桔花

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12/13/2023, 11:03:05 PM

・愛を注いで
古く、イザナミとイザナギは液体状の世界に降り立った。
「え、今日デートするの、ここ?何にもないじゃない」
イザナミが不満そうに声を上げる。イザナギは焦った。最近疲れているから、静かな場所がいいといったのは君じゃないか。そんな言葉を飲み込んで、イザナギはにこりと笑う。
「愛し合っていれば、そんなこと関係ないだろう?」
イザナミはつんと唇を尖らせ…たまりかねたようにほおを赤く染める。
「し、しかたないわね」
内心の安堵を隠しながら、イザナギはイザナミの手を取った。
二人は液体の世界に、愛の言葉を注ぐ。ぐるぐるぐるぐるぐる…
***
「ちょっと、聞いてるの?」
「え」
パッと顔を上げると、不機嫌全開の女子がいた。僕の彼女だ。
手元のインスタントコーヒーは、かき混ぜすぎて溢れんばかりに泡だっている。
「はぁ…ホントに人の話聞かないよね。クリスマスデートがコンビニとか、マジありえないから」
だって君が、ケーキとチキンが食べられる、家から近くて空いている店がいいと言ったんじゃないか。苦い顔を隠しながら、僕は必死に言葉を探す。
「あ、愛し合っていれば、そんなこと関係…」
「関係あるわよ!ばーか!私帰る!」
店中に響く大声をあげて、勢いよく立ち上がる。まずい。失敗した。
テーブルのコーヒーを引っ掴み、慌てて後を追う。視線が痛い。
自動ドアが開く。チラリと見えた彼女の耳が、赤く染まっていた。

12/3/2023, 2:39:10 PM

・さよならは言わないで
二月初旬〜五月初旬  春の神
五月初旬〜八月初旬  夏の神
八月初旬〜十一月初旬 秋の神
十一月初旬〜二月初旬 冬の神

役割分担は、このとおり。
そして立冬の今日、私、冬の神は、秋の神から仕事を受け継ぐことになっている。
一年ぶりに会う秋の神は、困ったような笑みを浮かべていた。
理由はすぐにわかった。秋の神の隣には、もう一人、仏頂面の少年がいたのだから。夏の神くんだよ、と、秋の神が説明してくれる。
秋から冬への引き継ぎの日に、なんで夏の神が。とっくに任期は終わっているだろうに。
最近やけに地上が残暑だと騒がしいのはこいつのせいか。

「どうして夏の神がここにいるのか、説明してくれる?規約違反だってことは、わかってるんでしょうね?」

秋の神は穏やかだが優柔不断だ。夏の神に押し切られたんだろうと察しがつくが。

「まぁまぁ冬ちゃん、落ち着いて。夏くんもほら、黙ってないで」

何が冬ちゃんだ。秋の神に背中を押されて、夏の神が前に出てくる。
当然だけど、ほとんど話したことはない。とゆーか、全くない、と思う。
秋の神や春の神に聞くところによると、子供っぽくて怒りっぽくてバカっぽいとか。
ふうむ、あながち間違ってもなさそうだ。

「何の用?」
「……お前が好きだ」

……は?

「だから、お前が好きだ。俺と付きあってほしい」

ここは嫌だと、正直に言っていいものだろうか。

「夏くんねー、冬ちゃんに一目惚れしたんだって。ほら、今年の春、春ちゃんの代理で冬ちゃんが担当した日あったじゃない」 

ややこしいが、こういうことだ。
その季節の担当の神が出られない日は、他の季節の神が代理を務めることが許されている。
今年の春、私は一日だけ、春の神の代理を務めた。
地上では季節外れの雪だと騒がれたが。それを、夏の神は見ていたということか。

「綺麗、だった。雪も、お前も。冷たくて、澄んでて」

そんなこと…カッと顔が熱くなる。いけない。熱は体に毒だ。

「友達、なら、いい」

パッと顔を上げた夏の神は、わかりやすく安堵の表情を浮かべた。
なんだか照れくさくて、私は言葉を紡ぐ。

「用は済んだでしょ。帰りなさいよ」

さよなら、は、なんとなく言いたくなくて。

「半年後に、また」

あのとき、きょとんとしていた彼は、もしかしたら気づかないだろうか。
その年の冬が、記録的な大雪となった理由に。
富士山頂、高く積もった固い雪の意味に。

夏までもつといいけど。
独り言は、冬空に消えた。

11/1/2023, 1:00:18 PM

・永遠に
「…と、言うわけで、円周率は永遠に続きます。そのため便宜上πを用いて…」

本当に?
眠さ絶頂の、昼下がり。子守唄にしか聞こえないはずの先生の声が、やけにはっきり聞こえた。
***
たぶん、あれが始まりだった。
一日五桁。一年間で1800桁。
126,526桁目の数を書き終えて、私はふっと息を吐いた。
バカなことをと、人は笑うだろう。コンピュータを使えば、1秒じゃないか、と。でも、それが正しいだなんて、いったい誰が証明できる?
自分の目で、手で、永遠を知ることにこそ、意味があると言うのに。
目の前の、計算用紙。そばには愛すべき家族。
悔しさは、ある。薄れゆく意識の中、私は口を開いた。
***
バカみたい。円周率の計算なんて、心底無駄。大人しくπを使えばいいじゃない。
眉を顰めながら受け取った計算用紙は、模造紙をつなぎ合わせただけの、質素なものだった。ところどころ黄色く変色していて、正直、触りたくない。
聞けば、ひいじいちゃんの遺品らしい。早く捨ててしまえばいいのに、なぜか私の代まで回ってきてしまった。
さすがに毎日とは言わないけど、一ヶ月に五桁程度、計算しろと。うちの伝統だから、と。苦笑していたけど。
私、数学、大嫌いなのに。特大のため息が出た。
…とかなんとか言っていても、人は慣れるものだ。数ヶ月後、いつものように計算しようとして、私ははたと手を止めた。ありえない。だって。

『割りきれた』

いや。よく考えれば当然か。これだけ長い間計算し続けていて、間違えない方がおかしい。どこかで誰かがミスしたんだろう。
ちょっと迷って、私は消しゴムを手に取る。2を5に変える。
これでもう、割りきれない。ひいじいちゃんは、永遠を証明したかったのだという。
大成功だね、と私は呟いた。

10/30/2023, 9:51:51 AM

・もう一つの物語
〜「空が泣く」より〜
初めて、恋をした。
コロコロ変わる君の表情が、愛しくて。
お日様を集めたみたいな、君の金色の毛が、大好きだった。君のふさふさのしっぽを見ていると、心が洗われる気がした。
君が嬉しいと、僕も嬉しくて、空はどこまでも高く青くなった。
君が悲しいと、僕も悲しくて、空は曇って世界は暗くなった。
堪えきれなくなって君が泣くと、僕も泣いた。雨が降った。
君が、結婚するらしい。僕は嬉しかった。空は晴れた。それはもう、澄み渡る
くらい、青く、美しく。
僕は不思議だった。幸せそうな君が、雨に濡れていることが。
***
幼い頃、私は晴れ女と呼ばれた。遠足も、誕生日も、いつも晴れだったから。
修学旅行の日、友達は言った。

「絶対休んじゃダメよ。晴れてくれなきゃ困るんだから」

休みがちになっていた私への、遠回しな優しさ。
参加するつもりはなかったけど、彼女がそういうなら。軽い気持ちで参加した修学旅行は、最悪だった。私を嫌う人たちと、三日間。
記録的な大雨になった。
私のあだ名は、雨女になった。学校でも、会社でも。空が憎かった。

「結婚式は、晴れるかな?」

愛する人が、何の気無しに呟いた一言。我に返って、私は微笑んむ。たぶん雨だろうな、と思いながら。

私の予想は的中した。
予想と違ったのは、彼の予感も的中していたことだ。
雨。そして晴れ。
キラキラ、キラキラ。
雨粒は無数のスパンコールのように、エフェクトのように、彼の上に、私の上に、降り注ぐ。

濡れて色が変わったドレス。仕方がないから屋内に避難させた豪華な料理。

「いい天気だね」

愛する人は、そう、微笑んだ。

10/27/2023, 2:58:19 PM

・紅茶の香り
1、夜8時には寝る。
2、お姉ちゃんにわがままを言わない。
3、家の中で騒がない。
綾人が小学校一年生の冬、我が家に新しいルールができた。
遊びたい盛りの小学生には、苦しいルールだ。だけど、それ以上に嫌なのは、限界まで張り詰めた糸のような空気だった。
静かすぎるリビングで、綾人は顔を顰めながら宿題に向かう。
お母さんは黙って本を読んでいた。
『受験期の子供の支え方』
綾人にはその意味はよくわからない。
でも、そんなにしかめっつらをするなら、読まなければいいのにと思っていた。
息が詰まりそうな長い時間は、いつも突然、終わりを迎える。

「あー、お腹すいたー!マドレーヌ残ってたよね?食べていー?」

場違いに明るい声。どうやらお姉ちゃんの勉強はひと段落したらしい。
我が家はお姉ちゃん中心に回っている。もちろん、お母さんは嬉しそうに頷いた。

「はい。綾人にも」

にっこり。笑いかけられて、ありがとた。
お姉ちゃんのせいで貴重な冬休みが台無しなんだ。ちょっとくらい、困らせてやりたかったのに、お姉ちゃんは肩をすくめただけだった。…気に入らない。
綾人の気も知らないで、お姉ちゃんはすとんと、綾人の隣に腰を下ろした。
目の前の机に置かれたのは、マドレーヌと、紅茶のカップ。
紅茶には殺菌作用があって、風邪をひきにくくするらしい。お母さんがあんまりしつこく飲めというから、お姉ちゃんは毎日一杯は紅茶を飲む。
紅茶の香りは、つんと尖っていて、綾人はあんまり好きじゃない。…なんて、子供っぽくて言いだせやしないけど。
お姉ちゃんが淹れる紅茶は甘くて飲みやすい。匂いさえ我慢すれば、いけなくもないのだ。
鼻を近づけると、湯気が鼻をくすぐった。

くしゅんっ

それはとても小さなくしゃみ。でも、決定的なくしゃみ。お母さんが立ち上がる。

「綾人。こっちに来なさい」

0、風邪をひいてはいけない。
口には出さないけど、これが最も大切なルールなんだと、綾人は気づいていた。
***
天井の木目が、ぐるぐると回っていた。暑くて、寒い。
お姉ちゃんの受験日の二週間前、最悪のタイミングで、綾人は熱を出した。
たった一人、ベッドの上で、綾人は震える。
僕のせいで、お姉ちゃんのジュケンが失敗したら、どうしよう。お母さんは、怒るだろうな。
お姉ちゃんは?
どうしても、あの優しい笑顔で、笑ってくれるとは思えない。
もしかして、ちょっとお姉ちゃんを困らせたいなんて、願ってしまったせいだろうか。
…その発想はとても怖くて、綾人は逃げるように布団に潜り込む。
次に起きたのは夜だった。
部屋の机には、湯気を立てるうどんと…紅茶を乗せたお盆。
紅茶?
カップのそばには、一枚のメモ用紙があった。

『はやくげんきになりなよ』

鼻をつくのは、つんと尖った香り。
口をつけると、それはふわりと甘さに姿を変える。

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