白く血の気の無い腕が、たらりと台から垂れ落ちる。
試しに手を握ってみせても、その手に握り返される事は無い。
白い布で顔まで覆われてしまったその身体は温もりがないままで、触れてみてもソレがあの子だと私は認識することが出来なかった。
人形みたいだ。
顔さえ隠してしまえば人なんて全部同じに見える。
目の前のコレが彼女だと証明するものはひとつもない。
ただ、姿と形がよく似た動かぬモノだと。
あの子はコレとは別にいて、出来のいいレプリカを私は見ているのだと信じたかった。
テトラポットに打ち付ける波が、勢いを殺され飛沫になって飛散する。
昼間の熱を逃がしきれぬコンクリートが、熱帯夜を助長している。
日が落ちてもなお蒸し暑く、纏わり着くような熱気は消えない。
堤防の縁に腰掛け、海を見下ろす。
昼間の陽気な雰囲気など残さず、夜の海はどこまでも深く闇が続くようで、絶望によく似ていた。
生きていた頃のあの子みたいだった。
明るく陽気なあの子がくれる優しさに私はただ溺れるだけだった。
ほんとうは日が沈めば底の見え無くなるような、こんな海のような暗い絶望を、彼女が持っていたことを知っていたのに。
あまりにも私には抱えきれぬものだと、助けを求めぬ彼女に甘えて私はいつも通り生きていた。
甘えはやがて悪夢を産んで、彼女は自ら海へと還ってしまった。
あぁ、馬鹿な私を許して欲しい。
いや、許さなくても構わない。構わないから、あなたに会わせて欲しい。
どうだろう、このまま海に飛び込めば、私もあなたと混ざって跡形もなくなって、海になれるだろうか。
馬鹿な考えばかりが頭を巡る。
遺した手紙通りに、灰になって海に溶けたあなたに私はどうすれば会えるだろう。
あなたにもう一度会うには何処へ行けばいいのだろう。
テトラポットに一際大きな波が打ち付けて、飛沫が私に降り注ぐ。
飛び込む勇気は無いから、
いっその事、波で私を攫って欲しい。
溺れて底まで沈んで溶けてしまえば、あなたに会える気がする。
闇のように深い夜の海へ、私はあなたに会いたいのだと願うことしか出来ない。
―――会いたい
お題【海へ】
思春期になると人は皆、花を咲かせる。
そしてその花は、自分を象徴する花となり、それは咲かせた人にとってひとつの誇れる魅力となる。花は人の一部でそれは私たちと呼応する。
小さな小鉢のようなもので持ち歩く人もいれば、咲かせた花で大きな花冠を作る人もいる。花の魅せ方は人それぞれだ。
花と言うが、それは現実の野に咲く名前の着いた花ではなく、それぞれ名前のつかぬ唯一無二のものを咲かす。
であるが故に、初々しい思春期の真っ只中の人々は自分の花が咲くのはいつかいつかと心待ちにして日々を過ごすようになるのだった。
空っぽになった小さな小鉢が押し入れの奥底から出てきた時、私は不意に昔のことを思い出した。
――思春期には、例にも漏れず私にも花が咲いた。
硝子のように透き通る花弁は、見せた人、 皆を惹き付けた。
私はその花を小鉢に植えて、あまり人目につかぬように大切に持ち歩いていた。
けれど、ある日、クラスの中で何の話からか花を見せ合う話になって、半強制的に、クラスメイトたちはそれぞれ自分が咲かせたばかりの花を見せ合うことになった。そしてそれに準じて、私も、あまり人目につかずに大切にしてきた花をクラスの人達に見せることになった。
隠していたつもりではなかったが、あけっぴろげに持ち歩くのもなんだか恥ずかしくて人の目に晒すのはその日が初めてだった。
各々が花を見せあって言って、私の番になった。
小鉢にふわりと被せてあった布をはずしてみると、ちょうど陽の光が花にあたり、光を乱反射させて煌々と花が輝いた。自分で言うのもなんだが、その様は酷く美しいものだったように思う。
クラスメイトみんなが私の花に惹き付けられ、そのうちの一人が花弁に触れようと手を伸ばした。その瞬間、花弁は硝子が割れるように砕け散り、破片は手を伸ばした人間に傷をつけた。
夢を見るようにして惚けていた私たちは途端に現実に引き戻され、教室はざわめいた。
「花を見せたくなかったのなら、最初から言えばいいじゃない!!」
怪我をした女の子を庇うようにその子の友達は私に抗議した。
しかし、そう言われても私だって、こんなことは初めてで、花がこんなことになったことは無かった。それに花が私の一部だと言っても私は花を自在に操ることは出来なかったし、ただただ大切にしていただけだった。
でも、私はその場では何も言い返すことは出来ず、ただただ怪我をさせてしまった罪悪感から切り傷を負った彼女に何度も謝ることしか出来なかった。
その出来事から私は、花を咲かすことはできなくなってしまった。
もう、20にもなるが、ここ数年、一度咲いた私の花がもう一度芽吹く様子はなかった。
忘れようとしてたことを思い出した反動か、なんだか寂しい気持ちになって空になった小鉢に思いつきでもう一度土を入れることを私は思い立った。
今度は種を入れて野に咲く花の種を埋めようと変なことを考えたのだ。
そして週末、私は小鉢に埋めた種が少しでも早く芽吹くように願って公園の陽の当たるベンチで小鉢を膝の上に乗せて日向ぼっこをしていた。
「お隣、いいかい」
柔らかな声の顔を上げるとそこには声の雰囲気と変わらぬ優しい笑顔を浮かべたおばあさんが立っていた。彼女の耳には淡い色のしなやかな花弁を揃えた可愛らしい花が挟まれている。
「どうぞどうぞ、」
断る理由もなかったので相席を快く引き受けると彼女の目線は私の膝上の小鉢へと移った。
「あ、これ気になりますよね。この歳になっても空の小鉢なんて。」
別に聞かれた訳でもないのにいつの間にか私の口はペラペラと話を始めていた。
「そうねぇ、言われてみればねぇ。生え変わりの時期かい?」
「いや、私、咲かせられなくなっちゃったんですよね。自分の花。」
人を傷つけてしまったあの日から、私の花は咲かなくなってしまったのだと、私は何も聞いていないはずのおばあさんに、洗いざらい話してしまった。通りすがりの縁で出会った彼女には触れにくいような話題であるはずなのに。
全て話し終えた頃に、私は正気を取り戻し、途端に恥ずかしくなった。身のうち話を、打ち明けるにはそぐわない相手だと気づいたからだ。
「あぁ、ごめんなさい。私ったらおしゃべりで。」
「いいのよ。にしてもあなた、花を咲かせられないなんて言うけれど、あなたはきっと人を傷つけたかったんじゃなくって、自分を守りたかったんじゃない?」
「え?」
思わぬ返事に私は思わず驚いた。
「だって、誰だって大切なものに迂闊に手を伸ばされちゃあ守りたくなるものじゃない。それと同じよ。それにあなたが見せたくて見せたんじゃなかったら尚更。」
確かに、手を伸ばされた時私は咄嗟に嫌に感じたような気がする。私は今まで思い出せなかったあの時の感情が、おばあさんの言葉で蘇るような心地がした。
「そう、なんですかね。」
「そうよ、きっとトラウマが蓋になってるだけで、あなたはまだ花を咲かせられると思うわよ。現に今も、なんだか不思議な芽が出ている訳だし。」
おばあさんの目線を追うように、小鉢に目を移すと確かにそこにはさっきまでなかったはずの、小さな芽がいつの間にか芽吹いている。
「あれ、いつの間に、、」
「ほらね?少し話をしただけでここまで芽吹かせるなんて大した物ねぇあなた。」
物事を解決してくれたのはおばあさんでしかないと言うのに、当の本人は自分は関係ないよというようにいたずらっ子のように笑っていた。
「この調子なら、今日の夜には咲きそうね。あなたの花。満開になったら気が向いたらでいいから、見せて欲しいわ。」
「咲かせてくれた方に見せないなんて、失礼なことできません。ありがとうございます、あなたのおかげでまた、咲かせそうです。」
何処までも優しい彼女に私は心から感謝を述べた。最後までおばあさんは私だけの力だと言い張っていたが、明日また、私たちは会う予定を取り付けて私は帰り道に着いた。
その日の夜、おばあさんが言ってたように窓辺に置いた小鉢には美しい花が咲き誇った。
月の光に照らされて輝く花は、繊細で、何処までも透き通り美しく、あの頃と変わらぬ姿であるのであった。
―――咲かなくなった花
お題【繊細な花】
混ぜ合い、溶けて新しい色ができる。
人と人の出会いや別れは色を混ぜ合わせるようで鮮烈だ。
人は最初から真っ白なキャンバスなわけじゃない。しっかりとした鮮やかな下地を持っている人もいれば誰かと交われば直ぐに染まってしまいそうな程に儚い下地を持った人もいる。
"その下地にパレットの上で得てきた色を自分なりに混ぜ合わせて好きな色を作っていくの。
それぞれが、誰かから得た美しい、自分にとっての大切な色を大事にしながら。
人生ってそんな感じな気がする。"
いつかの君にされた話を思い出す。
彼女のキャンバス上に塗られた私の色が占める割合は、どのくらいなのだろうか。
きっとそれは、友達の範疇を超えることは無いと思う。というか、彼女のキャンパス内で私が、友達以外の形を持つことはこれからもない。
だって、彼女にとっての鮮烈な色は、彼女の隣にいるパートナーの彼でしかないのだから。
事実を目の当たりにして考えると、私には彼女は届かない存在であることを思い知らされるばかりで、より一層虚しくなる。
皮肉な事だ。
私のキャンバスには、思わず目を引くほどに、あなたの色で多くの部分が染っているというのに。
友達の範疇なども超えるほどにあなたの色はも私の網膜に焼き付くほどに美しい。
それほどに、あなたは私にとって鮮烈だというのに。
あぁ、寂しいものだ。私は一生、あなたの一番好きな色にはなれないのだから。
―――あなたの好きな色
お題【好きな色】
''愛があればなんでもできる?"
一時期流行った、二択の性格診断テストかなんかで見た質問。
答えはなんだ?
YESか、NOか。
私の答えはNOだ。
だって、今でさえ既に、私たちは互いを愛すだけ、ただそれだけでボロボロになってしまっている。
お互い好きで、離れたくなくてもがいているのに、肝心なところが合わない。性別とかいうちっぽけなたたったそれだけのものが。
ただ、ただ、私たちは自分たちで築く幸せを願っているだけなのに。
世間様はどうやらそんなことを許さないようだ。
一緒にいて幸せになるどころか、二人揃って蟻地獄みたいなじわじわ迫り来る不幸に呑み込まれて行ってる。
「手を離してしまった方が楽かもしれない。」
そう思ったことが何度あったことか。
そして、それを行動に起こすのに私がどれだけの精神と気力を費やしたことか。
そんなこと思う時点で、思った時点で、彼女の手を離した時点で、私は愛を語る人間にふさわしくないのだろう。
だって、愛を目の前にしたらさっきの質問に対して、胸を張ってYESと答えきれる人がいるのだから。
そんな人とは真逆に私は、YESと答える間もなく、楽になる方法を選んでしまった。
互いが後ろ指を指されず、私でなく、彼女には違う人と幸せになる道を選んで欲しかった。そう、願ってしまった。
私には幸せにする自信が持てなかった。
この世で一番愛しい人の幸せを願って繋いでいた手をほどいた私は、ある意味、愛があって、愛のために動けたのかもしれない。
でも、どうせ愛のために動くのだったら、なんでもやるから、どうせだったら、私たちに愛する人との幸せぐらい運んで欲しかったな。
普通の幸せを。
あなたと共に育みたかっただけなのに。
愛のために、、?
お題【愛があればなんでもできる?】
19歳になる年。つい3ヶ月ほど前までは高校生で、未熟やら、まだまだ子供だとか散々言われた。
それなのに、1つ歳が変わって、立つ立場が、環境が変わったと思えば突然大人になれと急かされ始めた。
うちは昔から裕福とは言えない環境で、私には下にまだ妹も弟もいた。そもそも、家がここまで貧乏になったのは血も涙も通ってないような暴力クソ親父が負の根源であって、朝から晩まで必死になって働く母を見てたら、口が裂けても進学したいだなんて言えなかった。
アイツの元から離婚という形で逃げきれた今でも、母はお金の面で苦しみ続けている。
これ以上、私は母の重みにはなりたくなかった。
だから、進学してもいいのだと言う母の言葉を振り切って、私は高卒という立場で上京して、働き始めた。
―――責任なんて言葉が毎日のように私の肩にずっしりと乗って囁き続ける。
「早く大人になれ、もう高校生じゃない。お前は立派な大人なんだ。」と。
必死でやってるつもりなのに、仕事では小さなミスを起こしてしまう。
頭と体が別々みたいで、毎日パンクしそうで息苦しかった。
最近だって、職場で母のことを話す時につい"ママ"と言ってしまって、
「鈴木さんもう子供じゃないんだから"ママ"呼びは辞めなさいね」
なんてことを上司に、軽く笑いながら言われたばっかだった。
些細なことにですら、自分がまだまだ子供だということを思い知らされるようで嫌になる。
新しく私の家になった一人暮らしの部屋で休日はどこにも出かけることも無くそんな風に、悶々と悩む日が続いたある日、私は憂鬱な今日この日、日曜が母の日であることに気づいた。
全くの失念だ。
毎年、母の日には感謝の意を込めて贈り物をしていたというのに。
時刻はもう23時を回っていて、今日中にプレゼントを渡すなんてことはもう不可能なことに気づいた。
せめて電話口でありがとうぐらいは言おうと思い、携帯をとると、偶然にもタイミング良く母から電話がかかってきた。
「もしもし、お母さん?」
『美奈?最近連絡ないけど大丈夫?元気でやってる?』
「あぁ、ごめんね、忙しくてなかなか連絡出来なかったや。てか、ちょうどお母さんに電話しようと思ってたんだよ」
『えぇ?なんかあった?』
「違うよ、母の日だよ」
こんな時だって優しい母は、子供のことばかりだ。母の日まで忘れるなんて。私は思わず笑いながら言う。
『あぁ、そういやそうだったねぇ。すっかり忘れちゃってたわ』
「私も忘れてたんだよね。ごめんね、いつもありがとねお母さん」
『あらあら、改まっちゃって。なんだか照れ臭いわね』
電話越しからでも柔らかく笑う様子が分かる。
『でも、美奈。あなた大丈夫なの?』
「えぇ?私?」
大丈夫って、なんだ?心配されるようなことはしてないはずだけど。
「大丈夫だよ?」
『でも、声に元気ないわよ。それになあに?"お母さん"って、いつもママって言うじゃない』
「あぁ、そんなこと?なんか、ママって子供臭いじゃない」
『なによぉ、子供臭いって。私にとってあなたはいつまでも私の子供よ』
やけに真面目な声でそういう母の言葉に冗談は混じってない。私はその言葉に不意にカッと目頭が熱くなるのを感じた。
「そっか、私はいつまでもママの子供かぁ笑」
照れ隠しに笑ってみるけど声は震える。
電話越しでも少し泣いてることがママには伝わってそうだった。
『そうよ。あなたはママの可愛い子供よ。だから、苦しい時は何時でもいいなさい。どんな時でも駆けつけてあげるわ。』
「はは、それってなんだかヒーローみたいだね」
『母親ってのはそうでなくっちゃ』
その言葉を聞くと私は涙を止めるすべを無くしてしまった。
しばらく、声を殺しながら泣く私に、ママは焦って声をかけるわけでもなく、ただただ、優しく"大丈夫"だと声をかけるだけだった。
あぁ、どうしよう。母の日だって言うのに、いつの間にか私の方が救われてしまっている。
涙が止まらなかった。大人になりたいと思い続けていたこの数ヶ月だったが、私は今この時は、一生ママの子供でいたいと願い続けてしまう。
なんの因果か、今年の母の日は、感謝を深く伝えることは叶わず、母の優しさと温かさを思い知らされる、そんな不思議な日になってしまったのだった。
―――大人になりたい
お題【子供のままで】