桔花

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9/11/2023, 10:04:04 PM

・カレンダー
地球の一秒は、二百年らしい。それなら、地球とやらは、きっとすばらしくのんびりやに違いない。
カレンダーを恨みがましく見つめながら、少女はそんなことを考えた。
普通のカレンダーじゃない。カウントダウンカレンダー、と呼ばれるものだ。よく卒業式までの日数を数えたりする、アレ。
母の入院が決まった日から、少女はずっと、退院予定日までの日数を数えていた。
地球なら、こんな日数、瞬きするくらいの時間なんだろうな。ああ、うらやましい…

体感では無限と思える時間でも、着実にその日は近づいてくる。その日、少女は久しぶりに浮かれていた。
「おかえりなさいっ!」
大好きなお母さん。その腕には、小さくて柔らかそうな生き物。駆け寄った少女はその生き物を覗き込んだ。
「あなたの妹よ」
妹。星たちは、近くにあるように見えて恐ろしく離れているらしい。それなら、こんなふうに妹に触れることもできないんだろう。
私は人間でいいや、と思った。

9/10/2023, 2:19:20 PM

・喪失感
兵士たちが、目を抑えて呻いている。
老夫婦が、泣き喚いている。
せかされて、彼女は彼らに踵を返した。不意に、誰かが彼女の着物を掴む。
シワシワの手だった。彼女は無造作にそれを振り払う。
行かないでくれ、かぐや姫。
その言葉は、届かない。
***
「おかえり、カグヤヒメ01」
彼女が目覚めたとき、目の前には柔和な笑顔があった。最新型AIである彼女を開発した、若き天才エンジニアである。
人の心をもつロボットをつくること。それが彼の目的だった。そのためにもう何度も、架空の世界でシュミレーションしている。
さて、今回の収穫はどんなものか。彼は一歩、彼女に近づいた。
「気分はどうだい?」
「異常ありません」
ふうむ、と、彼はまじまじと彼女を見つめる。その口元は、みるみるうちに緩んでいった。
彼女はあの世界で、感情を手に入れていた。そう確信するに足る証拠を見つけたのだ。
「異常がない?じゃあこれは何かな?」
そう言いながら、彼は彼女の瞳に触れる。瞬き一つしないで、彼女はその手を受け止めた。
するり。その手が瞳から離れたとき、彼の指は、わずかに濡れていた。カグヤヒメ01のボディは、人間と全く同じ機能を搭載している。
そう。悲しければ涙を流す、というように。
「ねえ。君は、悲しかったんだよ。あの世界で、愛した人たちと別れることが」
歓喜の声が溢れそうになるのを必死に押し殺して、彼は彼女にそう言い聞かせる。ちょうど、幼子をあやすように。
彼女の目から、涙が溢れた。
混乱する意識の中で、彼女はお爺さんを思った。お婆さんを思った。帝を思った。もう二度と戻れない、失われた日々を思った。
その気持ちの名を、彼女はまだ知らない。

9/9/2023, 1:48:56 PM

・世界に一つだけ
私たちはずっと、二人で一人だった。
一卵性双生児、といえば、わかってもらえると思う。お母さんは、私たちが喧嘩しないように、おもちゃも服も、同じものを買ってきた。
アニメや漫画みたいに、性格が正反対だったのなら、よかったのかもしれない。残念ながら、私と妹の性格は、見た目ほどじゃないにしろ、よく似ていた。

「お姉ちゃん。私も学級委員になったよ」

そう、妹が得意げに話す。私は傍でスマホをいじる。またか、と思う。
最近、妹は私の真似ばかりする。まるで私と自分との、ほんのわずかな隙間を埋めようとするかのように。
イラつく。イラつく。意味がわからなかった。私は早く、私になりたくて、必死なのに。

「あと、お姉ちゃんが面白いって言ってた本、読んだよ」

嬉々として語り始めた感想は、私が妹に話して聞かせたものと、全く同じ。

「ねえ。何がしたいの?私と同じことして、楽しい?」

思ったよりきつい声が出た。ひゅっと息を呑む音。ごめん、その言葉が喉元まで出かかった時だった。

「…だって、お姉ちゃんの方が何でもできるじゃん。私は頑張らないと、『お姉ちゃんの劣化版』で終わっちゃう」

今度は私が息を呑む番だった。そんなことを考えていたなんて、知らなかった。
その頃から私たちの関係は少しづつ、変わり始めたのだと、今となっては思う。

***
「病める時も、健やかなる時も、お互いを愛することを誓いますか?」
「「はい。誓います」」

ぱちぱち、盛大な拍手が巻き起こる。私が纏っているのは、真っ白なウエディングドレス。スーツ姿の彼…いや、夫はやっぱりかっこいい。こっそり見上げると、にっこり、微笑み返される。
私が私であるために。
世界で一つ、私が欲しいものを、この人は惜しみなく与えてくれる。大好きなひと。
結婚式の出席者の中には、ピシリとスーツできめた妹の姿もあった。若くしてバリバリのキャリアウーマンだ。
「お姉ちゃん!おめでとう!」
そう言った妹は、私の知らない笑顔を浮かべていた。きっと彼女も見つけたのだ。世界で一つ、彼女を彼女たらしめるものを。 

9/8/2023, 2:46:19 PM

・胸の鼓動
どくん、どくん。
胸の鼓動が、あいつに聞こえてはいないか。そう思うと、冷や汗が伝った。
「絶対、動いちゃダメよ」
そう言い聞かせてはいるけれど幼い我が子が、どこまで我慢できるかわからない。もしもの時は…
「ねぇ、お母さん。お腹すいたぁ…」
この緊迫した状況には不似合いな、無邪気な声。全力のひそひそ声なのが愛らしい。
 ふっと、ほおが緩んだ。もしもの時、など、ない。何があっても、生き抜かなければ。私はこの子の、母親なのだから。
もう少し、我慢してね、と愛しい我が子の頭を撫でながら、私は密かに決意した。
どくん、どくん…

熊の鼓動、という名前を聞いたときから、その道はきっと、母熊のようなものなのだろうと思っていた。
どこまでも優しく、ときに厳しく、泣きたくなるほど温かい。
そんな私の淡い期待は、色んな意味で裏切られた。
そもそも熊野古道とは、古い街道の遺跡である。昔、熊野詣にいく人々が使ったらしい。つまり、舗装などされているわけがない。三十分も経たないうちに、運動不足の私はぐったりしていた。
想像の母熊がフンっと鼻を鳴らす。こんなの、厳しいだけじゃないか…
口をへの字に曲げたままもう一歩足を踏み出すと、見事につんのめってしまう。
「危ないっ!」
ガシっと、次の瞬間私は誰かに支えられていた。私をここに連れてきた張本人、幼なじみで腐れ縁の綾人だ。見かけによらず、がっしりした腕。飛びのきざまに、パチリと目が合った。
どくん。
なに、これ。カッと耳が熱くなった。やめてよ、その言葉を、うまく発せられたかどうか。
「お、お前鈍臭いんだからさ、こうしようぜ」
綾人の手が、宙ぶらりんになった私の手を無造作に掴む。ビクッと肩が跳ね上がった。
おずおずと見上げた綾人の表情は、ほんの少し不安げに見えた。
不意に肩の力が抜ける。何だかおかしくなって、私はそっとその手を握り返した。どくんどくんどくん。
指先の体温が愛しくて、狂おしくて、たまらない。
私は間違ってなんかいなかった。
熊野古道は今この瞬間も、優しく、温かく…生暖かい、の間違いかもしれないが…私たちを見守っているのだから。

9/7/2023, 10:51:45 PM

・踊るように
剣舞とは、その名の通り、剣を使った舞のことである。
踊り子の私からしてみれば、そんな舞は邪道中の邪道、許せない。
その、はずだったのだけど。
動きに合わせてキラリと光る剣先。
流れるような足捌き。
私の踊りにはない、ピリつくような覇気。
生まれて初めてみた剣舞は、正直、綺麗だった。人だかりをかき分けて、無意識に私は前へ出る。抱えている味噌の重みを忘れるほど、気がつけば夢中になっていた。
どれほどだったか、演者の一人が、不意に動いた。動き続けているのに動いた、なんて変かもしれないが、とにかく、ハッと目を引く動きだった。
そして…
その演者は、無造作に…恐ろしいほど流麗に…剣を振った。
誰かの悲鳴。
私は悟った。剣舞の美しさの正体を。

真っ赤な鮮血が、痛いほど目に残った。

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