白糸馨月

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お題『お祭り』

 帰省したらちょうど近所でお祭りがやっていた。お店がならんでいて、いつもは人が少なくて静かな村がこの時だけ賑やかになる。
 僕はこのお祭りにあまりいい思い出がない。小学生の頃は、地元のガキ大将に目をつけられて祭りに行ったら石を投げられてたし、中学生は祭の喧騒を横目で見ながら僕だけいつもの日常を過ごしていた。高校生の頃は僕にとってはあまりにも溢れすぎた幸せの記憶と悲しみの記憶がないまぜになっている。
 小中と祭から逃げていた僕に高校生になって彼女ができた。彼女は東京にいたけど、家の都合で僕が住む田舎に来た。彼女は僕にもったいないほどの美人でおしゃれで、本が好きな女の子だった。
 そういえば告白してきたのも彼女だ。「なんで僕をすきになったの?」と聞くと「やさしいから」と言われた。
 それから初めて祭に行って、それはそれは今までの僕からは信じられないほど楽しい時間を過ごした。僕の方が地元で知ってるはずなのに手を引くのは彼女の方だった。
 丘の上に立って、二人で並んで見た花火はとてもとてもきれいだった。
 だけど、彼女はもうこの世にいない。
 実は彼女は原因不明の病があって、余命もわずかだった。田舎に来たのは、彼女のお母さんの地元で、せめて田舎の空気のきれいさとのどかな場所で残りの人生を過ごしてほしいとのことだった。彼女が僕に告白したのも「後悔したくないから」とのことだった。

 成人して何年か経った今でも僕は彼女からもらったばかりだったことをすごく後悔している。初めて手をつないだつめたい感覚と、初めて口づけされた驚きと、二人だけの暗い場所でひみつのことを初めてする痛いほどの心臓の鼓動の速さと。
 僕からはなにも彼女にしてあげられなかった。僕は未だにその後悔を胸に抱きながら何年も生きている。

 今年も花火があがる。となりに誰もいないのに一人で丘の上に上がって、一人で花火を見る。
 花火を見ながら「たまや」の代わりに彼女の名前を小声で呟いているのは僕一人だ。今年も涙を流さないように顔を上げて空に咲く火の花を見上げてる。

7/28/2024, 11:51:37 PM