『失われた響き』
ピポ、ピンポー、ピンポーン。
気の抜けるようなインターフォンが3回鳴り、耳を疑った。
え!?
このクセしかない押し方の主は大荷物を抱えているときの彼女である。
当たり前だが、同棲を機に彼女がインターフォンを押す機会はなくなった。
鍵は電子キーで、親鍵は俺が管理している。
まだ夕刻を少し過ぎた時間帯で、摂生している彼女が酔い潰れて暗証番号を忘れたとは考えにくかった。
モニターすら確認せず、俺は玄関のドアを開ける。
「なにごとですか?」
ドアを開けるや否や、両手両脇に荷物を抱えた彼女が玄関に入り込み、ドサドサと荷物を下ろした。
「って、うわ。すごい荷物ですね?」
「ありがとーっ」
ホッとする顔を見せるが、彼女は慌ただしく踵を返す。
「まだ下に段ボールが2箱あってね? 取ってくるから、また開けてほしい」
「はあ!?」
そんな大荷物どうやって運んできたんだ!?
「俺が持ちますから、ちょっと待ってて。靴下っ」
「え? 重くないから別にいいのに」
「ダメ! 視界が塞がってる間に誘拐されちゃうっ」
「どういう方向性の心配なんだよ?」
あきれる彼女の声を背に、俺はバタバタと靴下を取りに戻った。
*
これのどこが軽いって?
そこそこデカい段ボールはなにが入っているのか見当もつかないが、ずっしりとしていた。
結局、ふた箱いっぺんには持てず、ひと箱は彼女に持ってもらうことになる。
エントランスから玄関までの短い距離だったが、しっかり腕がバンプした。
一方で彼女はケロッとしている。
「いくらなんでも、なまりすぎじゃない?」
「うるせえです」
ちゃんと筋トレしよ……。
彼女に見つかったら肺を潰されてしまうが、このままでは彼氏としての面子が潰されかねなかった。
まったくもって恥である。
「つうか、なんですか。これ?」
「ん? ファンレターとか差し入れ」
「これ、全部ですか?」
「段ボールがふたつともいっぱいになったから持って帰ってきた」
「今度からひと箱貯まったら持ち帰ってください」
「タクシー代もったいないじゃん」
タクシーで帰ってきたのか。
それなら納得だ。
とはいえ、整理するのも大変だから今度からはこまめに持って帰るようにお願いする。
「てゆーか、れーじくん! モニター確認しなかった!」
ヤベ。
バレたか。
胸中では冷や汗をかきつつも、ちょっとごまかしてみる。
「あなたのインターフォン俺が聞き違えるわけないでしょう」
「インターフォンなんて誰が鳴らしても一緒だろ!?」
「え、自覚ないです? 荷物を抱えたときのあなたの鳴らし方、くっそヘタですよ?」
「ヘタってなに!? インターフォンの鳴らし方にうまいヘタもないと思うけど!?」
「俺も、あなたが押すまではないと思っていました」
「はあああっ!?」
怒りのボルテージを容赦なく上げていく彼女が愛らしくて、俺もどんどん火種を投げていった。
怒るだけでどうしてビジュが強くなるのか、彼女の七不思議のひとつである。
「3回押すのも意味わかんないのに、なんであんな頼りなく鳴らせるのか不思議なくらいです」
「押してない!」
「なら試しに押してみてくださいよ」
「むう」
ぷりぷりかわいくご立腹して彼女は玄関を出ていった。
ピポ、ピンポー、ピンポーン。
「んっっふっっっ」
荷物を持っていないから平時の鳴らし方になるかと思ったら、まさか音に我慢できずに吹き出してしまう。
「あぇええ……?」
「いつ、いつもは……。荷物を抱えてるときだけですから……、あ、安心、してくださっ……ふふ」
恥ずかしくなったのか、彼女はポッポと頬を染めて頭を抱えていた。
「久々に聞けたので、うれしくなりました」
しおしおと項垂れるまんまるな頭を撫でる。
「私はうれしくないっ!」
下を向いたままむくれた彼女の機嫌を取り戻すため、彼女にチュッチュとかまい倒した。
「ねえ!? そんなんで絆されると思わないで!」
「え!? 舌入れてムチュムチュしていいんですか!?」
「……っ!? ダ、ダメッ!!」
俺を押し退けて、彼女はドカドカと風呂場に逃げ込んでしまう。
どうやらやり過ぎてしまったようだ。
彼女の好きな夕食でどうにか機嫌を直してもらおう。
そう決めて、俺はキッチンへと戻るのだった。
『霜降る朝』
さっっっむ!?
けたたましく鳴るアラームで目を覚ましたものの、ベッドから出なくてもわかる寒さに、思わず毛布を深く被った。
「ふぁぶっ?」
なぜか俺の脇の下に潜り込んでいた彼女を巻き込んでしまったらしい。
もごもごと毛布から頭が出でてきた。
まだ眠たいのか、目を閉じたまま彼女はしっくりくる位置を探している。
「あ、ごめんなさい」
「んー……?」
もう一度、俺の脇の下に戻してあげたいが、あいにく俺は起きる時間だ。
不本意ながら彼女の枕を差し込むが、どうやらお気に召さなかったらしい。
眉を寄せながら重たそうに瞼を持ち上げた。
ぼんやりと彷徨っていた視線が俺を捉える。
「……今日、早い日だっけ?」
まだ眠たそうな視線を受け止めながら、うなずいた。
「ええ。始発で行きます」
「そか。気をつけて」
「ありがとうございます。あなたも、出るときは気をつけてくださいね」
小さくうなずいた彼女の頬に軽くキスをしたあと、体を起こす。
意を決してベッドから降りようとすると、彼女が俺の腰にしがみついてきた。
「ちょっと。出たくなくなっちゃうのでやめてください」
「んふー」
寝ぼけているときに限って、特段かわいいことをする。
もう出なければいけないから、目を覚ますまで彼女を待つこともできなかった。
目が開いていないまま、楽しそうに頬を擦り寄せる彼女のまんまるな頭を撫でる。
「仕方のない人ですね?」
寝起きだから控えていたが、彼女が求めるなら応える以外の選択肢はなかった。
互いに冷えた唇を温め合う。
薄い桜色の唇が艶を帯びた頃、2度目のアラームが俺たちを引き裂いた。
後ろ髪を引かれる思いで彼女の唇から離れる。
「……そろそろ出ます」
「ん。いってらっしゃーぃ」
毛布から手を出して力なく振ったその手を握った。
ほかほかと彼女の体温が伝わってくる。
往生際悪くその指先にもキスをして、俺はようやくベッドから出た。
*
すっかり寝坊した朝日はまだ夜の帷に包まれていた。
うっすらとではあるが、草木に霜が降りている。
なるほど。
どおりで寒いわけだ。
出したばかりのマフラーを巻き直して、少しでも空気が肌に触れるのを塞ぐ。
またひとつ、季節がひとつ進んだと感じた。
『心の深呼吸』
彼女が起きてくる少し前に、作業部屋からリビングに移動してエアコンをつける。
作業を進めるためにパソコンを開いてキーボードを静かに叩いた。
家電の最低限の音しかないリビングに、タイピング音は気をつけていてもよく響く。
「……はよ」
「おはようございます」
あ。
昨日、ドライヤー、サボったな?
柔らかな青銀の毛先がボサボサになっている。
前髪なんかは派手に反抗期を迎えていて、直るのかと人ごとながら心配になった。
俺の心配をよそに、彼女は無防備になった額をさらしながら日光を求めてカーテンを開く。
弱々しい光が差し込んだベランダの窓辺に、彼女はペッタンと腰を下ろした。
暖房の風で微動するカーテンの控えめにできた影を、緩慢な手つきで追っては捕まえる。
うつらうつらと頭を揺らしているのに、緩やかながらも影を追う指先は止めなかった。
しまいには四つん這いになって背筋を伸ばし始めるのだから、ネコそのものである。
10分ほどカーテンの影と戯れた彼女は、先ほどまでの緩やかな動作とは打って変わり、軽やかに立ち上がった。
重たく落ちていた長い睫毛はくるんっと上を向き、爽やかな足取りで冷蔵庫から牛乳を取り出す。
キッチン棚から小さな鍋を取り出して、牛乳を注いだ。
ガスコンロに火がついてしばらくすると、クツクツと心地のいい音を立て、牛乳のまろやかで甘い香りが漂う。
「鍋はそのままにしておいてくださいね」
彼女に水仕事をさせないために、念のため釘を打った。
「寝ないの?」
マグカップに注いだ牛乳を飲みながら目配せする。
「朝食の支度が終わったら寝ますよ」
「休みならゆっくり寝てればいいのに」
「心置きなく休むためです」
彼女の肌は極端に弱いわけではない。
だが、毎日のように繊維や水に触れれば人並み程度に乾燥が目につくようになった。
毎日一緒にいるのにそんな状態にしてしまうなど、耐えられるはずがなかった。
「あなたの手……、まして左手の指先が荒れたり切れたらと思うと、おちおち寝てもいられません」
「ハンドクリーム塗ってる」
「雑じゃないですか」
あんな雑な手入れで、よくもまあ青天井にきらめいていられるものだと感心した。
磨いてみたら磨いた以上に輝くからやめられない。
「髪も、爪も、今日は俺がやりますからね?」
「えぇー……」
「ついでに歯もピカピカに磨いて差し上げましょうか?」
「気持ち悪いから、それは絶対に遠慮する」
「人の愛情表現になんでそんなひどいこと言うんですか」
「事実だから」
牛乳を飲みきった彼女は、シンクに鍋とマグカップを置いた。
「とりあえず準備してくるけど、ご飯とか自分でできるから、無理しないで」
ピシャッと言い放って彼女はリビングから出ていってしまう。
無理なんて感じたことはないんだけどな。
それに、自分でやるとは言ってもコンビニで済ませてしまうのだ。
彼女が家を出る時間帯では、彼女の好きな高菜のおにぎりやひじきの惣菜は置いていないことのほうが多い。
普段きちんと摂生している彼女が、好きなものを好きなように食べられないなんてかわいそうだ。
彼女の心の安寧は俺の癒しでもある。
息苦しくならないように、窮屈にならないように、ささやかに環境を整えた。
ロードワークに出るために身支度を整えた彼女はひょこっとリビングに顔を覗かせる。
「いってきます!」
「いってらっしゃい」
ヒラヒラと軽やかに手を振るから、俺もつられて振り返した。
たったそれだけで、彼女はうれしそうに破顔させる。
元気よく小さなポニーテールを揺らして、家を出た。
『時を繋ぐ糸』
仕事終わり、妻である彼女と外食をするため駅で落ち合うことになっていた。
「僕とお茶でもしませんかっ!」
その駅で、デカい口説き文句が駅に響き渡る。
その中心を探ろうと周りの視線がザワザワと蠢く。
俺もそのうちのひとりだったが、すぐにそんな胸中ではいられなくなった。
「げっ」
あー……。
また声かけられてるのか。
遠巻きではあったが、彼女が男性に声をかけられているのが見える。
ふたりの近すぎる距離に、駆け寄らずにはいられなかった。
「この運命的な出会いは百年に一度の恋と言っても過言ではない! 僕たちは赤い糸で結ばれているんだ!」
男性の芝居がかった口調で発せられる、なかなか芳しいワードに身の毛がよだつ。
当の彼女はというと、よそ行きの表情でにこやかに対応していた。
アスリートとして活動する彼女の立場上、どんな相手だろうが無碍な対応はできない。
……だから、待ち合わせはやめようって言ったのに。
夫という立場を差し引いても見過ごせないほど、男性は彼女との距離を詰めていた。
感情にまかせて舌打ちを刻みたい気持ちを必死に堪え、俺は彼女の腰を抱き寄せる。
「お待たせしてすみません」
俺に気がつけば、彼女は猫をかぶったままにこやかに手を振った。
「あ、思ってたより早かったね?」
あえて男性とは目も合わせず、存在そのものをなかったことにして、俺は彼女と会話を進める。
「寒いのに外で待たないでくださいよ」
「今、カフェに入ろうとしてたの」
そう言って彼女が目配せした場所は、カフェではなくコンビニだ。
駅前の小さなコンビニでイートインスペースなどあるはずがない。
「そこ、コンビニですけど?」
「ありゃ。間違えちゃった」
テヘ⭐︎
なんて、ウインクつきでかわいく舌を出してとぼけているが、そんなわけあるか。
堂々と意味のない嘘をつかないでほしい。
だが、人目のあるコンビニは相手を撒くきっかけにはできそうだ。
「時間にまだ余裕ありますし、入りますか?」
「ん? 時間を潰す必要がなくなったから必要ない」
「そうですか。なら、行きますよ」
彼女を連れてその場を立ち去ろうとしたとき、さすがに男性が声をあげる。
「えっ!? 僕たちの恋路の邪魔はしないでくれたまえっ!?」
「……」
……まあ、無理だよな。
彼女が大人の対応をしているというのに、俺が台無しにするわけにはいかなかった。
俺も彼女と同様に、男性に対して努めて冷静に対応をする。
「声をかけるのはけっこうですけど、引き際はきちんと弁えてくれないと困ります」
するりと彼女の左手を取り、薬指に光るプラチナの指輪を見せつける。
「そもそも、既婚者相手に運命の相手もなにもないでしょう」
「きこっ!? えっ!?」
「今年で3年目なんで、さすがに人違いだと思います。では」
「そんな……」
愕然としている男性に会釈をして、踵を返した。
しばらく歩き、男性がつきまといをしていないことを確認する。
「しつこく絡まれていたみたいですが、大丈夫でした?」
「そう?」
先ほどの男性のことなど意にも介していない様子で、彼女は俺を見上げた。
にこやかに対応していたのは社交辞令ではなく本当に余裕があったからなのか、彼女はヘラッと彼女は笑い飛ばす。
「れーじくんほどじゃなくない?」
「え?」
ナンパのしつこさの基準って俺なのか……?
俺が彼女に声をかけていたのは告白のためであって、決してナンパが目的ではない。
「前提がおかしくないですか?」
「そんなことないでしょ」
「ナンパなんてしたことないです」
「しなくても相手から寄ってくるもんね?」
あれ?
なんで俺が殴られてるんだ?
「なんか……、怒ってます?」
「怒ってない」
先ほどの余裕のある態度とは打って変わり、ぶすくれて目も合わせてくれなくなってしまった。
「……外でこういうのヤダから、離して」
「ん?」
彼女の腰に回していた手をトン、と指先で小突かれた。
「ああ。照れてるだけですか」
「照れてない! 恥ずかしいのっ!」
それを一般的に照れてると言うのに。
拗れて食事をする空気になったら俺のメンタルがボロボロになるため、彼女の意向に従って距離を保つ。
あからさまに安堵されて傷つくが、帰宅したらたっぷりと癒してもらうことに決めた。
歩きながら、彼女はふと思い立ったように俺を見上げる。
「そういえば、れーじくんって頻繁に様子がおかしくなるクセに、ああいうことは言わないよね?」
「ああいう、とは?」
「ほら、運命の出会いとか、赤い糸とか」
「言われたいんです?」
「全然」
「ですよね」
彼女はベタなシチュエーションに弱いが、特別(お姫様)扱いをされたいわけではない。
望まないリップサービスなど悪手にしかなり得なかった。
「俺、あなたに対しては運命とか感じたことないですから」
「そうなんだ?」
彼女は意外そうに首を傾げた。
相変わらず、俺への解像度が雑である。
「本当にあなたの運命の相手が俺だったら、あなたの初恋も初彼の相手も俺じゃないとおかしいじゃないですか」
「あー、わかった。うん、めちゃくちゃ納得したからもうなにも言わなくて大丈夫。ありがと」
特大のため息とともに、彼女が止まるように促してきた。
俺が止まれるときは俺が止まろうとしているときだけである。
俺の愛の告白が途中で止まれるはずがなかった。
長い時間かけて紡いできた愛を、そんな曖昧な概念で片づけられるのは不本意である。
「……でも、今世であなたと巡り会えたことは、奇跡だと思っていますよ」
元々俺たちは住む世界が違う。
交わるはずのない線が、高校2年の夏合宿で交差した。
少女だった彼女に一目惚れをしたあの日。
キラキラと宝石のように世界が色鮮やかに輝いた。
あの高揚感は、今でも鮮明に覚えている。
「俺と出会ってくれて、ありがとうございます」
「わかったから、本当に黙って……」
照れくさそうに熱を持った細い薬指にきらめくプラチナの小さな光。
その輝きを手に取り、俺はそっと口を近づけていった。
『落ち葉の道』
眠……。
マスクのせいで眼鏡が曇り、視界を狭くする。
早朝の空気は冷え込み、気がつけばマスクの隙間から出ていく息が白く染まっていた。
気霜(きじも)となって曖昧に形取られたあくびは、弱々しく空を漂ったあと静かに消えていった。
耳朶を刺す容赦のない冷気に、明日はニット帽は出そうと決意する。
コート、インナーダウン、機能性インナーと、季節が進むごとに着用する衣類が増えていった。
そろそろダウンでも出そうか。
まだ少し日の弱い空を見上げた。
少し前までは色鮮やかに染めていた葉が、風に吹かれて枝と別れを告げる。
まだ温度を感じられない光を表や裏に浴び、艶やかな紅色を柔らかく揺らめかせた。
雑踏に紛れた葉は水分を失った乾いた音を誰に聞かれることもなく、地に落ちて色鮮やかな吹き溜まりを作っていく。
気まぐれな風が地を這って、道路の隅に追いやられた落ち葉をかき乱した。
ぼんやりとした薄白い空に、乾いた音を巻き上げる。
葉擦れを起こし、行き交う人に踏み倒され、葉脈すら無残に壊された。
そんな落ち葉で溢れた街路樹を通り抜け、通勤ラッシュ真っただ中の駅の改札口に交通系ICカードを乗せる。
*
帰宅すると、玄関までいい匂いが立ち込めている。
リビングに向かえば、料理嫌いの彼女が珍しくキッチンに立っている姿が見えた。
なにを作っているのか気になって、ワクワクしながらそっとキッチンに近づく。
しかし、その期待はあっさりと打ち砕かれた。
……えぇ……?
クツクツと煮立てていたのは数枚のイチョウの葉だった。
「イチョウの葉って食えるんですか?」
「おわっ!?」
背後から声をかけたせいか、彼女は大きな声をあげて振り返る。
「お、おかえり」
「戻りました。すみません、驚かせるつもりはなかったんですけど」
「ビックリした」
胸を撫で下ろしたあと、彼女は再び菜箸で鍋をゆっくりとかき回した。
「あと、葉っぱは食べないよ?」
「じゃあ、なんで湯がいてるんです?」
「きれいにして手帳に挟もうかなって」
「それなら1枚でよくないですか?」
俺の不用意な発言のせいで、彼女の唇がムッと尖った。
「こっちが手帳でしょ? こっちがスマホ、残りは押し葉にしてパウチするの。だから、あとでパウチ機貸してもらおうかなって」
丁寧に説明を挟んで、イチョウの葉っぱが1枚、1枚、キッチンペーパーの上に並べられていく。
「パウチ機はかまいませんけれども」
「パウチするときれいに保存できるんだって」
「へえ」
季節が移ろげばすぐに手放すクセに、凝ったことをする。
かわいい彼女の工作は、当たり前にどれもかわいい。
最初こそ、俺も彼女が捨てようとするたびに回収していた。
だが、さすがにキリがなくなって泣く泣く入れ替え制度を導入する。
彼女の過去作品は写真にしてポートフォリオとしてまとめていた。
「あ、そうだ。ついでに作り置きなくなってたから、勝手に食材使っちゃった」
「はあっ!?」
その言葉を聞き、俺は急いで冷蔵庫を開けた。
「そういうことは先に言ってください!」
冷凍室には牛肉、豚肉、鶏肉がそれぞれ味噌、醤油、塩、スパイスで下ごしらえされている。
彼女お手製の最強味つけ四天王だ。
野菜を適当にぶち込むだけでメイン料理になるから、俺も重宝させてもらっている。
冷蔵室には大量消費に困っていた、水菜、ズッキーニ、ゴボウ。
それらは各々、一品料理として立派に変身を遂げた。
しかも味噌汁まで作ってくれたとか、最高か!?
俺は冷蔵室に入った味噌汁鍋と水菜のタッパーを取り出した。
「今日は俺、これを食います」
「え。作り置きのつもりだったんだけど」
彼女の作った飯ほどうまいものはない。
同じ食材と調味料を使っているのに、どうしたって俺は男飯感が否めないのだ。
一方で、彼女のほうは上品に味がまとまっていて舌が蕩ける。
これで料理嫌いとかズルすぎる。
洗い物以外でキッチンに立ち入ろうとしないから、彼女の手料理は久しぶりだ。
絶対に食べたい。
「こ、れ、を、食、い、ま、す!」
「圧強っ」
「メインはあなたのコンディションに合わせてあげます」
「ずいぶん高みから来やがるなあ?」
ケラケラと笑いながら彼女はタオルで手を拭いて、コンロの上に置いてあったフライパンを指さした。
「お魚でもいい? フライパンでブリ大根作ってみた。粗熱、取ってたところだった」
「!?」
魚料理も食えるだとっ!?
早めに仕事を片づけてきてよかった……!
最速で俺は両膝をついて、床に額を擦りつけた。
「ありがとうございます!」
「土下座やめれる?」
先ほどのまろやかな雰囲気の彼女はどこに行ってしまったのか。
彼女は心底、面倒くさそうな表情で息をついたのだった。