今日は七夕、らしい。
「そんなこと、すっかり忘れてた」
スーパーのお絵描きコーナーには、色とりどりの短冊やペンが用意されていて、大きな笹も立派に立ててある。
「願い事書かないの?」
「思いつかないから、いい」
そう言った後、自分の発言が少し冷たくなってしまったことを後悔した。
「じゃあ、貴方に願い事が沢山舞い込んできますように、って書こうかな私は」
「そんなの、いいよ別に。自分の願い事でも書いとけばいいのに」
「だって、願い事がないと、世界が無彩色に見えてしまうでしょ。そんなのきっと、つまらないわ」
「貴方がいるから、毎日楽しいのに」
「なにそれ、ちょっと嬉しいかも。じゃあ私が居なくても楽しめるように、貴方の幸せを願っとかないとね」
私はその発言に少し、ムッとした。
貴方がいない世界なんていらない。
貴方が短冊に願いを書き終わったあとに、トイレに行ったのを見計らって、私は短冊に願いごとを書いて、いちばん見えにくいところに願い事を吊るした。
『貴方のいない世界がつまらない世界でありますように』
私は、雨が嫌い。
「今まさに降ってるけど」
「だから今日は、外出るの諦めたの」
「言い訳ばかりして」
「違うよ。雨の独特な匂いとか、傘をささないといけないところとか、ジメジメするところとか、ほんと、嫌い」
今日は貴方と久しぶりに、ショッピングをしようと思っていたのに、運悪く雨が降ってしまって、仕方なく私の家で何もせずぼーっとしていたのだ。パラパラと無慈悲に降る雨は、私の沈みきった心をさらに叩きつけるようだった。
雨の日は、なんとなく体もだるいし、いいことなんてひとつも無い。
「雨なんて、無くなればいいのに」
「そう?雨があるから、こうやってゆっくりできる日があるんじゃない」
「そんなの、天気がいい日でもできるし。天気がいい方が、日向ぼっこもできて、穏やかに過ごせるし」
「でも、雨上がりの空は、とても綺麗よ。運が良ければ、虹がかかってる事もあるし」
でも……と何か言いかけた時、窓から聞こえてきた雨の降る音が、止んでいることに気がついた。
カーテンを開けると、雨が止んで、代わりに日差しが降り注いでいた。住宅地が綺麗な黄色に染められて、その真上には、アーチ状の虹がかかっていた。
「ほら、今はまだ午後の2時。ね、いいこと沢山でしょ」
といいながら、貴方は楽しそうに荷物をまとめて、私にほほ笑みかけた。
「そうだね」
雨の日も、案外悪くないかも。と思いながら、私も出かける準備を始めた。
今日の私は、昨日の私と違う。
昨日より、早く起きれたり。
昨日より、体重が増えてたり。
昨日より、歩く速度が速かったり。
どんなに些細なことでも、昨日と同じ自分、なんてことはありえない。
日々、体と心が変化して、知らない間に自分自身を傷つけていたことに気づける。
自分の些細な変化に気づいて、優しくしてあげれば、きっと他人の些細な傷にも、気付けることが出来る。
私の記憶の海は、とても深くて暗い。
何がいるかわからない、底が見えない海。
時々、海の中にいる記憶たちに、襲われそうになる。
酷く、怖い見た目をしていて、そして、鋭い牙を持っている。
それでも、そんな記憶たちの中には、チョウチンアンコウのような、周りを照らしてくれるようなものもいる。
あまり近づいたら、食べられちゃうけど、そっと着いていってみると、忘れられたお宝が見つかったりする。
こんな怖い海にも、ほんのささやかだけれど、光は、お宝は、ある。
貴方は誰よりも口下手で、それなのに文章を書くのが大好きでした。
でも、そんな貴方にたくさんの苦労が降り注いで、いつしか口を全く開かなくなってしまいました。
心配した私は、しばらくお互いに手紙を書き合って、放課後に交換し合わないかと提案しました。
そしたら、貴方は嬉しそうな顔をして、元気よく首を縦に振りました。
それから、手紙を書く日々が始まりました。
最初のうちは、家を出る前に書いていたのだけれど、段々と授業中に書くようになっていき、いっかいだけ先生に見つかって注意を受けたときは、最近滅多に笑わなかった貴方を、笑わせることができました。
その日、貴方から受け取った手紙を開くと、
「必死に文章を綴っている貴方は、とても綺麗で、恋に落ちそうでした」
なんて、かくかくした字で、そんな恥ずかしいことが書かれてありました。
それから少しずつ、貴方の口から言葉が溢れ始めたのは、ここだけの話にしといてください。