『私の当たり前』2023.07.09
楽屋に入ると弟子や前座見習いが座布団とお茶を用意してくれる。座布団はお気に入りのもの、お茶はやや熱めの濃いめ。
ネタ帳を見ながら、今日の高座で何をかけようか考える。
今日は空もキレイに晴れており、梅雨の時期にしては景気がいい。なんだか気分まで楽しくなってくるようだ。滑稽話がいいもしれない。
他の師匠方も同じ事を考えているようなので、ネタ被りは避けたいところである。
そこに弟子の一人がやってきて、贔屓からの差し入れを持ってきてくれた。それもいつものことだ。こうして差し入れをしてくるのは一人しかいない。
いつもの贔屓が匂い袋をプレゼントしてくれたのである。
ミカンのいい匂いだ。いつだって贔屓はこちらが望むドンピシャのものを入れてくれる。
ミカンといえば、それにピッタリの噺があった。しばらくやっていないが、大丈夫だろう。
弟子にその噺を伝え下がらせると、スマホをチェックする
すると、匂い袋の贔屓からメッセージが届いていた。
その文面に笑ってしまう。
まさに自分がかけるつもりの噺を、図々しくもリクエストをしてきていたのだ。そのつもりで、ミカンの匂いを差し入れてきた。
いつだって贔屓は愛嬌のある図々しさをみせてくる。ときどき、やれやれと思うがその図々しさがないとどこか物足りなさを感じてしまう。
そんな贔屓からの差し入れとメッセージが、すっかり当たり前となってしまっているのだった。
『街の灯り』2023.07.08
街の灯りがなんとやら。そんな歌があったのを思い出す。
自分が生まれる前の歌だが、両親がよく口ずさんでいた。
ここは新宿・歌舞伎町。横浜ではない。
ギラギラとやや下品とも取れるネオンが輝き、水商売の女が媚びを売り、キャッチが客を引き、スネに傷を持つ者たちがウロウロしている。
昔からこの街にいるから見慣れてしまったそれは、残念ながら歌のように「とてもきれいね」とは思えない。
しかし、隣にいる彼はそうは思っていないようで、窓から歌舞伎町の街を興味深そうに眺めている。
「バリ綺麗っちゃ」
訛りをのせて彼はそう呟いた。普段はあまり方言を覗かせないが、ふとした時に出てしまうそれが実に微笑ましい。
地元も都市部に行けば栄えているが、これほどギラギラはしていないらしい。
田舎から、東京に来た時は驚いたという。
「見飽きたよ」
タバコを吸いながらそう言ってやると、彼は「そうですか?」と首を傾げる。
「この部屋から見る景色に勝るものはないですよ」
無邪気に彼は笑った。
街の灯りに照らされた彼は、なるほど確かにとてもきれいだと思った。
『七夕』2023.07.07
成人してからよく行くようになった綺麗なお姉さんのいるクラブは、季節感を大事にしているらしかった。
だから今日もテーブルに着くなり短冊を渡されて、願い事を書くように勧められる。
彼のことをお願いするんでしょう、とすっかり顔なじみになった嬢にからかわれる。軽そうに見えて、実は勘の鋭いところがあるから全てお見通しだ。
最初に指摘されてから、口止めの意味もこめて彼女を指名している。だが彼女はプロ意識が高く、そういった事を言いふらすことはしなかったので、今は「嬢と客」というより「ヒミツを共有する友だち」といった関係だった。
彼との仲をもっと深めたい、のは事実である。しかし、こういった場で私情を出すことを彼は良しと思っていない。
彼と自分とでは立場が違いすぎるのだ。万が一、関係がバレてしまってこっちの立場が悪くなることを、彼は懸念している。それは、そういう仲になった時に言われたことだ。
そんな事を嬢に正直に伝えると彼女は、七夕の時ぐらいいいじゃない、と優しく言った。短冊には名前は書かなくていいから、と彼女にしてはしつこく押してくるので、しぶしぶペンを取った。
なんと書けばいいのやら。
悩みに悩んで書けた頃には、嬢は別のテーブルに呼ばれた。
そして代わりに伝票を持って彼がやってくる。
代金と共に書いた短冊を恐る恐る手渡すと、彼はありがとうございますとにこやかに笑った。
そして、
「お客様のお願いはきっと叶いますよ。この後、必ず」
と囁いて彼は笑顔を深めた。にこやかとは違うその笑顔。
やっぱり渡すんじゃなかった、と後悔した頃には彼は行ってしまった。
必ず、と強調されたからには、そうなるのだろう。
有言実行をするのが彼だから。
短冊は笹の葉に吊るされることなく、胸ポケットにしまわれた。
――一緒に七夕を過ごせますように。
『友だちの思い出』2023.07.06
高校時代につるんでいたヤツがいる。
ガムを噛んでいるのが不良っぽくてかっこいい、とか思っているヤツだった。
実際、俺たちは不良だったし、他校の連中と喧嘩をすることも当たり前だった。
ヤツはいい家庭環境ではなかったけど、家族思いのいいやつだった。
高校を卒業して、俺は実家を継ぐため料理学校に進学。ヤツは特にやりたいこともないらしかったので、適当に就職をしたらしい。
最初のうちはこまめに連絡をとっていたが、互いに忙しくなり疎遠になってしまった。
そんなヤツと今度、同窓会で会う。
俺もヤツも三十路だ。お互いいい大人として再会するのは、成人式の時以来だ。
ヤツはどんな風になっているのだろう。
二十歳なんて高校の延長みたいなもんだから、そんなに変わってはいなかったが、今は三十歳だ。
実家のイタリアンレストランを継いだ俺と、おそらく会社員をしているであろうヤツ。
さすがに、ガムを噛みながら仕事はしていないだろう。髪も高校の時みたいにツンツンさせていないはすだ。
そんな想像を膨らませながら、皆が集まる居酒屋に向かう。
「久しぶり」
果たして、待っていたヤツは高校時代と変わらない人懐っこい笑顔をみせた。
ガムを噛んでいて、髪もツンツンさせていて。
それだけで、一気に高校時代に逆戻りをした気がした。
と同時に、ヤツとの思い出話が楽しみになった。
エピソードはたくさんある。どれから話してやろうか。
『星空』2023.07.05
ギターを慣れた手つきで爪弾く様に普段と違う顔が見えてドキリとした。
キラキラと瞬く星空の下で奏でるバラードは、彼の低い声によく合っていた。
若い頃に戯れで創ったというその曲は、故郷を歌っているようで、離れて久しい自分の故郷を思い出す。
決していい想い出ばかりではなかったけれど、離れて分かることもある。
ひんやりと澄んだ空気も、「自由」を謳歌する人々も、そしてここと同じくどこまでも広がる星空も。どこか懐かしい
この人と出会うまでそれなりにヤンチャをしてきた。
悪い仲間とつるんで、悪いことをしてきた。
でも、この人の仲間と出会い、そして不思議な縁でこの人と出会った。
小言を言いながらも無償の愛を与えてくれるこの人は、まさに星空のような人だ。