めくるめく日々を彼女とともに歩んできた。
それでもなお、彼女と出会った衝動は今でも瞼の裏に焼きついている。
彼女は光そのものだ。
瞬く星々が常闇の空を彩る。
広い闇の中、一筋の光が爪痕を残した。
ひとつの流れ星をきっかけに、ひとつ、またひとつと星々の涙が溢れていく。
空は確かに夜なのに、全てを覆うはずの影は目を見張るほど眩かった。
あるいは、存在のみで汗を浮かび上がらせるほどの圧力。
太陽への謁見を許さず、こうべを垂れて跪いた。
強い光、容赦なく皮膚を焼く熱、全ての色に輪郭をつけ目が眩むほどの圧倒的存在感。
透明でさえ、陽光は七色に染めた。
ときに挑発的に、ときに傲慢に、ときにたおやかに世界を制圧する。
ひれ伏す俺を、太陽は爛々と弄んだ。
流星群を目の当たりにしたときの衝撃。
太陽のような強い存在感。
瞼の裏側でさえ、彼女の姿を求めては恋焦がれた。
*
部屋の中に響くのは主に自分で叩いているパソコンのタイピング音。
エアコンの風音に紛れて、時々、突風が夏の葉擦れを連れてきた。
レースカーテンで遮る光は穏やかで、徹夜続きのこの体に微睡みを差し込む。
甘い誘惑に瞼が落ちかけ、氷が溶けて薄くなったアイスコーヒーをあおった。
グラスについた水滴が俺の手に移ったとき、玄関のチャイムが鳴る。
……なにか、頼んだっけ?
昼時とはいえ、血糖値スパイクを起こしそうなメニューが多く並ぶデリバリーを頼んだ記憶はない。
ネットショップでなにを注文したのか、脳疲労した状態で思い出せるはずもなかった。
しかたなく立ち上がり、モニターを確認する。
画面に映る彼女の姿に声を出した。
「は、え……? はあああっ!?」
モニターの低い解像度でも十分に発揮する、かわいいオーラと顔の良さに眩しくて目眩がする。
しかし彼女と約束した記憶がなかった。
連絡……は、携帯電話はリビングに置きっぱなしだから確認できない。
とりあえず、彼女を暑いなか待たせるわけにもいかないから、急いで玄関のドアを開けた。
卒業論文の作成、ゼミ、インターンシップ、滞りなく大学生活を締めくくるためとはいえ、意外とハードなスケジュールで夏を送っていた。
彼女も夏季は忙しくしているため、寂しさや我慢をさせるということは少ない、と思う。
お互いに予定を共有しつつ、俺が忙しいことは伝えていた。
だからこそ、連絡もなく突然訪問してきた彼女の行動に、驚きを隠せない。
「いきなり来てごめん。これ、差し入れ……の、つもりで」
ビタミンドリンク、使い捨てのホットアイマスク、マッサージボール、目薬、果物、スープ鍋が入った袋を手渡された。
「……迷惑だったら、ごめん」
「いえ、それは全然。むしろありがたいです」
ソワソワと落ち着きのない彼女の態度に、今の自分の格好を自覚した。
襟ぐりのよれた色褪せたTシャツに、毛玉だらけのハーフパンツ。
頭だってボサボサで、寝不足で目元はきっとクマでひどいだろうし、ヒゲも一昨日くらいから剃っていなかった。
「あ、いや!? うわっ!? あのっ、俺のほうこそ、すみませんっ。こんな格好で……っ!」
あなたと会えることを知っていたらもう少し身なりを整えていました!
せめてヒゲくらい剃るくらいはできたと思うので、連絡くらいはほしかったです!
いつもだらしなくしているわけではないから、引かないでください……っ!
言いわけは山のように出てくるが、爽やかに汗を滴らせている彼女を放っておくわけにはいかなかった。
「それより、暑かったでしょう。お茶かなにか出しますから、あがってください」
「いい。また明日、来る。……から、ちゃんと、寝てほしい」
まともに目も合わせてくれなかったくせに、勝手に寝不足だと判定された。
あああああぁぁぁ……っ!?
せめて抱き締め……いや、シャワー適当すぎたから無理っ。
パタン、と静かにドアを閉めて彼女は本当に去ってしまう。
光を残していたはずの玄関は、一気に暗い影に覆われた。
リビングに戻り、彼女の持ってきたスープを温めもせずに啜ってみたら、アホみたいにうまかった。
「うま……」
彼女の優しさか。
徹夜作業による体力の限界か。
どこに触れたかわからない琴線がたわみ、少し泣きたくなる。
彼女は明日も来ると言っていた。
リップサービスか否か。
俺なんかよりずっと忙しくしている彼女の言動は、天候よりも不確かだ。
「ヒゲでも剃るか……」
パソコンを閉じて、彼女のくれた差し入れを整理した。
俺は身だしなみを整え、部屋の掃除を始める。
心地よく期待を抱かせてくれた、彼女の言葉を信じて。
『眩しくて』
A4サイズの用紙を横に、書式は40文字×32行の縦書きに設定し直す。
フォントは明朝体、文字のサイズは10pt。
ファイル形式はテキスト。
データ容量で約1.2MB、字数換算にすると約60万文字。
500枚入りのコピー用紙をほぼ全て使い切った。
2日で書きあげ、1日かけて推敲をした。
最後の4日で穴あけパンチで用紙に穴を開け、補強シールを貼って綴り紐でしっかりと結んだ。
用意していた封筒では厚さが足りなくてコピー用紙が入らないというアクシデントに見舞われる。
しかたなく新たに小さめの段ボールを用意して詰め込んだ。
我ながら見事な大作である。
おかげで彼女と会えなかったこの1週間は、とても有意義に過ごせた。
データでのやり取りが主だった昨今、原稿を印刷して綴るというやり慣れない作業にかなり手間取ってしまう。
次はもっと要領よくやろうとフィードバックした。
達成感と充足感で胸が熱くなる。
いつまでも冷めやらぬ高揚感を抱いたまま、俺は段ボールを片手に、彼女の勤める職場まで足を運んだ。
当然、アポ無しで勤務先に突撃したところで彼女と繋がれるはずもなく。
着信とメッセージアプリで連絡を残すと、彼女から待ち合わせ場所を指定された。
*
彼女が指定した場所は、商業施設内にある屋外庭園。
家族連れやカップルの憩いの場として集まっているなか、ダンボールを持ったデカい男こと俺が、ひとり公園のベンチに腰をかけていた。
控えめに言っていたたまれなさすぎる。
彼女のちょっとした悪意が見え隠れした。
その悪意すらかわいさに置換されてギュンと胸が締めつけられる。
「うわ、本当にいやがる……」
涼やかな声が耳に届いて顔を上げる。
見上げると、芋虫を噛み潰したようなくしゃくしゃな顔をした彼女が立っていた。
相変わらず斬新な照れ方をする彼女に感心してしまう。
「ここで待てと言ったのはあなたですよ?」
「はいはい。そーでした。そんで? 要件は?」
雑にスポーツバックをベンチに置いて、彼女は俺の隣に座る。
無防備になった太ももの上にそっと段ボールを置いた。
「要件はこれです」
「は? 重っ? なんだこれ」
「俺の1週間分の愛です♡」
「愛……?」
彼女は疑わし気に段ボールに視線を移した。
どうせなら開けてほしいのだが、それは適わないらしい。
段ボールと俺を交互に見て、彼女は俺に説明を促した。
「今度、花火大会があるでしょう? 花火大会に参加するにあたり、ぜひ浴衣を着てほしくて。あなたに祭りと浴衣を組み合わせた相乗効果によって俺の心拍の変化と愛が爆上がりする可能性についてまとめた資料です」
「資料とうたうならもっと簡潔にまとめて出直してきて」
「間違えましたラブレターです♡」
「……ふーん」
ラブレターなら受け取ってくれるんだ。
つき合う前は俺の姿を見つけようものなら、両手をポケットに突っ込んで目も合わせず背中を向けて逃げ……恥ずかしがっていたというのに。
彼女の愛もずいぶんと大きく育ってくれたものだ。
「お祭りの日程教えて。予定は、ちょっと合わせられるかわかんないけど……」
しかもキュッ♡ なんて大事そうに段ボールを両手で抱えてくれている。
ドギャアアンッ!!
かわいいが心臓を撃ち抜いてくるとこんな爆音を立てるのか。
爆速で血流が巡り始めるから全身が熱い。
段ボールに落とした視線を俺に移してほしくて、彼女の頸にそっと触れた。
長い睫毛を揺らしながら伏し目がちに視線が動く。
心の準備をする彼女のその仕草は、焦らされているようでゴキュリと下心が強く鳴った。
意を決した彼女が、赤く色づいた顔を上げたとき。
耳の奥で鼓動を激しく響かせながら、静かにその細くて白い頸を引き寄せた。
『熱い鼓動』
卒業論文を早々に片づけた彼女は、残りの大学生活を練習にあてていた。
そこに俺が待ち伏せ……もとい、偶然彼女と鉢合わせて一緒に帰宅する。
がたん、ごとん。
電車は定刻通り、彼女が降りる駅に向かって走る。
夕方という時間帯にもかかわらず、車内は比較的空いていた。
俺たちは横並びに座り、特段会話を弾ませるわけでもなくゆったりと電車に揺られる。
最寄駅のひとつ前の駅名がアナウンスされ、別れを惜しむ心に区切りをつけた。
瞬間、彼女の頭部が肩に触れ、俺は夏の湿度を食む。
あとひと駅。
その安心感から、急に眠気が襲ってきたのだろうか。
伸ばしていたはずの彼女の背筋がたわんだ。
俺の耳にしか届かない小さな寝息。
規則正しく刻まれる呼吸の心地よさに、胸の奥はこそばゆく刺激された。
徐々に電車が速度を落とし始めたから、彼女の名前を呼ぶ。
小さく肩が跳ねた慣性で彼女の右手の甲が俺の太ももに触れた。
「ん……。あ、れ?」
ぼんやりと視線を揺蕩わせる彼女の右手を握ると、駅名を知らせるアナウンスとともに電車が停止する。
「着きましたよ」
「ああ、……うん。ありがと」
まだほうけている彼女の足取りを促して、俺たちは電車を降りた。
*
改札口を振り返った彼女は、しょんもりと肩を落とす。
「ごめん。寝ちゃうつもりは、なかった……」
「いえ。乗り過ごさなくてよかったです」
「そうだけど、だからって、……一緒に降りてこなくてもよかったじゃん」
どのみち俺は彼女の自宅とは方向が逆だ。
改札を出ても出なくても差し支えはない。
「結局、つき合わせちゃった」
「かまいませんよ。暗くなる前に帰りましょう」
「ここまででいいよ。悪いし。それに……余計に名残惜しいというか、寂しくなるというか……」
取り繕うことのない胸の内を、彼女はぽつぽつと吐露していく。
初々しい遠慮は彼女の右手の体温を連れ去ろうとした。
「奇遇ですね。俺も離れがたいと思ってたところなんです」
ひとりになろうとする右手を逃すまいと指に力を入れる。
そして、彼女の戸惑いに揺れた瞳の奥をとらえた。
気持ちが重なっているのに、わざわざ離れる必要なんてないはずだ。
ただでさえ彼女とは物理的に距離が開くことのほうが多い。
「あなたに甘えられると、もっともっと甘やかしたくなるんですよ」
甘えたつもりなんてなかったのだろう。
わずかに頬を染め、きまり悪そうに首を横に振った。
「あれは、……違うの」
その自覚のない行動に、俺がどれだけ自惚れているか、きっと彼女は知らないだろう。
にやけそうになる口元を引き締めて、彼女を見つめた。
「でも、俺が相手だから安心してくれたんでしょう?」
「安心、というか……」
彼女の頭が寄りかかったタイミング。
あの柔らかな温もりを俺から手放さなければいけないと、頭のどこかではわかっていた。
このまま彼女の自宅までついていけば、彼女に無理を強いることになる。
そんなことは、わかりきっていた。
だけど、できなかった。
できるはずがなかった。
繋いでいた彼女の右手の指を絡め、距離も詰める。
たったそれだけで、彼女の視線は落ち着きなく揺れた。
華やかに色づく頬の朱はさっきの比ではない。
ふるふると、なにか言いたそうに唇は震えていた。
何度も何度も、彼女は夏の湿度を食む。
「ただ、す、好きだなって思っただけ……」
夏風に乗った小さな音を、俺はたまらず抱きしめた。
『タイミング』
ある日突然。
なんの前触れもなく、彼女がゲーム機本体とゲームソフトを持ってきた。
どうやら先日観た配管工ブラザーズの映画に感銘を受けたらしい。
持ち込んできたソフトは、そのブラザーズシリーズの内のひとつ、カーアクションゲームだ。
あろうことかというか、よりにもよってというか。
映画の作中にも出てきたレインボーなロードを、ヒロインであるお姫様のキャラクターを使って走り込みたいというのだ。
そのコースは少しゲームをやり込まないと解放できない。
そう端的に伝えると、彼女はとても無邪気な笑顔を俺に向けた。
「わかった。なら外で少し走ってくるから、できるようになったら教えて」
どこぞのお姫様よりお姫様みたいなことを言い放ち、彼女はリビングを出ていってしまう。
俺は爆速でレインボーなコースを開放した。
*
そして現在。
オフラインでプレイしてよかったと、心の底からホッとした。
環状となっているはずのレインボーなステージで、彼女は迷子になっている。
ぴょんぴょんポッピングする小技を使いながら小回りを効かせるくせに、進行方向を見失っていた。
『この虹のスタートラインって、どこだっけ……?』
『花火がきれいっ、でもこれ、いつゴールできるのかな?』
『あっ。仙人さんも一緒に花火見てくれるの?』
プリンセスご乱心。
まさかのコース逆走である。
『やったあっ! 今度はカーブきれいに曲がれたっ、ぎゃああああああっ!』
『うう、いつも助けてくれてありがとう。仙人さん』
プリンセスが障害物にぶつかってコースアウトした。
ちなみに彼女が「仙人さん」と称しているのは雲に乗ったカメである。
配管工ブラザーズには敵として登場することが多いが、このカーアクションゲームでは審判を務めていた。
逆走すればアラートとして登場してくれるのだが、彼女は相棒かなにかと勘違いしている。
そんなハンドル技術のため、いつまで経ってもゴールできない彼女の順位は当たり前だが最下位だ。
『えっ、最、下位……? 私が? ……なにかのバグかな?』
『ふふっ。参加することに意義があるもんねっ!』
『みんなが私に注目している……っ!?』
ムキになるわけでも怒り散らすわけでもなく、ひたむきに明るい発言が逆に痛々しくて聞いていられない、地獄のような空間ができあがる。
ゲームに振り回されている彼女がかわいいからと、ろくに説明もせず静観していた俺は罪悪感で押し潰されそうになった。
しかし、穏やかにプレイしている割には、俺が使っていたキノコのキャラクターに対して当たりが強い。
『なんだこの生意キノコ。コイツお姫様の家来なんじゃなかったのかよ』
『ヒャッハーヒャッハーうるせえな』
『そのキノコ帽子の下はどうせハゲてんだろ。弾け飛んで生き恥晒せ』
あまりにもお口が悪いから、バナナの皮を目の前に置いてやったら見事にスリップしてプリンセスがぶっ飛んだ。
中指を立てながら、物凄い暴言をまくし立てられる。
プリンセスはそんな汚い言葉は使いませんよとキスでお口を塞いでやった。
その後、俺は蹴られた。
傷ついたから別のキャラクターを使ってみたら、今度はそのキャラクターに対する当たりが強くなる。
あれ?
もしかしてキャラクターではなくて俺が嫌われている?
ちょっとカメの甲羅抱えて彼女の周りをうろついたり、小さい彼女もとってもかわいいからカミナリで小さくしてみたり、アイテムボックスの下にバナナの皮並べてみたりはしたけど、それは全部彼女の絶叫がかわいいからである。
全部愛情表現だ。
だから彼女に嫌われているはずがない。
休憩を挟みながら2時間ほど、彼女はレインボーを迷走した。
俺以外の相手がNPCということもあってか、比較的穏やかにゲームを終える。
満足そうにコントローラーを置いた彼女は、爛々とした目を俺に向けた。
「れーじくんゲーム上手だねっ!?」
「…………」
彼女のゲームセンスが壊滅的なだけだなんて、とてもではないが言える雰囲気ではない。
無邪気にはしゃぐ彼女の表情には後光がさしていた。
無法地帯となったあの口で暴言を吐いていたとは思えないほどの、朗らかな笑顔である。
「ありがとうございます」
それはそれとして彼女に褒められるのはうれしいから素直に褒め言葉は受け取っておく。
「でもあんまり意地悪を言われてしまうと、なんだか……開いてはいけない扉が開いてしまいそうなので……程々にしてください」
心臓を押さえながら必死に訴えたら、北極海よりも冷えた瞳で俺を刺して蔑んだ。
「……気持ち悪……」
ああっ♡
そんなあなたも愛しています♡
『虹のはじまりを探して』
今日は都内のショッピングモールまで出向き、彼女の買い物につき合っていた。
ひと通り店を回り終え、目的も果たしたため休憩がてらカフェに入る。
ハイカロリーなドリンクメニューのなか、シンプルにアイスティーを注文した彼女は、ため息をつきながら席に着いた。
「浮かれて散財するクセ、なんとかならないの?」
レモンシロップをひとつ入れて、ストローで緩慢にかき混ぜる。
シロップにより、アイスティーの色が淡く変化していった。
瞬間的に爽やかな酸味が鼻を抜ける。
「なんのことです?」
「いや、コレしかないだろ」
あきれ果てた彼女が指を差したのは、イスに置かれた3つの紙袋。
「Tシャツ買いにきただけなのに……」
「ちゃんと買いました」
都会の喧騒ですり減った心に潤いをもたらす彼女は、まさに癒しと恵みのオアシスだ。
そんな彼女からの貴重なデートのお誘い。
新しいTシャツを何枚か買い、目的はきちんと達成された。
「それだけで済んでないから言ってるの」
こめかみを抑えながら彼女は眉を寄せる。
もの憂げな様子もまた魅力的だ。
今日も彼女の隣りを歩ける1日に感謝して両手を合わせる。
「かわいらしい服を着たあなたは絶対にかわいいです。特にピンクのワンピースを見つけたときはまさに運命的でしたね。次のデートが楽しみです」
Tシャツを選ぶだけでデートを終わらせてしまうのはもったいなかったから、彼女に似合いそうな服を何着か厳選した。
2週間会えなかった俺のためのご褒美である。
「え、待って。あのフレアワンピース、私が着るの?」
大きな目で瞬きを繰り返して首を傾げる。
そんな彼女につられて、俺も首を傾げてしまった。
「ほかに誰が着るんですか。あの服はあなたのために作られた服といっても過言ではありませんでした」
「過言しかねえわ。おたんちん」
キッと眉を吊り上げて俺を嗜めたあと、すぐさまうんうんと頭を抱えた。
「なんでよりにもよってロング丈……。私には絶対似合ってなかったと思うんだけど」
今日の彼女は表情の変化が目まぐるしく、とても充足していて目が離せない。
だからこそ、今の言葉は聞き逃せなかった。
「試着室での惨事をお忘れになられたと?」
「あぁ、……ね」
彼女は疲れた顔をして天井を仰いだ。
「……アレをきちんと惨事だと認識していたことに今ビックリしたところ」
肩の大きく開いた胸元や、くるぶしが見え隠れしたふわふわのワンピースを試着した彼女は可憐で麗らかで、もはやお花畑に舞う妖精さんそのものである。
我を忘れてシャッターを押しまくったせいで、店員にあらぬ誤解を招かれてしまったのだ。
かわいいは正義でもあるが、彼女の場合は罪の割合が大きすぎる。
「そもそもあれは自宅デート用であって俺ひとりであなたのかわいさを鑑賞するためのものなのでなにも問題ありません。しどけない姿から日常に戻る所作をひとつひとつ目の当たりにするのはたまらなくそそるものがあります。似合わないと思って恥じらいながらもいじらしく袖を通すあなたは誰がなんと言おうと絶対にかわいいです。また逆に押し倒した場合はチラッと覗くであろう膝下に胸が高鳴ります。今からとっても楽しみです」
「発言に問題が大有りだったわ。今すぐ返品してこい」
「タグは既に引きちぎられているので無理です」
「…………あぁ、はい。もう。……わかった」
苦渋の決断と言わんばかりの反応は気になるが、彼女はあのピンクのワンピースを着てくれるらしい。
ますます次のデートが待ち遠しくなった。
いっそのこと次と言わず、帰宅しあたとに着てほしい。
「なら。一軒、つき合ってもらいたいお店が、できた……」
急に歯切れが悪くなり、もじもじと、いつの間にか氷のみが残されたグラスをストローでかき回した。
「? もちろん。かまいませんよ?」
わずかに頬を染める彼女の態度に、違和感を覚えながらも席を立つ。
「店も混んできましたし、そろそろ出ましょうか」
「う、うん……」
その後、彼女によって連れてこられた店はド派手なランジェリーショップだった。
彼女が妙に落ち着きをなくしたことに合点がいく。
ワンピースの肩が広く開いているからと、肩紐のない下着を所望したのだ。
心のオアシスである彼女のかわいさやら癒しやら愛やらの供給が溢れて過多となる。
俺のハートは撃ち抜かれるどころか砕け散り、膝から崩れ落ちることになった。
『オアシス』