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3/8/2024, 10:45:22 AM

「お金よりも大事なものってあると思う?」
「え?あるでしょう、そりゃあ」
あっさりと言い切った母に私は驚いて、足をマッサージしていた手を止める。
「……え、ママにお金よりも大事なものってあんの?」
貧乏な家庭で育った私は幼い頃から、お金の扱い方や大切さ、恐ろしさについてしつこいくらいに母から教育を受けてきた。母の口癖は「お金は大事」で、正直お金よりも大事なものがあるとは思えない。
「ママを何だと思ってるの?」
呆れ顔で息をつき、それから少しだけ照れたように笑いながら言う。
「自分の子供よ、自分の子。お金がなくても、あんたがいれば幸せだったから」
滅多に言葉で愛情表現をしない母が何故そんなことを言うのか、理由は簡単に理解できた。理解できたけど、理解したくない。
私はその理由をもうずっと、3ヶ月前に告げられてから一度も受け止められないでいる。
「そっ、かぁ…」
「……お金は大事だよ。お金がないと生きていけないよ。でもそれ以上に、大事な人が側にいないのは辛いことよ」
幼い頃から貧しくて、それでも不幸だと思ったことは一度もない。
お金がなくても、何故幸せだったか。
「あなたも、大事な人を見つけるのよ。……もうママは、側にいてあげられないんだからね」
その言葉で、私の喉からは嗚咽が溢れた。
何も言えずに突きつけられた現実を拒絶するように両手で顔を覆う。宥めるように肩を撫でられたが、いやいやと首を振る。母は私を抱き締める。抱き締められたのなんて、いつぶりだろう。
なにもかもが嫌だ。
らしくもない優しい言葉も、慰めるような優しい手も、抱き締めてくれる腕も、全部全部、この先に待ち受けるであろう出来事があまり重すぎるからだ。
もう側にいてあげられない?
分かっているけど、そんなことを言わないで。
私は、まだ受け止められないのに。
「ごめんね、こんな母親で。あなたは、幸せになってね」
母は3ヶ月前に、余命半年と宣告された。癌だった。
「……無理だよ」
あんなに貧しかったのに幸せであれた理由そのものである母がいなくなるなんて、そんなの想像するだけで恐ろしい。心臓が潰れそうなほどに苦しい。
「そんなの、無理」
縋るように母の体に腕を回す。
まだ行かないで。どこにも行かないで。私を置いて行かないで。
悲痛な言葉は声にならず、呻くような嗚咽として溢れていく。
ぎゅっと腕に力を込めるけど、お金よりも大事なものが、今この間も、この手からゆっくりと零れていっている。


「お金よりも大事なもの」2024/03/08

2/15/2024, 11:43:51 AM

「誕生日おめでとう」
母親からいきなり、20歳の誕生日を祝われた。
黙々と夕飯を食べていた私が驚いて顔を上げると、母親は笑みを浮かべていた。久々に見る笑顔だ。
―――何故、祝ってくれるんだろう。
頭の中はその思いが埋め尽くす。
19歳の誕生日はスルーされていた。いや、スルーされるのは当然のことだから何とも思わない。
こんな穀潰し、祝う価値もない。だから、祝わないでほしい。
祝われてしまうと、何も変われていない、前にも後ろにも進めず部屋に閉じこもってばかりの「私」のまま年を重ねたことを実感してしまって、申し訳なくなってしまう。
気付けば、「ごめん」と小さく呟いていた。
「謝るくらいなら、週イチでも良いから働いてほしいわ」
「……うん、だよね」
やりたいこともなかったから大学に行くのは無駄だと思って、高卒でも働けるところを探し、働いた。けれど社会に出て、自身が社会に馴染めない人間だと思い知らされた。
物忘れが多い。メモをしてもそのメモを忘れる。集中力が続かない。遅刻が多い。
職場からは不要と判断され、いらないもの扱いを受けた。
だから結局、すぐ辞めてしまった。
項垂れる私に母親は苦笑いを浮かべた。
「嘘だよ、ごめん。……あなたにね、これを渡したかったの」
差し出されたのは、一通の封筒。
「……なにこれ。手紙?」
封筒を裏返して見て、目を見開いた。
「は……?わたし…?」
そこには、下手くそな拙い字で私の名前が書かれていた。10歳の私からの手紙だった。
「あなた、覚えてる? 10年前、大きな病気して、手術をすることになって、」
母親が懐かしむように遠くを見つめながら言う。
「あ、ああ……確か手紙、書いたね。10年後の私に向かって」
「あの時は、あなたが20歳を迎えられないかもって正直覚悟してたんだけど、無事、今日を迎えられて良かったわ」
「…私、ニートだけど」
「ニートでも。そりゃ、早くやりたいことが見つかれば良いなって思うけど、あなたが元気でいてくれることがとても嬉しい。……だから、職場で何があったかは知らないけど、卑屈になんてならなくて良いのよ」
その言葉に、目頭が熱くなるのに、心の一部は冷めていた。私なんか、そんなに大事にしてもらえる価値なんてないのに、と思ってしまう。
「……そっか」
「手紙、読まないの?」
「後で読む。……はぁ、なんか、申し訳ないなぁ」
夕飯を終えた私は自室に戻ると手紙の封を開けた。中身は私が書いたものだから当たり前だけど、特に変わったことは書いていなかった。
「……返事でも書くか」
やりたいことも仕事もなにもない私には時間が腐る程あって、馬鹿だなと思いつつ返事を書くことにした。

◯◯◯

明日手術だ。
緊張で眠れないでいた私はトイレに行ってから、またベッドに潜り込む。その時、カサ、と紙が擦れるような音がした。
「なにこれ……手紙?」
トイレに行く前はこんなのなかった気がするけど。
手紙を見ると、未来の私が書いたものだった。
「え!?」
私は飛び起きて枕灯をつけると手紙を開く。
中身はとても短かったけど、不安な気持ちを消し去るには十分だった。

『なんとか元気に生きています。やりたいことは、これから探す予定です。明日はバイト先を探します。』



「10年後の私から届いた手紙」2024/02/15

2/13/2024, 10:40:16 AM

積もっているけど、走れない程ではないかな。
車に積もった雪を退けながら私はそんなことを思う。積雪量の多い地域で育った私からしたら、余裕の範囲内だ。
「そろそろ良いかな……」
ある程度雪を落として、車に乗り込む。先にエンジンはかけておいたから車の中は温かい。
肌を刺す夜の空気で夜勤明けのぼんやりした頭が覚醒していて、問題なく運転できそうだ。問題なく、仕事帰りの彼を駅まで迎えに行けそう。驚き、嬉しそうにする彼の顔を想像してにんまりと笑みを浮かべて車を発進させた。
【駅にいるからね】
【本当にありがとう!お礼に何か奢るよ!】
雪道は特に問題なく運転できて、無事に駅まで着いてからメッセージを送る。すぐに既読がついて、感謝の言葉が送られてきた。
そんなことしなくてもいいのに、と相変わらずの優しさに笑ってしまう。別にいいよと返事をする。
普段から尽くしてくれているから、夜勤明けで運転なんて絶対したくないと思っていたのに、進んで迎えにきたのに。
【着いた!待ってて!】
彼から到着を知らされ、わくわくと胸が高鳴る。
メッセージが届いてからすぐ、彼の姿が目に入る。彼は手を小さく振りながら私の車に近づいてくる。
「夜勤明けなのにありがとう!」
車に乗り込みながら、彼が言う。想像以上の喜びを見せるから、嬉しくなってしまう。
迎えに行くというのも、わりと良いものかもしれないと思った。

2024/02/13 「待ってて」

1/19/2024, 2:05:37 PM

瞼の向こうでは、誰かの泣き声が聞こえていた。
その声は、とても愛しい。
けれど、ゆっくりと、音は遠ざかっていく。

「ん……?」

目を開けると、綺麗な世界が広がっていた。
わぁ、と小さく歓声を上げ、一歩足を踏み出す。柔らかな草の感触が素足に伝わってくる。小さい花や大きな花が、心地好い風に揺れる。
背後では穏やかに水が流れる音がする。振り返ると大きな川が広がっており、見事に透き通った川の色に感嘆の息をつく。
そして、寂しさを覚えて唇を引き結んだ。
なんとなく、川の向こうにはもう行くことができないと感じていた。
けれど川の向こうに、行けなくてももう構わないと思っていた。
寂しさと同時に、確かな充足感が胸を占める。
優しくて温かい風が頬を撫でる。
「……ありがとう」
自然と、その言葉を口にする。
その時、慌ただしい足音と、懐かしい声が聞こえた。
記憶が揺さぶられ、濁流のように当時の感情が湧き上がる。まっすぐに日常を生きていくために、胸の奥に仕舞い込んでいたものが溢れてくる。
自然と目からは涙が流れていた。
振り返ると彼が、私を優しく見つめる。その眼差しは、ずっとずっと、私が恋しく思っていたものだった。
懐かしい声が、私の名前を噛みしめるように呼んだ。
その声が私の胸の奥をぐちゃぐちゃにかき混ぜ、新しい涙となって頬を伝う。
「あ……」
言いたいことは山程あるはずなのに、私は何も言えなかった。
彼は私に歩み寄り、頬を撫でる。若々しい手に撫でられるのは、少し、恥ずかしい。彼に比べて、私はすっかりおばあちゃんになった。早くに亡くなった彼よりもずっと長く生きた証拠だ。
「しわしわだ。よく、がんばったね」
そう。私は頑張った。
大切な彼を失って自暴自棄になりそうになる心を支えてくれた人と結婚して、家庭を築いた。そして、とても幸せな人生を送った。
それでも、彼に会いたいと心の片隅では、ずっとずっと、思っていた。後を追いたいと思ったことだってある。
「あいたかった」
涙に崩れた顔で、一言告げる。
「俺もだよ」
抱き締める腕は、あの時と同じで温かくて優しい。
「たくさん、生きてくれて、ありがとう。おばあちゃんになるまで、元気に長生きしてくれて、ありがとう」
彼なら、そう言うと思っていた。
後を追うことを望まないだろうと分かっていたから、懸命に、幸せに生きてきたのだ。
「素敵な人と結婚して、可愛い子どもに恵まれて、幸せそうなきみを見ていて、すごく幸せだった」
彼の声が涙に揺れる。
「最後はたくさんの温かい人に囲まれていて、本当に良かった……」
私の背を抱く手に力が籠もる。彼は、震えていた。鼻を啜る音が響く。私は、彼の背中を優しく撫でる。
「きみを置いていって、ごめん。……きみを、置いていきたくなかった…!」
「……大丈夫よ。こうして、また会えた」
私は泣きじゃくる彼の背中をあやすように撫で続ける。

「これからは、ずっと、一緒よ。一緒に、大切な人を見守りましょう」
「ああ、そうだね」


※※※

「おばあちゃん、幸せそうな顔してるね」
亡くなった祖母は、穏やかな微笑みを浮かべていた。
祖父は泣きすぎて真っ赤になった目を細めて笑う。
「ああ、そうだな」
祖父のしわしわの手は、優しく祖母の頬を撫でる。
「ありがとう」
その時、祖母の優しい声が聞こえた気がした。
「ありがとう」と。 

【君に会いたくて】2024/01/19

11/16/2023, 7:56:42 AM

「最近、うちの猫が仔猫を産んだんだよ」
「はい? ね、猫? 猫ちゃん飼ってるの?」
大して親しくなく、プライベートの話を全くしたことがない彼からそんな話題を振られ、心底驚く。私は、彼の住む場所も通う学校も何もかも知らない。それくらい親しくない間柄だ。
だからつい怪訝な顔をしてしまう。
だが、彼の表情はいつもの仕事の話をしている時と変わりない。
「うん。んで、仔猫飼わない?」
「え!?」
「あと1匹なんだよね。行き先決まっていないの」
「なるほど…?」
いや、親しくもないバイト先で会うだけの私にいきなり聞くことなのか、それは。そもそも私は猫より犬派で、猫はどちらかと言えば少し苦手なくらいだ。互いの情報を知らないのに、何故そんな申し出ができるのか理解に苦しむ。
「えーーっとぉ……あの、りかちゃんは? りかちゃんは猫が好きだから、りかちゃんに頼むのは」
「あの人はだめ」
「あ、断られたの?」
「いや、聞いてない」
「なんで?」
「俺が嫌だから」
淡々と拒絶する彼に首を傾げる。彼女は猫が好きだし、私よりかはよほど適任だと思うのに、何故だろう。
「りかちゃん良い子よ?」
「でも、仔猫を大事にしてくれる人ではないと思うんだよね」
何故そんな風に言い切れるのか。彼は自分の言動を全くおかしいと思っていないらしく、至って平然としている。そんな彼の態度に、イラッとした。
普段から周りと仲良くしようとしないのは別に良い。仲良しこよしが正しいとも思わない。ただ、あまり話したこともないのに決めつけるのは良くない。
りかちゃんは、猫を飼っていて、今でも十分暮らせるらしいが、猫が少しでも豊かに暮らせるようにアルバイトをしているのだ。しかも、もう一匹お迎えしたいと話しているのを聞いている。彼女は十分、猫を大切にできる人だ。少なくとも、私よりかは。
「私は大事にできる人ではないけどね、猫はあまり得意ではないし」
「え、そうなの?」
彼の無表情が崩れ、目を大きく見開く。いつも眠そうな目をしているから、ここまでパッチリした目を見るのは初めてだと頭の片隅で思う。
「決めつけって良くないよぉ?」
極力雰囲気が重くならないように軽く言う。
彼は少し目を伏せて、なにか言いたげに口を動かしたあと「そっすね」と小さく呟く。
なんだか悪いことをしたかなとバツの悪い気持ちになった。

彼とは、あれ以来仕事以外の話なんてしていない。
一度だけ猫は元気かと尋ねてみたが、素っ気ない返事が返ってきただけであった。
どうやら私が気になっているらしいと噂で聞いたことはあるが、そんなわけないと思う。
いや、猫を大事にできる人だという印象はあるんだろうけど。
……やはり私は、分かりにくい生き物は苦手だ。

「仔猫」2023/11/16

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