『お祭り』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
お祭り
子どもの頃以来いってないなお祭りなんて。一人でいって楽しいものでもないし、かといって一緒にいく誰かがいるでもない。
まぁ一緒にいく誰かがいたとしても別にいきたくないけど。外にいくなんてめんどくさいだけだし。
そういえば夏といえば祭りの印象があるけど最近の暑さでもやってるのかね。国も不要不急の外出を控えるようにいうこの暑さの中で。もしこの暑さでもやってるなら大したものだ。
しかし祭りなんてもう夏にはできなくなりそうなくらい最近は暑いね。でも俺はバイトの時以外外にでないからあまりきつくなかったりする。
去年エアコンを買い換えたから効きがめちゃくちゃよくて今年の夏は快適そのもの。エアコン最高ってなものだ。
それと今日はジャンプの発売日だったけど超巡が面白かった。ギャグ漫画のラブコメ好き。あと面白かったのは呪術くらいかな。
ジャンプもね。見るものなくなってきたから辛い。呪術が終わったら本気で面白いと思えるのが超巡とロボこくらいしかなくなる。ワンピースもあったか。
まぁヒロアカと呪術が終わればその分新連載が始まるだろうからそれに期待かな。最近のジャンプの新連載を見るに正直期待薄だけど。
私はもとより体が弱い。
お祭りなんかに行くとすぐに暑さと浴衣の苦しさ、人の多さなんかでやられてしまっていた。
ただ我慢をするのは日常茶飯事だったので、それらを耐えながら楽しむのが普通だと思っていた。
頭が割れるように痛くてくらくらするのも、呼吸が上がって動悸が収まらないのも、もう帰りたいなんて思いを押し込めることも
全部普通。
これが当たり前だと本気で思っていた。
今、苦しむことが許されて私の苦しみに気づいた今。
それでもなお、あの非日常の夜が恋しいと思う馬鹿な大人に育ってしまった。
「雨の中で踊る」
その地域でやっているお祭りに参加できるということは、その地域に受け入れられたように感じられて嬉しいものだ。
たとえ一年後にその地域には居なくても。
お祭りの起源は、どこの地域も似たようなものだが、お囃子などは地域差があるものなので、それを聞くだけでも楽しい。
私は祭りが好きだ。
だから、参加できなくても見に行く。
それがどんな種類のお祭りでも。
※
大通り脇の屋台は昼から営業が始まっており、大通りは交通規制され、子供たちのはしゃぐ声があちらこちらから聞こえてくる。
気温が体温よりも高くなっていく。
真っ青な空に、もくもくとした雲。見ただけで夏だとわかる空。
必ず途中で雨が降るというお祭り。
夕方、大通りを練り歩く踊り蓮がそれぞれのスタート地点に待機し始める頃には、西の空に灰色の雲が迫ってきていた。
────お祭り
お祭り。
この時期になると夏祭りが各地で行われている。
花火を見たり、屋台でご飯を食べたり、最高だ。
華やかで、雰囲気も楽しく、夏祭りにはいつも憧れがある。
1人で行こうかとも思うが、1人では何かが違う。
隣にあなたが居なければ、行く意味もないなぁ。
大人になった私は、お祭りの屋台で金魚すくいをみつけると「かわいそうだな」って、そう思うようになった。
それはいつごろからだろう。
小さい頃は「楽しそう」と思うばかりだった。
なのに、大きくなってみると、あんなにもキラキラ輝いていた思い出が、そうは見えなくなってくる。
お祭りに屋台に限ったことじゃない。
普段はシャッターの多い、寂れた商店街とかも。
こんな時だけ、あいてるのを見て「普段はどうしてるんだろう」「つぶれちゃったりしないかな」と思ってしまう。
屋台ではしゃいだ声を上げる子供たちを、綿菓子みかぶりついて笑みを浮かべたり、仮面をつけてなりきってる子供を見ると、とても寂しくなる。
あの頃の、何の裏も事情も知らなかった頃には、もう戻れないのだなと。
「そこの人、金魚すくいやってかないかい!?」
私は屋台の人の威勢のいい声に、愛想笑いを返してその場をさった。
子供のころすくった金魚は、もともとよわっていたのかもしれないけれど、三日も生きられなかったから。
好きな人と一緒に行くお祭りは
お祭りの雰囲気と重ねて
私しか見れない彼の楽しんでる姿を
隣で眺めるのが最高に貴重で大好き。_LaLa❤︎
「お祭り」
あの世この世を繋ぐ提灯の灯
◆
擦れ違う姿は神か仏かそれとも…?
◆
神も仏も眺める光る花弁に
◆
子鬼は小太鼓を鳴らすとも鳴らず泣き
『お祭り』
夜の広場に櫓が組まれ、吊り下がった提灯が盆踊りの輪を照らしている。太鼓と囃子は昔から変わらず、小さな頃に見様見真似で手足を動かしていたのが今では体に染み付いた踊りになっている。浴衣を纏った人の中には今はいない人たちもちらほらとおり、けれど皆気にせずにそれぞれの踊りを同じ調子で踊っている。
長い長いお囃子が終わりに近づく頃に最後まで踊っていたのは数えるほどにまばらな人数。祭りの終わりはいつも寂しい。とっぷりと暮れた夜の涼しさを感じながら次の夏に思いを馳せて帰り道を歩いていく。
結局、お前じゃんか
祭りの前にいつも裏切るのはお前じゃんか
いくら信じたって、いくら言葉をかけたって
心を痛めるのは僕じゃん
みんな、僕を置いていくじゃん
【お祭り】
大人になってからのお祭りは
それを楽しみに行くというより
大人になるまでに行った
お祭りの記憶やその時の感情を
追体験しに行ってる
ような気がする
人混みを離れて、二人きり。
遠くの喧騒が今は心地良い。
少し前を歩く貴方の背中を、ぼんやりと見つめる。
来年は一緒にこの道を歩けないかもしれない。
ふと、そんな予感がして貴方の手を掴んだ。
握り返してくれる力は、いつもより少しだけ強く。
汗ぐんだ、繋いだ手の感触さえも愛おしくて。
あと少しで今日はサヨナラ。
でもまた会いたいから、サヨナラは言わないけれど。
じゃあまたね、って言葉にしたらもう………
……ねえ、また会えるよね?
『お祭り』
“お祭り”
元々のお祭りは、今のようなきらきらしている行事ではなく、生贄を神様に祀る行事だった。このお話にホラー要素はないので、安心して聞いて欲しい。
年に一度、誰かが祀られてしまう…と思うと恐ろしいだろう。もしも自分だったら…そう思うと怖くて眠れないだろう。それらは、全てを操るのは神様だけなのだからだ。けれど、自分が神様側だったら?少なくとも私は、大嫌いなアイツを連れて来いと、ものすごくわくわくしてしまう。これは、神様の気分は、今の”お祭り”そのものではないか?わいわいしていて、そこには楽しみが待っている。これこそ、”お祭り”だろう。
”お祭り”に並んでいる金魚や食べ物は全て、元は生贄として祀られた人間なのかもしれない。それらは、わたしたちをワクワクさせる為の道具にすぎない。全てを知っているのはそう、神様だけなのだけれど。
お題『お祭り』
帰省したらちょうど近所でお祭りがやっていた。お店がならんでいて、いつもは人が少なくて静かな村がこの時だけ賑やかになる。
僕はこのお祭りにあまりいい思い出がない。小学生の頃は、地元のガキ大将に目をつけられて祭りに行ったら石を投げられてたし、中学生は祭の喧騒を横目で見ながら僕だけいつもの日常を過ごしていた。高校生の頃は僕にとってはあまりにも溢れすぎた幸せの記憶と悲しみの記憶がないまぜになっている。
小中と祭から逃げていた僕に高校生になって彼女ができた。彼女は東京にいたけど、家の都合で僕が住む田舎に来た。彼女は僕にもったいないほどの美人でおしゃれで、本が好きな女の子だった。
そういえば告白してきたのも彼女だ。「なんで僕をすきになったの?」と聞くと「やさしいから」と言われた。
それから初めて祭に行って、それはそれは今までの僕からは信じられないほど楽しい時間を過ごした。僕の方が地元で知ってるはずなのに手を引くのは彼女の方だった。
丘の上に立って、二人で並んで見た花火はとてもとてもきれいだった。
だけど、彼女はもうこの世にいない。
実は彼女は原因不明の病があって、余命もわずかだった。田舎に来たのは、彼女のお母さんの地元で、せめて田舎の空気のきれいさとのどかな場所で残りの人生を過ごしてほしいとのことだった。彼女が僕に告白したのも「後悔したくないから」とのことだった。
成人して何年か経った今でも僕は彼女からもらったばかりだったことをすごく後悔している。初めて手をつないだつめたい感覚と、初めて口づけされた驚きと、二人だけの暗い場所でひみつのことを初めてする痛いほどの心臓の鼓動の速さと。
僕からはなにも彼女にしてあげられなかった。僕は未だにその後悔を胸に抱きながら何年も生きている。
今年も花火があがる。となりに誰もいないのに一人で丘の上に上がって、一人で花火を見る。
花火を見ながら「たまや」の代わりに彼女の名前を小声で呟いているのは僕一人だ。今年も涙を流さないように顔を上げて空に咲く火の花を見上げてる。
お祭り
「おい見ろよ、あの提灯。まるで百鬼夜行だな」
暗い中にぼんやり整列する灯りの中を、人間たちが行ったり来たり。何が楽しいのか、皆一様に浮かれた顔だ。
「ええ、おっしゃる通りで。しかし、人間の奴ら、この祭りの意味を分かっているのか?この祭りは豊穣の神たるあなた様に感謝を捧げる祭りだというのに」
三つ目のお供は不満げだ。
「あっはっは!かまわねえよ!人間ってのはそういうもんだ!絶えず、目まぐるしく、変化するもんさ」
「はあ、ヤライ様は本当に人間がお好きですね」
三つ目と山道を歩いていると、泣き声が聞こえる。
「やや、あれは人間の子供ですか。何かの弾みで我らの世界に入ってしまったのでしょうなあ」
「そうみてえだな。しょうがねえ、帰してやるか。……おい坊主!帰してやるよ、ついて来い!」
子供はきょとんとした顔をした後、黙ってついてくる。俺が人間に近い容姿をしているからか、正常な判断ができないからか、そいつは小鴨のように俺の後ろを歩く。
「なあ坊主、話をしないか?」
人間の世界に送り届けるまでの間、そいつは色々話してくれた。友達、学校、家族。時々相槌を打ってやれば、そいつは目を輝かせて饒舌になった。
「この先だ。振り返るなよ」
藪の向こう、歪む視界の真ん中で、人間が何かを探している。
「パパ!ママ!」
そいつは脇目も振らずに駆け出し、両親に抱きついた。こうして彼は、人間の祭りに帰っていった。
あれから時が経ち、我々の住む山に人間の手が入り始めた。奴らは木を切り倒し、穴を掘り、山を変えていった。
「ヤライ様、この土地はもう……」
「ああ。祭りはやらなくなった。人もいなくなった。我々の住処もなくなるか……。昨今の人間は自然さえ克服した。豊穣の神はもう、必要ないだろう」
「ヤライ様……」
「そんな顔すんなよ。いいさ、俺たちはもう……」
視界の端、年老いた人間が、他の人間に何かを訴えかけている。「この山には神様が……」と。どこか見覚えのある彼を背に、我々はゆっくりと森の空気に溶けていった。
舞の奉納。
沢山の楽器から音が奏でられ、私は音に合わせて舞う。
全身は力を抜き、感覚を研ぎ澄ませる。
舞は靭やかで、柔らかい動きを意識するが、
私は男なので、どうしても女性の舞より硬くなる。
しかし、同時に私の舞は力強く、冴えがある。
それぞれの舞に良さがある。
しゃらしゃらと鈴を鳴らしながら、舞う。
ひらひらと扇子を反しながら、舞う。
ふわふわと羽衣を翻しながら、舞う。
舞を奉納する時、いつも感じる。
まるで、私は人間では無くなったようだと。
不思議と緊張せず、寧ろ、落ち着く。
沢山の奏でられた、美しい音を聴き続けたくなる。
ゆっくりと時が進み、ずっと舞っていたくなる。
ずっと、此処に居たくなる。
夢見心地とは、きっとこの事を言うのだろう。
この時が、永遠に続けば良いのに。
今日のお題。お祭り。
お祭りに行った。友達は誘えなかった。でももしかしたら会えるかもと思って来たが、やはり友達はいなかった。
お祭りに行きたかった。母に言われた「昔のやって来なかった宿題終わったら行っていいわよ」この量が終わると思ってんのかあいつ…
お祭りに行ってみた。ステージは五月蠅いし花火は五月蠅いし目は屋台でチカチカするし、あまりいいことはなかった。
昔、お祭りに行った。母に「あれを買いたい!」と言っても全て却下されたし、花火は「寝る時間だから」と見ることは叶わなかった。
お祭りがなくても、夏の夜に耳を澄ますとお囃子の音がする。
でもその音は微弱で、私以外誰にも聞こえない。夏はこの音色に耳を傾け、眠りに入るのだ。
いちご
レモン
ブルーハワイ
色んなシロップを
氷にかける。
家でも作れるかき氷。
でもお祭りでしか食べないような気がする。
お祭りは人がいっぱいで暑い。
屋台の匂いが私の心をワクワクさせる。
次はどの屋台に行こうかな
─────『お祭り』
「お祭り」
小さい頃は、お祭りが大好きだった。
縁日がたくさん並び、提灯が赤々と連なっている景色は興奮を呼ぶ。
たくさん買えなかったけど、何にお金を使うか散々悩んだ。
とにかく楽しかった。
それがいつからか興味がなくなり、足を運ばなくなった。
お祭りは地元の友達と会うことも多いから、
会いたくない時期にまず足が遠のいた。
友達も変わり、他に遊びに行く場所が増えていくと
さらに行く機会も減る。
行かなくなると余計に行かない。
そうやって時間が過ぎ大人時間が長くなると、
お祭りを見ると懐かしくなってくる。
行きたいと思うこともあるが、
友人も誘いづらい。
結局、今年もお祭りを横目で見るだけになる。
お祭り…
昔、どうしても欲しくて
お祭りで買ってもらった ひよこ
ひよこのひーちゃんは
羽根が白くなるまで成長した。
しかしある日、突然姿を消した。
猫に取られたんだろう
そう親が言い、私はそのまま信じた。
ところが、それを覆す新事実が最近発覚した。
認知症になった父が
孫(息子)に
ニワトリの締め方を得意げに話していた。
………。
時効だ。
聞かなかったことにした。
ここのとこ毎週末どこかでお祭りしていて夏だなぁと実感します。私も2週続けて近隣の宵祭りへ行きました。
昨晩は豊田市のおいでん祭りフィナーレの花火を観てきました。混雑や降灰などで最近は中止の流れもありますが、久しぶりの花火観覧、やはり素晴らしいなと感動しました。
暑さと人混みの中を歩くのは大変ですけれど、観終えたあとの爽快感と、余韻残る祭りのあとの帰り道も風情あっていいですね。
#お祭り