桔花

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・喪失感
兵士たちが、目を抑えて呻いている。
老夫婦が、泣き喚いている。
せかされて、彼女は彼らに踵を返した。不意に、誰かが彼女の着物を掴む。
シワシワの手だった。彼女は無造作にそれを振り払う。
行かないでくれ、かぐや姫。
その言葉は、届かない。
***
「おかえり、カグヤヒメ01」
彼女が目覚めたとき、目の前には柔和な笑顔があった。最新型AIである彼女を開発した、若き天才エンジニアである。
人の心をもつロボットをつくること。それが彼の目的だった。そのためにもう何度も、架空の世界でシュミレーションしている。
さて、今回の収穫はどんなものか。彼は一歩、彼女に近づいた。
「気分はどうだい?」
「異常ありません」
ふうむ、と、彼はまじまじと彼女を見つめる。その口元は、みるみるうちに緩んでいった。
彼女はあの世界で、感情を手に入れていた。そう確信するに足る証拠を見つけたのだ。
「異常がない?じゃあこれは何かな?」
そう言いながら、彼は彼女の瞳に触れる。瞬き一つしないで、彼女はその手を受け止めた。
するり。その手が瞳から離れたとき、彼の指は、わずかに濡れていた。カグヤヒメ01のボディは、人間と全く同じ機能を搭載している。
そう。悲しければ涙を流す、というように。
「ねえ。君は、悲しかったんだよ。あの世界で、愛した人たちと別れることが」
歓喜の声が溢れそうになるのを必死に押し殺して、彼は彼女にそう言い聞かせる。ちょうど、幼子をあやすように。
彼女の目から、涙が溢れた。
混乱する意識の中で、彼女はお爺さんを思った。お婆さんを思った。帝を思った。もう二度と戻れない、失われた日々を思った。
その気持ちの名を、彼女はまだ知らない。

9/10/2023, 2:19:20 PM