『冬になったら』2023.11.17
地元にいたころは冬になったら、雪が降り積もった。積雪何十センチなんてざらで、雪かきしてもおいつかないぐらい。
それが当たり前で、学校の体育がスキーになったりスケートになったりすることもあり、俺の周囲ではウィンタースポーツが特技になるやつもいた。
大人になり、いわゆる「内地」に来てから、あまりに雪が降らないから驚いたものだ。
たまに雪がちらつくことがある。そのたびにテレビだったり街の人たちだったりは大騒ぎだ。
そんなに騒ぐほどのことかと思ったが、こちらの人々からすれば雪は一大イベントに匹敵するのだと、出身地が同じ社長が言っていた。
俺や奥さんはともかく、息子はこちらで生まれたので、毎年冬が来るたびに、雪は降らないのかと心待ちにしている。クリスマスが近づくとそれは熱意を増して、せっかく降りかけた雪が解けそうだ。
そんな息子を見るたびに「たかが雪で何をはしゃぐんだ」と思っていた気持ちは、早く雪が降らないかなという楽しみの気持ちに変わっている。
うんざりしていた雪が息子のおかげで、いいものだと感じるようになったのだ。
気温も下がり本格的に冬になったら、息子の雪の楽しみ方をレクチャーしてやろうと思う。
『はなればなれ』2023.11.16
周りが進路についてあれこれ悩んでいるこの時期。俺はどちらかというと、余裕をかまして見ていた。
余裕はないことはないのだが、それでも他の連中よりは余裕である。
ツルんでいるグループの奴らとの付き合いはめっきり減った。それもそうだ、不良といえど夢を抱いているやつらばかりなので、その準備に追われているのだ。
俺は高校を卒業すると、調理師学校に通うことになっている。将来は両親の経営するレストランに就職するからだ。
一番仲のいいアイツは就職をするらしい。普段から口にしているガムに並々ならぬ情熱を注いでいるアイツは、まったく新しいガムを作るのだと息巻いている。くわえて「三食お菓子」というくらいお菓子も好きなので、製菓会社に行くのだとか。
食品を扱うという意味では似通っている俺たちは、あくまで将来のための研究として、スイーツの食べ放題に進学就職の準備そっちのけで通っている。
目の前に美味そうにケーキを平らげているヤツをみると、高校を卒業するとはなればなれになってしまうことが、嘘のように思える。
就職と進学。まったく違う道を歩むのだから、おいそれと会うこともなくなるだろう。
それはそれで寂しい気もするが、コイツのことだから何かにつけて会おうと言ってくるだろう。素直なコイツが少し羨ましい。
高校を出たらそのまま疎遠になると聞くが、なんとなくコイツとはそうなりたくないと思った。
『子猫』
猫はいいものだ。あの気まぐれなところと、もふもふとした毛並み、ポフポフとした肉球。たまらなく可愛い。
成猫ですら可愛いのに、子猫の可愛さときたら犯罪レベルである。
ころころと転げながら走ってくる様はもちろんだし、甲高い声で鳴いてミルクをねだるのもいい。可愛いとはまさに猫のためにある言葉である。
などということを、うちの最年少の彼が熱弁している。
子猫をたくさん侍らせて、頬を上気させ実に幸せそうだ。
今日は子猫と戯れる、という番組の企画で都内の有名な保護猫カフェに来ている。
そこは子猫ばかりがおり、条件が揃えば子猫を引き取ることができる。
最近忙しい僕たちをねぎらってのことだが、動物が苦手なこちらとしては正直あまり癒されない。
蛇蝎の如く嫌っているわけではない。あのふにゃふにゃとした体を抱っこするのが、潰してしまいそうで怖いのだ。
子猫にビビる僕が面白いのか、他のメンバーが近づけてくる。
あっという間に、僕の膝の上が子猫に占領されてしまった。
ミーミー泣きながら子猫たちが蠢く。果敢な子が体をよじ登ってくる。柔らかいその毛並みと、高い体温、ふにゃふにゃの体。
――可愛い。
一匹が登れば他の子たちも登ってくる。肩や頭の上、背中にまで行こうとする。
たまらない。可愛い。
そんな可愛さにあっさり陥落した僕は、好きな動物ランキングの上位に猫をランクインさせたのだった。
『また会いましょう』2023.11.13
また会いましょうなんて、オレたちからしたらリップサービスみたいなもの。
正直ファンの顔なんていちいち覚えていないし、他の俳優みたいにイベントなんてやらないから、誰がどれでなんてわかるはずもない。
だから、街中で声をかけられても、困ってしまうというわけだ。
何某ですと名乗られることもあるが、本当に誰かわからないので、素直に伺うと高確率で泣かれる。
そんなものだから、塩対応だなんだと言われているが、それは不本意というものだ。
また会いましょうが絶対のものであるだなんて誰が決めたのか。
こんな仕事をしていると、明日のことなんてわからない。引退するかもしれないし、それこそ急死するかもしれない。
また遊ぼうと約束したやつが、なんの予兆もなくポックリ逝ったときのやるせなさ。
オレはそんな確実でない約束が好きではない。
アイツはいいやつだった。二面性の塊みたいなやつで、板の上では道化を演じているが、オフのアイツはそれが嘘みたいに落ち着いている。ネクラと言ってもいいぐらい。たくさん苦労をしてきたのに、それを微塵も感じさせない。
アイツとの共演が楽しかった。遊びに行くのも楽しかった。
また今度、と約束した矢先に急逝。
やっぱり、そんな約束は確実じゃなくて絶対じゃない。
次回があるのかもわからない、また会いましょう。
オレはその言葉が好きではない。
『スリル』2023.11.12
「ワルイコトを教えてあげる」
彼は笑いながらそう言った。甘美なその響きに、ドキドキした。
彼との関係がすでに背徳的で、とてもワルイコトなのに。
これ以上のワルイコトがあるのかと思うと、自然と期待してしまう。
なにを教えてくれるのだろう。お酒はハタチになって彼と出会ったときに教わった。なら次はタバコだろうか。
おれはアイドルだから、タバコはできれば避けたいが、彼が教えてくれるのならいいと思ってしまう。
それとも、賭け事。賭け事と言えば、競馬だろうか。公営ギャンブルだからそこまでワルイとは思わない。
だとしたら、麻雀かもしれない。怖い人が出てくるドラマや映画では、お金を賭けて麻雀をしている。
この歌舞伎町は一本路地に入るとそういう店がごまんとある。そういうところに連れていってくれるのだろうか。
前を歩く彼の後ろをついて行きながら、これから訪れるスリルにドキドキする。
もう時刻はとっくに天辺を超えている。夜の街が一層、派手になる時間帯だ。
少しの期待と少しの不安。その両方を抱えながら、連れていかれたところは、なんということはない。
ラーメン屋だった。
彼は慣れた様子で入っていく。慌てて追いかけて、隣の席に座った。
注文したのは一杯のラーメン。チャーシューの乗ったラーメンだ。
「これって」
「ワルイコト。この時間にラーメンを食べるなんてワルイコトをしてる気持ちにならない?」
悪戯っぽく片目を閉じてみせて彼がラーメンを啜った。
なるほど確かに真夜中のラーメンは背徳的だ。