ゆっくりと、世界を揺蕩う。
繰り返される日々、
重なり消える誰かの面影。
手を伸ばしても、
声を上げても、
決して届く事はない。
例えばコレが、一瞬の虚像であれば。
例えばコレが、無数の文字に過ぎなければ。
私はきっと、後悔なんてしなかったのに───。
ピコン
小さな電子音に目を覚ます。
賑やかな喧騒が、
電子の海に乗って鼓膜を揺らす。
誰かの作った光が、
たくさんの人の笑顔を照らす。
伸ばした手が、
張り上げた歌声が、
誰かの心に必ず届く。
例えソレが、永遠に続く虚像であっても。
例えソレが、有限の短い文字に過ぎなくても。
私はきっと、後悔なんてすることはない───。
これから──。
ここから───。
物語は始まるのだから───。
叫んで伝えるなんて、ガラじゃない。
そんなプライドに負けて、
君を見送ったあの日。
少し寂しそうな君は、
何を思っていたんだろう───。
20××年五月
海を越えて、ようやく君が帰ってくる。
戻ってきたら何を話そうか…
きっと君は変わらず美人で───。
そんな当たり前の事すら、
考えるだけで落ち着かなくなる。
ロビーは人の声で満ちていた。
再会を喜ぶ、なみだ声。
期待混じりの、笑い声。
それらは遠い波のようで。
耳に届くのは、自分の心臓の音ばかり。
そんな僕の視線の先で、ゲートが開いた。
決して少なくない人の波。
その中にはっきりと、落ち着く色を見つけた。
少し伸びた黒髪。
前より大人びた表情。
落ち着いた和服に身を包むのは───。
「かおり───!」
声が出た。
驚いた君が口に手を当て、
隠しきれない笑顔を浮かべると、
袖を揺らして、飛び込んできた。
華奢な身体、
懐かしい椿の香り。
確かな体温。
本当に、帰ってきたんだ。
夢じゃない。
「会いたかった」
絞り出した声は、
自分でもわかるくらい揺れていた。
「私も」
君の肩も小さく揺れる。
笑っているのか、泣いているのか。
僕にはわからない。
それでも…
「愛してる」
言葉が流れ出た。
「ずっと、ずっと愛してた」
嘘偽りのない言葉。
つまらないプライドが、
ついに抑えることができなくなった、
心の底から溢れた思い。
「僕と、一緒に生きてほしい。」
「……ばか」
涙混じりの声で、君が笑う。
あぁ、そうか───。
「待たせすぎ、なんだから」
僕らの心は、
あの日からずっと
変わらず愛を叫んでいたんだ。
もう、そんな時期だったか───。
鳥が群れを成すのを見て、男は足を止めた。
身に纏うのは、王国支給のプレートメイル。
……その劣化品。
ヘルムは既に無く、肩当ては変形し。
色褪せた紋章は、盾代わりでしかないだろう。
それでも彼がそれを身に纏うのは、なぜか。
彼自身、既に覚えていなかった。
チリン───。
鈴の音。
視線をやれば、鞘の口へくくり付けていた魔除けが、足元に落ちている。
コレもまた、覚えはない。
しかし拾い上げ、結びつける。
妙に鮮やかな極彩色のスカーフは風に揺れ、
霧を纏う十字架が、胸元で輝いている。
つまるところ、彼はそういう奴だった。
どこにも帰属意識を持たずに、
しかし、戦うためにはソレを背負う。
そういう不器用な男だった。
……だから…だろうか。
お前は───。
視線を前に戻した時。
そこに少女が立っていた。
決して裕福とは言えない、
それでも、今を生きている。
そんな花の似合う少女だった。
彼女が持つ花は…確か、そう。
去年この地で、滅んだ村の───。
“ちがう”
少女が首を振る。
何が違うのだろうか、
己は、間に合わなかった。
いままでだって、そういう事が何度もあった。
だから己は───。
“ちがう”
ぽすん、と少女の重さが身体を揺らした。
涙混じりの感情が、男の心にぶつかってきた。
“ありがとう”
拙い言葉。
それは己が、発した言葉だった。
一宿一飯の礼に、残した言葉だった。
その結果、あの村はどうなったか───。
暗い後悔に表情を消す。
そんな己に気づいていないのか、
少女はポーチから、一つの指輪を取り出した。
獣避けの指輪か───?
男には見覚えがあった。
一年前、あの村に立ち寄った時、
通貨と引き換えに手放した物。
森近い村であれば、
高く買うだろうという判断だった。
まさか───。
言葉が詰まった。
少女の背後に目を向ける。
広大な森。
人が住むには向かぬ獣の世界。
しかし、それは。
森の歩き方も知らない、町人の理屈だ。
は、ははは───!
思わず浮かべた笑みと共に、少女を抱きしめる。
儚く小さな身体。
しかし、確かにそこにある。
枯れたはずの涙は、止まることを知らなかった。
カランと氷がグラスを揺らす。
去年のままのカレンダーを今更外して、
あの日仕舞った瓶を傾けて、
味気なさに眉をひそめる。
こんな味だったんだ───。
今更になってそう気づく。
どうしてだろう、
この味に恋して、始めた飲みなのに…
ロクに味すら覚えてなかったらしい。
グラスが揺れる。
机の上に並べたスマホが、
逃げるように動くのを見て、
ため息と共に手を伸ばす。
仕事かな───。
妙な安堵が心を埋める。
疲れて帰れば美味しいはずだ、
忙しければ味も忘れる。
そうしてスマホを手に取って…
あ───。
甘味がじんわり広がった。
それを味わうことすら忘れて、
慌てて羽織に袖を通す。
後に残ったのは、
飲みかけの瓶と暗い部屋。
止まったままのカレンダーは、
奇しくも、今日の日付を示していた。
昨日、茶髪が掃いて捨てるほどいると言ったけれど、訂正しよう。
もしかしたら、希少だったかもしれない───。
見渡す限り、赤、青、白、黄。
魔力の色を強く受け継いだ、カラフルな髪色。
この場所では、
間違いなく僕の茶髪は浮いていた。
はぁ───。
深く、ため息を吐く。
ここはこの学園の植物園。
本来なら、正統な血筋を持たない者は踏み入れられない。貴族の庭園だ。
「あら、怖気付いた?
なら、わたしの物になりなさい?」
僕がそんな場所にいる理由は、この少女。
学園一の天才とも呼ばれる彼女は、
何を期待しているのか、
宝石の様な、金の瞳をキラキラと輝かしている。
スッと拳を上げる。
「まぁ、待ちたまえ。
強いのは君のいい所だが、
短気は間違いなく君の弱点だ。」
そんなことを言いながら、やんわりと拳を掴んだのは銀髪の大魔法師。
貴族の流儀は理解していると。
ひと足先に奥に向かっていた彼は、
この数日で見違えるほど上達した身体強化を駆使して、いつの間にか戻って来ていたらしい。
「今日あなたを呼んだのは───。」
「きゃあああ!?」
言葉は続かなかった。
響く悲鳴、色鮮やかな魔法が浮かぶカラフルな温室。
その中心部に、それは居た。
黒い翼に、角。
爬虫類を思わせる瞳に、裂けた笑み。
間違いない…魔族、いや、悪魔か?
人類の敵は、数多の魔法を前にしながら、
しかし、余裕そうに笑っている。
「姫様!」
それに対峙する剣士が、声を荒げている。
人質か……だとしても理解できない。
アレは人類の敵だ。
人質もろとも撃つのが正道だろうに。
「卑怯な手を…」
隣の銀髪が呟いている。
この数日で理解した、
彼ならきっとあの程度の敵なら葬れる。
しかし、それをしていない───?
あぁ、そうか。
彼らは、手が出せないのか…。
貴族と言う立場、姫と言う象徴。
そして悪魔という飼い慣らせる外敵。
この場での行動するということは、
すなわち、貴族としての発言と同意だ。
彼女がどこの国から来たかは知らないが、
場合によっては、国同士の戦争になる。
ならばこそ…
杖を引き抜く。
そのままグンと腕を引き絞り、
撃ち放つ。
パァン!と風船の割れる様な音。
悪魔の翼膜を突き破り、
温室のガラスに突き刺さった杖に視線が集まった瞬間。
力を込めて走り出す。
魔族の爪が、人質に食い込む。
薄く血が流れ……しかし、ソレが光を放つのを見て笑みを浮かべる。
いい生存本能だ……。
爪がそこで止まる。
薄い即席の魔法障壁。
しかし、ソレで今は十分だった。
僕の拳が悪魔を打ち上げる。
空には無数の魔法陣。
迷いながらも、絶えることのなかった正義の心は、
いま、この瞬間。
しがらみから解き放たれ───。
温室に、カラフルな花火を打ち上げた。