……外で待ち合わせたのは失敗だった。
容赦なく照りつける太陽は確実に皮膚を焼いている。
先に到着してよかった。
こんな場所で彼女を待たせられるはずがない。
申しわけ程度の木陰に隠れて、ハンドタオルを首に当てた。
「そこのカッコいいお兄さん」
楽しげな声音につられて、揺れる木陰。
木漏れ日が風に乗って、真昼の小さな影を解いた。
「それ、俺に話しかけてます?」
「私がカッコいいって思うのはお兄さんだけなので?」
「恐縮です。ではせっかくですし、どこか涼みに入りましょうか」
「ん」
あれだけ恥ずかしがってたのに、すっかり慣れた様子で俺の手を取る。
近くのカフェにでも入ろうと、小さく揺れる木陰をあとにした。
「女に声かけられたら、誰にでもあんな甘い顔するの?」
カフェに入って席についた途端、彼女が訝しげに眉を寄せた。
少しトゲのある物言いに、俺はすっかり自惚れてしまう。
「俺があなたの気配を見過ごすと思います?」
「え。なにそれ。怖い」
「は? なんてこと言うんですか。怖くないです」
なにか特殊なエフェクトがかかっているのかと思うくらい、彼女の声は特別に響くのだ。
猫撫で声で甘ったるく囁こうと多少声音を変えた程度で、俺が彼女の声を聞き間違えるはずがない。
「あなたのほうこそ。ナンパはされないと言っていましたが、まさかする側だっただなんて聞いていませんけど?」
「するわけないじゃん」
とん、と控えめに彼女が俺のスニーカーのつま先を突く。
不貞腐れた彼女の仕草につい声を漏らしてしまった。
「それよりさ、本当によかったの?」
口振りから、今日の目的についてだろう。
今日は図書館である本を探しにきた。
俺が幼少期に読んだ、タイトルすら思い出せない本。
未読のまま終わらせてしまったから、妙に記憶に引っかかったままでいることを少し前に打ち明けたら、思いのほか彼女が食いついたのだ。
「嬉々として俺の幼少期を暴こうと、散々好奇心を暴走させたのはどこのどなたですか」
「だから反省してるの!」
「今ですか?」
心底驚いて彼女をまじまじと見つめた。
俺の反応に、気まずそうに視線を泳がす。
「今っていうか、答えに近づくにつれて着々と……」
「え、もしかして本当に目星をつけたんですか?」
「青い装丁の本でしょ? とりあえず片っ端からしらみ潰しに電子図書で漁った」
「……」
……さすが乱読家。
本を手にすることにためらいがなくて感心してしまった。
装丁に心踊らされたり、帯のキャッチのセンスに感動したり、あらすじを見て運命を感じるなんて、彼女にはきっとわからない感覚だろう。
不思議と寂しいとは思わなかった。
風に身をまかせて揺らめく木漏れ日のように、ささくれだった心を包み込んでくれる心地よさに身を委ねる。
「見つけた時点で教えてくれたっていいのに」
「内容とかほとんど覚えてないんでしょ? 確信はないし、視覚だけに頼るより実際手に取ったほうがいいのかなって」
「なるほど、確かに一理ありますね」
しかも電子書籍とかいつでも読めてしまう。
確実に徹夜を重ねた合間に見てしまうし、そんな状態で読もうもんなら確実に目が滑って内容なんか入ってこない。
「でもね、大切な思い出っぽいし、そのまま美化したままのほうがいいのかなって……」
「美化って……宙ぶらりんにされるほうがかえって気になりますけど」
「それはそう。だから、ごめんって」
しょんもりと肩を落としながら、彼女はストローでグラスの中身をかき混ぜた。
「いくらなんでも、小さい頃の思い出を無理やり暴いて一緒に出かける口実にするなんて、浅ましすぎたな……って反省したの」
…………は?
「しばらく、一緒に……出かけられてなかったから、……つい……」
「かわいいですね?」
言われてみれば、彼女から出かけようと言われたのは今日が初めてだ。
真っ赤に顔を染めた彼女のヘタクソな誘いに今になって顔がニヤける。
締まりのない顔を隠すために口元を手で覆ったが、そんな俺の様子に気づいた彼女がぷくぷくと頬を膨らませた。
「バカにしてる?」
「まさか。愛を噛み締めています」
「……バカ……」
とん、と再び彼女が俺の靴先を小突く。
瞬間、俺は我慢できずに今度こそ声をあげてしまうのだった。
『揺れる木陰』
7/18/2025, 3:03:51 AM