太陽を直視できないように、彼女もまた遠い存在だった。
強くて、熱くて、眩しくて、追いかけることすらおこがましいほど、強い光と存在感を見せつける唯一無二の存在。
本来であれば表裏一体である影ですら、彼女を前にして消え去った。
どこまでもきらめく彼女は、どこまでも孤高だった。
*
……そんなふうに彼女を神格化した時期もあった。
だが、今は違う。
彼女の隣で、彼女とともに歩んでいくことを決めたのだ。
ひとつ、深呼吸をしてローテーブルの上に置いた雑誌を見つめる。
彼女の特集が組まれたスポーツ誌だ。
表紙に傷がつかないようにテーブルにタオルを敷いて、裏表紙の面を上にする。
彼女は表紙まで飾っていたのだ。
闘争心剥き出しの彼女の顔は最高にかわいい。
おかげで、ただでさえ心許ない視力が書店で潰された。
最高のコンディションで最高のパフォーマンスを発揮するために、できることなら週末に雑誌を開きたかった。
しかし、風呂で席を外しているとはいえ、特集を飾った彼女自身が同じ部屋の中にいる。
読了することはできなくても、せめて話題には出すべきと判断した。
「……よし」
意を決して雑誌をペロッと覗き込んだ、その瞬間。
どぶああああぁぁぁぁぁ!!!!
逆ページから捲ったにもかかわらず、この眩い光の嵐はまさに夏の流星群……!
控えめに光る星々の軌道が可視化できる年に数度とない貴重な時期だ。
紙媒体を通しても、この過剰なまでの光量の暴力は凄まじい。
コートに立つ彼女は静かに相手を見据えながら、夜の世界を掌握する星のように光芒を放つ。
星を追いかけては導となり。
星を追いかけては夢を託し。
星を追いかけては恋い慕う。
世間、いや、世界は彼女に対して様々なことを思い馳せるのだろう。
「おわっ!?」
テーブルに突っ伏してバクバクと暴れる心臓を宥めていたら、風呂から光源が戻ってきた。
「……い、生きてる……?」
正直、言葉を交わす余裕もないが、彼女が気遣ってくれているのに無視なんてしていいはずがない。
虫の息といっても過言ではなかったが、なんとか、会話を進めていった。
「……ギリ、死んでいるかもしれません」
「なにがあったの、って……。ああ……。買ったんだ」
「あなたが……特集に組まれると聞いて、書店で、5冊ほど……」
「買いすぎ」
通販でも予約していて、明日には追加で3冊届くことは黙っていたほうがよさそうだ。
「サインでも書いてあげよっか?」
「……明日も仕事なんで、勘弁してください」
コロコロと楽しそうに声を弾ませているところ申しわけないが、まだ表紙をまともに見ることができていないのだ。
無遠慮に表を向けられてしまったら、それこそ朝まで意識を失いかねない。
「あなたにおかえりなさいのチューができなくなったら、どうしてくれるんですか」
「んー……、さみしい」
は?
いつものツンをかっ飛ばしてデレが耳に突撃してきたため、勢いよく顔を上げた。
いつの間にか俺の隣でしゃがんだ彼女が、うるうるとした唇を尖らせている。
睫毛は上機嫌にくるんと上を向いているのに、瑠璃色の瞳は寂しげに俺を捉えた。
しゃんらららああぁぁぁ!!!!
しまった、なんて思う間もなく顔面に直接光源を浴びる。
こんな至近距離で彼女の顔を見られるのは俺だけだという、幸福感と優越感で頭が真っ白になって弾け飛んだ。
我が人生に一生の悔いなし……!!!!
ダンッ、とテーブルに顔面を強打し、俺はそのまま意識を失った。
翌朝、おかえりなさいのキスができなくて不貞腐れた彼女の機嫌を、俺は必死におはようのキスで宥めることになるのだった。
『星を追いかけて』
帰宅して彼女を自宅に押し込んだあと、すぐにリビングのソファに座らせた。
ぎゅうぎゅうと折りたたんで抱き包める。
「ぐえっ」
なんて苦しそうな声をあげたが、かまっていられる余裕はなかった。
俺は今、猛烈に不貞腐れている。
「ごめんってば」
しょもしょもと謝り倒す彼女の姿に、罪悪感が込み上げてきた。
大人げない態度をとっている自覚もあるが、どうにも感情が追いつかない。
彼女が元カレとバッティングしたのだ。
「本当に、たまたま。……彼女さんがハンカチを落としたから、声をかけただけなの」
「別に疑ってるわけじゃないです」
ふたりきりで密会したわけでもない。
今さら気持ちが揺さぶられることもないからこそ、彼女は俺とつき合ってくれているのだ。
過ぎてしまったことはどうにもならない。
俺と隣にいるであろう明日だって、明後日には過去に変わる。
彼女と一生一緒に今を生きていくことができればいい。
その気持ちに嘘はなかった。
ただ、面白くないものは面白くない。
それだけである。
「とはいえ、それはそれとして嫉妬はしています」
「うん。だから、できるだけお手軽に落ち着いてくれる方法がないか考えてるの」
お手軽って……。
彼女の言葉に遠慮がなくなってきた。
この距離感に彼女が耐えきれなくなる頃合いか。
小さく折りたたんでいた彼女の体を解放してソファに座らせた。
「あ」
「え?」
途端、なにか閃いたらしく、彼女はソファから立ち上がる。
リビングから出ていった直後、大雑把で大胆な音が玄関から響いてきた。
おそらく彼女がカバンの中身を全部ひっくり返したのだろう。
大丈夫か……?
様子を見に行こうと立ち上がりかけたら、彼女がニコニコしながら戻ってきた。
俺の機嫌が戻ることを確信しているのか、胸を張って俺の前で仁王立ちする。
もうその自信がかわいいから、嫉妬なんて一瞬でどうでもよくなった。
「これでどう?」
ででーん。
なんて効果音が似合いそうな勢いで目の前に差し出されたのは、紫のリストバンドだった。
「これは?」
「使い倒しすぎてチクチクになった私のリストバンド」
…………なん、……だと……?
「あなたの血と汗と涙の体液3点セットが染み込んだリストバンドですって!?」
「その言い方は気持ちが悪いからやめてくれる?」
「傷つくから気持ち悪いはやめてください」
「ちょっとは自分の言動振り返れ」
「愛情表現ですが」
イラァ、なんて雰囲気が彼女から漏れ出てくる。
彼女の機嫌を損ねてリストバンドが取り上げられてしまったら最悪だ。
慌てて背筋を正して、両手を差し出す。
特大のため息をつきながら、俺の手のひらにリストバンドを乗せた。
「……ちなみに7回洗濯してクリーニングに出して汗抜きしてもらったから」
「なんてことしてくれやがるんですか」
とはいえ、思いがけない彼女からのプレゼントに胸の奥がじんわりと温かくなる。
「機嫌直った?」
「直しました。今日も元気に生きていけます」
「よかった」
ホッと力を抜いて微笑む彼女を後ろから抱き込んだ。
「これ、改良してキーホルダーにしてもいいですか?」
かわいい彼女が初めて、自ら身につけていた物をくれたのだ。
これは記念に持ち歩きたい。
「別に好きにしたらいいけど、なにそれ? そんなことできんの?」
「ハトメ使えばいけると思います」
「……器用だね?」
「穴開けてはめるだけですよ?」
器用というのは、折り紙で休日にダラダラしてるオッサンみたいなツルを折ってくる彼女みたいな人のことを言うと思うのだが。
彼女の器用の基準がよくわからないな。
「できたら見せて?」
「それは、はい。わかりました」
ウキウキしながら目を輝かせる彼女がかわいいから、なんでもいいか。
眩しくて目が焼けるから、その顔はできれば週末に拝みたかったのだがしかたがない。
この無邪気な笑顔を守るために、俺は今日を生きると誓うのだった。
『今日を生きる』
子どもたちが夏休みに入ったからか、近所の公園は朝から賑やかになった。
水鉄砲で撃ち合いをしたり、シャボン玉を飛ばしては追いかけたり、ブランコから靴を飛ばしたり。
はしゃぐ子どもたちとは対照的に、大人たちは日傘を差しながら照りつける日差しに眉を寄せていた。
ご苦労さまです。
暑いなか子どもたちを見守る大人を労りながら公園を通りすぎる。
一歩足を前に出したとき、コロン、と黄色いシャトルが転がってきた。
「ごめんなさいっ」
顔を上げれば、少し離れたところから声がかかった。
今日は大して強く風も吹いていないのに、こんなところまで飛んでくるのか。
地面に転がった黄色のシャトルを拾った。
黄色のシャトルなんて初めて見る。
昔、彼女の隣にいた相手が俺ではなかったとき。
風の影響を受けやすいからと、真夏の体育館の窓を全て閉めきっていった彼女の姿を思い浮かべた。
彼女も昔は、無邪気に外を駆け回り羽を追いかけていたのだろうか。
「ありがとうございますっ」
「気にしないで」
持ち主が元いた場所に戻れば、再びシャトルは空を舞った。
青空の上を、黄色のシャトルが追いかけるように羽ばたいた。
飛べ。
不器用に空を舞う黄色の羽を見上げた。
*
彼女が帰宅した夜、落ち着いたタイミングで今日の出来事を話してみる。
「黄色のシャトルなんてあるんですね」
「…………どうしたの、急に」
ソファでくつろいでいた彼女が、目を丸々とさせて俺を凝視した。
「いえ、近くの公園でバドミントンをしていた子たちがいたので」
「あぁ……。それなら屋外用、だと思うけど……」
じい、と彼女は訝しむ視線を送った。
「……まさか、遊んだの?」
「はい?」
「バドミントン……」
「はあっ!? そんなわけないでしょうが。通りすがりに見かけただけです」
とんでもない誤解をしてくれたため、しっかり訂正しておく。
相手は小学生くらいの女児、だったと思う。
そんななかに見知らぬ成人男性がいきなり入り込むとか、完全にやばいヤツだ。
普通に通報案件である。
「ただ……昔のあなたも、あんなふうに公園で無邪気にバドミントンしていたのかな、とは思いましたね」
「ずっとクラブチームにいたから外ではまともにやったことない」
「……」
生まれたときから、彼女はシャトルとともに歩んできたことは聞いている。
エリートは最初からずっとエリートだった。
「遊びたいならつき合うけど」
「あなたとスポーツは肺が潰されるのでけっこうです」
過去に運動不足を解消しようと、彼女とジョギングを楽しもうとしたら見事に肺を潰された過去がある。
性差なんてなんの役にも立たなかったし、追い討ちといわんばかりにさらに一周走り込まれて心までへし折られたのだ。
「……ちゃんと加減するよ?」
「それは前提条件でしょうが」
広い体育館に、俺には決して見せない顔で彼女は君臨する。
期待と羨望、重圧と好奇。
全てを背負わされて彼女は飛び回った。
狭い白帯の内側で世界の頂点まで羽ばたく彼女の姿は、誰よりも不自由で美しい。
「俺を壁にしようとしないでください」
「そっちがよそ見するからでしょ」
「はあ?」
とんだ言いがかりに思わず声をあげてしまうと、彼女は携帯電話の画面を俺に向けた。
「今度、光るシャトル買ってあげるから。遊ぶなら私と遊ぼうね?」
「は? なんですか、それ。遊びます」
光り物と可変形は男のロマンである。
すっかり光るシャトルに心奪われた俺は、いとも簡単に彼女の口車に乗せられ、肺を潰されることになるのだった。
『飛べ』
彼女が隣にいるだけで、当たり前の毎日が特別な日になる。
特別な毎日が何度も何度も積み重なった。
幸せ、という言葉だけでは満たされなくなる。
特別、という概念だけでは堪えきれなくなる。
恋人、という関係だけでは我慢できなくなる。
だから、何度も何度もプロポーズをした。
ときに真剣に、ときに冗談めかして、ときにさり気なく。
真剣に受け取ってもらえていたかどうかわからなかった。
いつものようにプロポーズをしていつものように断られる。
いつものようにぷりぷりした彼女から、新たな情報が加えられた。
「結婚するなら25歳がいいんだよね。あとサプライズだけは絶対にしてほしくない」
……彼女の25歳の誕生日に、テーマパークでプロポーズをすると事前に宣言しておけば、彼女は受け入れてくれるのだろうか。
欲深い俺は彼女のその言葉を信じて、少しずつ準備を進め始めた。
*
リビングで寝落ちしてしまった日、彼女の夢を見ていた気がする。
いい夢だったか悪い夢だったか、夢の記憶はすぐに霧散してわからなくなった。
わかることは、起こしてくれた彼女がいつもよりキラキラとまばゆい。
好きだなあ……。
彼女と無性に触れたくなって、寝起きにもかかわらずキスをした。
彼女の吐息が甘やかな湿度を帯び始めたとき、トントンと俺の胸を叩くから名残惜しく距離を取る。
「ねえ。れーじくんと結婚したい」
唇が離れた途端、信じがたい言葉が彼女から飛んでくるから、危うく心臓が止まるところだった。
まだ夢の中にいるのかとすら勘ぐってしまう。
「……人には、サプライズするなとか言ったくせに」
「サプライズじゃないもん。要望だもん」
ああ言えばこう言う……。
唇を尖らせていた彼女だが、大きな瞳は不安で揺れており、顔も真っ赤に染まっていた。
口調こそ普段の通りだが、それこそが彼女の精いっぱいの強がりだとわかり息をのむ。
「れーじくんの指輪のサイズ知らないから箱パカとかできないし、なんでも食べるからお酒以外、れーじくんの好きな食べ物もよくわかんないから、レストランの予約もできなかった。ピアスの穴開けてるクセに透明なヤツしか見たことないから好みのアクセサリーだって知らない……」
屁理屈をこねる彼女にひと言くらい言い返してやろうと思ったのに。
冗談ですませてはいけない雰囲気に、脈打つ鼓動が激しくなるせいで胸の奥が痛くて苦しくて堪らなくて、言葉にならなかった。
「だから、もっと知りたいの……」
着ているシャツをしわくちゃになるまで強く握りしめている小さな拳を見てしまったら、絆されるしかない。
彼女の一世一代の告白を、俺が断るなんてあっていいはずがない。
「……要望多くない?」
それでも先を越されたのとはやはり悔しくて、愛おしくてたまらない彼女の頬を撫でた。
俺の手を甘く受け入れながら、彼女は瑠璃色の瞳を挑発的に光らせる。
「ワガママな私が好きなんでしょ?」
「当然。それはそう」
ワガママに極振りした彼女なんて最高でしかない。
頬を染めて、いつもよりぎこちなく笑みを浮かべて彼女は俺の前に右手を出した。
このときの燦然ときらめいた彼女の笑みを、俺は生涯忘れない。
「だから、私と結婚してほしいです」
差し出した右手は少し震えていた。
不安、緊張、羞恥、ない混ぜになった彼女の気持ちを早く落ち着けたくて、その小さな右手を包み込む。
「当たり前に喜んで♡ 一緒に幸せになろうね♡ ……なんだけどさ、せめて俺に言わせてほしかった」
「ヤダ」
「は? なんでだよ」
「うれしすぎて泣いちゃう」
「別にいいじゃん」
「絶対にイヤ」
どこまでも意地を張る、彼女の小さな体をぎゅうぎゅうと抱きしめた。
今日という最高に特別な日を胸に刻みながら。
『special day』
……外で待ち合わせたのは失敗だった。
容赦なく照りつける太陽は確実に皮膚を焼いている。
先に到着してよかった。
こんな場所で彼女を待たせられるはずがない。
申しわけ程度の木陰に隠れて、ハンドタオルを首に当てた。
「そこのカッコいいお兄さん」
楽しげな声音につられて、揺れる木陰。
木漏れ日が風に乗って、真昼の小さな影を解いた。
「それ、俺に話しかけてます?」
「私がカッコいいって思うのはお兄さんだけなので?」
「恐縮です。ではせっかくですし、どこか涼みに入りましょうか」
「ん」
あれだけ恥ずかしがってたのに、すっかり慣れた様子で俺の手を取る。
近くのカフェにでも入ろうと、小さく揺れる木陰をあとにした。
「女に声かけられたら、誰にでもあんな甘い顔するの?」
カフェに入って席についた途端、彼女が訝しげに眉を寄せた。
少しトゲのある物言いに、俺はすっかり自惚れてしまう。
「俺があなたの気配を見過ごすと思います?」
「え。なにそれ。怖い」
「は? なんてこと言うんですか。怖くないです」
なにか特殊なエフェクトがかかっているのかと思うくらい、彼女の声は特別に響くのだ。
猫撫で声で甘ったるく囁こうと多少声音を変えた程度で、俺が彼女の声を聞き間違えるはずがない。
「あなたのほうこそ。ナンパはされないと言っていましたが、まさかする側だっただなんて聞いていませんけど?」
「するわけないじゃん」
とん、と控えめに彼女が俺のスニーカーのつま先を突く。
不貞腐れた彼女の仕草につい声を漏らしてしまった。
「それよりさ、本当によかったの?」
口振りから、今日の目的についてだろう。
今日は図書館である本を探しにきた。
俺が幼少期に読んだ、タイトルすら思い出せない本。
未読のまま終わらせてしまったから、妙に記憶に引っかかったままでいることを少し前に打ち明けたら、思いのほか彼女が食いついたのだ。
「嬉々として俺の幼少期を暴こうと、散々好奇心を暴走させたのはどこのどなたですか」
「だから反省してるの!」
「今ですか?」
心底驚いて彼女をまじまじと見つめた。
俺の反応に、気まずそうに視線を泳がす。
「今っていうか、答えに近づくにつれて着々と……」
「え、もしかして本当に目星をつけたんですか?」
「青い装丁の本でしょ? とりあえず片っ端からしらみ潰しに電子図書で漁った」
「……」
……さすが乱読家。
本を手にすることにためらいがなくて感心してしまった。
装丁に心踊らされたり、帯のキャッチのセンスに感動したり、あらすじを見て運命を感じるなんて、彼女にはきっとわからない感覚だろう。
不思議と寂しいとは思わなかった。
風に身をまかせて揺らめく木漏れ日のように、ささくれだった心を包み込んでくれる心地よさに身を委ねる。
「見つけた時点で教えてくれたっていいのに」
「内容とかほとんど覚えてないんでしょ? 確信はないし、視覚だけに頼るより実際手に取ったほうがいいのかなって」
「なるほど、確かに一理ありますね」
しかも電子書籍とかいつでも読めてしまう。
確実に徹夜を重ねた合間に見てしまうし、そんな状態で読もうもんなら確実に目が滑って内容なんか入ってこない。
「でもね、大切な思い出っぽいし、そのまま美化したままのほうがいいのかなって……」
「美化って……宙ぶらりんにされるほうがかえって気になりますけど」
「それはそう。だから、ごめんって」
しょんもりと肩を落としながら、彼女はストローでグラスの中身をかき混ぜた。
「いくらなんでも、小さい頃の思い出を無理やり暴いて一緒に出かける口実にするなんて、浅ましすぎたな……って反省したの」
…………は?
「しばらく、一緒に……出かけられてなかったから、……つい……」
「かわいいですね?」
言われてみれば、彼女から出かけようと言われたのは今日が初めてだ。
真っ赤に顔を染めた彼女のヘタクソな誘いに今になって顔がニヤける。
締まりのない顔を隠すために口元を手で覆ったが、そんな俺の様子に気づいた彼女がぷくぷくと頬を膨らませた。
「バカにしてる?」
「まさか。愛を噛み締めています」
「……バカ……」
とん、と再び彼女が俺の靴先を小突く。
瞬間、俺は我慢できずに今度こそ声をあげてしまうのだった。
『揺れる木陰』