なるべく考えないようにしていた、ひとつの問い。
勉強で分からないことは放置してはいけないと教わってきたけれど、この問いだけはどんなに考えても分からなかったから、ずっと見て見ぬふりをしてきた。
それが今となっては、自分の首を締め付けてくるような存在になってしまった気がする。
誰もいない電車の中で、ため息をついて外の景色を見る。やけに綺麗なお月様が、空にプカプカと浮かんでいた。
夢を叶えて、しがらみから逃れて、あの時望んでいた幸せを手に入れた。
それでいたって1人は、さみしい。それでももう、人と関わるのも、深い関係を築くのも怖くなってしまったから、もう、寂しい気持ちを取り除くのは不可能になってしまった。
やはり、無理してでも、誰かと繋がっておくべきだったのだろうか。
大人になれば好きになれると思っていた人たちのことを、今の私だったら、好きになれたのだろうか。
そんな未来がやってきたら、どんな幸せを手に入れられたのだろうか。
電車がゆっくりと停車する。駅に着いたらしく、何人か人が電車に乗ってくる。
すると、足元がフラフラとしていて、顔も少しやつれている男の人が、私の前に立って、優しく私に話しかけた。
「あの、大丈夫ですか」
その言葉の意味を理解した時には、もう涙を止めることは出来なくなっていて、私は慌てて裾で涙をふいて、
「大丈夫です」
なんて蚊の鳴くような声で言った。こんな歳にもなって、人前でなくだなんて、情けない。
男の人は、私の隣にゆっくりと腰掛ける。そして、無言で私に無地の黒いハンカチを手渡す。
私はお礼を言って受け取る。男の人は、これ以上何も話さなかった。けれど、私が電車をおりるまで、ずっとそばに居てくれた。
久しぶりに、人の暖かさに触れた気がした。
私が降りる駅に着いた時、男の人は眠っていた。私はそっと、彼の膝にハンカチを置いてその場を後にした。
駅の中を歩きながら、胸が暖かくなるのを感じる。
これから先孤独なのは変わりないけれど、それでももう少し、生きていける気がした。
幸せとは、きっと、電車の中で感じた、あの暖かさのことを言うのかもしれない。
年が明け、やることも無くなり眠ろうとしたが眠れないでいたあの日の夜。
電気を付けるのは気が引けた。なにか特別やりたいことも、やることも無いのに、明るいところに身を置くのは罪悪感に似た感情を感じるから。
心を落ち着かせたままでいるには、やはり暗闇がいちばんだと思う。
時計を見る。もう少しで夜が開ける。そういえば、近くにある公園は日の出が綺麗に見えると誰かが言っていたのを思い出した。
もう一度時刻を確認して、簡単に身支度をして外に出た。もう少しで夜明けだからか、辺りは完全に暗闇だった。夜明け前が一番暗いと、偉い人が言っていたが本当だと思った。
深呼吸をしながら公園に向かう。息は白くなって消えていく。幼い頃から、自分の吐いた息が白くなって消えていくのが、たまらなく好きだった。
公園に着く。ベンチに座る。冷たい。でも今度は、泣かずにいられた。誰かひとりくらいは、公園にいるだろうと思っていたが誰一人としていなかった。
と思っていたら、少し小太りなお爺さんが、たった一人で公園にやって来て私が座ってるベンチの向かいにあるもうひとつのベンチに座った。
あの人、高校生の頃になついていた先生に似ている。
政治経済が担当の先生だったが、歴史も地理も教えられるすごい先生だった。人間は嫌いだが大学では心理学を学んでいたと言う。
その先生に将来の夢を聞かれた時、私は少年院で働きたいと語った。今となっては全くそんな仕事はしていないが、それでも私にとっては叶えたかった夢であった。
そんな話をした翌日の、その先生の授業に、犯罪防止に関する内容が少し入っていた。世の経済の仕組みを応用させた仕組みらしく、私にはよくわからずぽかんとしていた。私には、経済の仕組みとかそんなものはさっぱりだった。
そのあとその先生と授業のことを話している時、私は無慈悲に
「経済の話とかさっぱりだから、よく分からなかったわ。あまり興味も持てなかった」
なんて言ってしまった。その先生は笑いながらおどけていたけれど、きっと先生は私の話を聞いてこの授業を作ってくれたのに、私はなんでこんな惨いことを言う人間になってしまったのだろう、なんて後悔した。
その先生は、優しい人だった。それなのに私は、酷いことを言ってしまった。あぁ、今すぐ地に頭をつけ謝りたい。ちょうど向かいにいるお爺さんにも、同じような感情を抱いてしまった。
すると、目の前が急にパッと明るくなる。私は急なことに驚いて顔を伏せる。恐る恐る前を見ると、神々しく光る太陽がゆっくりと上へと登っているのが見えた。
お爺さんの顔が、ちょうど影で見えなくなる。それでもきっとお爺さんは表情を柔らかく変えて、そのまま日の出を直接見ずに公園を去ってしまった。
今日という日が、今始まろうとしている。それも、新しい年が今日から、始まるのだ。
後悔はきっと、一生消えないけれど、それでも、なんとか生きていける気がした。
私の書く小説のキャラクターたちを、ハッピーエンドへ連れていくこと。
何だかいつもより静かな家の中で、私は部屋の隅で縮こまっていた。嫌な記憶が頭にこびりついて、何も出来ないでいた。
試しに外へ出てみる。肌がピリピリと痛むほど冷たい風が、優しく私の頬を撫ぜる。
風も、私を歓迎していないらしくて、泣きそうになる。
でも私は泣かない。泣いてしまったら、もっと自分が情けなく思えてきてもっと泣きたくなってしまう。
ため息を吐いてみる。白くなって消えていく。あぁ幸せが、逃げてしまった。
結局、惨めな気持ちになる。虚しさが体中に染み渡る。
私は気分転換に、近くにある公園まで、ゆっくりと歩み始めた。
こんな時間なのに、通り過ぎる家はほとんど電気がついている。そうだ、今年がもう終わるのだ。みんな、今年が終わって来年が新しく始まるのを、待っているんだ。
優しい気持ちと、寂しい気持ちが押し寄せて、また泣きそうになる。最近妙に、涙もろくなった。昨日だって、泣いたばかりだった。
公園に着く。誰もいない。ベンチに座ってみる。冷たい。私は堪えきれなくなってとうとう、涙を流してしまった。
口から、白い息が漏れ出て消えていく。
泣いたら、幸せは逃げてしまうのだろうか。
息を殺して泣いてみる。息苦しい。幸せが、喉元でつっかかって、心臓が痛くなる。
深呼吸をした。幸せは逃げていくけれど、心は落ち着いた気がした。
普通の幸せになるには、まだ時間がかかるみたい。
ただそれでもいいと、自分に許せる日がきっと、来年やってくると信じて私は生きていく。
そうだ。どうせ、生きるんだ。
死ぬ勇気なんて無いもの。
空を見上げる。生憎の曇り空だった。でも明日は晴れるらしい。
来年こそきっと、良い年に。
みなさん、良いお年を。
「死んだ人は、お星様になって私たちを見守っている」
と、大嫌いな母がそう言っていたのを思い出した。
俯きがちだった顔を、少し上に向けてみる。
都会とはいえ、冬になると空が少し賑やかになる。
キラキラ光ってる大きな星や、今にも消えてしまいそうなくらい小さな星。
貴方は、どこにいるのだろう。
貴方は……きっと、あの星だ。
とても明るくて綺麗なのに、周りに星たちがいない。
寂しがり屋で、甘えたがりのくせに、人を傷つけるのが嫌だからって、だからいつも1人だった。
空の上でも、貴方は1人なのか。
貴方はいつだって、1人ぼっちだ。
最後だって、貴方は1人だった。
寂しかったら頼ってって、あれだけいったのに。
貴方と一緒なら、私だって飛び降りることくらいできるのに。
あぁいっそのこと、今からでもどこかいい所を探して飛び降りてこようかしら。
なんて良くないことを考えていると、貴方の隣に小さな星を発見した。
「1人じゃないのか」
少しホッとした。
私が星になる必要はないみたい。
安心して息を吐く。息は白くなって消えていく。
今晩は冷え込むと、母が言っていたのを思い出した