かのこ

Open App
11/27/2023, 2:17:16 PM

『愛情』2023.11.27


 相手に求め続けるものが恋で、与え続けるのが愛なのだと彼は得意げに言った。
 なんの前振りもなくそんなことを言われたものだから、こちらもどう対応していいかわからず、適当な相づちを打つことしかできない。
 そして続けて、
「恋は消えるときに二通りの消え方がある。一つは心が枯れていくこと、もうひとつは……愛に変わったとき」
 どうだ、とばかりにドヤ顔をしたので、ああこれは何かの言葉を引用したんだなとわかり苦笑した。
「怒られんで」
「怒られる? 俺が? 誰に? 心外だなぁ」
 目を丸くして彼はぺらぺらとそう言って、コーヒーを美味そうに飲んだ。
「いい曲だよね」
 と、ついに白状して、軽やかに笑う。気になったので調べてみると、メガネがチャームポイントのシンガーソングライターの曲だった。
 恋とはなんぞや、と血液型をまじえて歌っているコミカルな曲だが、後半はラブバラードとなっている。彼が言った言葉は、そこから引用したものだった。
 なんとなく、オレに愛情表現をしているのは分かった。彼は照れ臭いのか遠巻きになにかの言葉を引用しては、好きだなんだと告げてくる。
 どうせなら、ストレートに好きだと告げてくれたらいいのにと思う。
 でも、そんなこと照れ臭いから言ってやらない。
 ありったけの愛情を与えてくれているのが肌で心で感じるから。
 それだけでいい。

11/26/2023, 1:27:10 PM

『微熱』2023.11.26


 微熱が一番つらいと思う。まだ熱が上がりきってくれたほうがいい。なまじ動けるので、いまいち休息をとるということに罪悪感を抱いてしまう。
 三十七度四度。中途半端である。四捨五入するとまだ三十七度なので、熱はないのと同じだ。
 咳も出ていないし、喉も痛くない。倦怠感もなければ鼻水だって垂れていない。単に熱があるだけ。だから大丈夫だ。
 そんなことを言い訳のように並べると、我らがリーダーは眉間の皺をさらに深くした。
「今日の稽古は休んだほうがいいんじゃないのか」
「動けますよ」
「それでも熱があるだろ。事故になったらどうするんだ」
 今日は殺陣稽古だ。しかも太鼓舞台ということもあり、足場もよろしくない。なので休んだほうがいいと、リーダーは仰せだ。他のみんなも同じ意見なようで、帰るなり見学なりすればいいと口をそろえている。
 四捨五入すると、という言い訳を繰り返しても、ダメだと突っぱねられた。
「無理をしてんいいことないけ、ゆっくり体を休めたほうがいいちゃ」
 こういうとき、だいたい味方になってくれる金髪の彼にも言われてしまったので、殺陣はせずにセリフだけ参加することにした。
 おとなしく解熱剤を飲んで、演出をするリーダーの隣に座る。目の前で殺陣師に動きをつけてもらうみんなを見ながら、ため息をついた。
 中途半端だ。微熱でなければ、よろこんで家に帰ったし病院にも行った。
 三十七度四分。ほとんど誤差の範囲で、少ししたら下がりそうなぐらいの微熱。
 動きたくても動けないそのもどかしさに、熱が上がるような気がした。

11/25/2023, 1:31:16 PM

『太陽の下で』2023.11.25


 普段は夜の世界にいるので、こうして明るいうちに出歩くのは新鮮な気分だ。
 これから向かうのは明るいライトの下。ライブ会場である。
 会場が近くになると、女性客が増えてくる。誰も彼もみな、楽しそうな笑顔を浮かべていて、誰か好きだとか誰がカッコイイだとか話している。
 自分もこれから、その誰かのパフォーマンスを体感するのだというのに、耳はすっかり仕事の耳になっており、職場の嬢たちとの話題を探している。
 自分のようなものがいることが女性たちは珍しいのか、ちらちらとこちらを見ている。誘ってくれた本人は、男性客もいるから大丈夫だと言っていたが、どうみてもカタギでない人間がいれば浮くだろう。
 そういうちょっと抜けているところが愚かではあるが、可愛いところでもある。
 彼は最近、デビューしたばかりのアイドルだ。自分が働いているキャバクラに客としてきていて、どういうわけか「そういう仲」にまでなった。
 今日は彼の所属するアイドルグループのミニライブがある。わざわざチケットも用意してくれたというわけだ。
 正直、彼に招待されなければ、こんなところには来なかった。断るつもりですらいたが、気まぐれが働いてこうしてここにいる。
 そして気まぐれに物販列に並んで、彼の写真を買った。客としてでもそういう相手としてでもない、アイドルとしての笑顔を浮かべた彼がそこにいた。
 ライブでも彼は弾けんばかりの笑顔やクールな表情でファンを魅了していた。
 室内とはいえ、太陽の下での彼は、まばゆく輝いていた。

11/24/2023, 1:40:01 PM

『セーター』2023.11.24


 毎年、この季節になると妻がセーターを編んでくれる。家族の分はもちろん、俺と同じ演劇ユニットのメンバーや、同じ事務所の仲のいいミュージカル俳優の分、そして今年から新たに仲間に加わったアイドルたちの分も編んでいる。
 一着編むだけでも大変なのに、そこまでしなくてもと思うのだが、彼女は特に苦に思っていないそうだ。
 好きだからやっている、と彼女は笑っていう。
 毎年のことなので、うまいこと全員の分のセーターを平行して編んでいるようだ。さらに毛糸の色を共通のものし、ワンポイントで色を変えているのでそれが時短になっているのだ。
 そして、今年は興味を持った息子たちが手伝っている。俺の分を妻に教わりながら、順番こに編んでいるさまに危なく泣きそうになった。
 難しいところは奥さんが、簡単なところは次男が、すこし難しいところは長男がといった具合に。
 編んでいると、あの色を入れたいこの色を入れたいと息子たちが要望を出すので、俺のセーターは他のものを比べると少しだけカラフルだ。
 青に黄色に赤、緑に紫にオレンジなどなど。
 これは外で着るとかなり目立つだろうなという懸念はあるが、この世にあるどのセーターよりも暖かいことだろう。
 なにせ、妻だけでなく子どもたちからの愛情がこもっているのだから。

11/23/2023, 1:44:29 PM

『落ちていく』2023.11.23


 落ちていく、落ちていく、落ちていく。
 足から腰から腕から胸から頭から。
 口、鼻、目。
 ふうっと深く息を吐き出して、目を、閉じた。
 そうすると、意識がふわりと舞い上がって、落ちていく。
 眠りに入るとは、不思議なものだ。
 気が付いたら朝になっていて、その間の自分はどこにいるのだろう。
 全身麻酔は、バツンと電源が落ちるかのように、意識が遠のくという。あいにく、未経験なのでこれは人伝だ。
 抗おうにも抗えないのが、全身麻酔。抗おうと思えば抗えるのが、眠気である。
 意識が落ちるという意味では変わりないのに、なにが違うのだろうか。
 命に関わるか関わらないかの違い?
 寝ているあいだにポックリ、という話も聞くから一概にそうとは言えないかもしれない。
 そんなどうでもいいことを考えて、気が付いたら朝になっていた。
 いつものように、眠りに落ちたらしい。
 最近、流行りの睡眠アプリを導入したので、それを起動してみる。
 いびきか寝言かが一件、録音されていたので、試しに聴いてみた。
 それはこんな音声だった。
『勝手に聴いてんじゃねぇよ』

Next