桔花

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10/1/2023, 1:58:28 PM

・たそがれ
その妖怪は、毎日、黄昏時を楽しみにしていたんだ。
なぜかって?
黄昏はもともと、誰そ彼、と言ってね。暗さで、相手をぼんやりとしか判別できない、という意味があるんだ。
おそろしい姿をした妖怪は、日の下では人間たちを怖がらせてしまうからね。黄昏時は都合が良かった。
月のない夜の、薄暗い小道なんかは最高だよ。
道ゆく人に声を掛け、束の間の会話を楽しみ、空が白み始めると同時に姿を消す。
その妖怪は、そんな生活が結構、気に入っていたんだよ。
***
そう、兄者はいつも、さみしそうに笑っていた。
題名は、「嫌われ者の妖怪」。
人間好きの、優しい妖怪。悲しくて、愛しくて、たまらなかった。
私なら絶対、朝が来ても妖怪のこと。こわがったりしないと、誓ったのに。
眼下には、何層にも重なった道路。行き交う、無数の車。
妖怪が愛した薄暗い小道は、もう存在しない。
あの頃の私は、知らなかった。
兄者がいつも、顔を隠していた理由を。
政府の開発から逃れた、辺境の山奥に住んでいた理由を。
後悔しても、もう遅かった。
黄昏。ネオンサインが滲んでいく。

9/17/2023, 12:49:42 AM

・空が泣く
初めて、恋をした。
コロコロ変わる君の表情が、愛しくて。
お日様を集めたみたいな、君の金色の毛が、大好きだった。君のふさふさのしっぽを見ていると、心が洗われる気がした。

君が嬉しいと、僕も嬉しくて、空はどこまでも高く青くなった。
君が悲しいと、僕も悲しくて、空は曇って世界は暗くなった。
堪えきれなくなって君が泣くと、僕も泣いた。雨が降った。

君が、結婚するらしい。僕は嬉しかった。空は晴れた。それはもう、澄み渡るくらい、青く、美しく。
僕は不思議だった。幸せそうな君が、雨に濡れていることが。

9/14/2023, 10:53:56 PM

・命が燃え尽きるまで
第〇〇回異種族会議は、河原で行われた。議題は「死」。
短命代表カゲロウと、長寿代表ゾウガメの対談の形をとる。
ああ、かったるいなあ…
カゲロウの誰かがつぶやいた。それもそのはずだ。開始時刻を三十分以上すぎているのに、対談相手のゾウガメは姿を見せないのだから。貴重な寿命の三十分、イラつくのは当然だった。
すでに、何匹かのカゲロウは、こっそりと会議を抜け出している。残るカゲロウが最初の半分ほどになったとき、ゾウガメは姿を現した。

「やあやあ、こんばんは。みなさんお揃いで」

すみません、の一言もないのか。不快になるカゲロウ一同を横目に、司会者が話し出す。

「皆さん、お集まりいただきありがとうございます。今後のよりよい異種族交流のため、今宵は…」
「まあまあ、堅苦しいのは抜きにして。始めましょうや」

イラつくけれど、この申し出はありがたい。カゲロウの一番手である僕とゾウガメは、向かい合う形になった。司会者が言う。

「では、お互いに死について、どのようなイメージを持っておられるか、交流してください」

死の、イメージ。なんだろう。
人間の言葉を借りれば、注射の順番を待っているような気持ち、だろうか。一人づつ、名前が呼ばれて、待合室にいる人数は減っていく。次は自分だ、という緊張感とあきらめ。
もっとも、注射を打ったこともなければ病院に行ったこともないカゲロウの身だ。ちょっと違うかもしれない。
僕が一言目を探しているうちに、ゾウガメが口を開いた。

「そうですねえ…考えたこともないですねえ…ぶらっくほーるみたいな感じでしょうか。じゃなかったら地球征服に来た宇宙人。つまりは、絶望と恐怖の権化ですかね」

まあ、そんなこと起こるわけないですけどね、とゾウガメが笑う。起こるわけないものを、死に例えるのか。
僕は瞠目する。死んでいった仲間を思う。ゾウガメな言うように、絶望と恐怖を味わっていたんだろうか。そんなのは、辛すぎる。そんなことを思って、僕は死にたくない。

「僕らにとっては…」

視界がぼやけていく。ゾウガメの悲鳴が、イヤに遠い。仲間の声。こちらは義務的だった。

「おつかれさまです。リーダー。そしてゾウガメさん、二番手は私が務めます。よろしくお願いします」

9/13/2023, 11:03:40 PM

・夜明け前
初日の出じゃなくていいから、日の出が見たいわ。

彼女がそう言ったから、二人で海に来た。
夜明け前の海は、ただただ黒々としていて、どうもいけない。
吸い込まれてしまいそうだ。規則正しく寄せる波が、誰かの悲鳴のようだった。

そのうちに、空が白み始めた。真っ黒だった空のキャンバスに、白い絵の具が溢れていく。滲むほどに、色が増す。
ただ純粋に、綺麗だと思ったけれど、心は晴れなかった。煌めき始めた海が憎かった。
ざぷん
底の擦り切れた靴は海を拒むに至らず、僕の足はひんやりと濡れ始める。もう一歩。もう一歩。

「おじいちゃんっ!!」

悲鳴のような声に、僕はハッと我にかえる。海はもう膝下まで迫っていた。
ざぶざぶ、声の主がこちらに向かってくる。今年高校に上がったばかりの、孫だ。学校でもないのに制服を着ているのは、彼女の葬式に出席するため。
僕の肩を掴んだ幼い少女は、泣きそうな表情で笑った。

「朝の海っていいよねぇ…でも危ないよ。おばあちゃんと違って、おじいちゃん泳げないでしょ」

何を言う。これでも昔は水泳部エースだってのに。そう反論すると、カラカラと笑われた。
彼女に…ばあさんにに似ている。どうにも…いけない。
「戻るか」
そういうと、また、花のような笑顔を浮かべた。

9/12/2023, 11:00:31 PM

・本気の恋
小さい頃から、叶わない恋ばかりしていた。最初は保育園の先生に。次はアニメキャラに。同姓の親友を好きになったこともあったし、俳優を好きになったこともあった。偽物の恋、なんて言うつもりはないけど、それはとても、虚しかった。
…それもあの日、キミに出会うまでのこと。キミは知らないでしょう。私が、遅くまで学校に残っている理由。本が好きなわけでもないのに、図書委員に立候補した理由。
それは図書室の窓から、グラウンドが見えるから。サッカー部の練習が見えるから。もっといえば、キミが見えるから。
恋は苦しい、なんて言うけれど、こんなに楽しい体験を、私は知らない。
キミのことを考えるだけで、幸せな気持ちになる。いつか、どこかのタイミングで、キミが私に気づいてくれたらいい。それまで誰にも、この気持ちは話さない。だって、初めての本気の恋だから。
ふわふわした気分のまま、私は図書室を後にする。
グラウンドからはまだ、キミの声。
帰宅ラッシュにも関わらず、駅にはまばらな人影しかなかった。たぶん、ちょうど今、前の電車が発車したばかりなんだろう。
「うわー、間に合わなかった!」
バタバタ、誰かが階段を駆け上がってくる足音。誰か、なんて白々しい。声でわかる。キミだった。
どうしよう。気づかないふりをして、スマホを見ているのがいいか。今気づきました、って顔をして、軽く笑いかけてみるのがいいか。お疲れ様、はハードルが高い。
キミの年季の入ったスニーカーが視界に入る。そして…私は見たくないものも見てしまった。
キミのスニーカーよりずっと小さい、ローファー。レースがあしらわれた靴下から伸びるのは、細くて白い足。
頭は見るなと警鐘を鳴らすのに、私の視線は上へとスライドする。
そこには、仲良さそうに手を繋ぐ、キミと親友の姿があった。
私に気づいた親友が、無邪気に手を振ってくる。笑みを浮かべて手を振りかえしながら、私は思った。
これは、本気の恋じゃない。
だって大好きな人だから。応援するよ、と、心の中でつぶやいた。

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