『愛を注いで』2023.12.13
普段は優しいあの人の、ギラギラとした一面をこうして垣間見ることができるのは役に入っているときだ。
彼はデニーロアプローチを得意としている。メゾット演技法を発展させた技法の一種で、かの有名なハリウッド俳優の名前からきている。
ブロードウェイ時代、彼はそういった技術を師匠から学び、こうして日本に舞い戻ってきた。徹底した役作りは、彼を実力派ミュージカル俳優と言わせるだけの力がある。
今回の役はとにかく『悪い人』である。ドが付くお薬屋さんで、ヤのつく職業の人ともつながりがある。そういう役だ。
もともと少し近寄りがたい雰囲気を持っている人だから、髪を短くしてサングラスをかけてヒゲを伸ばすだけで、さらにそれが強くなる。
休憩になってもすこしトゲトゲしいが、話しかけるとあの人懐っこい笑顔を見せてくれるのだから、その切り替えはすごいと思う。
彼は役に愛を注いでいるのだ。
どんな役であっても手はけっして抜かない。
外見やバックボーンを自分なりに研究して、そのうえで稽古場や板の上でのせてくる。
本当に尊敬するし、今のオレにはとてもできない芸当だ。
それを相談すると、彼は冷静に人には向き不向きがあるのだと言った。
だから無理に真似をする必要はない、とまで言われてしまっては素直に頷くしかない。
いつだって彼は冷静に物事を見ていて、その上でアドバイスをしてくれる。
先輩として役者とはなんたるかと、彼は愛情をもって教えてくれるのだ。
『仲間』2023.12.10
仲間というテーマで曲を作ることになった。なにせ作曲や作詞なんてこのかたやったことない。楽譜を読んだり歌はできても楽器ができないからどうしようもない。
どうしたものかと友人に相談すると、彼がギターを教えてくれることになった。
彼の持つギターを借りて構えてみる。すると彼は、
「いろんな意味で様になりますね」
と笑いながら言った。どういう意味かと言いたくなったがせっかく教えてくれるのだから、黙っておくことにした。
しかしながら、ギターは簡単なものだった。初心者が躓くというFコードもすぐにできるようになったので、友人はすこしつまらなさそうだった。
楽器ができるようになったら、次が曲作りだ。これは友人だけでなく他の人にもアドバイスをもらうようにした。
いろんな人に助けてもらうなかで、自分のなかで歌詞が出来つつある。
それは陳腐でありきたりなものでしかないが、案外、そういうものの方が変に気取ってみるよりはいいのかもしれない。
彼らに教わったアドバイスの書かれたノートを読み返して、少しずつ組み立ていく。
ときおり、進捗はどうだ、困っていることはないか、と彼らは声をかけてくれるので、それらには素直に甘えることにしている。
そして出来上がった曲というのが、バラード系でありつつも助けてくれる仲間に感謝するという前向きなものだ。
ソロパートでは、いろいろ世話を焼いてくれた友人に任せることにした。
彼は迷う間もなく快諾してくれたので、有り難いことである。
仲間とは、困ったときに傍にいて助けてくれるもの。
そういう飾り気のない言葉が、案外、真を衝いているものなのだ。
『手を繋いで』2023.12.09
「息子の手がちょっとでっかくなっててなぁ」
嬉しそうに話す長身の彼は、そのハンサムな顔に笑顔を浮かべている。
「ママが良いっていうときもあんだけど、俺といるときは手を繋いでくれるんだよ。それがまた、なまら可愛いんだわ」
彼はそれをツマミに美味そうに酒を飲む。実に彼らしい。子煩悩で愛妻家。大きな子どもだと揶揄されているが、こと家庭のこととなる頼もしくなる。
「子どもがでっかくなるのは早いなぁ」
エヘエヘとだらしなく見える笑顔も、見ていると微笑ましいきもちになってくる。羨ましいかぎりだ。
「両親に手を繋いでもらったことなんて記憶にないなぁ」
返事が欲しかったわけではない呟き。すると彼は嬉しそうだった顔をくしゃっと悲し気にゆがめて、こちらの手を握ってきた。
「俺が手を繋いでやっからな!」
「あー、はいはい」
彼に限らず他の仲間たちは、こちらの幼少期の事情というやつを知っている。変に気を遣ってこないので楽だが、たまにこうして構い倒してくる。
嬉しくないわけではないが、どういう対応していいか分からないので困ってしまう。
ただ、不快ではない。
不快ではないが、このままだと手を繋がれるどころか、ハグもされかねないので、適当にあしらうことにした。
別に照れているわけではない。断じて。
『逆さま』2023.12.06
逆さまに見た世界のなんと奇妙なことか。見慣れたはずの光景が見慣れないその違和感に、つい笑みがこぼれてしまった。
鉄棒の組まれた板の上。パルクールを使った作品なのだと言われたので、試しにぶら下がってみた。
鉄棒なんて小学校のとき以来だ。ジャングルジムのように組まれたその鉄棒で、前に体を倒した。
途端、世界が反転してさっきまで見ていた景色が違ってみえる。
「わはは」
と笑い声が出てしまい、体を起こす。
鉄棒じゃないよ、とパルクールの講師が苦笑いをして、適当に平謝り。
だって、こんな前回りなり逆上がりなりしてくださいと言っているようなものじゃないか。と素直に口にすれば、他の出演者も頷く。
そういう技があることはある、と講師は言う。
ただ回転するだけでなく、いくつか技を組み込むとかっこよくなるのだと。
そう言われたら、やりたくなってしまうのが男というものである。
心は少年の良い歳をした男たちは、早く教えてくれと急かす。いい子にするから、とまで言い出したものだから、講師はプッと噴き出した。
地上でのアクロバット、鉄棒上でのアクション。
宙を飛んで一回転。その刹那に見る逆さまの世界。
それは普段はなかなかお目にかかることのない、新鮮な世界である。
『眠れないほど』2023.12.05
親子ほど年の離れた男の、普段は一ミリもピクリともしないその表情が、柔らかく微笑を浮かべる様を思い出し、わけもなく胸が高鳴った。
直接、自分となにか関わりがあるわけではない。たまにすれ違って、一言二言、会話をするぐらいの関係である。
それでも彼はこちらを認識しているし、きちんと名前を呼んで大人のように扱ってくれる。どうにもならない隔てを感じさせないほどフランクだ。
気難しいというわけではなく、ただ真面目なだけ。
整髪料で固められた髪も、きっちり着込んでいる制服も、あの人の几帳面さをあらわしている。
でも、二人でいるとそれが乱れる。一本だけ額にかかる枝垂れ毛に、緩められた襟元が、彼の余裕のなさをあらわしてる。
それを思い出すたびに、眠れないほどの激情に駆られる。
見悶えて見悶えて堪らなくなったときに、無理だと分かっていて彼に連絡をする。そのたびに彼は眉間に皺を寄せてたしなめてくるが、最終的に許してくれるのはきっと優しさから。
そのような甘やかしを受けることはとても心地よいし、他の誰もこの一面を知らないのだと優越感に浸ることができる。
僕にとって彼の人は、そういった意味で大切な人だ。