誰もいない家に、テレビもつけず、ただお湯が湧く音だけが聞こえてくる、リビング。
母は友達とショッピングに、兄と弟は2人揃ってアイドルのコンサートへ、父は休日出勤。
私も予定はあるにはあったのだけど、めんどくさくなって直前になってキャンセルをした。
午前中はダラダラとすごし、今はお昼時。何も考えず適当にカップラーメンを取りだして湯を沸かしていた。
カチッ、と音が鳴る。お湯が湧いたサインだ。
さっさとカップラーメンに湯を注いで、リビングに持っていく。いつもはスマホのタイマーで時間を計っているけれど、たまたま近くにあった砂時計を使ってみることにした。
砂時計を引っくり返して、優しく机の上に置く。
砂時計は好きだ。砂時計を見ている時だけ、時間が穏やかに過ぎていくように感じるから。
ここ最近、嫌いなことをしていて、早く時間が過ぎないかとちらちらと時計を見るあの虚しい時間が増えた気がする。あの感覚、どろどろと感触悪く過ぎていくあの時間は、私は嫌いだ。
かち、かち、と無機質に鳴るあの音よりも、サラサラと、優しく頭を撫でてくれるような音を聞いている方が、時間の進みを早く感じる気がする。
なんて言ってる合間に、3分が経過したようだ。
私はいただきますと言うと同時に、なんとなく、また砂時計をひっくり返してみた。
貴方は、ここに立った時、どんな気持ちだったのだろう。
実際に立てばわかると思っていたけれど、無理だった。あまりにも、怖すぎた。
普段なら感じないそよ風も、ここに立った瞬間、酷く怖いものに感じた。
貴方が居なくなってから封鎖されたこの屋上も、だいぶ廃れてしまった。
でも、貴方がそばに居るから、怖くない。
貴方がそばにいるから、屋上の鍵をこっそり盗んで、ここまできた。
だからもう、大丈夫。
この学校から離れて、貴方と別れてしまうくらいなら、この学校から飛び立ってしまおう。
大丈夫。貴方がそばにいるから。
貴方と飛び立ったあの日は、ちょうど、貴方がこの世から飛び立った日だった。
「ほら、貴方もこっちきなよ」
「嫌だよ。靴が濡れちゃうし」
珍しく、純白のワンピースを着ている貴方は、私の返事を聞いて頬をふくらませた。
こんな綺麗な地平線を見たのは、いつぶりだろうか。貴方の、そんな無邪気な姿を見るのも。
「そんなの、脱げばいいだけじゃない」
「裸足になるの、抵抗あるんだよ」
「最初だけだよ。こうやってさ、素肌で自然を感じるのは気持ちいいんだよ」
「私は、海風を感じるだけで十分だよ」
貴方は、それもそっかなんて納得しちゃったようで、私に背を向けて地平線を眺め始めた。
私も、砂の上に腰掛けて地平線を眺めるふりをして、海風で貴方の髪が靡く様子を見ていた。
貴方は、風が似合う人だと思った。
木陰の下、蝉たちが奏でる耳障りな歌に耳を傾けていた、あの日。
「ほんと、暑いね」
「暑いし、うるさいし、夏っていい事ない」
「夏は、アイスが美味しくなるよ」
「うーん、一理ある」
暑さでお互い頭がやられてて、会話も成立しているか分かってない。でも、こんな平和ボケな会話ができるのは、お互い今年の山を超えた小休憩の時期だったから。
「ね、アイスでも食べようよ」
「ここら辺、コンビニあったかな?」
「ちょっと歩くけど、大した距離じゃないよ。いいでしょ?」
この時断っておけば、貴方は今でも私の隣にいるのだろうか。
「いいよ」
私の返事に貴方は、まるで夏休みに旅行に行くことが決まった子供のように喜んだ。
あなたは一目散に木陰から出て、太陽に照らされながら私に手招きをした。
私も木陰から出ようとした時、木陰が優しく揺れた。
揺れる木陰の下、私はなんの根拠のない不安感に襲われた。
でも、アイスの誘惑と、貴方の笑顔で手招きをする姿に一目散に飛びつきたくて、私は揺れる木陰から身を離してしまった。
真昼、やけに重だるい体を起こす気になれなくて、また目を閉じていたら、いつの間にか夢の世界に入り込んでいた。
でも、その世界が夢だとすぐに分かったのは、貴方がいたから。
「お昼ご飯食べたあと、すぐ横になったら、牛になっちゃうんだよ」
「なるわけないでしょ。それに、人間を辞めれるなら本望」
「もう、貴方はいつだってそういう人なんだから」
冗談が通じない、ひねくれてる性格だって、言いたいのだろうか。実際、貴方からも周りからも、ずっとそう言われ続けてきたから。
「ねぇ、外で遊ぼうよ。外の世界は楽しいよ」
もう社会人にもなった大人が、そういうだなんて。でも貴方ならきっと、大人になってもこんな子供っぽい発言をするのだろう。
外の世界なんて、貴方の居ない世界なんて、楽しくないのに。
そこで、夢は途切れてしまった。貴方の声が、まだ耳の近くで聞こえてくる気がするのに、実際に聞こえてくるのはエアコンの音と、外でなってる風鈴の音だけ。
そうだ、あの日も、こんな風に風鈴がなっていた。
貴方が別の世界へ旅立ったあの瞬間、私は真昼の夢へ旅立っていた。
それを知った日から、真昼の夢を見るのが、私の日課になった。