すゞめ

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『時を繋ぐ糸』

 仕事終わり、妻である彼女と外食をするため駅で落ち合うことになっていた。

「僕とお茶でもしませんかっ!」

 その駅で、デカい口説き文句が駅に響き渡る。
 その中心を探ろうと周りの視線がザワザワと蠢く。
 俺もそのうちのひとりだったが、すぐにそんな胸中ではいられなくなった。

「げっ」

 あー……。
 また声かけられてるのか。

 遠巻きではあったが、彼女が男性に声をかけられているのが見える。
 ふたりの近すぎる距離に、駆け寄らずにはいられなかった。

「この運命的な出会いは百年に一度の恋と言っても過言ではない! 僕たちは赤い糸で結ばれているんだ!」

 男性の芝居がかった口調で発せられる、なかなか芳しいワードに身の毛がよだつ。
 当の彼女はというと、よそ行きの表情でにこやかに対応していた。
 アスリートとして活動する彼女の立場上、どんな相手だろうが無碍な対応はできない。

 ……だから、待ち合わせはやめようって言ったのに。

 夫という立場を差し引いても見過ごせないほど、男性は彼女との距離を詰めていた。
 感情にまかせて舌打ちを刻みたい気持ちを必死に堪え、俺は彼女の腰を抱き寄せる。

「お待たせしてすみません」

 俺に気がつけば、彼女は猫をかぶったままにこやかに手を振った。

「あ、思ってたより早かったね?」

 あえて男性とは目も合わせず、存在そのものをなかったことにして、俺は彼女と会話を進める。

「寒いのに外で待たないでくださいよ」
「今、カフェに入ろうとしてたの」

 そう言って彼女が目配せした場所は、カフェではなくコンビニだ。
 駅前の小さなコンビニでイートインスペースなどあるはずがない。

「そこ、コンビニですけど?」
「ありゃ。間違えちゃった」

 テヘ⭐︎
 なんて、ウインクつきでかわいく舌を出してとぼけているが、そんなわけあるか。
 堂々と意味のない嘘をつかないでほしい。

 だが、人目のあるコンビニは相手を撒くきっかけにはできそうだ。

「時間にまだ余裕ありますし、入りますか?」
「ん? 時間を潰す必要がなくなったから必要ない」
「そうですか。なら、行きますよ」

 彼女を連れてその場を立ち去ろうとしたとき、さすがに男性が声をあげる。

「えっ!? 僕たちの恋路の邪魔はしないでくれたまえっ!?」
「……」

 ……まあ、無理だよな。

 彼女が大人の対応をしているというのに、俺が台無しにするわけにはいかなかった。
 俺も彼女と同様に、男性に対して努めて冷静に対応をする。

「声をかけるのはけっこうですけど、引き際はきちんと弁えてくれないと困ります」

 するりと彼女の左手を取り、薬指に光るプラチナの指輪を見せつける。

「そもそも、既婚者相手に運命の相手もなにもないでしょう」
「きこっ!? えっ!?」
「今年で3年目なんで、さすがに人違いだと思います。では」
「そんな……」

 愕然としている男性に会釈をして、踵を返した。
 しばらく歩き、男性がつきまといをしていないことを確認する。

「しつこく絡まれていたみたいですが、大丈夫でした?」
「そう?」

 先ほどの男性のことなど意にも介していない様子で、彼女は俺を見上げた。
 にこやかに対応していたのは社交辞令ではなく本当に余裕があったからなのか、彼女はヘラッと彼女は笑い飛ばす。

「れーじくんほどじゃなくない?」
「え?」

 ナンパのしつこさの基準って俺なのか……?

 俺が彼女に声をかけていたのは告白のためであって、決してナンパが目的ではない。

「前提がおかしくないですか?」
「そんなことないでしょ」
「ナンパなんてしたことないです」
「しなくても相手から寄ってくるもんね?」

 あれ?
 なんで俺が殴られてるんだ?

「なんか……、怒ってます?」
「怒ってない」

 先ほどの余裕のある態度とは打って変わり、ぶすくれて目も合わせてくれなくなってしまった。

「……外でこういうのヤダから、離して」
「ん?」

 彼女の腰に回していた手をトン、と指先で小突かれた。

「ああ。照れてるだけですか」
「照れてない! 恥ずかしいのっ!」

 それを一般的に照れてると言うのに。

 拗れて食事をする空気になったら俺のメンタルがボロボロになるため、彼女の意向に従って距離を保つ。
 あからさまに安堵されて傷つくが、帰宅したらたっぷりと癒してもらうことに決めた。
 歩きながら、彼女はふと思い立ったように俺を見上げる。

「そういえば、れーじくんって頻繁に様子がおかしくなるクセに、ああいうことは言わないよね?」
「ああいう、とは?」
「ほら、運命の出会いとか、赤い糸とか」
「言われたいんです?」
「全然」
「ですよね」

 彼女はベタなシチュエーションに弱いが、特別(お姫様)扱いをされたいわけではない。
 望まないリップサービスなど悪手にしかなり得なかった。

「俺、あなたに対しては運命とか感じたことないですから」
「そうなんだ?」

 彼女は意外そうに首を傾げた。
 相変わらず、俺への解像度が雑である。

「本当にあなたの運命の相手が俺だったら、あなたの初恋も初彼の相手も俺じゃないとおかしいじゃないですか」
「あー、わかった。うん、めちゃくちゃ納得したからもうなにも言わなくて大丈夫。ありがと」

 特大のため息とともに、彼女が止まるように促してきた。
 俺が止まれるときは俺が止まろうとしているときだけである。
 俺の愛の告白が途中で止まれるはずがなかった。

 長い時間かけて紡いできた愛を、そんな曖昧な概念で片づけられるのは不本意である。

「……でも、今世であなたと巡り会えたことは、奇跡だと思っていますよ」

 元々俺たちは住む世界が違う。
 交わるはずのない線が、高校2年の夏合宿で交差した。
 少女だった彼女に一目惚れをしたあの日。
 キラキラと宝石のように世界が色鮮やかに輝いた。
 あの高揚感は、今でも鮮明に覚えている。

「俺と出会ってくれて、ありがとうございます」
「わかったから、本当に黙って……」

 照れくさそうに熱を持った細い薬指にきらめくプラチナの小さな光。
 その輝きを手に取り、俺はそっと口を近づけていった。

11/27/2025, 12:08:48 AM