嗚呼、どうして好きになっちゃったんだろう。
初恋の人を忘れられないって知っているから、絶対に好きになりたくなかったのに。
好きになりたくないなんて意固地になっているってことは、裏を返せば異性として意識しているのに他ならないのにね。
不意に目が合った。
私がずっと見つめてしまったせいかもしれないけれど。
何かに気づいたフリをして、そっと視線を逸らす。
嗚呼、私は貴方に恋心を気づかれたくないの。
これまで貴方を好きになった多くの女性同様、「忘れられない人がいる」って決定的なことを言われたくない。
嗚呼、私は貴方を好きじゃないフリをするから。
どうか、友だちのままでいさせて。
嗚呼
授業後、教室の前の方の席で女子がなんだか盛り上がっていた。
陰キャの俺には関係ないし、と帰り支度をしていると、女子の輪に男子も加わり始め、集団が大きくなりつつあった。
帰り支度を終えて後ろのドアをガラッと開けると、「ちょっと待って」と声がかかる。
「俺?」
「そう。この曲、知ってる?」
ラララ〜と口ずさみ始めたその曲に、聴き覚えがある。
でも、ラララと歌うその部分の前後に覚えはなく。
「聴き覚えはあるんだけど…」
「あああ、皆んなそうなんだよね…」
いつの間にかクラス全員が曲の一部を口ずさまれて、曲名を思い出せないドツボにハマっている状況。
「あ、曲を調べるアプリってなかったっけ?」
「わっ、頭良!」
アプリを入れて口ずさんでみる女子。
「ヒットしないんだけど」
「えー?」
他の奴らもアプリを使ってみるけど、わからず…
真相は闇の中。
だけどクラスは妙な一体感に包まれて、カラオケへ行こうと盛り上がっていた。
「カラオケ行く人挙手ー!」
カラオケへ行くと盛り上がっている輪から外れていた男子もパラパラと挙手をする。
普段は参加しない奴らのことを言い出しっぺグループが笑顔で歓迎する。
楽しそうだなと羨ましく思いつつも、ぼっちで陰気キャの俺は手を挙げる勇気はない。
そっとその場から離れると、「一緒にいかない?」と声をかけられた。
俺に曲名を知っているか質問して、ラララと口ずさんだ女子。
「今日、ちょっと、用事があって…」
「そっか。また今度ね」
バイバイ、と手を振って、グループの輪に戻って行く。
俺は盛り上がる教室を後にした。
さっきの女の子が口ずさんだラララが脳内で繰り返し再生する。
綺麗な声だったなあ。
あの子の歌声は聴いてみたかったかも。
それにしても、あの曲名はなんだ?
クラスの皆んなは忘れているだろうラララを俺は口ずさんだ。
ラララ
金木犀の花咲く頃、散歩をするのが好き。
甘い香りに誘われて、少し遠くまで歩いてみる。
それは風が運ぶ高揚感。
風が運ぶもの
ひらり
(誰も知らない秘密 2025/02/08の続きの小話)
ひらり。
隣の席から通知表が俺の足元の床へ滑り落ちて来た。
幸いにも通知表は開かなかったから、隣の席の女子に俺が見たとか疑いをかけられずに済んだ。
だってさあ、嫌じゃん?
私のを見たんだから自分のも見せろとか、不公平だとか言われるの。
お互い似たような成績だとわかっていればまだマシだけど、この子と俺の成績は結構違う。
俺の成績は一応4と5が揃っている。
対するこいつは主要教科3か2だと思う。だって前に、赤点の追試対策をしてやったことがあるし。
「ねぇ、そう言えば、前にもこんなことがあったね。
あたしの定期テストの個票がひらひら落ちて、バッチリ見られちゃったこと」
「…そう言えばあったなあ。赤点取ったから勉強教えてくれって言ったくせに、図書館で寝てたこと」
あの日のことはバッチリ憶えている。
なんなら通知表がひらりと舞ってすぐに思い出したのに、俺はついスカしてそう言えば、なんて言ってしまった。
好きな子にカッコつけたい年頃なんだよ、多分。
「もう寝てたことは忘れてよ」
赤い顔して恥ずかしくて怒り口調なのが可愛い。
俺の視線を避けて横を向いてぷっくりと尖らせたリップクリームで潤った唇に目がいく。
図書館で起こす前に、こっそり奪った唇。
俺の誰にも言えない秘密。
柔らかくて暖かくて、愛おしさが膨れ上がったあの日のキスは、忘れるワケない。忘れたくない。
「忘れてやらないよ」
と笑うと、「ひどっ!」と言いつつ彼女も笑う。
「あたし、あのとき、数学と英語を教えてもらったじゃん?」
「うん」
「あれで多分、皆んなに追いついたんだよね。授業に追いついたって言うか」
「あ、マジ?」
「うん。あれからね、授業がわかるようになって、数学と英語の小テストは、毎回点数が上がったんだよ」
「やったじゃん!」
嬉しそうにちょっと得意げに報告してくれて、俺も嬉しくなる。
あのとき勉強を教えて良かった。
そして。
「単元が進んでも点数が取れるって、すげえじゃん」
「うん、担任にもね、最近頑張ってるなって言われた」
「マジか。俺、そんなん言われたことねーわ」
「ずっと良い成績だからだよ。あ、そうだ。お礼に、コレ。手、出して」
「何?」
「いーから」
右手の手のひらを上に向けさせて渡されたのは、透明のラッピング袋にクッキーが数枚入れられた物。
「これ…」
「あっ、友だちに作ったヤツの余りだよ!それ以上の意味はないから!」
「まだ何も言ってねーけど…」
「あっ、じゃあ、私、友だちと一緒に帰る約束してるしっ、待たせちゃ悪いから!じゃあねっ!」
「じゃあな」
ひらり。
スカートが勢いよく翻る。膝裏が見える。程よく筋肉のついたふくらはぎも。
って、見惚れている場合じゃなくて。
「ありがとうっ」
クソデカボイスで叫んだら、もう一度スカートが翻って、スゴい形相でシーっと指で静止される。
修了式後の別れを惜しむ複数のグループから、俺に視線が集まったのはわかった。
だけど俺は、彼女だけを見ていたくて。
明日から、春休み。
俺は部活で日参するけど、帰宅部の彼女が今度学校へ来るのは入学式前日の準備の日だろう。
その頃の桜はきっと満開で、ひらりひらりと幾重にも花びらが舞い踊っていることだろう。
踊るようにスカートが翻る彼女と、桜の花びらが舞う頃、もう一度クラスメイトとして再開できたら良いのに。
ひらり
職員玄関の下駄箱の靴の上。
意中の人の靴の上に、それはあった。
真っ白な封筒に蓋をするように貼られた四つ葉のクローバーのシール。
封筒の裏面が上になったソレに、差出人の記載はない。
生徒の誰かか、職員の誰かが置いた手紙のようなソレ。
職員の誰か…はよっぽどありえないか。
学校職員全員がメンバーのLINEグループがあって、そこから個人的に繋がれば良いわけだし。
やっぱり生徒からのラブレターと考えるのが自然よね。
先生が担任しているクラスの子?
部活の子?
委員会の子?
それとも接点がない子?
「どうかされました?帰らないんですか?」
意中の人が私の隣に立って私の視線を辿り、あっ、と声を発した。
「ラブレターですか?」
「…ですかね?」
「口元、弛んでますよ」
意中の人が慌てて口元を引き締める。
正直、面白くない。
意中の人は表面を確認する。
覗き込むワケにはいかないから、私は自分の靴を手に取って、何とも思っていないフリをする。
「僕、こういうのもらったの初めてです。案外嬉しいものですね」
先生、そんなにわかりやすく嬉しそうにしないでよ。
「中身を読んでないのに?」
「読まなくても四つ葉のクローバーのシールを選んでくれている時点で、可愛いなって思っちゃいますね」
「…手を出すのは生徒が卒業してからにしてくださいよ」
ああ、私はバカだ。思ってもいないことを口にしている。
本当は、私以外を見ないで欲しいのに。
意中の人は間髪入れず存外強く否定する。
「そんなつもりはありません!」
「差出人も知らないのに、言い切れるんですか?」
ああ、どうして私は可愛くないことばかり口にしているんだろう。
四つ葉のクローバーを貼った生徒の方がよっぽど素直で可愛らしい。
私だって、手紙の相手が意中の人でなければ、可愛いなって好意的に思えるはずなのに。
彼は鞄を開けて、クリアファイルに挟んだ。
真っ白な封筒が私には眩しすぎる。
「僕には好きな人がいるからですよ」
意中の人はフッと寂しそうに笑った。
「先生…?」
「さよなら。また明日」
先生は片手をあげて去って行く。
ラブレターの差出人は誰?
先生の好きな人は誰?
皆目見当がつかない。
わかっていることは、先生がラブレターの差出人を可愛いと思ったこと。
今の私は全然可愛くないこと。
先生には好きな人がいること。
先生の好きな人は誰かしら?
職員の顔を思い浮かべてみたところで思い当たる顔はない。
前任校だったら、さらにその前の学校だったら、大学時代や高校時代の同級生だったら…私が知る由もなく。
誰かを探るよりも、自分が素直で可愛くならなければいけないとわかっているけれど。
「好きな人がいるなら、早く諦めなきゃね」
呟いた言葉があまりにも後ろ向きで、溜息をついた。
誰かしら?