Mey

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11/5/2025, 2:48:03 PM

君と歩く秋の夕暮れ、金木犀の甘い香りが僕の心を過去の淡い片恋の想い出へと向かわせる。

行かないで、お願い。

幼すぎて言えなかった願いは叶わずに、君は両親に手を引かれて引っ越してしまった。
ジェット機の音を追いかけて空を見上げると、金木犀の鮮やかなオレンジ色が陽光に反射して眩しく揺れていた。

成人して、君は僕が住むこの街へ帰ってきた。

僕が見上げたあの金木犀が植えられた家へ、今日から僕と君は一緒に住むんだ。




キンモクセイ

11/2/2025, 12:10:38 PM

どこへ行こう

って休日の前日や当日によく思う。
スマホで眺めて時間が溶ける。
結局近場へ出かけたり出かけなかったり。

普段からスマホで動画やSNSを眺めてるくせに、ランチの場所でさえ(どこへ行こう)って思うんだよね。

忘れっぽくてめんどさがり、結果インドアな自分。
人生損してる気がする。



どこへ行こう

10/25/2025, 10:05:33 AM

23歳の私の誕生日、交際中の彼がバースデーケーキの箱を抱えて私の部屋へやって来た。

いつ言おう…

そんな私の悩みなど知らない彼は、笑顔で私にケーキの入った箱を開けさせる。中には2〜3人用の小さなホールケーキが入っていた。
私の好きな、フルーツタルトのケーキ。チョコレートのプレートには私の名前とhappy birthdayと筆記体の流れるような文字。

交際を始めた大学生の頃から、彼は毎年お祝いしてくれている。

ケーキに刺したキャンドルの炎を吹き消し、2人でホールケーキを食べ切る。
「2人とも甘いものが好きで良かったよね」なんて、過去、笑顔で食べていたのに、今の私は少しだけ胃もたれ気味だ。


ケーキを食べ終わると、彼はいつの間にか背中の後ろへ隠し持っていた箱を自分の両掌に乗せて私へ差し出した。

「結婚してください」

彼の声は少しだけ震えている。
言い終わって引き結んだ唇と私を見つめる瞳が、私の返事を待って揺れる。


彼に、私との結婚の意思があることは気づいていた。

大学生の頃、結婚するなら私みたいな人が良いと何回か伝えてくれていた。私は小さな声で「うん、私も」と返事をしたこともある。
手を繋いで幸せだと思ったあの頃。

…だけど、私の気持ちは揺らいで、そして変わっていった。


社会人として働くようになって、彼と働き方に大きな差があることが気になってしまった。
総合病院の看護師として働く私と、中小企業に勤めるサラリーマンの彼。
平日8時間労働、残業なしの彼と、残業がデフォルト、夜勤や土日出勤が当たり前の私。

不規則な勤務体系の休日を休息に当てたい私と、土日は一緒に過ごして欲しい彼。
私が頑張らなければ、不満に思う彼。


彼のことは好き。
ライブの楽しさを教えてくれて、サーキット場へ行ってモータースポーツの迫力も教えてくれた。

愛し合う夜が愛を強くすることも教えてくれた。


彼は今でも、私との結婚を考えてくれている。

新卒でこの総合病院に就職したとき、本当に仕事のできない看護師だった。
それでも勉強して、先輩看護師に叱られても教わりながら、なんとか職場の人や患者家族に認められるようになった。

いずれ辞める日が来るとしても、今じゃない。
あと数年はこの病院を辞めたくない。
スキルアップするために、病棟看護師を辞めたくない。


だけど彼が満足できる結婚生活を送るためには、私が職場を変わらなければいけない。
基本給や手取りが減って、収入が減るってわかっているのに。


「ごめんなさい」

彼が差し出した掌に乗る小さな箱を、そっと、だけど確かな意思を持って押し返す。
それをされた彼の瞳が哀しげに揺れる。

「どうしても…受け取れない?」

「うん…ごめんなさい」


婚約指輪だとも結婚指輪だとも言われていない箱を彼の掌に乗せたまま、私を見つめて懇願した。

「でも…開けてみて」
「できないよ。ごめんなさい」

中身の見えないその箱を、私は持つこともしなかった。

悲しんでいる彼を直視できずに、私は自分の身体を抱きしめる。

彼はため息を吐いた。
私が頑なに断ったとき、梃子でも動かないと彼は知っているからだ。


彼は小さな箱が入っていた紙袋からラッピングされた袋を出してそのリボンをするりと解き、淡いピンク色の毛糸で編まれたマフラーを取り出した。

彼にマフラーをするりと首に巻かれると柔らかな風合いで暖かかった。
淡いピンク色…彼に私はこんなに可愛く映っていたんだと思うと、申し訳ない気持ちになった。


「…今日は帰るよ。誕生日、おめでとう」
彼の声には疲れが滲んでいた。

「…今までありがとう」
結婚したい彼の時間をこれ以上奪いたくなかった。
彼が私を驚いて見つめて、何かを言おうとして唇が震える。だけど彼は言葉を発することなく、顔を横に向けて視線を逸らせた。

私の声は震えていたけれど、彼にきっと私の想いは伝わった。


彼は私が受け取らなかった箱を乱暴にバッグに放り込んで、玄関へ速足で駆けていった。

彼は傘立てにぶつかったのだろう。傘立てが倒れた音が大きく響く。その音に重なるように玄関ドアが閉まる音も重く響いた。


ごめんなさい。

もう彼に謝罪の言葉は聞こえないけれど、私はまた呟く。



私が受け取らなかった箱。
彼も二度と開けない箱にしてしまったのかもしれない。





秘密の箱

10/19/2025, 10:37:10 AM

光と靄の狭間で


彼女の23歳の誕生日。
僕は彼女の好きなフルーツタルトのホールケーキを持って彼女の部屋を訪れた。
小さなホールケーキのキャンドルの炎を彼女が吹き消すと柔らかな淡い光が余韻を残す。僕は照明のリモコンを手に取り、部屋を明るくしてケーキを切り分けた。

交際を始めた大学生の頃から、僕は彼女と2〜3人用の小さなホールケーキを食べ切ってきた。
「二人とも甘いものが好きで良かったよね」と笑い合って、半分こづつ。彼女はフォークで小さく切り取って小さな口に少しづつ運ぶ。
彼女はずっと昔から可愛い。小動物のようなその食べ方だけでなく。


彼女は光のような人だ。
僕は彼女と想い出を共有してきた。アーティストのライブやサーキット場の迫力を、黒目がちの瞳をキラキラさせて彼女は喜んでくれた。
夜の帷が降りた暗い部屋で二人きりで過ごす時間は、二人の愛が強くなることを教えてくれた。


僕たちは一度も喧嘩をしたことがない、穏やかな関係だ。
互いに意見を言い合わなくてもなんとなく思いを察することができている。それって、素晴らしい関係だと思う。

だから僕は大学生の頃、彼女に「結婚するなら君みたいな子が良いなあ」と何回か言ったし、それに対して「うん、私も」と小さな声で返事をしてくれたとき、嬉しかったけれど当然のこととも思った。


彼女に光だけが差しているわけじゃないとわかったのは、大学生卒業後だ。
看護師として就職したとき、側から見ている僕でも看護師という仕事は精神を削られていくんだとわかった。
やつれていく彼女が心配で、僕は彼女と休みが会うたびに彼女を外へ連れ出した。気分転換が彼女には必要だった。

彼女が働き始めて1年を過ぎた頃、彼女の顔にはようやく明るさが戻った。

その頃だっただろうか。
彼女が休みの日に僕が部屋を訪れたときに笑顔で迎え入れてくれていない気がしたのは。







10/14/2025, 3:49:28 PM

私が幼かった頃、毎年晩秋になると母親と母の兄一家は私を愛知県からお隣の長野県へ、りんご狩りに連れて行ってくれた。

国道151号線、山道のドライブはくねくね道。酔いやすい私は今でこそ酔い止めを飲んで道中は眠る、という技を編み出しているが、その当時は子ども用の酔い止めがなかったのか、飲ませたくなかったのか、丸腰でくねくね道に挑戦させられ、毎年のように車酔いをしていた。
それでも、標高が高くなると枯れ草が雪に覆われ、やがて車窓から見える畑も雪に覆われる。
雪景色にわくわくし、飽きることない雪原の眩しさに嬉しくなる。
飯田から中央道に乗れば南アルプス山脈の雪景色が続き、手前はりんご畑がどこまでも拡がる。
否が応でもりんご狩りへの期待が高まった。


「こんにちは」「こんにちは」
毎年お馴染みのりんご農家のおじちゃん、おばちゃんとにこやかに挨拶を交わす。おじちゃんは白髪短髪、薄い茶色のサングラスをかけた中肉中背で筋肉で腕が太い人。おばちゃんは黒髪白髪混じりのショートカットでサイドの髪を耳にかけた、女性にしては背が高くキリッとした感じの人。
りんご畑の土は靴越しに柔らかくふんわりと沈む。りんごの甘酸っぱい匂いが周囲に強く漂う。
「準備してたよ」とブルーのレジャーシートの上には、薄緑色のプラスチック製のカゴ、ハサミ、ナイフ。
りんごの美味しい見分け方を習っている私だけど、おばさんはまた美味しいりんごの見本を見せてくれて説明してくれる。
艶々した大きな紅いりんごは、ふじ。大好きな品種。

「りんごのお尻を見てね。深く窪んでて黄色っぽいものだよ」
ナイフでスパッとりんごを縦に切ると、果汁が飛び、蜜がいっぱい入って、甘酸っぱい匂いが強くなる。
「美味しそう!」
「頑張っていっぱい食べてね」

タートルネックのセーターに厚手のジャンパーと内側が起毛処理してあるズボン。厚手の靴下。
防寒対策バッチリで着膨れしたままら青空とりんごの葉やりんごのお尻を眺めながら、手を目一杯伸ばしてりんごを斜めに持ち上げると、パキッと小君良い音と共にりんごの茎がポッキリ折れた。
ちょっとベタベタするこの感じは、蜜がいっぱい入っててきっと美味しい。
りんご農家のおばちゃんは忙しく接客中で、おじちゃんのところへ見せに行く。
「これ、美味しいよね!?」
おじちゃんはりんごのお尻をチラッと見て「美味しいよ」と白い歯を見せて笑った。
「やった!」
そのまま私の家族が座るレジャーシートに座って、りんごの皮を剥いてくれる。皮が陽に透けそうなほど薄く、私は感嘆のため息をこぼす。
おじちゃんは私の視線に気づいて嬉しそうに笑った。

正午近くになり秋の日が差し出すと暑くなってジャンバーを脱ぐ。
湿度の低い爽やかな風が気持ち良い。
蜜の入ったりんご、2個目を齧る。


「梨、剥いてきたよ」
その声に振り返ると、おばちゃんが大皿に山盛りの梨を抱えて持っている。
梨の甘い香り。
梨の断面から水滴が滲んで、食べる前から瑞々しい梨だとわかる。
「いただきまーす」
次々と大皿に手が伸び、大きな梨を手に取る。
程よく冷やされた梨は、大きな口で齧っても、まだ半分も減っていない。そしてとても甘く、口の中で水分が弾けた。
「美味しいっ!」
「うんうん。今年は梨もりんごも甘くて美味しいから、たくさん食べてね!」
「うんっ」

親友の姪っ子という理由だけで、りんご狩りなのにお腹いっぱいになるまで梨をサービスしてくれる。
帰り際、おばちゃんは私にスーパーの袋いっぱいに詰めた梨をプレゼントしてくれた。
両手で抱えて持ってもズッシリと重い。
「ありがとうございます!!」
「また来年も来てね」
「うんっ」

毎年交わした約束は、私が高校を卒業するまで続いた。


それから10年ほどは、私は学業や仕事が忙しく、毎年恒例のりんご狩りに参加できなかったが、母と母の兄夫婦は自分の息子夫婦や孫を連れてりんご狩りをしていた。
親が長野県から帰宅すると、家の寒い勝手口はりんごと梨の甘酸っぱい匂いで充満し、私はあのりんご狩りの風景を思い出した。
りんごの皮も梨の皮も剥いて食べるが、あのおじさんのように陽が透けるほど薄く長く剥くことはできない。千切れた皮を見ては、「もっと薄く剥くんだよ」と教えられた高校生の頃を思い出す。


その後、私の母が亡くなり、母の兄が亡くなり、恒例のりんご狩りは途絶えてしまった。
ただ、りんごや梨が美味しい時期になると、りんご農家のおじさんおばさんは、母の兄の奥さん--叔母さん--へたくさんのりんごと梨を送ってくれた。
「持ちにおいで」と言われて持ちに行き、段ボールに詰められたりんごをひっくり返してお尻を見る。黄色っぽく、窪み、りんごの表面がペタペタしてる。
家まで1時間の距離を待てなくて、叔母さん宅で梨の皮を剥いて手づかみで食べる。変わらず瑞々しくて濃厚な甘味。だけどどこかサッパリしてて美味しい。
「心を込めて育てました」
段ボールに入れられた手紙のコピーに笑みが溢れる。
「電話したら美味しかったって言っておいてね」
「わかった」

甘い匂いの段ボールを抱えて車に載せる。
匂いと共に1時間、家に帰れば旦那と子どもたちが競うように食べるのだろう。
あの子たちは、りんごの皮を剥かない方が美味しいというこだわりがある。
それも素敵なことだよね。

私は笑顔でハンドルを握った。


数年前、りんご農家のおばさんが認知症状が進んで施設に入居したと、私の叔母さんから聞いた。
女性にしては背が高くキリッとしているけれど、梨をたくさんプレゼントしてくれる、あのおばちゃんが。
「そっか…姉さん女房なんだっけ?」
「そう。5歳くらい上だったかな」
「若く見えるのにね」

りんご農家のおじさんおばさんは今はもう80歳を超えているはず。
あのりんご園はどうなったのだろうか?
ふかふかの土と、りんごと梨の甘酸っぱい匂いに満たされたあの場所は。

「ひとり、息子さんいたよね?」
「うん、あんたと同世代。東京で暮らしてる」
「そっか…」

歳月は流れていくんだ。誰のもとへも平等に。

仏壇にお供えしたりんごと梨はスーパーで買ってきた物。
お尻の黄色味の少ない、表面がペタペタしない、蜜が入っていないだろうりんご。

叔父さんへ線香をあげて手を合わせた。
「りんごと梨、これでごめんね」と。


そして昨年、りんご農家のおじさんが亡くなったと、叔母さんから聞いた。
薄い茶色のサングラスの下の瞳がいつも笑っている、皮を剥くのが上手なおじちゃんが。

「そっか…」
「東京の息子さんが、私の番号をなんとか調べて電話をかけてくれてね。家にかかってきた電話だけど、なんか胸騒ぎがして、出て良かった」
「ホントだね」


2人、お茶を飲みながらしんみりとする。

そう言えば、りんご園は寒いからと湯呑みと急須には熱いお茶を準備してくれた。
お茶請けは小松菜の漬物。
お菓子じゃないことにビックリしたけれど、長野県のお茶請けは漬物が定番だと聞いて二度驚いたことを思い出す。


おじさんが亡くなったことに少なからずショックを受けて、その日は早めにお暇した。

もう二度と逢えないんだ。

青空に、冷たい風が木々を吹き抜け、ザワザワと葉を揺らした。



旦那がスーパーで買う梨は、収穫が早いのか緑がかって青臭い。
甘味が足りず、瑞々しさが足りず、満足感が得られない。

だけど、ごく稀に。
甘い香りのする、瑞々しく張りのある大きな黄色の梨に出会うことがある。
お尻を眺めて満足して半分に切ると、断面から水分が弾ける。


そんなとき、あの、りんご狩りに行った日のことを思い出す。
寒くて、雪景色が綺麗で、梨もりんごも美味しくて、おじさんおばさんの温かな笑顔を。

もう二度と戻ることのできないかけがえのない晩秋を。






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