元気がなかったり、、、、お化け屋敷の中のよう。
その狭間。
どんなところだろう。
見当もつかない。
そんな何も分からないところに行ってみたい。
なんか、、ワクワクするから、、、、
#54 私は、死ぬまで光と闇の隙間で生きていくんだ、と
あの日知ってしまった。
ゆらゆらと揺れている。
キャンドルの火を眺める。
円柱のキャンドルから放たれるかすかな光。
部屋をできるだけ暗くして、作った暗闇。
火の周りは小さく小さく照らされていて、光と闇との曖昧な境界ができていた。
その曖昧な境界をじっと見つめる。
じんわりと暖かそうだった。
火が希望の光なら、暗闇は例えるなら絶望だろうか。
希望が闇を照らすのか。
闇が希望を引き立てるのか。
はたまた、
ふたつの作用で、中和されるのだろうか。
見つめながら、そんなことを考える。
光と闇の狭間で揺れている感情は、
どっちにも振れて、心が忙しい。
最近は、闇があるから光がいっそう輝くのかもしれない。と思うようになった。
何かと悪者にされがちな暗闇の感情も、
中和するためには無駄にはならないのかもしれない。
じんわりと暖かい、光と闇の狭間である曖昧なところにいれたらいいのにと思う。
光と闇の狭間で
泣かないでいたいけど
涙はとどめなく流れてくる。
涙もろくなったなぁ
泣かないで。
ワタシは
笑うときと泣くときと
分けてる
#泣かないで
☆光と闇の狭間で☆
我が家の愛猫紅葉は、肌寒い夜に、我が家の裏でポツンと1人で鳴いていた。
我が家の愛犬めいちゃんが見つけるまで。
真っ暗の中どうやってここに来たのか解らないけど、見つけた時は、足や手は、プルプルで…。
ここまで歩いてきたのか?
誰かに連れられてきたのか?
謎だ。
ここからは、私の空想です。
私の名前は、紅葉(くれは)。
今は、暖かいお部屋で、色々と世話してくれる人と暮らしてる。
この人は、自分の事を『ママだよ~。』って言うけど、私は、まだ心を全部開いた訳じゃない!
でも、悪くない。
私がどうやってここに来たのかみんな気になるんでしょ!
私の本当のママは、白地に黒のぶち柄なんだ。
私には、私の他に二人兄弟がいる。
みんな私と同じ真っ黒。
(たまたま、めいちゃんの散歩中見かけた、親子ネコ、子猫がみんな紅葉にそっくりだった。)
私は兄弟の中で一番小さくて、身体が弱かったみたい。
その日は、息もできなくて、ママのおっぱいも飲めなくて、意識が朦朧とする中、気づいたらママ達いなくなってて…。
どうしたらいいか解らなくて。
一人でずっと『ママー。』って鳴いてたんだ…。
だんだん寒くなってきて。
このまま、死んじゃうのかなぁ?って思ったら。
どこからともなく、真っ白いお姉さん猫(私の母の猫、姫ちゃんです。)が表れてね…。
『どうしたの?』って聞かれたから、ママが居なくなったって言ったの。
そしたら、『歩ける?私いいとこ知ってるよ!私に付いてきて』って言われたの。
でも、私まだ、歩きだしたばっかりで途中で疲れちゃって立ち止まっちゃって…。
そしたら、白いお姉さん猫が咥えて運んでくれたの。
(実際、白猫の姫ちゃんは、色々咥えて運んで家の中に持ってくる。)
『さぁ、ついた。ここよ!ここで、鳴いたら絶対見つけてくれるから大きな声で、鳴きなさい。』って言われて。
残ってる体力使って、全力で大きい声で鳴いたの。
しばらく鳴いていたら、真っ暗だったのに、急に光がさしてね、眩しくて…。
気づいたら、大きい犬のお姉さんと、今私の身の回りのお世話してくれる人が現れたの。
来てそうそう、今お世話してくれてる人が、ちゅーるをくれたの。
喉も乾いてたし、お腹も空いてたから食べたの。
それから、お風呂で丸洗いさせられるし、爪は切られるし、オリに閉じ込められるし、病院とかいうところに連れて行かれて、チカンってするやつされたし…。
なんだか踏んだり蹴ったりで、怖かった。
でも、悪いことばっかりじゃないんだー。
朝早く、ガラスの向こうに、大きい犬のお姉さんが会いに来てくれるんだ。
ガラスごしに、タッチするのが朝の挨拶なんだ。
そしてね、お薬って言うやつ飲んで、風邪が治ったの、そしたら、美味しいご飯は沢山たべれるようになった。
ささみ味が大好きだから、お世話してくれる人が沢山、ささみ味のご飯を出してくれる。
それにね、1日に、三回ハーネスって言うやつを着たら、フリータイムがあるんだ。
この時間は、自由なんだ。
部屋を沢山走って回れるし、お世話してくれる人がおもちゃも、沢山持ってきてくれるんだ。
中でもシロネズミのおもちゃが私の一番のお気に入り。
ずーっと遊べる。
最近、咥えてお世話してくれる人に持って行ったら、嬉しいみたいで『偉い!』って言ってくれるんだ。
そして、また投げてくれる。
この遊び楽しいんだ。
でも、ずっと一緒には遊んでくれない。
『もう少しの我慢だよ。』って毎日言って、お世話してくれる人は、どっかに行っちゃうんだ。
(猫カビ治療中の為隔離中。)
でも、寒くないように、ハンモック買ってくれて、その中に入って寝るのが大好きなんだ。
『抱っこして一緒に寝てあげれないから、少しでも暖かくして寝てほしい。』ってお世話してくれる人が言ってた。
そして、外の世界より今いる場所は、色んな意味で温かいんだ~。
白猫のお姉さん。ありがとー。
光と闇の狭間で
混乱状態…
どちらにも
傾かず
誰にもわかって
もらえない…
孤独な旅路…
内面の葛藤
目には見えないの
つらいよね…
光と闇の狭間で
君が怪我したらみんなが心配してくれるよ。
だけど私が倒れてもみんな知らん顔。
でも笑うしか無いじゃん。
痛くても泣きたくても私は人より体が
強くできてんだから。
だけどどれだけ小さな傷でも心が死にかけるんだよ。
どんな人でも心はか弱いんだよ。
光と闇
「 光 」があるから「 闇 」ができる
「 闇 」があるから「 光 」が引き立つ
互いが存在しているからどちらも存在している
っていう考え方もあれば
「 光 」が幸せやあたたかさの象徴で
「 闇 」が辛さや苦しみの象徴
って思う人もいるかもしれない
でもさ
この間ってなにがあるんだろう
って考えたとき
どんなことを想像する?
何色なんだろ、
どんな感情なんだろ、
自分はなんて言うのかな、
その狭間って'' 当たり前 ''ってことなんじゃないかな
人々は
自分が幸せと思ったとき
'' こんな日々が続けばいいな''
''嵐の前の静けさじゃないよね''
など'' 闇を気にする''傾向がある
でも逆に
自分が不幸だと思っているとき
'' 光を求める ''
やっぱりその間って無意識でやってること
とかじゃないかな
そんな狭間で生きることは
人生面白くないと思う
辛いことがあったから成長する
だけじゃなくて
幸せを知っているから幸せを求める
辛いこと知っているから上手な道に行ける
闇と光を調節しながら
自分のなにかを求めて生きていく
んーやっぱり人生って難しい!
_______________________
長い文を最後まで
読んでいただきありがとうございます。
私のこころ
私のからだ
私の魂
光と闇の狭間で輝いている
そう。
闇をも照らしている。
きらきらキラキラ
「貴方」という光と
「あいつ」という闇
光と闇の狭間で
私は自覚する
例え、闇だろうと
私は「あいつ」が
好きなんだ
月光は隙をついて忍び込む、青い部屋の影に
『光と闇の狭間で』
今日は一段と月が綺麗だった。
地面は暗くて、よく見えない。
僕はそこに、ストンと腰を下ろした。
あの日も今日と同じように星が見えないほど月が明るかった。
************************
「すぅ、はぁ~」
僕には、お気に入りの公園があった。
公園といっても遊具なんて無くて、パッと見は空き地だ。
でも、ここには、家や学校の狭っ苦しい空気感が無くて、ただ、ゆっくりと今が流れている感じがして、
テストの点が悪かったり、親や先生に怒られた後なんかに、よく来ていた。
ここからは、綺麗に月が見える。
月は、いつ見ても綺麗なものだけれど、ここから見る月は、やけに不思議に見えた。
何て言うか、ちょっとだけ神秘的な感じ。
特に今日は、一段と月が綺麗だった。
なぜだろう。
ただ単に、月が明るいだけなのか。
それとも、僕が、それだけ大きなショックを受けているのか。
「すぅ、はぁ~」
僕はもう一度、深呼吸した。
************************
「すぅ、はぁ~」
あのとき、僕は光と闇の狭間で、何を考えていたのだろうか。
ふっ、あれから、まだそんなに経っていないのに、もう忘れてる。
今の自分に辛いことも時が経てば忘れられるんだろうか。
いつか、辛くなくなるんだろうか。
そんなことを思いながら、
僕は
光と闇の狭間で
秘かに泣いた。
今日は一段と月が綺麗だった。
#光と闇の狭間で
光と闇の狭間で
闇に包まれて眠る。物心付いた頃から、就寝時は部屋を真っ暗にして目を閉じる。
出産後も、息子が寝た後に電気を全て消し私も息子の隣で眠りについていたのだが、今は常夜灯を朝まで点けている。生後間もない娘をベビーベッドに寝かせていて、授乳のために夜中に私や娘が移動しなければならないためではなく、暗闇をいつの間にか怖がるようになった息子が夜中目を覚ました時に泣かないように灯りを付けている。息子のための常夜灯だ。
息子が暗闇を怖がる度に思う。なぜ暗いところが怖くなったのか、私も幼い頃は闇を恐れていたのにいつどうやって克服したのだろうかと。
私は夜の闇の中を歩くのが好きで、実家に住んでいた頃は街灯が無く足元も見えない夜道を星明かりだけで散歩するのが大好きだった。闇が心地良かった。まるで母親のお腹の中にいるようで自分の体重すら闇に隠れてしまい、体がぷかぷか浮かぶような感覚を楽しんでいた。空が晴れている夜は、星の光を自分の目に届けてくれる闇に感謝していた。
時間が経ち、今の生活は、夕方息子を保育園から連れて帰り、娘を背負いながら夕飯を作り、夕飯後は子どもたちと風呂に入り、台所の片付けをしてすぐ子どもと遊び、寝かせつけて自分も就寝という毎日で、夜の闇を楽しむ時間はこれっぽっちも無い。
だから私は、今日も常夜灯の光の中で目を閉じて、家の外の闇を想像して眠るのだ。
夜明け前が一番の闇だと、どこかで聞いたことがある。
今から朝という清々しい幕開け前の、早朝5時頃。
今までの夜の暗さよりも、更に闇は深くなっていた。
今から朝という光が差し込むというのに、最後の悪あがきのように、深くなる闇。
このまま飲まれてしまう。そう思った時に、段々と空が白んでいくのだ。
夜と朝が共存できないように、光と闇も共存できないのだろう。
でも、逆の時間帯に、その共存の時間帯がある。
夕方だ。
闇が深くなる前、じんわりと光が最後の一力をだすかのように、段々と闇に溶けて行く。
夜明け前は、お互いの主張が激しい闇と光ではあるが、夕方は光と闇のうまく共存できている狭間なのかもしれない。
そして人は、その狭間の時間帯をえらく気に入っている。
闇に染まりたくない、光に飲まれたくない。
もしかしたら、人は皆、未完のものと言われているゆえんもそこにあるのではなかろうか。
どちらにも染まらず、完成はしない、染まりきれない狭間。
光と闇の狭間で、私たちは生きているのでは、と。
【光と闇の狭間で】
太陽が昇ったかと思ったらいつの間にか月と交替していたり、晴れ渡っていた次の日には嵐が入国してきたり。
この世界は、光と闇を繰り返して進んでいく。真の意味で平坦で永遠な日々などない。良いことと悪いことの境界線は曖昧、もしかしたら無いのかもしれない。
感情もきっと、そんなものだ。
光と闇の狭間で
光と闇の狭間で
日々良いこと、悪いことの繰り返し
少しの喜びをどのように楽しむのか
それが1番大事なこと
厨二病が再発しそうなかっこいい響き!
光と闇、善と悪、白と黒
2つに分けるのは1番簡単だしわかりやすいね
あと、ポケモンのソフトみたいで好きだな
でも私は優柔不断で欲張りな人なので
2つの間にある、どっちともとれない
それでいてどっちにもあてはまるような
そういうわかりづらいものも好きになっちゃうなあ
光と闇の狭間で
光と闇の狭間で
世の中にあるのは
正義と悪と、どっちつかずの何か
光と闇しかないわけじゃなくて。
だからこそ迷う
だからこそ苦しくて
思い悩み、憂える