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7/20/2024, 1:46:09 AM

黒板を叩くチョークの音、身体をつつむ暖かな陽のひかり。教卓に立つ先生の流れるような言葉たちの海に僕は、ゆらり揺れて、船をこいでいた。
夢と現実の狭間、脳内に映像が流れる。
僕は教卓に立っていた。チョークを黒板に押し付け、なにかを書いている。指に付着したチョークの粉の感触。
およそ20人ほどが各々の席に着席していた。
その全員が僕、僕、僕だった。
違和感はあったけど、教卓の僕は指摘することなく話進める。
机に突っ伏す僕がいれば、真剣にシャーペンを持つ僕もいた。
僕は僕に向かって話す。
それは歴史であり、公式であり、科学であり、文学であった。
やがてチャイムが鳴る。それと同時に全員が椅子から立ち上がった。
教卓の僕には僕しか見えない。
そして起立した僕には僕しか見えない。
視線の先には僕がいる。

7/17/2024, 1:44:11 PM

「過去ってのはいちばん遠いんだぜ」
肩を組んでくる親父はやたらタバコ臭かった。
「そしていちばん近いのは今だ。その次に未来ってとこか」
1滴ものんでいないはずのこの男は酔っぱらっているように見える。それにしても鬱陶しい。
「だからな、ケイ。いちばん遠い過去をどうにかしようとすること、それは素晴らしい気概だ。だがな、それにとらわれちゃあ、いかん」
ぼくに体重をかけ、肩を揺らしてくる。
こっちは勉強中なんですけど。必然的に線がゆがむ。
「未来はこれから決められる。そしてそれは今からどうしていくのかっていうことだぞ。つまり今だ、今」
「だから今、未来のために勉強しているんじゃん」
のしかかってくる親父を押し退ける。それから冷蔵庫から麦茶の入ったペットボトルを取り出した。
「そうか、そりゃあいい。だがな、ケイ。だれかから押し付けられた学びより、自分の心に従うほうがきっといい」
台所から見えた親父のその得意げな顔。
それがぼくにとっての遠い記憶。

7/15/2024, 7:58:49 AM

奇妙な目に対して俺は自由気ままに振る舞う。
どこまでもついてくる目から変わった鳴き声がした。
いや、違った。変ないきものではなく、俺の主人だ。
俺はどこにでもいるただの柴犬、つまり犬なのだ。
指示された通りに動けば、うまいおやつがもらえる。
特に主人が持つヘンテコな目のついた四角の前だと多く与えられるんだ。
だから俺は今日もパフォーマンスをするのだ。

おやつもほしい。だけど、ごはんをたらふく食いたい。
どうすればいいだろう。
「がめついっすね、センパイ」
空から降ってきたその声に、うんざりした。
「おめえだって腹一杯メシ食いたいだろ」
「ふん。まあセンパイほどではないっすけど」
声の主のしっぽと思われる部分が揺れているのがわかる。馬鹿にしてんのか?
「なんかいい方法ねえかなあ」
そこらへんに転がっていたお気に入りのボールを噛む。
「センパイ」
突如として姿を現したコイツに俺はおおげさにビビってしまった。そんな俺をコイツは鼻で笑い、三角形の耳を震わせる。
「確実ではないっすけど。ぼくら手を取り合って協力し合えば、ごはんいっぱい食べられるかもっすよ」

また、奇妙な目が俺らを追いかけまわしている。
俺らは一緒に駆け回り、時にケンカし、おなじ皿のメシと、おなじ布団で寝た。
アイツは自由にニャアニャア鳴き、俺は忠実にパフォーマンスしていく。
たらふく、と言えるほどには増えてはいない。だけど少しずつ増えている気がする。
なにより、気に入らなかったアイツは思ったよりいいヤツだ。
「センパイなにしてんすか。もっとあざとくないとダメっすよ。ってセンパイにはできないっすよね」
「おいこら、おめえ。馬鹿にしやがって」
相変わらず生意気ではあるが。
俊敏すぎるその背中を追う。
いつかたらふく食おうな、相棒。

7/14/2024, 1:08:17 AM

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今流行りのダンス動画。自分史上いちばん良い出来だったと自負するくらいには満足のいくものになった。
「あ、こんな時間。もう行かなきゃ」
今日は友達と遊びに行く予定だった。

マンションのエレベーターに乗って、地上に降り立つ。
刺すような日差しに目を細め、日傘を取り出した。
「わー久しぶり、元気だった?」
「久しぶり!元気、元気。そっちは最近どう」
近況を話しあいながら、私たちは人ごみにのまれていった。
よく冷えたアイスコーヒーとクリームソーダ。私たちのテーブルに並んだふたつのコップは汗をかくように、水滴をつくっている。
「そういえばさ見たよ。ダンス、すごいね」
「えーありがとう。たいしたことないんだけどね」
目の前のクリームソーダに口をつける。甘くておいしい。
服を見に行くために席を立つ。
駅の近くの繁華街には人が集まっていた。
なんだろうと背伸びすると、中心にはひとつの絵画ができていた。
「路上パフォーマンスってやつかな」
色とりどりの線が躍動し、縁取られていく。魔法みたいだった。
私はスマホを取り出す。

息苦しくなるくらいのはやさで、帰路に立つ。
私の動画再生数は1000回もいかない。だけどあの絵画パフォーマンスはもう2万回再生もいっている。そして、くらべものにならないほどのいいね数。
私のダンスはだれかのコピーでしかなくて。
でもあの絵画はきっとオリジナルなのだ。
悔しかった。私はだれかに認めてほしい。だれよりも優れていたい。
だれかの真似をすることでしか得られない優越感なんて、いらない。

7/13/2024, 1:16:36 AM

「これまでずっと言えなかったことがあるんだけど」
シューズが体育館の床を擦る音。
「ん?なになに」
真剣な彼女の横顔をうかがった。
激しくバウンドしたボールはやがてゴールへと吸い込まれる。
いや、と彼女はモゴモゴとしていてはっきりしない。
「気になるんだけど。どうした」
ピーッと試合終了のホイッスルが鳴り響く。
彼女は立ち上がり、「また後で」とコートに入ってしまう。
いやいや、待ってよ。すごい気になるじゃん。
その言葉を飲み込んで、私もコートへ向かう。
彼女と私、ボールを挟んでお互いに向き合った。
モヤモヤした気持ちのまま、彼女を見つめる。
なんでそんなにすました顔しているんだよ、もう。
先生が笛の音とともにボールを真上へ放り投げる。
ハッとしてジャンプしたものの、出遅れて彼女がボールを弾く。
結局、彼女のチームには負けてしまった。
「それで言えなかったことってなに?」
着ていたジャージを腰に巻きながら聞いてみる。
体育座りをした彼女は膝に顔を埋めていた。それから意を決したように、私をまっすぐとらえる。
「実はわたし、お母さんのことママって呼んでるんだよね」
頬を茜色に染めた彼女の瞳の潤みを凝視してしまった。
「なんだよ、そんなことかよお」
「わたしにとっては大事なことなの。恥ずかしい」
丸くなっていく彼女の頭を撫でまわす。
これまでずっと彼女の友達で良かった。これからもずっと友達だよ。
これはまだきっと言わない。

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