『手を取り合って』2023.07.14
彼女とは子どもの頃からの幼なじみだ。家族ぐるみの付き合いをしており、その延長で保育園から今に至るまでずっと一緒にいる。
眩いライトに照らされる舞台の袖。おとめ達の頂点に立って初めての舞台である。
緊張と不安ではち切れそうになっていると、彼女が声をかけてきた。
――大丈夫、案外なんとかなる、余裕余裕。
などと呑気な事を言っていた気がする。彼女はどこまでも彼女で、不安と緊張で爆発しそうな私はあまり話が入ってこなかった。
それでも彼女は、いつものように呑気に笑って私の肩を叩く。
言葉では無いその行動に、いつしか緊張と不安はどこかへ行ってしまった。
カーテンコール。組長に紹介されて、慣れない重みに転びそうになりながら、私はゼロ番へ立つ。頂点のみが許されたその場所。
彼女が同じ重みを背負いながら、微笑んでいる。
一瞬、目が合った。
彼女は「大丈夫」と頷く。
促されるまま、頂点についた事の感謝と今後の意気込みを述べる。
お客様はあたたかく拍手を送ってくれた。
「まだ未熟ではございますが、隣におります彼女と手に手を取って、邁進してまいります。みなさま、どうぞよろしくお願いいたします。本日はありがとうございました」
『優越感、劣等感』2023.07.13
後輩であり、仲間であり、親友であり、弟分的存在である彼と一緒にいると優越感。
別に驕っている訳ではない。いや、少しはあるかもしれない。無きにしも非ずというやつだ。
彼は最近話題の人物で、色んな作品に引っ張りだこである。
そんな彼の初舞台を支えたのが俺だし、頼ってきたのも俺だった。
つまり、彼が未熟だった頃を知っている。
彼はああ見えて繊細で気難しいところがあるから、業界の人間の中には煙たがるやつもいる。それは別にどうでも良い。
そんな繊細で気難しい彼の弱い部分を知っているのが「俺」である、という事実がたまらなく心地よく自慢したくなるのだ。
ただ唯一あるとすれば、彼と同じ時間を生きていないこと。
十年の差は大きく、彼が十歳の時は俺は二十歳。大人と子供である。
だから、彼と同い年でかつ同じ高校だという彼の友人に劣等感を抱いてしまう。
これは本人には絶対に言えない秘密の感情だ。
『これまでずっと』2023.07.12
これまでずっと、遠くからその姿を見ていた。尊敬は出来ないが、顔がとにかく好みだったのだ。
たまに話をすると案外、茶目っ気のある人だというのが分かる。面倒見がいいのか悪いのかよく分からないが、そんなところも気に入っていたりする。
初対面は彼が飲み物を買っていたときだ。彼が買おうとしたから、驚かせてやれという気持ちで、横からボタンを押した。
すごい顔をして見てきたがそれが痛快で、彼の表情を崩すことができて、少し嬉しかった。
同じ立場になると、彼は大人げないということがわかり、それも新たな発見であった。
こちらが飲み物を買おうとした時、彼の指がボタンを押した。
いつぞやの仕返しのつもりらしい。ざまあみろ、とでも言いたそうな顔をしていたので、いつものようにヘラヘラとした態度で返すと、彼はまたすごい顔をした。
彼はこちらより背が低い。その差にして十五センチ。わざと屈んでやると、彼は不愉快そうにする。
好みの顔でそんな態度をするものだから、ムワムワとした邪な気持ちが湧き上がって、わざとからかってやる。すると当然、彼は怒る。
そんな態度に、これまでずっと遠いと思っていた彼が近くに感じることが出来て、これまた痛快なのだ。
『1件のLINE』2023.07.11
『久しぶりに食事にでも行かない?』
先輩であり、仲間であり、親友であり、兄貴分的存在の彼からメッセージが届いた。
彼から連絡が来るのは本当に久しぶりである。生存確認はブログやらメディアをチェックしているので、彼が元気にしているのは知っている。しかし、こうしてのメッセージアプリでのやり取りは久しぶりで、食事なんてもっと久しぶりだ。
詳しく話を聞いていくと、早めの夏休みがあり、そこのどこかで食事に行かないか、ということらしい。
慌ててスケジュールを確認すると、本当にたまたま彼の夏休みと自分の休みが被っている日があることに気付いた。
その事を伝えると、彼はどうせなら旅行に行こうと話を持ちかけてきた。
熱海や湯河原、箱根。河口湖あたりでキャンプも楽しいだろう。
『坊ちゃんに任せるよ』
からかう時のおきまりの呼称に、彼がメッセージの向こうで笑っているのが見える。
いつだって、彼はこちらを尊重してくれる。こちらがこうしたいと言えば、いいよと肯定してくれる。
丸投げしているわけではない。自分の意思がないわけではなくて、彼は年上としてこちらを甘やかしているのだ。
だからそれに、つい甘えてしまう。
彼からのありきたりなメッセージ一つで、そんな気持ちになってしまうのが、たまらなく心地が良いのだ。
『目が覚めると』2023.07.10
朝起きてふと心に沸いたのが「今日」だった。
いつものように身支度を整えて、妻と五歳になったばかりの息子に挨拶をし、家族で朝食を囲む。
その後は妻の家事を手伝って、昼から完全にフリーになった。
そして、もろもろの準備をして衛星放送に切り替える。
テレビ画面には演劇が流れている。
その作品は自分が一番よく知っているものだ。
結末はもちろん、稽古期間中になにがあって、自分がどう感じていたのかも。
たまたまその作品が流れているから、あらためて「今日」だと思った。
ここまで色々なことがあった。その色々なことは結果的に良いことになったのだが、どうでもいいことだった。
ぼんやり見ていて、一番好きな場面に差し掛かったので立ち上がる。
そして、テレビを見下ろしながら、ここまでが全て夢であればよかったと思う。
目が覚めると、自分はまだこの作品の稽古中で、明日には初日を迎えるのだ。だから、これは悪い夢なのだと。
悪い夢から覚めるために、自分の名を呼ぶテレビを見下ろしながら、ハッと息を吐いた。
早く悪い夢から覚めたい。