桔花

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10/8/2023, 1:31:31 PM

・束の間の休息
時間を止めたことがある。
あの日、おれは農作業の手伝いをしていた。太陽が高くて、とても暑くて。
でも腰の曲がったじいちゃんが作業を続けている手前、休むわけにはいかなくて。
倒れそうになったとき、世界が止まった。わけがわからないままに、おれは止まった世界で休憩した。そのとき以来だ。時間を止められるようになったのは。
止められると言っても、いつ止まるかわからないし、世界が動き出すまでの時間もまちまちだ。
サボりや女子の風呂場覗きに悪用はできないらしく、そのうちにこの奇妙な能力のことは忘れてしまっていた。

「どうか、お気を付けてくださいね」

か細いその言葉に、さまざまな感情が見え隠れしていた。どうしようもないおれなんかを慕ってくれる、かわいい妻だ。

「おっとう、どこさ行く?」

五歳になった愛するわが娘は、さすがにめざとい。よしよしと頭を撫でてやった。
この国は滅びるのだろう、と思う。剣を握ったこともない農民を借り出して、統制の取れた敵部隊にぶつけようというのだから。無駄死に、と、人は言うかもしれない。
でも、せめて、最期の瞬間くらいは、敵の刃にかかって、愛する家族を想って、綺麗に散りたいと思った。
なのに。これはどうしたことだろう。
全てが止まった戦場のど真ん中で、おれは束の間、大きく息を吸う。
血の香がした。

10/6/2023, 10:46:05 AM

・星座
人は死んだら、お星様になるんだよ
母はよく、そう言っていたから。
母が亡くなったその日から、夜空を見上げるのが習慣になった。
だから断じて、星が好きなわけじゃない。それどころか、星座、たるものは嫌いだった。
大熊だの白鳥だの、整然と整理された空には、母の星の居場所なんて存在しないようで。
公園の手すりにもたれて、ため息をついた。
「今夜は、星が綺麗ですか」
同じ空を見ている人の質問としては、すこしおかしい。振り返ると一人のおじいさんがにこにこ笑いながらこちらを見ていた。その手には、赤いシールのついた白い杖。視覚障害をもつ人が使うものだと、テレビで見た。こういうとき、どんな反応が正解なんだろう。
星が綺麗か否かなんて、もう随分考えたこともない。
「まあ…一般的には、綺麗なんじゃないですか」
なんて、反抗期を拗らせた中学生みたいな返答をしてしまった。おじいさんが、ほんの少しみじろく。
「それはよかった。私は随分と星空を見ていませんが、星は好きなんです。自由に線を入れるだけで、見えないものが見えるようになる感覚もね」
まあ、星座には疎いですが、とおじいさんは笑った。そんなものだろうか。もう一度、空を見上げてみる。無数の星が輝いていた。
「人も同じです。声をかけるだけで、その人を知ることができる。見えなかったものが、見えるようになるのですよ」
この人は、哲学者か何かだろうか。何が同じなのかもわからないし、論をこねくり回しているようで釈然としない。
でも。
白鳥や大熊にしか見えなかった星が、たしかに色を変えた。

10/4/2023, 11:26:31 PM

・踊りませんか?
「僕と、一曲踊ってください」

魔法使いに懇願してまでやってきた、舞踏会。外にはカボチャの馬車。
それなのに…
王子様の顔が、全くタイプじゃなかったら、どうすればいいんだろう…
ごめんなさい?いやいや、じゃあ何のために苦労してここに来たんだよ。
みんな見てるし。
「よ、喜んで…」
分かっていた。ここに乗り込んだとき、その答えは確定していたって。
十二時の鐘に乗じて、理由をつけて抜け出した。
硝子の靴を落としたけど、構っていられない。魔法で作った靴だもの、足なんてつかないでしょ。

その夜、私は泣いた。ナルシストな雰囲気も、高飛車な物言いも、全部受け付けなかった。
やっと、私にも春がきたと思ったのに。なのにこんなのってない。
そんなことより金?もっともだけど、私はヤダ。
ああもう、救いなんてないのね。側には川が流れていた。飛び込んでしまおうかしら…

「やめてください」

え?振り返ると、息を切らした男性の姿があった。王子様が追いかけてきたのかしら。
来ないで、と叫ぼうとして、驚いた。見覚えがあった。私を美女に仕立て上げてくれた、魔法使いさん。

「何か、不具合がありましたか?ぼくの力不足です。お願いですから、早まらないでくださいっ…」

はあはあ息を切らしながら、彼は懇願する。その様子を見ていたら、何だか笑えてきた。なんて見当違い。なんて真っ直ぐ。魔法の効果は切れてしまったけど。
魔法使いさんに、一歩近づく。できる限り、色っぽく。

「ねえ。それなら責任とって、私と逃げてくれない?」

10/4/2023, 7:32:50 AM

・巡り会えたら
「わたし、生まれたくなんてないわ」

やわらかい雲の布団にくるまって、その少女…とおぼしき『たましい』は言った。かたわらにはもう一つ、少年…とおぼしき『たましい』が、愛おしそうに控えている。

「ぼくは、早く生まれたいなぁ。人間になって、早く君をこの腕で抱きしめたいもの」

たましい、とは、ふわふわした、実体のない存在だ。手もなければ足もない。でももし、その時彼女が顔を持っていたら、その顔は真っ赤だったに違いない。 
僕はそっと、二人に近づく。一切の感情を消して。義務的に。

「生まれる準備ができました。お二人とも、こちらへどうぞ」

僕は天使。この空の上で、神様の助手として、たましいがうまれる手伝いをする者。保護者、と言ってもいい。幸せそうに後をついてくる二人が愛しくて、僕は思わず泣きそうになる。
世界の広さを、この子らは知らない。生きているうちに出会える確率なんて、足元の雲を成している水蒸気の粒よりもわずかなものだろう。
たった一人、僕にもいた。いつか巡り会えると信じて、別れた人が。だけど。
僕の手はあの人に届かないままだ。

「おい。そこの天使。仕事が遅いぞ。順番を待つたましいは山ほどいるんだ。テキパキ動け」

全知全能の、女神様。愛する人は、「山ほどいる」たましいの一つであった僕のことなど、覚えてもいないのだから。
ふっと、自嘲気味に笑って。

「はいはい。分かってますよ」

泣くのは、やめにしよう。僕にできるのは、この子たちを応援することだけだ。
雲の上の天使ではなく、愛する人を持つ、先輩として。

10/2/2023, 2:41:57 PM

・奇跡をもう一度
この世に、幾つの数字が存在するんだろう。
0から9までの、たった十つの文字と、コンマ、スラッシュ、πなんかの記号の組み合わせで、無限大の可能性を生む。
さて。
その中から選び取った、たった一つの数字が、テスト解答と一致する確率は、どれほどか。たった一度だけ、ヤケクソで埋めた答案に丸がつけられていたことがある。
あの時の感動は忘れられない。あの奇跡を、もう一度。ほぼ白紙の答案を睨みながら、僕は心の中で唸っていた。
テスト時間終了まで、残り二分。事件が起こったのはその時だった。
ハラリ。
隣の席の女子生徒が、解答用紙を床に落としたのだ。何気なく目をやってしまい、僕は反射的に目を逸らした。どっくん、どっくん。心臓がうるさい。先生が慌ててそれを拾いにやってくるけど、もう遅い。ばっちり見てしまった。
残り一分。どうしよう、どうしよう…
震えながら、シャーペンを握り直し、急いで解答用紙に滑らせる。
書き終えた途端、チャイムがなった。

結局、書いたのは女子生徒の解答とは全く別のものだ。
ほんの少しの後悔は、熱い高揚の前に氷解してしまった。
「ねえ。大問1の(2)って、××であってる?」
例の女子生徒だ。こっそり耳をすます。
「え、〇〇でしょ」
マジでー⁉︎と、彼女が悲鳴をあげる。
ああ、そうか。奇跡など、あてにするものじゃない。次はもう少しマトモに勉強しようか、なんて、実現性可能性が極めて低い思考が頭をよぎった。

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