TK

Open App

「お金よりも大事なものってあると思う?」
「え?あるでしょう、そりゃあ」
あっさりと言い切った母に私は驚いて、足をマッサージしていた手を止める。
「……え、ママにお金よりも大事なものってあんの?」
貧乏な家庭で育った私は幼い頃から、お金の扱い方や大切さ、恐ろしさについてしつこいくらいに母から教育を受けてきた。母の口癖は「お金は大事」で、正直お金よりも大事なものがあるとは思えない。
「ママを何だと思ってるの?」
呆れ顔で息をつき、それから少しだけ照れたように笑いながら言う。
「自分の子供よ、自分の子。お金がなくても、あんたがいれば幸せだったから」
滅多に言葉で愛情表現をしない母が何故そんなことを言うのか、理由は簡単に理解できた。理解できたけど、理解したくない。
私はその理由をもうずっと、3ヶ月前に告げられてから一度も受け止められないでいる。
「そっ、かぁ…」
「……お金は大事だよ。お金がないと生きていけないよ。でもそれ以上に、大事な人が側にいないのは辛いことよ」
幼い頃から貧しくて、それでも不幸だと思ったことは一度もない。
お金がなくても、何故幸せだったか。
「あなたも、大事な人を見つけるのよ。……もうママは、側にいてあげられないんだからね」
その言葉で、私の喉からは嗚咽が溢れた。
何も言えずに突きつけられた現実を拒絶するように両手で顔を覆う。宥めるように肩を撫でられたが、いやいやと首を振る。母は私を抱き締める。抱き締められたのなんて、いつぶりだろう。
なにもかもが嫌だ。
らしくもない優しい言葉も、慰めるような優しい手も、抱き締めてくれる腕も、全部全部、この先に待ち受けるであろう出来事があまり重すぎるからだ。
もう側にいてあげられない?
分かっているけど、そんなことを言わないで。
私は、まだ受け止められないのに。
「ごめんね、こんな母親で。あなたは、幸せになってね」
母は3ヶ月前に、余命半年と宣告された。癌だった。
「……無理だよ」
あんなに貧しかったのに幸せであれた理由そのものである母がいなくなるなんて、そんなの想像するだけで恐ろしい。心臓が潰れそうなほどに苦しい。
「そんなの、無理」
縋るように母の体に腕を回す。
まだ行かないで。どこにも行かないで。私を置いて行かないで。
悲痛な言葉は声にならず、呻くような嗚咽として溢れていく。
ぎゅっと腕に力を込めるけど、お金よりも大事なものが、今この間も、この手からゆっくりと零れていっている。


「お金よりも大事なもの」2024/03/08

3/8/2024, 10:45:22 AM