貴方は、ここに立った時、どんな気持ちだったのだろう。
実際に立てばわかると思っていたけれど、無理だった。あまりにも、怖すぎた。
普段なら感じないそよ風も、ここに立った瞬間、酷く怖いものに感じた。
貴方が居なくなってから封鎖されたこの屋上も、だいぶ廃れてしまった。
でも、貴方がそばに居るから、怖くない。
貴方がそばにいるから、屋上の鍵をこっそり盗んで、ここまできた。
だからもう、大丈夫。
この学校から離れて、貴方と別れてしまうくらいなら、この学校から飛び立ってしまおう。
大丈夫。貴方がそばにいるから。
貴方と飛び立ったあの日は、ちょうど、貴方がこの世から飛び立った日だった。
「ほら、貴方もこっちきなよ」
「嫌だよ。靴が濡れちゃうし」
珍しく、純白のワンピースを着ている貴方は、私の返事を聞いて頬をふくらませた。
こんな綺麗な地平線を見たのは、いつぶりだろうか。貴方の、そんな無邪気な姿を見るのも。
「そんなの、脱げばいいだけじゃない」
「裸足になるの、抵抗あるんだよ」
「最初だけだよ。こうやってさ、素肌で自然を感じるのは気持ちいいんだよ」
「私は、海風を感じるだけで十分だよ」
貴方は、それもそっかなんて納得しちゃったようで、私に背を向けて地平線を眺め始めた。
私も、砂の上に腰掛けて地平線を眺めるふりをして、海風で貴方の髪が靡く様子を見ていた。
貴方は、風が似合う人だと思った。
木陰の下、蝉たちが奏でる耳障りな歌に耳を傾けていた、あの日。
「ほんと、暑いね」
「暑いし、うるさいし、夏っていい事ない」
「夏は、アイスが美味しくなるよ」
「うーん、一理ある」
暑さでお互い頭がやられてて、会話も成立しているか分かってない。でも、こんな平和ボケな会話ができるのは、お互い今年の山を超えた小休憩の時期だったから。
「ね、アイスでも食べようよ」
「ここら辺、コンビニあったかな?」
「ちょっと歩くけど、大した距離じゃないよ。いいでしょ?」
この時断っておけば、貴方は今でも私の隣にいるのだろうか。
「いいよ」
私の返事に貴方は、まるで夏休みに旅行に行くことが決まった子供のように喜んだ。
あなたは一目散に木陰から出て、太陽に照らされながら私に手招きをした。
私も木陰から出ようとした時、木陰が優しく揺れた。
揺れる木陰の下、私はなんの根拠のない不安感に襲われた。
でも、アイスの誘惑と、貴方の笑顔で手招きをする姿に一目散に飛びつきたくて、私は揺れる木陰から身を離してしまった。
真昼、やけに重だるい体を起こす気になれなくて、また目を閉じていたら、いつの間にか夢の世界に入り込んでいた。
でも、その世界が夢だとすぐに分かったのは、貴方がいたから。
「お昼ご飯食べたあと、すぐ横になったら、牛になっちゃうんだよ」
「なるわけないでしょ。それに、人間を辞めれるなら本望」
「もう、貴方はいつだってそういう人なんだから」
冗談が通じない、ひねくれてる性格だって、言いたいのだろうか。実際、貴方からも周りからも、ずっとそう言われ続けてきたから。
「ねぇ、外で遊ぼうよ。外の世界は楽しいよ」
もう社会人にもなった大人が、そういうだなんて。でも貴方ならきっと、大人になってもこんな子供っぽい発言をするのだろう。
外の世界なんて、貴方の居ない世界なんて、楽しくないのに。
そこで、夢は途切れてしまった。貴方の声が、まだ耳の近くで聞こえてくる気がするのに、実際に聞こえてくるのはエアコンの音と、外でなってる風鈴の音だけ。
そうだ、あの日も、こんな風に風鈴がなっていた。
貴方が別の世界へ旅立ったあの瞬間、私は真昼の夢へ旅立っていた。
それを知った日から、真昼の夢を見るのが、私の日課になった。
今日は七夕、らしい。
「そんなこと、すっかり忘れてた」
スーパーのお絵描きコーナーには、色とりどりの短冊やペンが用意されていて、大きな笹も立派に立ててある。
「願い事書かないの?」
「思いつかないから、いい」
そう言った後、自分の発言が少し冷たくなってしまったことを後悔した。
「じゃあ、貴方に願い事が沢山舞い込んできますように、って書こうかな私は」
「そんなの、いいよ別に。自分の願い事でも書いとけばいいのに」
「だって、願い事がないと、世界が無彩色に見えてしまうでしょ。そんなのきっと、つまらないわ」
「貴方がいるから、毎日楽しいのに」
「なにそれ、ちょっと嬉しいかも。じゃあ私が居なくても楽しめるように、貴方の幸せを願っとかないとね」
私はその発言に少し、ムッとした。
貴方がいない世界なんていらない。
貴方が短冊に願いを書き終わったあとに、トイレに行ったのを見計らって、私は短冊に願いごとを書いて、いちばん見えにくいところに願い事を吊るした。
『貴方のいない世界がつまらない世界でありますように』