子供のことを、性別の固定概念に当てはめて育ててきたつもりはなかった。けれど、いざ、カミングアウトを受けてみると、大きな衝撃を受けた。
その時私は、受け入れるとか、突き放すとかいうことを前提に考えていた訳ではなく、ただただ単純に驚いていた。
私が生きてきた時代では、なんてことを語り始める時点で時代錯誤だなんだと批判されるのかもしれないけど、実際そういうのが差別されて当たり前だとかいう時代であったものだから、もしかしたら私は知らず知らずのうちに子供を女性という枠に当てはめて育てて、接していたのかもしれないと考えると、心臓がキュッと萎んで冷水に付けられたような感覚を覚えた。
もしかしたら、今日この日、毎年欠かせず祝っていたひな祭りも彼女、いや、彼にとっては自分が持つ違和感をただ単に増幅させるだけの苦痛の行事だったのかもしれないと思うと、自分の愚鈍さと無神経さに苛立って、酷く申し訳ない気持ちになった。
だから、心から私は娘いや、息子に謝った。
あなたの苦しみに気づいてあげられなくてごめんなさい。ずっと一人で辛い思いをさせて、無神経なことを言っていたのならごめんなさい。と。
子供の苦しみに気づけなかったことが、私は一人の子供の親として恥ずかしくて悔しかった。
そして、今日、例年通り行ってきたひな祭りの用意をやめて、準備していたもの全てをしまおうとした、
その時
横から伸びてきた息子の手に、それを拒まれた。
そして、驚くようなことを彼は言った。
「俺、母さんが準備するひな祭りが嫌いだったわけじゃないよ。用意してくれる豪華な料理も雛人形も、全部、俺のためのものでしょ。確かに、これは女の子のための行事なのかもしれないけど、母さんが用意してくれることに苦しく思ったことは一度もないよ。」
そう言う表情に、嘘は少しも見られないかった。
「でも、私、光が苦しんでるのも知らずに、ずっと、ずっと、振舞って、きたのよ。」
それでも、私は息子に懺悔せざるにはいられなかった。
無知は罪で、無意識に人を傷つけた傷口は傷つけた本人は知らずとも、深く、酷く痛むものだ。
私から発せられる声は情けなくも細かく震えて、途切れ途切れだった。
「どんなに謝ろうとも、無駄かもしれない。でも本当にごめんなさい。私は今、謝ることしか出来ないわ。」
「母さん。」
そう呼ばれると同時に、そっと私の肩に彼の手が置かれた。
ゆっくりと顔をあげると、息子は悲しそうに笑っていた。
「お願い、謝らないで。俺こそ、娘でいてあげられなくてごめんね。」
その笑顔は本当に、申し訳なさそうで、悔しげで、悲しい笑顔だった。
そんな笑顔を見て、咄嗟に私の体は動いていた。
今度は、私は謝らなかった。
謝ることよりも、親として今ここですべきことを悟ったからだ。
私は、謝らない代わりに、彼の身体を引き寄せた。
腕の中に入れ込んで、昔とは違う背丈にちょっとした感慨深さも感じながら、ゆっくりと背中を擦る。
彼の背中を擦りながら、そこで気づいた、私は驚いて、自分の行いに恥じて、怒ったけれど、目の前の子に注ぐ愛情は、1ミリも変わっていないことに。
息子が言ってくれたように、毎年準備していたひな祭りも、私なりの息子への愛情だった。
喜んでくれることが嬉しかったから。
宥めるつもりが、私は息子を抱きしめながら泣いていた。
そんな私につられるように、気づけば彼も私の腕の中で静かに泣いていた。
この涙を勘違いはして欲しくない。
そう思って、私は、思いを言葉にすることにした。
「あのね、私、気づけたのよ。光がこうやって伝えてくれることで、私が光をどれだけ大好きで、大事に思ってるのかを。」
「だからね、光。あなたも謝らないでちょうだい。光が光らしく生きることで、誰にも迷惑なんてかからないわ。現に私は迷惑どころが気づきを得たのだし。」
「大事な、勇気もあることを伝えてくれてありがとう。そして、気づかせてくれてありがとう。あなたのことは変わらず愛してるわ。」
これは一言一句、私が息子に伝える思い全てで、それはきっとこれからも変わらないものだ。
子供にかける私の愛情が、揺るがない強いものだと、今目の前で息子は私に教えてくれた。
だから、私は、そのお返しを。
これからの人生で、性別を変えて人生をあゆむ息子に、私は、揺るがぬ愛情をあなた注いでいくことは変わらないのだと、どうか、知っていて欲しかった。
―――不変の愛
お題【ひな祭り】
長く、彼の隣を歩いてきて、その瞬間が来る時はハッキリとわかった。
覚悟とかいう名ばかりのものがなかった訳でもないけど、やっぱりそれは名ばかりと言うだけあって、現実を目の当たりにしてしまっては、そんな覚悟が私に安寧を与えてくれることはなかった。
隣に居続ければ、長年の願いが叶うなんて都合のいいことが起こることはなく、あっさりと彼は私以外の女性を選んで行った。
結局、私が長年持ち続けていた希望は、現実を目の前にしてあっさりと瓦解していくほどに、脆く愚かなものだった。
―――失恋
お題【たった一つの希望】
人間の欲というのはどうしてこうも尽きないものなのか。ほとほと疑問に思う。
五体満足で生まれてきたことを感謝して生きていくべきだとか説教臭いことを言う訳では無いが、自分も含めて人の欲はどうしてここまで貪欲で尽きないものなのかと、度々痛感せざるを得ないことが定期的に起こる。
自分のお隣とかいうものがいない時は、隣人を欲しがって、隣人という名の恋人を得た時には彼らから今まで以上の愛情を得ることを望む。
自分でも驚く程に、わがままで勝手な願いだとは思うが欲望を満たすためにすぐさま積極的な行動を起こす癖みたいな私の衝動的な行動はなかなか治らなくて、今現在も自分を困らせていた。
「なんでだろうねえ。」
もう、返事をすることの無い彼に問いかける。
こんな風な過ちを起こすのは何回目だろうか。
まぁ、数え切れないほどではない回数なのだろうけど、一回でも起こしてしまえば麻痺するように繰り返してしまうようになったから、数えることは辞めてしまった。
自分の潜在的な欲求というのは怖いものだ、四六時中私に構って愛してくれる彼が出来た途端にそれでは満たされぬと言うように、こんな過ちを何度も起こしてしまうのだから。
そんな考えに、でもしょうがないよというような気持ちが言い訳するように湧いてくる。
彼が出来うる限りの愛情を注いでくれるのなら、私はその愛を永遠に閉じ込めるために、彼の全てを手に入れたいと思うのだからしょうがないよと。
でも、自分の中でどんなに言い訳しても世間とか法とか言うのは私のことを決して許してくれないのだろうなと思う。
だから、私はいつも後悔するのだ。
動かぬ身体を処理する手間と自分の起こしてしまった失態の尻拭いが欲望で自分を突き動かしたことの行動と釣り合わないことに不満を抱いて。
そして最初に言ったように思う。
どうしてここまで人の欲望というのは尽きないものなのか、と。
―――狂人
お題【欲望】
自分の住んでる町の名前も知らない頃、俺は大冒険とも言えるような経験をしたことがある。
幼い頃、俺には近所に家族ぐるみで仲の良かった幼馴染がいた。
赤ん坊の頃から常に一緒にいたものだから、どの友達よりも一番仲が良かった。
だからその幼馴染が引越しすると親から聞いた時、俺は幼いながらに絶望した。
小さい頃は連絡手段も分からない。
それなのに幼馴染が引越し、会えなくなるというのだから、永遠の別れのように感じて、俺はその事実がどうしようもなく、寂しく、悲しかった。
引越しの準備期間に入って、親同士が別れの挨拶を終えても俺は幼馴染に会うことはしなかった。
別れの挨拶をしてしまったら本当にもう二度と会えないような気がしていた俺は、そもそも別れの挨拶などしないでおこうと思ったのだ。
幼いながらの見栄っ張りというか、意地というか、そういうのはなんとも面倒臭いもので親に何度後悔するからお別れぐらいしなさいと言われても俺は首を横に振り続け、あいつが引っ越すその日も、別れの挨拶などはしようとせず、逃げるように押し入れの中に引きこもっていた。
そんなふうに別れを嫌がって、結果、最後に手を振って見送ることをしなかった俺は、数日後、案の定酷く後悔した。
いつも通って遊んでいた公園や、二人でしたヒーローごっこをした時に使ったおもちゃを見ると思い出が頭の中でクルクル回って、余計に寂しくなって、せめて別れの挨拶ぐらいしておけば良かったという思いが湧き出たのだ。
暫く思い出しては、後悔して悲しくなってする日々を過ごして俺は、あるひとつの決断をした。
あいつの引っ越した街に会いに行こう!と
それを思い立ったが吉日、俺はなけなしの小遣いから貯めたお金を握りしめて、母親と一緒に出掛ける時に行く最寄り駅へと記憶を頼りに向かった。
どうにか、駅に辿り着いた時、俺は大きな安心感を得た。
あの頃、俺にとって電車はどこにでも連れててってくれる便利な乗り物だったからだ。
だが、そんな大きな安心感は現実を目の前にして直ぐに砕け散った。
幼い俺は、切符の買い方すらも分からなかったのだ。
駅に着いても、切符が買えなければどうしようにもない。どうしようと不安に駆られてキョロキョロと視線を迷わせることばかりしていると、子供一人でいる所を不思議に思ったのか、駅員さんが話しかけに来てくれた。
たどたどしいながらも、俺が切符を買いたいという意志を伝えると、駅員さんは切符売り場へと俺を案内してくれた。
いざ、そこで切符を買おうとした時、俺は駅員さんにどの駅まで行くのか質問された。
でも俺は、答えられなかった。
当たり前だ、自分の住む街の名前もわかっていないのに、彼が引っ越した街なんて覚えられるはずがない。
そして、駅員さんに少し困ったような顔で、住んでいる駅がわからないと会いに行けないことを伝えられた瞬間、ようやく俺は本当に彼が自分の会えないほどの遠くの街へと引っ越して行ってしまったことを実感した。
と同時に、寂しく、大好きな友達を失った悲しい気持ちでいっぱいになって、とうとう俺は泣き出してしまった。
駅員さんが宥めるのも関係なしに、親が迎えに来るまで俺はそれそれは大きな声で延々と泣いていたらしい。
幼い頃の話と言えど恥ずかしいものだ。
しかも、親から聞いたところでは、彼が引っ越したのは隣町だったらしく、駅で行けない距離でもなかったらしい。
今聞けば、近いと思う距離だが、小さく、何も知らない幼心には自分の力で会いに行けなくなってしまった彼の引っ越した街は確かに遠く感じたものだった。
――なんて昔の話をホームルーム中になぜだか思い出した。
なぜこんな事を急に思い出したのかと、不思議に思いながら、担任の話を左から右へと聞きながしていたら、教室の戸がガラリと開けられた。
入ってきたのは見慣れない男子生徒だった。
でも見慣れない顔のはずなのに、不思議と何故かその顔は見知ったもののような気がした。
どうやら、担任が話していたのは転入生の話だったらしく、黒板へ彼の名前が書かれていく。
姓名が、全て書かれて俺は目を見開いた。
なぜなら、そこに書かれた名前はかつて遠い街へと引っ越してもう会えなくなったことを酷く悲しく思い、再会を待ち望んでいた件の幼馴染の名前と、全く一緒のものだったからだ。
―――遠い街
お題【遠くの街へ】
折り重なった紙のページをめくる。
そこにある行儀よく羅列した文字を目で追い続けると、私は知らぬ世界へと手招かれる。
その世界にはいつの日かは、恐竜がいたり、魔女がいたりして、世界が滅亡の危機に立たっていたしている事もあった。
時には、現実的な世界の日もあった。
私はそこで、どこかの誰かの人生を俯瞰しているようでいながら、時に共感し、出てくる登場人物に心を揺り動かされる。
自分が何者でもない人間になる感覚は、心地が良い。
本の中に自分が入り込み、溶けていくように没頭することは現実の世界を忘れるようでもあった。
今日も、飽きずに私はページをめくる。
経験もした事の無い夢のある世界へと入り込むために。
――――物語
お題【現実逃避】