NoName

Open App
11/11/2024, 2:27:56 PM

飛べない翼


 空を飛んだとして。
 後ろ指さされるなら、飛ばなくていいと思った。誰よりもいちばん高く飛べないなら、飛んでも意味ないと思った。飛ぼうとすることを、やめた。
 折角生えている翼も、普段から飛んでいないと衰えていくばかりで、存在すらなかったことになっていた。良い羽を持っているからよく飛べるなんていう方程式は、心の奥で腐っている。

 宙を舞ったとして。
 いつ落ちるか分からない世界なんだ。安定して舞踊り続けられるものはひと握りしか居ない。自分は、たっぷり人間が入れられた箱の、底の底にいる人間で、神様のひと握りに選ばれるわけがなかった。

 神がいた。
 私の目の前に、降臨してくださった。
 神は仰られた。
「ワタシのことを信じる者は、幸せになれる」
 神は全員に、平等な愛を注いでくださった。それは私も例外でなく、初めての愛に深く感動した。
 向き合ってくださって、私は初めて、羽を手入れすることにした。

 また、神がいた。
 私の目の前に、降臨してくださった。
 神は舞っていた。
 それは、空を舞っているのではなく、地に足つけて、舞踊っていた。
 誰も神を見ていなかった。でも、神は楽しそうだった。私は神の後ろを追った。
 背中を見せてくださって、私は初めて、自分の足で歩くことを知った。

 飛べたとして。
 神を信じていれば、いつか報われるという自信があった。神の教によると、自信が大切らしい。私はきっと、大丈夫になった。
 舞ったとして。
 浮く必要はない。選ばれる必要もない。楽しければ、それでいい。私はそうありたい。

 翼が全てではなかった。
 道を自分で切り拓くのも、一興であった。
 鳥籠は、自分で自分を閉じ込めていた。
 そこから出たとき、翼を広げた。

6/25/2024, 4:34:05 PM

繊細な花


「私は繊細な花なの」

 耳をくぐって、脳に溶ける甘い声。人々を魅了するそれを堪能しているのは、今だけ、この世界で自分だけだ。
 周りを差し置いて気高く咲き誇ったかと思えば、色彩の無い小さな花弁を付ける。
 柔らかくて暖かい蕾をつけたかと思えば、凍えるように鋭い棘を生やす。
 少し触れただけで大きく育った華は落ち、囃し立てれば拗ねてがくに覆われ、誰も見向きしなくなればまた色とりどりの華を身に纏う。
 複雑怪奇な花だった。

「あなたは肥料よ」

「それは違う」

 初めて貴方を否定したね。驚いたように丸くなった目は、すぐ尖った三角形になったものだから、自分は急いで口を開く。

「自分は肥料では無い。それではまるで貴方が花みたいじゃあないか。自分は、人だ。貴方も人だ。自分の隣にいる貴方は、何色の花でもないよ。だから、己のことを見世物のように言うのはお仕舞い。私に言わせれば複雑怪奇、他人に言わせればヘンテコ、貴方に言わせれば繊細な、ただの人。それが貴方」

 独白劇に過ぎない。全ての人生に当て嵌る言葉だ。
 心を蝕む何かが通り過ぎるのを辛抱強く待つように、貴方は下唇を噛んでいた。そして再び顔があげたときにゃ、まるで気高い人。高貴な乙女。それでいい。自信に満ち溢れ、気紛れに舞い踊る貴方より美しいものなんて、自分には生涯見つけることが出来ないだろう。
 紅く厚い唇が開かれる。高揚。興奮。

「ばかね、ものの譬えに決まっているでしょう?」

 嗚呼、美しい。
 貴方はきっと、自分だけの花束。

6/19/2024, 7:15:06 AM

落下


嬉しい時は階段を上る
二段、三段も飛ばしながら
軽やかな気持ちで
地に足つけて
しっかり上る
階段の途中、振り向いて叫ぶ
やっほぅ

悲しい時は階段を下る
一段、一段、でも確かに
重々しい足取りで
どしんと下る
階段の途中、しゃがみこんで呟く
たすけて

夢中になる時は沼に沈む
ゆっくり、ゆっくり
でも確実に
名前なんか付けれない
美しい色をした沼に
じわじわ沈む
沼の中で声も出さず
じっと蹲る

とても悲しいときは
階段から突き落とされる
一気に落下して
ポカンと底辺に尻餅をつく
見上げると
途方も無い遠くに光が見えて
何をする気も失せる
階段の一段目に手を掛けて
静かに涙を流す

とても嬉しいときは
新幹線のようなエスカレーターに乗せられる
ぐんぐん、上がって
気がついたら満面の笑みになる
この感情も
きっといつかは慣れてしまう
でもこんなに嬉しいのは
どん底にいた過去があるから
頂上で、叫ぶ
生きていて良かった

6/15/2024, 5:27:52 AM

あいまいな空


 まだ夕方なのか、はたまたもう夜なのか。イカスミに侵食されていくオレンジジュースみたいだ。ふと、窓枠から眺めた空の色に、そんな感想を抱いた。
 スマホのロック画面に目を落とす。返事はまだ来ていない。

 顔も声も性別も知らない、愛しい貴方だって、この空を見ているのだろう。
 今は見ていなくても、この空を見て思い耽る日がきっとあったのだろう。
 なんの根拠すらなくたって、貴方と同じ空を見ていると思い込むだけで、心が愛で充たされるんだ。

 四角い箱を胸に当てて、空を見上げる。タダの箱じゃない。貴方と会話出来る、唯一の命綱。
 そして、祈った。貴方が幸せであるように。上手くやれているように。私のことを好きでいてくれるように。この愛が、届きますように。

 気が付けば、空は深藍一色に染められていた。
 装飾のように散りばめられた山盛りの愛と、丸い満月だけを残して。

 貴方のための、愛舞な空。

6/14/2024, 9:38:17 AM

あじさい


「どうしたの、紫音」

 草木は水滴を垂らし、コンクリートの上に度々小池が出来ているのを踏みつけながら歩いていた帰り道。一緒に帰っていた友人の紫音が、道端でいきなりしゃがみこんだのを見てそう声をかける。
 具合が悪くなってしまったのだろうか、と些か心配した気持ちもすぐ杞憂へ変わった。輝かせた黒豆のような瞳を此方へ向けてきたからだ。

「陽菜。ホラ、紫陽花」

 紫音の指差す先を見てみると、確かに紫陽花が数朶咲いていた。綺麗な青紫に、思わず感嘆の声が漏れて、自然と私もしゃがみこむ。

「こんなところに咲くんだな」

 瞳に草露を反射させ、嬉しそうに紫陽花を見つめる彼の横顔を暫し見つめたあと、渋々といった雰囲気を出して私も紫陽花に目をやった。
 可憐で小さな花たちが身体を寄せあい、集団で固まっている姿はまるで──

「あ、カタツムリ」

「ひっ、うそだろ、どこ!」

 すばしっこい害虫でもあるまいし。湿ったコンクリートに尻餅をついた紫音に咎めるような視線を送る。

「カタツムリくらいでそんな驚くなんて……ズボン濡れるよ」

 先に立ち上がって、紫音に片手を差し伸べる。短い感謝の言葉が返ってくれば、素直に片手を握られた。重力が彼の方に傾くのを踏ん張って堪える。
 紫音は立ち上がってすぐ、自分の臀部に手を伸ばして。

「うわ、ちょっと濡れた。最悪。なあなあ、漏らしたみたいに見えるかな?」

「だからって尻見せつけてこないで」

 紫音はへらへらと笑いながら、再び歩を進め始める。私は呆れ半分、紫音らしくて良いななんて気持ち半分で笑みを零し、彼の後について足を上げようと思った時。

「あーっ、紫音と陽菜、また一緒に帰ってんじゃん!」

「ヒュウ、お熱いねぇ」

「やめたげなよ〜。水差しちゃ悪いでしょ」

 最悪だ、と思った。


「そんな機嫌損ねないでさぁ。アイツらも悪気あった訳じゃないと思うし。だってほら、異性同士で仲良いのってソーユー風に捉えちゃうのが普通だし」

「紫音もそう思ってるの?!」

「……いや、そんなつもりじゃ」

 頭に血が上って金切り声を上げてしまった私に、決まり悪そうな顔をして紫音は目線を落とした。その仕草にはっとした私も黙り込んで、暫く沈黙が私たちを包み込む。
 沈黙を生み出したのも、振り払ったのも私だった。

「さっきも思ったけど、紫陽花って、ああいう子達に似てる」

 もうすぐやってくる突き当たりだけを眺めながらそう言い放った。言い終わるより早いか遅いか、反応を確認するように紫音を見つめる。

「……どういうところが?」

 紫音は、目を瞬かせて少し考える素振りを見せたかと思えば、そう問いかけてきた。まるで良い質問だ。ふん、と鼻を鳴らしてから私は口を開く。

「ちっちゃくて可愛い子たちが寄って集ってないと、『あじさい』として存在出来ないところ。そういえば毒もあるんだっけ。そっくりだね」

「お前なあ、言い方」

 肩を竦め、困ったように軽く叱責してくる紫音に、何か言い返そうと口を開きかける。だが、それは私より早く言葉を発した彼に阻害された。

「でもさ、あじさいの花に見える部分って花弁らしいじゃん?本当はもっとちっちゃいって聞いたことあるぞ」

「だから、何?」

「まあまあ、とりあえず帰ったら調べてみろよ。一軍女子達を紫陽花だと思うんならさ」

 一軍女子の部分を強調した嫌味ったらしい言い方は頭に来たが、そこまで言うんなら調べてやろうと、私は躍起になっていた。

︎︎✿

 家に帰り、手を洗ったらすぐ自室の勉強机に向かう。そして、いつからあるのか覚えてもいない植物図鑑を開いた。
 あ行なだけあって、苦労することなくあじさいのページは見つかる。
 一面に描かれた、鮮やかな青紫色。ところどころ桃や白も混ざっているそれは、綺麗としか言えないだろう。
 下の方を見ると、花弁に囲まれた、蕾のような挿絵もあった。説明文を読んでみると、どうやらこれが本当の花らしい。花弁だと思っていた部分は、がくが発達した装飾花と書かれてある。
 なんだか、弱そう。そう思った。
 それ以外の記載はめぼしいものが見当たらなかったため頁を閉じて、表紙に描かれた沢山の花々を見ながら思考を巡らせる。
 可愛く着飾っただけの、小心者同士の集まり。そう言うと相当人聞きが悪い。でも、私の頭はスッキリしていた。
 あの子たちは私と紫音を揶揄うけど、紫陽花は違う。
 カタツムリの歩道橋にされようと、見ず知らずの学生に不名誉な感想を抱かれようと、怒りはしない。
 紫陽花とあの子たちは、違う。でも、確実な共通点はある。



「紫音」

「おお、もう来てたのか?早いな。おはよう」

 いつもは先に紫音が待っている待ち合わせ場所に、今日は私が一番乗りだった。
 ロクに挨拶もせず、私は喋り出す。

「帰ってから紫陽花について調べたんだけど、やっぱりあの子たちに似てる。毒を持っていて、着飾ったもの同士が身を寄せないと生きて行けなくて、花言葉もあんまりいい意味ないみたいだし」

 紫音は苦笑を漏らした。なんか悪化してねえか、という本心が顔にありありと貼り付けている。全く、素直な男。紫音らしくて良い。
 そして私は、口角を上げて言う。

「──一番似てるのは、可愛いところだね」

 今日も今日とて懲りずに揶揄いに来た一軍女子達のマヌケ面を拝むため、私は振り返った。

Next