火を、灯す。日が経つ事に無数の炎の幾つかは火が消えて、それでもまたいくつか新たに火は灯る。最初は柔らかに、弱々しくいつ消えてもおかしくないほどに頼りなく揺らぐ炎も、時が経てば美しく、個々に煌めく。
色も形もそれぞれだ。互いに合わさりふつふつと燃え上がるものもあれば、一人孤独に、静かに灯り続けるものもある。
それぞれに美しい。それぞれに、尊い。
――あぁ、そんな勝手に消えてしまうな。
私とて何も出来ぬことは歯がゆい。だからどうか消してしまうな。
照らしている。誰かを灯さずとも、そなたは自分の手元を照らしている。周りを大地を、足元の蟻でもなんでもいい。そなたは周りを照らしているのだ。どうか、醜いと自分を罵るな。充分に眩ゆく、尊い。だから、消してしまうな。
いいだろう、誰かを照らさずとも、何かを照らさずとも。そなたの煌めきを私は美しいと知っている。それだけではダメなのだろうか。美しいのだ。誰一人、違わず。だからどうか消さないでくれ。
誰一人、消えてしまうのも私はひとつ残らず全てが惜しい。
どうか、その時まで消えないでおくれ。
えぇ、?あの人との馴れ初め?
そんな大層なものでもないわよ。
そもそも、私たちお見合いで結婚したんだし。
あ、でも多分最初に好きになったのはあの人だったと思うわ。
なんでって、明らかにあの人会う度、私に恋してるーって態度だったのよ。
よくそんな気恥ずかしいこと言えるねって、聞いてきたのあなたでしょう。聞いてきたんだったら茶化さないでちょうだい。全く。嫌になるわ。
わたし?私もそりゃ、それなりにお父さんのこと好きだったわよ。顔もそれなりだったし。いくらあの時代だったって言っても好きじゃない人と籍入れて結婚するほど恋心捨ててたわけじゃないのよ。
どこが具体的に好きだったって聞かれたらちょっと困るけど。
まぁ、確かに見るからに堅物でね。冗談のひとつも吐けないんじゃないかしらって風貌ではあったけど。
それにねぇ、口下手だし。
今どきだったら、ツンデレっていうの?
愛情表現も満足にできないしねぇ。
家事も下手くそでぶきっちょで仕事ぐらいしかいいとこ見せられない人ではあるけども。
えぇ?今のところ悪口しか言ってない?そんなことないわよ。顔がそれなりに良かったって褒めてるじゃない。
顔以外に好きなとこ?
そうね。そう聞かれると困るとこがあるかもね。
ふふ、冗談よ冗談。
ひとつだけ取っておきのところがあったわ。
デートの時、別れ際に今度いつ会えますかって毎回聞くところが好きだったわ。
お見合いって言っても、結婚して気が合わなかったらーって流れだったら嫌じゃない。だから、何回か会ってから成立って形にしようってなって3回ぐらいかしら、あの人とはデートしたのよ。
だいたいこう言うやり取りって仲人さんを介してやることが多かったんですけどね。あの人、律儀なもんで仲人通したら断りにくいことがあるかもしれないからなんて言って3回のデートで3回とも別れ際に「今度いつ会えますか?」って聞いてきたのよ。
そんなの告白にも近いじゃない。
真面目なのか抜けてるのかわからないわよね。
ふふ、なんだか恥ずかしくなってきたわ。こんなオババに何を言わせてるのかしら。
そういう事ねって、何を納得したの?
あぁ、そういえばそうね、この話は今も現在進行形だったわ。
ほんと、アホよねぇあの人。全部忘れちゃっても、私にはもう一度恋してくれてるんだから。ほんと真面目だわ。
―――惚気話をたっぷりと聞かされてしまった。まぁ、聞いたのは私なんだけど。
なんだか恋に廃れた心には、今の話は染みてしまって羨ましくなってしまう。
おじいちゃんは、一年前から認知症になってしまって、今はもう家族のことを一人も覚えていない。それでも、おばあちゃんが老人ホームに顔を出す時、覚えていないはずなのにおじいちゃんは別れ際に必ず今度いつ会えるか尋ねていた。前回のことすら覚えていないというのに。
不思議に思って何か聞いて見ればわかるかとおばあちゃんに聞いてみたら上手く点と点が繋がってしまった。なんだか微笑ましいが小っ恥ずかしい。
でも、たっぷりと惚気話を聞かせてくれた、そんなおばあちゃんの笑顔はなんだか、どの恋する乙女にも勝てそうなほどの眩しさだと思った。
そんな事を思うほどにこの出来事は、現在進行形の、紛れもない二人の二度目の同じ恋の話なのだ。
そう、思った。
―――恋二乗
お題【別れ際】
白く血の気の無い腕が、たらりと台から垂れ落ちる。
試しに手を握ってみせても、その手に握り返される事は無い。
白い布で顔まで覆われてしまったその身体は温もりがないままで、触れてみてもソレがあの子だと私は認識することが出来なかった。
人形みたいだ。
顔さえ隠してしまえば人なんて全部同じに見える。
目の前のコレが彼女だと証明するものはひとつもない。
ただ、姿と形がよく似た動かぬモノだと。
あの子はコレとは別にいて、出来のいいレプリカを私は見ているのだと信じたかった。
テトラポットに打ち付ける波が、勢いを殺され飛沫になって飛散する。
昼間の熱を逃がしきれぬコンクリートが、熱帯夜を助長している。
日が落ちてもなお蒸し暑く、纏わり着くような熱気は消えない。
堤防の縁に腰掛け、海を見下ろす。
昼間の陽気な雰囲気など残さず、夜の海はどこまでも深く闇が続くようで、絶望によく似ていた。
生きていた頃のあの子みたいだった。
明るく陽気なあの子がくれる優しさに私はただ溺れるだけだった。
ほんとうは日が沈めば底の見え無くなるような、こんな海のような暗い絶望を、彼女が持っていたことを知っていたのに。
あまりにも私には抱えきれぬものだと、助けを求めぬ彼女に甘えて私はいつも通り生きていた。
甘えはやがて悪夢を産んで、彼女は自ら海へと還ってしまった。
あぁ、馬鹿な私を許して欲しい。
いや、許さなくても構わない。構わないから、あなたに会わせて欲しい。
どうだろう、このまま海に飛び込めば、私もあなたと混ざって跡形もなくなって、海になれるだろうか。
馬鹿な考えばかりが頭を巡る。
遺した手紙通りに、灰になって海に溶けたあなたに私はどうすれば会えるだろう。
あなたにもう一度会うには何処へ行けばいいのだろう。
テトラポットに一際大きな波が打ち付けて、飛沫が私に降り注ぐ。
飛び込む勇気は無いから、
いっその事、波で私を攫って欲しい。
溺れて底まで沈んで溶けてしまえば、あなたに会える気がする。
闇のように深い夜の海へ、私はあなたに会いたいのだと願うことしか出来ない。
―――会いたい
お題【海へ】
思春期になると人は皆、花を咲かせる。
そしてその花は、自分を象徴する花となり、それは咲かせた人にとってひとつの誇れる魅力となる。花は人の一部でそれは私たちと呼応する。
小さな小鉢のようなもので持ち歩く人もいれば、咲かせた花で大きな花冠を作る人もいる。花の魅せ方は人それぞれだ。
花と言うが、それは現実の野に咲く名前の着いた花ではなく、それぞれ名前のつかぬ唯一無二のものを咲かす。
であるが故に、初々しい思春期の真っ只中の人々は自分の花が咲くのはいつかいつかと心待ちにして日々を過ごすようになるのだった。
空っぽになった小さな小鉢が押し入れの奥底から出てきた時、私は不意に昔のことを思い出した。
――思春期には、例にも漏れず私にも花が咲いた。
硝子のように透き通る花弁は、見せた人、 皆を惹き付けた。
私はその花を小鉢に植えて、あまり人目につかぬように大切に持ち歩いていた。
けれど、ある日、クラスの中で何の話からか花を見せ合う話になって、半強制的に、クラスメイトたちはそれぞれ自分が咲かせたばかりの花を見せ合うことになった。そしてそれに準じて、私も、あまり人目につかずに大切にしてきた花をクラスの人達に見せることになった。
隠していたつもりではなかったが、あけっぴろげに持ち歩くのもなんだか恥ずかしくて人の目に晒すのはその日が初めてだった。
各々が花を見せあって言って、私の番になった。
小鉢にふわりと被せてあった布をはずしてみると、ちょうど陽の光が花にあたり、光を乱反射させて煌々と花が輝いた。自分で言うのもなんだが、その様は酷く美しいものだったように思う。
クラスメイトみんなが私の花に惹き付けられ、そのうちの一人が花弁に触れようと手を伸ばした。その瞬間、花弁は硝子が割れるように砕け散り、破片は手を伸ばした人間に傷をつけた。
夢を見るようにして惚けていた私たちは途端に現実に引き戻され、教室はざわめいた。
「花を見せたくなかったのなら、最初から言えばいいじゃない!!」
怪我をした女の子を庇うようにその子の友達は私に抗議した。
しかし、そう言われても私だって、こんなことは初めてで、花がこんなことになったことは無かった。それに花が私の一部だと言っても私は花を自在に操ることは出来なかったし、ただただ大切にしていただけだった。
でも、私はその場では何も言い返すことは出来ず、ただただ怪我をさせてしまった罪悪感から切り傷を負った彼女に何度も謝ることしか出来なかった。
その出来事から私は、花を咲かすことはできなくなってしまった。
もう、20にもなるが、ここ数年、一度咲いた私の花がもう一度芽吹く様子はなかった。
忘れようとしてたことを思い出した反動か、なんだか寂しい気持ちになって空になった小鉢に思いつきでもう一度土を入れることを私は思い立った。
今度は種を入れて野に咲く花の種を埋めようと変なことを考えたのだ。
そして週末、私は小鉢に埋めた種が少しでも早く芽吹くように願って公園の陽の当たるベンチで小鉢を膝の上に乗せて日向ぼっこをしていた。
「お隣、いいかい」
柔らかな声の顔を上げるとそこには声の雰囲気と変わらぬ優しい笑顔を浮かべたおばあさんが立っていた。彼女の耳には淡い色のしなやかな花弁を揃えた可愛らしい花が挟まれている。
「どうぞどうぞ、」
断る理由もなかったので相席を快く引き受けると彼女の目線は私の膝上の小鉢へと移った。
「あ、これ気になりますよね。この歳になっても空の小鉢なんて。」
別に聞かれた訳でもないのにいつの間にか私の口はペラペラと話を始めていた。
「そうねぇ、言われてみればねぇ。生え変わりの時期かい?」
「いや、私、咲かせられなくなっちゃったんですよね。自分の花。」
人を傷つけてしまったあの日から、私の花は咲かなくなってしまったのだと、私は何も聞いていないはずのおばあさんに、洗いざらい話してしまった。通りすがりの縁で出会った彼女には触れにくいような話題であるはずなのに。
全て話し終えた頃に、私は正気を取り戻し、途端に恥ずかしくなった。身のうち話を、打ち明けるにはそぐわない相手だと気づいたからだ。
「あぁ、ごめんなさい。私ったらおしゃべりで。」
「いいのよ。にしてもあなた、花を咲かせられないなんて言うけれど、あなたはきっと人を傷つけたかったんじゃなくって、自分を守りたかったんじゃない?」
「え?」
思わぬ返事に私は思わず驚いた。
「だって、誰だって大切なものに迂闊に手を伸ばされちゃあ守りたくなるものじゃない。それと同じよ。それにあなたが見せたくて見せたんじゃなかったら尚更。」
確かに、手を伸ばされた時私は咄嗟に嫌に感じたような気がする。私は今まで思い出せなかったあの時の感情が、おばあさんの言葉で蘇るような心地がした。
「そう、なんですかね。」
「そうよ、きっとトラウマが蓋になってるだけで、あなたはまだ花を咲かせられると思うわよ。現に今も、なんだか不思議な芽が出ている訳だし。」
おばあさんの目線を追うように、小鉢に目を移すと確かにそこにはさっきまでなかったはずの、小さな芽がいつの間にか芽吹いている。
「あれ、いつの間に、、」
「ほらね?少し話をしただけでここまで芽吹かせるなんて大した物ねぇあなた。」
物事を解決してくれたのはおばあさんでしかないと言うのに、当の本人は自分は関係ないよというようにいたずらっ子のように笑っていた。
「この調子なら、今日の夜には咲きそうね。あなたの花。満開になったら気が向いたらでいいから、見せて欲しいわ。」
「咲かせてくれた方に見せないなんて、失礼なことできません。ありがとうございます、あなたのおかげでまた、咲かせそうです。」
何処までも優しい彼女に私は心から感謝を述べた。最後までおばあさんは私だけの力だと言い張っていたが、明日また、私たちは会う予定を取り付けて私は帰り道に着いた。
その日の夜、おばあさんが言ってたように窓辺に置いた小鉢には美しい花が咲き誇った。
月の光に照らされて輝く花は、繊細で、何処までも透き通り美しく、あの頃と変わらぬ姿であるのであった。
―――咲かなくなった花
お題【繊細な花】
混ぜ合い、溶けて新しい色ができる。
人と人の出会いや別れは色を混ぜ合わせるようで鮮烈だ。
人は最初から真っ白なキャンバスなわけじゃない。しっかりとした鮮やかな下地を持っている人もいれば誰かと交われば直ぐに染まってしまいそうな程に儚い下地を持った人もいる。
"その下地にパレットの上で得てきた色を自分なりに混ぜ合わせて好きな色を作っていくの。
それぞれが、誰かから得た美しい、自分にとっての大切な色を大事にしながら。
人生ってそんな感じな気がする。"
いつかの君にされた話を思い出す。
彼女のキャンバス上に塗られた私の色が占める割合は、どのくらいなのだろうか。
きっとそれは、友達の範疇を超えることは無いと思う。というか、彼女のキャンパス内で私が、友達以外の形を持つことはこれからもない。
だって、彼女にとっての鮮烈な色は、彼女の隣にいるパートナーの彼でしかないのだから。
事実を目の当たりにして考えると、私には彼女は届かない存在であることを思い知らされるばかりで、より一層虚しくなる。
皮肉な事だ。
私のキャンバスには、思わず目を引くほどに、あなたの色で多くの部分が染っているというのに。
友達の範疇なども超えるほどにあなたの色はも私の網膜に焼き付くほどに美しい。
それほどに、あなたは私にとって鮮烈だというのに。
あぁ、寂しいものだ。私は一生、あなたの一番好きな色にはなれないのだから。
―――あなたの好きな色
お題【好きな色】