『光と闇の狭間で』2023.12.02
この世のありとあらゆるものに表裏があるように、人間にも表と裏がある。
光の部分と闇の部分だ。
誰にも愛想よく人懐っこく接している友人なんて、その裏の部分はとても繊細だ。不甲斐なさを感じたときに憂鬱になる。
なんでも器用にこなしてたいていのことはなんでもできる友人。でも、裏ではそれに見合った努力をしている。
友人はそういう男である。
目の前で酒を飲みながら、ぐだぐだとくだを巻く友人。あれがダメだった、もう少し出来たはずだ。と友人は呂律の回っていない口で愚痴をこぼす。
酒がそこまで強くない、というのも彼のもう一つの顔だ。
でも、愚痴をこぼしながらも、次はああしたいこうしたいと自分に言いきかえている。
これが彼の中間。そう、光の闇の狭間。
友人は光と闇の切り分けが上手い。落ち込むときはとことん落ち込んで、そのあとはがんばって気分を上げようとする。多少、わざとらしくても、それが彼のやり方なのだ。
これはここだけの話だが、自分は彼の浮上途中の姿が好きだ。
光にも闇にも属さないその狭間が、彼らしくていい。
『距離』2023.12.01
近すぎず遠すぎないこの距離感がいい。
この距離感をなんと形容すればいいか分からないが、オレの先を行くその背中を追うのが好きだ。
十年という年齢の差、板の上に立った経験の差、身長の差、歩幅の差。どれもあの人が先を行って、オレがそのあとを追う。
オレが進んで距離が近くなったと思ったら、あの人はさらに進むからその差は埋まらない。
焦りがないわけじゃない。はやくあの人の隣に立ちたいと思ってしまう。
あの人と同じ景色が見たい。
だから、オレは急ぐ。あの人に追いつくために。でもあの人はその分、先に進む。
縮まらない距離。
だけど、それがいい。
十年という年齢の差、板の上に立った経験の差、身長の差、歩幅の差。このどれもがかけても、オレたちはここまでの距離感を築けなかった。
差があることで得られるものもある。
あの人が与えてくれる言葉の数々。そのどれもがオレが前へ進むための活力になる。
だから、あの人には先に立っていてほしい。
あとから追いかけるから。
『泣かないで』2023.11.30
「泣かないで、プリンセス。お星さまがこぼれてしまうよ」
いまどきホストも言わないような、そんな甘い言葉が聞こえてきた。
仲間の奥さんが、かつて女性を魅了する役者であったことは知っていたし、五歳になる一人娘とお姫様ごっこをしていることは聞いてはいたが、こうして実際に現場を見ると気恥ずかしくなってしまう。
対する彼はいつものことのように、しれっとしていて酒を注いでくれた。
「俺の奥さんは王子様やけんね」
ヘラヘラ笑って彼は焼酎を飲んだ。
「キザなんてもんじゃないですね」
これが男役の本気か、と痛感し注いでもらった酒を飲んだ。
おでこをぶつけて泣いていた「プリンセス」は、カッコイイ「王子様」になぐさめられて、すっかり笑顔になった。彼女が泣き止んだことを確認すると、とたんに「ママ」の顔になり、ぶつけて少し赤くなったおでこを撫でている。
「お姫様ごっこ見てる分には楽しいっちゃけど、王子様みたいなセリフは俺には言えん」
などと彼は照れたように言っているが、舞台上ではその整った顔で観客を魅了している。
「自分が泣いたら、どっちがなぐさめてくれるんでしょうね」
なんとなしにそう呟けば、彼はしばらく考えて、
「そりゃお前、うちのプリンセスに決まっとろうが」
と当たり前のように言った。
『冬のはじまり』2023.11.29
冬がはじまるこの時期は、庭の木に藁巻きをする。それは毎年、俺の仕事だったが、今年は長男が自分もやりたいと言い出した。
妹が産まれてから、ますます「お兄ちゃん」でありたいのだろう。
一緒に住んでいるのだから、みんなで協力しあおう、と口酸っぱく伝えていることを彼なりに理解して、こうして手伝ってくれるのだ。
次男が産まれた頃に比べて大きくなった長男を頼もしく思いながら、彼に手順を説明する。
長男が藁を巻いて、俺が紐で結ぶ。
俺の手元を真剣に見つめているので、ふと思い立ち
「やってみるかい」
と声をかけた。
長男はパッと目を輝かせて力強くうなずく。
彼の手を取って結び方を伝授した。そして、その次には自分でやってみると言ったので、まかせることにした。
大きくなったとはいえ、まだ力の弱い子どもだ。少し緩んでいたので、彼の力でもできるようにアドバイスをする。もちろん、褒めることは忘れない。
俺が藁を巻いて、長男が紐を結ぶ。今はまだぎこちないが、もっとお兄ちゃんになったら、僕に任せてと胸を叩くのだろうか。
それを見ながら、大きくなったなぁなんて感慨にふけって……。
想像しただけで泣きそうになったので、上を向いてごまかした。
冷たくなってきた風が、冬のはじまりを教えてくれる。
『終わらせないで』2023.11.28
終わらせないで、と誰かが叫んでいる。
それが誰かは分からないが、常に自分の傍にいたような気がする。
仕方がなかったと言い訳のように唱えれば、その誰かはまた、終わらせないでと叫んだ。
なので、また仕方がなかったと自分に言い聞かせる。
もらい事故のようなものだったのだ。それは。
たった一つの小さな力だったが、傷口は深くジクジク傷んだ。
終わらせないでと叫んだ誰かは、悲しそうに恨めしそうに睨んでくる。
いまさら、どうすることもできない。
子曰、君子貞而不諒。という言葉があるが、短絡的でない君子になれるほどの余裕は自分にはない。
頑なにその声を聞こえないふりをしていると、誰かはついに諦めたのか声をあげなくなった。
そうなると、急に言いようのない消失感に襲われる。
ごめんと謝ったところで、その誰かは応えてくれないし、気配すら感じることもできない。
後悔先に立たず。
細かなことでなく、大義を信じればよかったと後悔したときには、もう遅かった。