『夫婦』2023.11.22
今日はいい夫婦の日らしい。
毎年、既婚者組で集まって、奥さんをねぎらう会をしている。
子どもは少しの時間だけ預けて、夫婦水入らずの会というわけだ。
小さい会場を借りて、美味しいご飯とお酒。そして、俺たちが一発芸のようなものを披露する。
今年は、元高校教師だったやつが歌を作ってくれた。
彼らしい誠実で真っ直ぐな愛の歌。彼にデモと歌詞をもらったとき、こっぱずかしいと思ったものだ。
俺たちだけで歌の練習をして、ピアノ演奏も曲を作ってくれた彼が担当してくれた。
人前で歌をうたうことは初めてではない。家族の前でも歌ったこともたくさんある。だが、あらためてこんな愛の歌をうたうのは、やはり、照れてしまう。
愛している、なんて言葉は使わない。ただ、感謝を伝えるだけのその歌詞が、ジンと染み渡り、歌い終わるころには俺たちは号泣していた。
涙をぬぐいながら、俺たちは奥さんに向けて手紙を送る。それは感謝の気持ちでもあり、熱烈なラブレターでもある。
愛してるぞ。好きだぞ。ずっと一緒にいような。これからもよろしく。
そんな言葉が散りばめられたラブレターを読んで、チュッと頬などにキス。
きゃあきゃあと恥ずかしそうにする奥さんと、同じように恥ずかしがる夫側を見て、それ以外の連中が囃し立てる。
奥さんからも、俺たち以上の熱烈なラブレターをもらってまた照れてしまう。
今日は、いい夫婦の日。
この日だけは、夫婦ではなく、ただの恋人同士に戻ることができるのだ。
『どうすればいいの?』
絹の引き裂くような悲鳴。ワァワァと喚き声が次いで上がった。
何事かと、周囲にいた人たちの視線が集まる。
声を上げたのは、若い男性だった。
まるで、この世の悲劇が一気に訪れたかのように、彼は頭を抱える。ああ、呻きながら髪を掻きむしった。
「どうしたんですか?」
うろたえる彼のことなど気にした風もなく、女性が声をかける。
まさに天の助け、とばかりに彼は彼女の手を握って縋りついた。
「データが消えたんっす! マジどうすればいいの!」
大きな声で彼は叫ぶ。しかし、彼女はそれにすら動じず、彼のパソコンを操作してみた。
彼曰く、これまで入力していた表計算ソフトの数字が消えてしまったらしい。
何もしていないのに、と訴える彼を無視して彼女は焦ることなく、ショートカットキーを押した。
すると、彼が間違えて消してしまったというものが元にもどる。
「やった!」
彼は嬉しさで泣きそうになっている。そして、デスクの引き出しから両手からお菓子を取り出して、彼女に手渡した。
やれやれとばかりに自分のデスクに戻る彼女を見送って、彼はさっそく仕事の続きも戻ろうとしたその時。ボン、と肩を叩かれた。
元気よく振り返った彼の表情がこわばる。そこには、社長がいてとてもいい笑顔を浮かべていた。
「他の仕事している人がいるから、大きな声は出さないでね」
そう言い残して、社長室に引っ込んでいった。
はい、と小さい声で返事をする彼。さすがに周囲からは、同情のため息がもれた。彼のむなしい呟きがこぼれる。
「どうすればいいんすか」
『宝物』2023.11.20
自宅の棚に安置されているお煎餅の缶。高校を卒業したその日に日本一周旅行に行ったときに、買ったものが入っている。
今思うと若さゆえのそれだったし、自分を送り出してくれた両親も、かなり放任してくれたと思う。
久しぶりに缶を開けてみると、各観光地のブックレットと地名の書かれたキーホルダーが入っていた。ついでに、何冊かの御朱印帳もあり、全てのページが埋まっている。
それらを集めることが旅の目的でもあったし、御朱印帳に関しては日付のわかるものがあったほうが想い出としても残ると思ったからだ。
その宝物とも呼べる品々の中に、身に覚えのないノートがあったので開いてみる。それには、日付と場所、そのとき食べたものや感じたことが書かれていて、いわゆるトラベルノートと呼べるものだった。
それを読んでいるだけで、あの頃にタイムスリップしたような錯覚に陥る。
まだ子どもだった自分に、出会った人々は優しくしてくれた。これでなにか美味しい物を、とお小遣いをくれた人もいた。その時にももらったであろう、お金もノートに挟んであった。
ひとつひとつを大切に眺めて、缶の中に収める。
また気が向いたときに鑑賞しようと蓋を閉める。
そこで笑ってしまった。
缶の上にはあて名書きのラベルが貼られていて
『たからもの』
と、実にわかりやすく書かれていた。
『キャンドル』2023.11.19
ロウソク。オシャレな言い方をするとキャンドル。
若い子にはロウソクよりキャンドルのほうが、耳馴染がいいかもしれない。
しかし、そこを変えてしまうと、噺の良さが消えてしまう。新作ならもしかしたらうまいこと工夫をすればウケるかもしれないが、名跡を背負っているてまえ、そういうわけにもいかない。
なかなかどうして、この名前を背負うというのは窮屈なものである。
「このキャンドルの火が消ぇると、お前は死ぬよ」
試しに言い換えてみるが、違和感しかない。何度も唇に載せているから、たった一つの言葉を言い換えるだけでこうも違うのか。
チャラ男だパリピだと言われている自分であるが、古典を重要視している。時間によって、場面を端折ったりすることはあるが、基本的には先代や他の師匠方から教わったままをかけている。
そもそもなぜ、ここまでロウソクとキャンドルで思い悩まないといけないのかというと
『言葉が難しくてわからない。もっとわかりやすい言葉を使ってほしかった』
というような内容の、メッセージをもらったからだ。送り主は今日、自分の高座を聞いてくれた学生さん。学校の授業の一環としてでの落語会だったので、そういう声もあるだろうとは理解していた。
しかし、難しい言葉や耳馴染のない言葉だからこそ、落語というのは光るのである。
なので、ロウソクをキャンドルに変えてほしいと言われても、どうすることもできないのである。
「アジャラカモクレンモモネギマテゲレッツノパ」
パンパン、と柏手を打つ。
まとわりついてくる嫌な気持ちを、そんな呪文で振り払った。
目の前では『キャンドル』の火が今にも消えそうになっている。
『たくさんの想い出』
ここにはたくさんの想い出で溢れている。比喩ではなく、物理的に。
想い出という形のないものに、物理的というのは変な話ではあるが、事実そうなのだから仕方がない。
手元にある小さなノートには、いつなにがあったのかビッチリ記載されている。このノートの何冊目か分からない。
ボクはこのノートをいっぱいにすることが何よりの喜びであったし、あの日まではノートをいっぱいにすることで得られる見返りを楽しみにしていたものだ。
だけど、今となってはそれも意味をなさないものとなった。ノートに書かれた想い出は、文字としてはあるけれどもカタチとしてはそこにない。
ボクのこのノートは、ただの紙の集合体となった。
意味はないけれども、これも想い出のひとつだ。
あの人もあの夫婦あのカップルも、取り壊されようとしている建物を見ている。
この場にいるみんながあの日の出来事を想い出している。
大変な一日だったが、これも想い出の一つになるのだろう。
ボクは手の中にあるノートをぎゅっと胸に抱いた。