親に叱られて、渋々部屋の掃除をしていた時、長い間開けていなかった机の引き出しに、1冊の本のようなものがしまわれていた。
題名は「秘密の標本」
開いてみると、長年会っていなかった友達の写真が沢山保存されていた。
一つ一つの写真の下には、一言文章が書かれてある。
雪だるまを作っている姿の写真には「貴方は冬が好き」
勉強している姿の写真には「貴方は数学が好き」
本を読んでいる姿の写真には「最近読書にハマってる」
私は写真を撮るのが好きだった。そんな私に、貴方はいつか私をモデルにしてと毎日のように頼まれていた日々を思い出した。
隠れて写真を撮るのは悪趣味だったかもしれないけれど、それでも貴方のことを何があっても忘れたくなくて、標本を作って机の奥底にしまっておいたのだ。
今見ても、貴方は愛おしいと、心から思う。
どうしても疲れてしまって、何に対してやる気が起きない時。
心が動かない時。
人の優しさが、たまに蛆がわいた心を癒してくれるときがあります。
優しさって、どんな些細なものでもいいんです。
コンビニの定員さんに「ありがとうございました」と言われたり
友人が「最近どう?」と声をかけてくれたり
何気ない一言でも、その言葉が誰かを救ってるのかもしれません。
案外、ちょっと気にしてみると、優しさに気づくこともあります。
気にすることも、ままならないときもありますが。
そんな時に、自分で自分に「おもてなし」をするんです。
これも些細なものでいいんです。
毎日頑張っていたことを、ちょっとだけ手を抜いてみたり
自分の好きな食べ物を買ってみたり
それだけで、心は自然と温かくなります。
温かくなったからと言って、また動けるかは別ですが、少しでも安心して眠れるように、明日を迎えるために、体と心を温めるのは自分にとって「おもてなし」になったりします。
誰もいない家に、テレビもつけず、ただお湯が湧く音だけが聞こえてくる、リビング。
母は友達とショッピングに、兄と弟は2人揃ってアイドルのコンサートへ、父は休日出勤。
私も予定はあるにはあったのだけど、めんどくさくなって直前になってキャンセルをした。
午前中はダラダラとすごし、今はお昼時。何も考えず適当にカップラーメンを取りだして湯を沸かしていた。
カチッ、と音が鳴る。お湯が湧いたサインだ。
さっさとカップラーメンに湯を注いで、リビングに持っていく。いつもはスマホのタイマーで時間を計っているけれど、たまたま近くにあった砂時計を使ってみることにした。
砂時計を引っくり返して、優しく机の上に置く。
砂時計は好きだ。砂時計を見ている時だけ、時間が穏やかに過ぎていくように感じるから。
ここ最近、嫌いなことをしていて、早く時間が過ぎないかとちらちらと時計を見るあの虚しい時間が増えた気がする。あの感覚、どろどろと感触悪く過ぎていくあの時間は、私は嫌いだ。
かち、かち、と無機質に鳴るあの音よりも、サラサラと、優しく頭を撫でてくれるような音を聞いている方が、時間の進みを早く感じる気がする。
なんて言ってる合間に、3分が経過したようだ。
私はいただきますと言うと同時に、なんとなく、また砂時計をひっくり返してみた。
貴方は、ここに立った時、どんな気持ちだったのだろう。
実際に立てばわかると思っていたけれど、無理だった。あまりにも、怖すぎた。
普段なら感じないそよ風も、ここに立った瞬間、酷く怖いものに感じた。
貴方が居なくなってから封鎖されたこの屋上も、だいぶ廃れてしまった。
でも、貴方がそばに居るから、怖くない。
貴方がそばにいるから、屋上の鍵をこっそり盗んで、ここまできた。
だからもう、大丈夫。
この学校から離れて、貴方と別れてしまうくらいなら、この学校から飛び立ってしまおう。
大丈夫。貴方がそばにいるから。
貴方と飛び立ったあの日は、ちょうど、貴方がこの世から飛び立った日だった。
「ほら、貴方もこっちきなよ」
「嫌だよ。靴が濡れちゃうし」
珍しく、純白のワンピースを着ている貴方は、私の返事を聞いて頬をふくらませた。
こんな綺麗な地平線を見たのは、いつぶりだろうか。貴方の、そんな無邪気な姿を見るのも。
「そんなの、脱げばいいだけじゃない」
「裸足になるの、抵抗あるんだよ」
「最初だけだよ。こうやってさ、素肌で自然を感じるのは気持ちいいんだよ」
「私は、海風を感じるだけで十分だよ」
貴方は、それもそっかなんて納得しちゃったようで、私に背を向けて地平線を眺め始めた。
私も、砂の上に腰掛けて地平線を眺めるふりをして、海風で貴方の髪が靡く様子を見ていた。
貴方は、風が似合う人だと思った。