やさしい雨音
雨が窓を叩きつけている。いくら叩きつけたって、おまえを迎え入れるために窓を開くのなんて、一割にも満たない余程の物好きかなにかだ。
雨戸の閉ざされた室内に、月の光も覗かない。ただ、心が軋んでいた。眠れない雨の日の深夜、センチメンタルになる準備だけが整っている。
自分が駄目なことはとうの昔に知っているはずで、それでも、誰かに指をさされるのは嫌だった。
結局、惨めな想いをしたくないだけだと気づいたのは、最近のこと。惨めという単語の正しい理由なんて知りもしないが、響きがジグソーパズルのように、嵌ってくれたから。
見て欲しくない、浴びるように賞賛を受けたい、存在を無いことにして、抱きしめてほしい。
フラッシュバックする、雨の日の記憶。それ自体はいつのものでも良い。過去であることが重要だった。
あの頃のわたしが、今のわたしをみたら、どう思うのだろう。惨めだ。
「あ、うあ」
今この瞬間、世界の中で枕を濡らしているのはわたしだけじゃないはずだ。誰かが命を絶とうとしている。生命が生まれて、誰かが喜んで、泣いて。だからどうした、わたしは何がしたい?
誰かに好かれるために、評価されるために、自分のやりたいことを偽るのは、やめておきたい。それだけだった。
随分やさしくなった雨音が聞こえる。雨足が弱まったらしい。今更優しくしたって、おまえの本性を知ってしまえば恐ろしくて仕方ないだけなのに。
雨の匂いが好きで、それをぺトリコールと呼ぶことも知っていた。
詩的な自分を馬鹿にしてあざけ笑う誰かがいる。自分だ。それは、今も。
雨がやんでいた。
あのとき、窓の戸を開いていたら、あなたと友達になれたのだろうか。
夜になると思い出す。
蝉の声、誰もいない音楽室、捲るカウントダウンカレンダー。朝から晩まで、楽器を吹くことしか考えていなかったあの一ヶ月間。
苦手だった後輩と、いざ向き合ってみればすごくいい子で仲良くなれたこと。
なりたい自分を受け入れてくれた空間。
努力は報われるのだと、綺麗事だと思っていた言葉に酷く納得した文月の終わり。
戻りたい。そう毎晩涙を零すのは、楽器を手に取ってからずっと、本気で向き合ってきた訳では無いから。自分が一番理解している。
無情にも私にとって楽器は、車や電車の窓から見る外の景色と同じで、流れ行くもの。そうさせたのは、他でもない自分。
次の駅で降りる。
たくさんの想い出を抱えて、前を向くしかない。泣いてもいいのだと、思いたい。
全身全霊で向き合えるものを、見つけられるだろうか。
秋風
外を出た瞬間感じる匂い、やんわり頬を撫でる冷えた風、違和感があるノド。すっかり冬だな、と思っていた。
秋無いじゃん、冬来るの早すぎ、などと騒ぎ立てるsnsの人間らを見て、無意識のうちにそれが当たり前だと感じてしまうことがよくある。
今日、友人と窓際で軽く話していたとき、灰色の空を眺め私はなんともなしに言った。
「冬やな、寒い」
私の言葉に、友人はあっけらかんと返す。乾燥した空気、そのままで。
「まだ秋やろ」
友人が指さす外の世界には、華やかな紅に染まる木々があった。
自分のことで精一杯になり、季節すら碌に感じられず、周りの言葉そのまま鵜呑みにする自分に呆れる。
夏と冬に挟まれるのが秋ではない。
その日の帰り道、秋の山を見ながら、私は風を飴色に感じた。
自分から背を向けた私に、そんなことを言う権利は無かった。叶うなら、一生顔を見たくもない人だっている。
それでも私は、綺麗事を吐くのが好きだ。彼らの思い出の中の私が、儚く美しく映るように。
「また会いましょう」
皮肉にも、彼らの旅路がきらめきに溢れるよう、私は心の底から祈っていた。
スリル
恐怖や驚き、張り詰める緊張感。
私はそういった類のものが嫌いだ。至って平凡で、平坦な道をぼんやり歩いていきたい。今更それを変えたいと思うこともないし、変える必要もないと思う。
「迷ったら困難な道を選べ」とか、「自分の好きな道を選べ」とか、「安全な道が正しいとは限らない」とか。世間はうるさい。安全であることが一番に決まっている。
心の中でそう思っていても、危険な道を選ぶ人々が輝いて見えるのだ。
私のような植物人間に比べて、彼らはすごく楽しそうだった。羨ましい。
頭の中で凝り固まった固定概念のようなものは中々ほぐれなくて、足が動かない。また崖に背を向けて、安全な道を歩き出す。
だって、あんな高いところから転げ落ちたら。周りに何を馬鹿なことしてるんだって後ろ指さされたら。
もう一度振り向いて、私の方を見向きもせず、自分らの成すべきことだけを据える彼らを見て思った。そういう第三者からの感想を覆すことも、彼らの美徳に入るのだろう。スリルとはそういうものなのだと、彼らの背中は語っていた。
彼らの顔は、いきいきしている。