Mey

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彼女と初めて結ばれて幸せだと思った月明かりの夜。
翌朝、朝陽の明るさに目覚めると、彼女が居たはずのシーツは冷たく、浴衣は元通りに畳まれていた。

彼女は元彼を忘れて俺のことを好きになってくれたと思っていたのに、それは俺の独りよがりだったのだろうか?
波が寄せては返す波打ち際に白いワンピース姿で座って波音に耳を澄ます彼女。

朝陽を受けて波がキラキラ輝いている。
真っ白なワンピースが眩しい。
ふと、旅館の白いシーツを思い出した。彼女不在の真っ白なシーツとその冷たさを。
波音に耳を澄ませた彼女は何を想っているのだろう。

それはきっと、俺のことではなくて……


あの初めて結ばれた翌朝から、俺たちに流れる空気はなんとなくよそよそしくなったように思う。
どこかお互いの顔色を伺うような、意識的に笑顔を見せているような気がする。
気のせいだったら良いのだけど……アイスコーヒーを飲む彼女の横顔を伺う。

「味見したい?」
「え、」
「ジッと見てくるから」
「……あ、うん、俺のも良かったら」
「ううん、コーラはどこで飲んでも一緒だもん」
「…だよな」

彼女のブラックコーヒーに口をつける。
苦い。めちゃくちゃ苦い。
一口飲んで顔を顰めた俺に、彼女はふふっと笑った。
「どうせお子様舌だよ」
アイスコーヒーを返す。同じ歳だけど、彼女の方が大人だと思い知る。味覚だけじゃなくて、何もかも。
俺が初めて結ばれた人は彼女だけど、彼女はすでに経験していた。元彼と。

「あの……私、手紙を書いたの。言葉で話すの、難しいと思って」
彼女がバッグから真っ白な封筒を取り出して両手で差し出した。
俺の名前が細く小さめな丁寧な文字で書かれていた。
封筒の裏をひっくり返すと、彼女の名前が宛名よりさらに小さな文字で書かれていた。
封をした水色のマスキングテープが、あの渚を思い出させる。

心臓が強く打ち付け、鳴り止まない。
この手紙には何が書いてあるのだろうか。
愛の言葉、別れの言葉…。
薄い封筒なのに重たさを感じて、指先が微かに震え始める。
俺は封筒が折れ曲がらないように注意深くカバンへ入れた。
彼女が一連の流れを不安そうに見守っている。
心配してくれるのなら、まだ、俺に可能性が残されているのだろうか。

「帰ろうか」
「……うん」
彼女を家まで送る。その間、手紙のことは俺も彼女も一切触れなかった。
一刻も早く手紙を読んで、彼女の想いを知って、俺の想いを告げてしまえばこのよそよそしい関係から脱せられるかもしれないのに。
ベッドに寝転び白い封筒を手にしても、開封する勇気が持てない。
水色のマスキングテープは意図的か、偶然か。


眠れない夜を過ごし、空が白んだ頃眠ったらしい俺が起きたのは、太陽が真上に登ってからだった。
歯磨きをして身支度を整えて彼女からの白い封筒に入った手紙をまたカバンに入れる。
ローカル線とバスを乗り継ぎ、あの渚に向かう。
初めて二人で旅したあの海岸へ。一人で。


彼女が波音に耳を澄ませていた海岸へ到着したのは、空が夕焼けに移行しつつある時間だった。

手にしている白い封筒に目を留める。
あの日着ていた彼女のワンピースと旅館のシーツの白い冷たさを思い出して、水色のマスキングテープを剥がす勇気が出ない。
手紙を読むのが怖い。読まなければ彼女の想いを受け取ることができないのに、受け取るのが怖い。
そのまま歩き続けて桟橋に辿り着いた。
桟橋の先で、手紙を読もう。そう決めて、桟橋を歩く。
キシキシと歩くたびに小さな音が鳴っているけれど、それ以上に絶え間なく果てしなく続く波音が心を揺らしている。


俺は、彼女が好き。
きっと手紙を読んでも。変わらずに好きだ。

テープを外し、便箋を開く。
細く小さめな丁寧な文字が並ぶ。彼女らしい繊細さと可愛らしさに知らず笑みが溢れる。

「二人で旅行した日、楽しかった。あなたの想いが嬉しかったのも本当だよ。あの夜、幸せだとも思った。
だけど……私の気持ちがあなただけに向いているのかどうか、正直わからない。
こんな中途半端な気持ちであなたのそばにいることが心苦しくなることがあるの。
あなただけを愛したいから、私に時間をください。
お願いします」

彼女の心はやはり揺れている。
寄せては返す波のように、俺と元彼の間で。
それを誠実に手紙に認めてくれて、俺はホッと息を吐いた。
俺を簡単に切り離さず、嘘を吐かず、誠実な彼女は俺の好きになった彼女のままだった。


彼女はきっと答えを導き出す。
時間をかけた結果、俺だけを好きだ確信してくれるかはわからない。
だけど、俺は彼女のことが好きだから。待ってる。


便箋を封筒に入れて、水色のマスキングテープをしっかりと押さえた。
桟橋から手を伸ばして海へ差し出すと手紙は海へ滑り落ちていった。
キラキラ光る海に白い封筒が漂う。

彼女の気持ちはわかった。
俺は彼女を待つことに決めた。

それで良い。

彼女の憂いは、彼女が最終的にどうするか決めた後には、なかったことになった方がきっと良い。


夕焼け色にキラキラ光る海は美しい。




「波にさらわれた手紙」

8/3/2025, 3:21:53 AM