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あじさい


「どうしたの、紫音」

 草木は水滴を垂らし、コンクリートの上に度々小池が出来ているのを踏みつけながら歩いていた帰り道。一緒に帰っていた友人の紫音が、道端でいきなりしゃがみこんだのを見てそう声をかける。
 具合が悪くなってしまったのだろうか、と些か心配した気持ちもすぐ杞憂へ変わった。輝かせた黒豆のような瞳を此方へ向けてきたからだ。

「陽菜。ホラ、紫陽花」

 紫音の指差す先を見てみると、確かに紫陽花が数朶咲いていた。綺麗な青紫に、思わず感嘆の声が漏れて、自然と私もしゃがみこむ。

「こんなところに咲くんだな」

 瞳に草露を反射させ、嬉しそうに紫陽花を見つめる彼の横顔を暫し見つめたあと、渋々といった雰囲気を出して私も紫陽花に目をやった。
 可憐で小さな花たちが身体を寄せあい、集団で固まっている姿はまるで──

「あ、カタツムリ」

「ひっ、うそだろ、どこ!」

 すばしっこい害虫でもあるまいし。湿ったコンクリートに尻餅をついた紫音に咎めるような視線を送る。

「カタツムリくらいでそんな驚くなんて……ズボン濡れるよ」

 先に立ち上がって、紫音に片手を差し伸べる。短い感謝の言葉が返ってくれば、素直に片手を握られた。重力が彼の方に傾くのを踏ん張って堪える。
 紫音は立ち上がってすぐ、自分の臀部に手を伸ばして。

「うわ、ちょっと濡れた。最悪。なあなあ、漏らしたみたいに見えるかな?」

「だからって尻見せつけてこないで」

 紫音はへらへらと笑いながら、再び歩を進め始める。私は呆れ半分、紫音らしくて良いななんて気持ち半分で笑みを零し、彼の後について足を上げようと思った時。

「あーっ、紫音と陽菜、また一緒に帰ってんじゃん!」

「ヒュウ、お熱いねぇ」

「やめたげなよ〜。水差しちゃ悪いでしょ」

 最悪だ、と思った。


「そんな機嫌損ねないでさぁ。アイツらも悪気あった訳じゃないと思うし。だってほら、異性同士で仲良いのってソーユー風に捉えちゃうのが普通だし」

「紫音もそう思ってるの?!」

「……いや、そんなつもりじゃ」

 頭に血が上って金切り声を上げてしまった私に、決まり悪そうな顔をして紫音は目線を落とした。その仕草にはっとした私も黙り込んで、暫く沈黙が私たちを包み込む。
 沈黙を生み出したのも、振り払ったのも私だった。

「さっきも思ったけど、紫陽花って、ああいう子達に似てる」

 もうすぐやってくる突き当たりだけを眺めながらそう言い放った。言い終わるより早いか遅いか、反応を確認するように紫音を見つめる。

「……どういうところが?」

 紫音は、目を瞬かせて少し考える素振りを見せたかと思えば、そう問いかけてきた。まるで良い質問だ。ふん、と鼻を鳴らしてから私は口を開く。

「ちっちゃくて可愛い子たちが寄って集ってないと、『あじさい』として存在出来ないところ。そういえば毒もあるんだっけ。そっくりだね」

「お前なあ、言い方」

 肩を竦め、困ったように軽く叱責してくる紫音に、何か言い返そうと口を開きかける。だが、それは私より早く言葉を発した彼に阻害された。

「でもさ、あじさいの花に見える部分って花弁らしいじゃん?本当はもっとちっちゃいって聞いたことあるぞ」

「だから、何?」

「まあまあ、とりあえず帰ったら調べてみろよ。一軍女子達を紫陽花だと思うんならさ」

 一軍女子の部分を強調した嫌味ったらしい言い方は頭に来たが、そこまで言うんなら調べてやろうと、私は躍起になっていた。

︎︎✿

 家に帰り、手を洗ったらすぐ自室の勉強机に向かう。そして、いつからあるのか覚えてもいない植物図鑑を開いた。
 あ行なだけあって、苦労することなくあじさいのページは見つかる。
 一面に描かれた、鮮やかな青紫色。ところどころ桃や白も混ざっているそれは、綺麗としか言えないだろう。
 下の方を見ると、花弁に囲まれた、蕾のような挿絵もあった。説明文を読んでみると、どうやらこれが本当の花らしい。花弁だと思っていた部分は、がくが発達した装飾花と書かれてある。
 なんだか、弱そう。そう思った。
 それ以外の記載はめぼしいものが見当たらなかったため頁を閉じて、表紙に描かれた沢山の花々を見ながら思考を巡らせる。
 可愛く着飾っただけの、小心者同士の集まり。そう言うと相当人聞きが悪い。でも、私の頭はスッキリしていた。
 あの子たちは私と紫音を揶揄うけど、紫陽花は違う。
 カタツムリの歩道橋にされようと、見ず知らずの学生に不名誉な感想を抱かれようと、怒りはしない。
 紫陽花とあの子たちは、違う。でも、確実な共通点はある。



「紫音」

「おお、もう来てたのか?早いな。おはよう」

 いつもは先に紫音が待っている待ち合わせ場所に、今日は私が一番乗りだった。
 ロクに挨拶もせず、私は喋り出す。

「帰ってから紫陽花について調べたんだけど、やっぱりあの子たちに似てる。毒を持っていて、着飾ったもの同士が身を寄せないと生きて行けなくて、花言葉もあんまりいい意味ないみたいだし」

 紫音は苦笑を漏らした。なんか悪化してねえか、という本心が顔にありありと貼り付けている。全く、素直な男。紫音らしくて良い。
 そして私は、口角を上げて言う。

「──一番似てるのは、可愛いところだね」

 今日も今日とて懲りずに揶揄いに来た一軍女子達のマヌケ面を拝むため、私は振り返った。

6/14/2024, 9:38:17 AM