華音

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9/12/2023, 7:24:58 AM

カレンダー

 1日、2日、3日。日が過ぎていく度にバツがつけられていく。しかしそれは、自分を追い詰めていくための印では無い。
 待ち遠しい日までの、カウントダウンだ。あと数日経てば、君に会える。
 君とは、家までがすごく遠くて、簡単に行ける距離では無い。学校の教室で会うあの瞬間だけが僕にとっての楽しみだった。
 だがお互い学校を卒業し、各々の道へ進み始め、会うことが難しくなった。
 たまに電話で話したりすることはあるが……電話越しから聞こえる声と直接聞く声は、全然違くて。
 余計、会いたくなる気持ちが加速するだけだった。
 この日なら空いてる。そう言われて僕もスマホのスケジュール機能を開く。その時の空白ほど、喜ばしいものはなかった。
 それから、その日のためにたくさんのことを決めた。待ち合わせ場所、時間、どこへ行くか、何をするか。
 電話越しから聞こえる楽しそうな声。僕も思わず綻んでしまう。
 会えるまで1ヶ月。2週間。1週間。3日前。
 その日までの日付を見るために、何回ペンでばつをつけただろう。
 でも、あと少し。僕はあと何個か隣にある数字の配列を指で少し撫でた。
 途端、スマホから着信音が聞こえる。
 この時間帯にかけてくるのは、君だけだ。窓の外を除けば、もう空が赤く染まり初めて来ていた。
 僕は、そっと電話をとる。いつものように「もしもし」と話し始める。
 あと少しだね、可愛い服着ていくね。楽しみだね。優しくて、でも幼さも混じった声がスピーカーから流れてくる。
 僕も、同じ気持ちだ。そうだねと頷く。そこから、他愛もない話を続けた。
 やがて、話を切り上げるとなった時、彼女は言った。
 「遊ぶの終わったら、楽しかったこと共有しようね。」
 僕はハッとした。今まで遊ぶ当日だけを楽しみにしていたが、終わったあとのことを、考えてなかった。
 僕は、待ち遠しい数字の右隣りの数字も見る。
 そうか、この日から楽しかったことを共有できる。今までのことも、これからの事も。
 そうだね、僕は噛み締めるようにそう告げた。
 待ち遠しい日まであと2日。新しい幸せを共有できるまであと3日。
 また、新しい楽しみが、しかも2日連続で来る。
 

9/10/2023, 12:54:16 PM

喪失感

 幼い頃から投げられた、言葉の刃。
 つまらない、出来損ない、愚か者。
 成長して、与えられた使命感。
 真面目な子になれ、愛嬌良くなれ、完璧にな子になれ、統率を取れる人間になれ。
 それが私の生きる理由だった。それしか、認めてもらえなかったから。
 つい数ヶ月前、の話だが。
 周囲の人間が、私を取り巻く環境に気付いてくれて、今私は施設にいる。
 周りの大人達は、私を責めることは無く、よく褒めてくれた。
 友達はあまりいる方じゃないけど、よくお話する子はいるし、その子と話す時は楽しい。
 私は、前よりのびのびと暮らせるようになった。
 今なら分かる。あの環境がどれだけ非道だったのかということを。
 その道から外れる喪失感は、とても甘美に思えた。
 それだけなら、どんなに良かったか。
 たまに、私の過去が私を蝕む。
 本当にこのままでいいのか。
 お前の本当の使命は、忘れたのか。
 ――出来損ないが。
 その度に、完璧にならなくては、良い人にならなければ。そう焦る時がある。
 私の大半は、あの環境で育ってきた。
 つまり、私の考えは、行動のほとんどはあそこの人達によって作られ、与えられ、それらを抱えてここまで生きてきたのだ。
 それが無くなった今、私はなくなってしまったのではないか。
 それなら、本当の私とは一体――?
 非道から外れて進んでいく道はあるはずのものもなく、途方もない喪失感に襲われた。
「あ……」
 ぐしゃり。窓から外の道路を眺めていると、不意に、何かがつぶれた音がした。
 それは、あとに残った残骸で分かった。
 ――鳥が、車に轢かれたんだ。
 残ったかけらは、あまりにも酷くて。
 とても、言葉に表せられない。
 私は、走って部屋を抜け、そのまま先程の道路まで駆けつける。大人にバレない裏道なら、もう何度も通ってる。
道路はそこから近い。
 大人の人にもらったゴム手袋をつけ、私は鳥のそばで近付いた。
 そっと、これ以上壊れないように鳥を持ち上げ、歩道の人が居ないところまで連れてきて、そのまま地面に置いた。
 私は、この鳥に深い思い入れがあるわけじゃない。
 でも、足元につけられた、跡形もなくなったリボンで分かった。この子は、ぴーちゃんだ。
 ぴーちゃんは、私がここの施設にきた時に出会った。
 友達と外で遊んでる時、よくここに遊びに来る鳥がいて。仲良くなりたくて、目印になるようにリボンをつけた。
 その子が、ぴーちゃんだ。
 そのぴーちゃんが、たったこれだけの事で。こんな姿になった。
 私は、何も言わずに、手袋をゴミ箱に捨て、さっきよりゆっくり施設に戻った。
 戻った時、友達とすれ違った。
「どこ行ってたの?」
 その子が私に問う。
「あのね、ぴーちゃん、車に轢かれて死んじゃった」
 そう言った時、目から涙が伝ってきた。
「え?ぴーちゃん……え?」
 友達は私が突然泣いたのを驚いて、ポケットから勢いよくハンカチを取り出した。
「なんで、泣いてるの?ぴーちゃん、死んじゃったの?なんで?どうして……」
「ぴーちゃん……」
 ぴーちゃんが死んだ。
 その事実を言葉にしてみると、なんだか、心の中がすっぽり空くような感覚がした。
 あんなにも、あっさり死んじゃうなんて。
 私は、心にある何かを奪われたような気がして。
 それがあまりに勢いよく、代償として涙が溢れている。まるで瘡蓋を取ったみたいだ。
 でも、同時に。
 これが、あの環境から抜け出した、本当の私がわかる1つの情報となるのなら。
 なんて皮肉なんだろう。私は何故か満たされた気がした。

9/9/2023, 11:26:31 AM

世界に一つだけ

 木の格子から差し込む暗闇。 僅かに聞こえる虫の声。
 少し座る位置をずらすとぎしっと音を立てる木の床。
 着物の袖口から入り込む冷たい風。
 あの日から何日経ったか。私はもう忘れてしまった。
 この村のために、神の元へ迎え。そう村長から告げられ、突然この小屋に入れられた。
 明日は、その神様という人の元へ向かう日。
 もう何も、悔やむことなど無い。
 全て諦めてしまった私に、思い残すことなど無いのだ。
 私は、神様の元へ向かうという仕事をまっとうするだけ。
 ただ、強いて言うなら、あの女の子だろうか。
 いつの日か、深夜に彼女は私の小屋の高い格子から顔を覗かせて、よく話をしてくれた。
 毎晩。それも見張りが居ない深夜に。
 彼女と話す時だけは、満月のように満ちた気持ちだった。
 そんな彼女を、置いていくことだけが不安だ。
 私は、今日も彼女が来るのを、いつものあの格子の近くで待っていた。
「よっ!今日も来ちゃった。」
 草むらから、ガサガサと音が鳴るのが徐々に近付くと、トン。と小屋の天井が揺れる。
 格子に、彼女の姿がうつった。
「毎日、飽きずにここに来るよね。」
「そりゃあ、あんたと話すの好きなんだもん。」
 太陽のような明るい声。身なりからわかる彼女の身分の高さ。
 私には勿体ないくらいだ。
「ねえ、あのね」
「ん?」
 私は、彼女にいつもの口調で伝えた。
「明日、私行くんだ。」
「行くって……え」
 彼女の顔がぴしりと固まる。
「行くって……その……神様の元へ?」
「うん。」
 彼女は苦しそうな顔をした。なんで、そんな顔をするんだろう。
 別に、貴方が神の元へ行く訳じゃないのに。
「ねえ……」
「ん?」
 しばらくして、彼女から口を開いた。
「……ねえ、逃げようと思わないの」
 それは、疑問ではなく、圧が少し籠ったような言い方だった。
「うん。」
「どうして」
 怖くないの、そう聞いてくる彼女の声は震えていた。
「……この役割は、私にしかできないから。」
 だから、怖いもない。そう呟くと、
「っ、何言ってんのよ!!」
 彼女は突然、隙間から腕を伸ばして、私の手を掴んだ。
 冷たく赤切れた私の手とは違って、彼女の手は温かい。
「仮にあんたが神の元へ行っても、来年も、きっと、同じような子が来るわよ!!」
 あんたが死んでも、きっと、あんたの代わりなんていくらでもいるのよ。
 それは、怒っていたのか。それとも泣いていたのか。私には分からなかった。
「でも……私には、あんたしかいないのよ。私、まともに友達がいないの。ちゃんと話せるの、あんたぐらいしかいないのよ……」
 だから、と今にも消えそうな声で
「……神様の元へ行くのなんて、やめてよ……」
 彼女は、腕を震わせていた。

 私は、父も母も嫌いだった。
 人の事は悪く言うし、金目のものに目がない。
 いつでもジャラジャラとしていて。怒る時は、そのからだを震わせて私に怒鳴っていた。
 私はそんな人になりたくなかった。
 自分から欲しがることはしなかった。学校でも、人とつるまなかった。
 結果、私は自分の意思がない子と思われ、冷たい人間だと言われた。
 別に、それで構わない。
 少なくとも、自分の事を話して満たせる人と、関わりたくなかったから。
 あるとき、あまりにも嫌気がさして。家から飛び出した。
 その道中、小さな小屋を見つけた。私はお嬢様だが、人一倍身体能力が高い。
 屋根までそう高くは無い。隙間から除けば私と同じくらいの女の子がいた。
 ただ、髪はボロボロで、細くて、あまりにも白い。
 最初は、ただの面白半分でその子に話しかけた。
 幽霊だとしたら、それはそれで面白いな。と。それだけ。
 ただ、私の話をしっかり聞いてくれて、自慢を一切しない。
 謙虚で、優しい子。
 そんな子が神の元へ行く――死ぬという事を。人々から勝手に決められ、それを受け入れている理不尽さに嫌気が差した。
 自分の位は高いのに、それを利用してこの子を救えない事に腹が立つ。
 でも、だからといって私とて諦めるわけない。
 私は、今自分が持っているありとあらゆる衣装、アクセサリーを持ち出す。
 明日、私はこれを全て着飾る。マントさえ被れば、もう誰か分からないだろう。
 明日、私が神になろう。
 そして、友達を迎えに行きましょう。
 世界で1人の私の友達。
 あなた以外にあと何も望まない。
 これが、自己満足だったとしても。
 明日は彼女を確実に助けてみせる。
 そう誓った。

9/8/2023, 8:31:19 AM

踊るように

「おい。あんまり走ると転ぶぞ。」
「分かってるよー!」
 淡い水色の空にかかるわたあめみたいな雲。
 視線を落とせば視界を埋めるほどの燃えるような桃色の花々が。
 俺は、年の離れた妹と、この花畑へ来ていた。
 日々仕事で忙しく、中々妹と話す機会が無く、きょう休みを取ってここまで来た。
 妹も遊びたがりな年頃だろうに、いつも俺を気遣ってくれて、なにか欲しいものはないかと聞いても、いつも遠慮する。
 しかし、今日の事は喜んでくれたみたいだ。俺は花畑で駆け回る妹の姿を見てほっと胸を撫で下ろした。
 せっかくここに来たんだ。俺もゆっくりしよう。妹の姿をゆっくり追いながら、花達に目を向けた。
 確か、アザレアという花だった気がしたな。妹が花に関する本を借りてきて、期限のギリギリまで読んでいた。その中に同じような花を見た。
 図鑑で見るより、すごく生き生きしていて、綺麗だ。
 俺は、そっとしゃがんで1つの花を手に取る。ふわふわとした花びらが壊れないように、そっと触る。
 風に吹かれ、花が左右にゆらゆらと揺れた。
「お兄ちゃん!何してるのー?」
 妹は、あまりにおれが追ってこないのを気付いたのか、俺の前に戻ってきた。
 目線を上げると、首を傾げている妹がいた。
 俺は跪いた膝を上げ、「いや、なんでもない」と立ち上がった。
「もー、せっかく来たんだから、ちゃんと見ようよ!」
「あぁ、そうだな。」
 自分より小さな妹の姿を見る。妹は俺の手を引くように前へ走った。
「転ばないように、気をつけ――!」
 突風が吹く。俺は目を覆った。びゅおおおっと音を立て、髪がなびく。
 やがて、うっすらと目を開けていくと、さほど離れた距離に居ない妹が、くるっと回って、こちらへ走ってきた。
 たった一瞬。その一瞬。
 花と揺れる妹の長い髪。ふわりと広がるスカート。
 穢れを知らぬ真っ直ぐな瞳。
 小さな足取りで、俺の元へ来る。
 息を飲んだ。妹が、あまりにも儚くて。
 綺麗で。
 まるで、1つのダンスを見ているようだった。
「お兄ちゃん?」
 近くへ寄った妹は、心配そうに俺を見る。
 この子に、こんな顔を見せてはいけない。俺は目元を雑に腕の袖で吹いた。
「泣いてたの?」
「いや……目にゴミが入っただけだ。」
 本当は、あまりにもあの光景が儚くて。
 風とともに、姿が消えてしまいそうだったから。そんなこと、言い出せるはずもない。
 俺は、妹と目を合わせ、微笑んだ。
「行こうか。」
「うん!」
 今度は、手を離さないように。俺は小さな妹の手を取って、横に並んだ。
「なあ、兄ちゃんお前はどこかのお姫様だったと思うんだ。」
「え!?本当!?」
「ああ。きっと、ダンスが上手なお姫様だったと思うよ。」
「どうして?」
 どうして?それは……
「お前の一つ一つの行動が、全部綺麗に見えるんだ。」

 
 私のお兄ちゃんは、とっても優しい人。
 とっても、不器用な人。
 パパとママはお仕事が忙しくて中々お家に帰って来ない。でもお兄ちゃんはずっと私のそばに居てくれる。
私は、そんなお兄ちゃんが大好き。
 でも、この間お兄ちゃんと出かけていた時、「ダンスが上手なお姫様」みたいって言われた。
 すごく嬉しくって。私、その日は自分の持っているアクセサリーを身に付けたっけ。
 でもね、私もお兄ちゃんは「ダンスが得意な王子様」だと思うんだ。

「そっちにまわったぞ!」
「ああ。今行く!」
 お店で買い物していたある日、アクセサリー屋さんに泥棒が入ったことがあった。
 私は、何も出来なくて店から出ていった泥棒のことを横にいたお兄ちゃんと、そのお友達に伝えることしかできなかった。
 私は、泥棒のあとを追ったお兄ちゃんをバレないように見ていた。
「はっ、たかが宝石一個にキレてんだ。頭のかてぇ警官さんよぉ!」
「その宝石には、作った人の想いが込められているんだ。簡単に奪っていいものなんかじゃない!」
「うるせぇ口だなぁ!黙らせてやるよ!!」
 泥棒がお兄ちゃんに襲いかかる。まずい……!と思って目をつぶった。けど……
 お兄ちゃんは軽々と攻撃を避けた。でも、泥棒も攻撃をやめない。
 沢山殴ってくる手を、お兄ちゃんは軽々と受け止める。最終的に体を捻って、相手を地面に叩きつけた。
「ぐぁっ!」
「お店の人に謝れ!自分のやった過ちを反省しろ!」
それだけ言うと、手錠で拘束した。
 スーツの裾が、風にゆらゆらと揺れ、乱れた前髪を乱雑に掻き分けた。
 (かっこいい……) 
 私は、その様子をずっと見て、それだけしか思えなかった。
 あんな怒っているお兄ちゃん、見た事なくて怖かったのもあるけど。でもそれ以上に、かっこいいが勝った。
 だって、あの時の戦っているお兄ちゃん。
 まるで、踊っているみたいだったから。お兄ちゃんには言ってないけど、私は見てたからね。
「ねえお兄ちゃん。」
 私は夕ご飯の準備をしている、後ろを向いた背の高いお兄ちゃんを見た。
「私もね、お兄ちゃんは『ダンスが得意な王子様』だったと思うんだ!」
 いつもありがとう。そんな想いを込めて、私はにっこりと笑った。

9/7/2023, 7:11:26 AM

時を告げる

大きなホールのとある一角。
 壁から射し込む光を覗けば、スポットライトに照らされるステージ。
 開演時間の合図を待つ、ザワザワとした観客席。
 余興で流れるミュージック。
 私は、舞台袖で開演の時間をただ待っていた。
 まだ、開演までには時間がある。ここにいる人は私とあとはスタッフだけだ。あと5分ばかりすれば人も多くなってくるだろう。
 私は、ステージに1番近い場所に立って、心臓の高まりを抑えていた。
 ここまで、沢山努力してきた。
 この日を迎えるために、毎日練習を欠かさず、思い通りにいかずに泣いた事もあった。
 でも、それもここで発揮するために、諦めなかった。
だからここまで来れたんだ。ここに立てるんだ。
 だから、大丈夫。と何度も言い聞かす。
 それでも、覆い尽くすのは不安と焦りばかり。
 徐々に人が増えてきて、それを感じた。
 周りの人達は、私と同じようにキラキラした衣装を身にまとい、本番まで深呼吸をしたり、教えてくださった先生達と話したり、確認をしたり。
 各々やっている事は違う。でも、なんだかそれを見て余計に不安を感じる。
 もう、あと少しで本番だということをその光景から読み取れた。
 あれだけ練習を重ねてきたのに、本番前になるとそれらは吹き飛ばされるもので。
 他の人と比べて、私なんか、そんな劣等感を感じる。
 胸を締め付け、足が冷えていく。
 体温が、まるで奪われているようだ。
 私は、その場にいることも出来ず、楽屋の方へ戻った。
 逃げるようにふらふらとした足で舞台袖から抜けていく。
 今回は、本当にだめかもしれない。
 もう辞退してしまおうか。ズキっと胸が痛くなる。
 視界も、歪んでいく。
「舞ちゃん?」
 私のことを呼ぶ声が聞こえた。顔を上げると、心配そうに私を見る先生がいた。
 先生は、レッスン前から人見知りだった私の傍によく居てくれた。
 厳しいけど、優しい。
「先生……」
 私は先生と目を合わせた。緊張でここまで来るのは初めてで、おそらく先生も困惑しているだろう。
 でも、先生はそんな素振りを見せず
「ちょっと、休憩しよっか。」
 そう笑って、私を楽屋へと続く道へ誘導した。

「大丈夫?飲み物持ってきたよ。あ、ここにお菓子あるから、食べたかったら食べていいからね。」
「本当に、ありがとうございます……」
 先生は私を椅子に座らせ、目の前にあった箱に入っていたお菓子と、温かいペットボトルのお茶を私の横に置いた。
 私は、お茶を手に取り蓋を開けて飲む。
 温かい液体が、喉へ流れていくのを感じると、少し緊張が収まった気がした。
「大丈夫だよ。もしかして、緊張しすぎちゃってるかな?」
 先生は私の肩を優しく撫でる。私はその手の温かさに安心しながら、ただ首を頷けた。
 今まで何回も舞台に立っていても、この待ち時間は慣れない。
 先生は、なんて言うんだろう。
 怒るのだろうか。私は先生の言葉を待った。
 すると、先生は怒る訳でも呆れる様子もなく、いつものように私に言った。
「舞ちゃん、おとぎ話のシンデレラってお話知ってる?」
 そう、突然。
 私は俯いてた顔をあげた。先生は、次の言葉を言う。
「シンデレラはさ、魔法が一定時間経つと解けちゃうじゃん?それって、どうしてだと思う?」
 何を、急に言い出すのだろう。私は先生に目を向けた。
「それは、シンデレラは『借り物』の力を貰ったからだよ。」
 確かに、シンデレラは魔法使いに魔法をかけられ、綺麗な姿になったが……
 何故、その話を今するのだろう。
「借り物の力。シンデレラの場合は自分の力は使わずに魔女に力を借りて綺麗になったよね。でもね、舞いちゃん。」
 先生は私にの肩に手を回し、こう笑って言った。
「貴方は、自分の力でここまで上り詰めたでしょう?努力して綺麗になった姿は、そう簡単に解けないわよ。」
 私は、ハッとして先生の顔を見る。
 先生はにっこり笑って私の背中をぽんぽんと叩いた。
「舞ちゃんなら、きっと大丈夫。魔法なんかより、もっと確実なやり方で会場にいるんだから。」
 ね、と先生は笑った。
 そうだ。私は。
 小さい頃から、シンデレラに憧れていた。
 それは、何もしなくても、綺麗になったシンデレラが羨ましかったから。
 でも。
 私は。
 魔法なんかに頼らない。
 実力だけで、ここまで来たんだ。
 私は、いつの間にか先生が羽織ってくれた上着をギュッと握りしめる。
 そうだ。私は。シンデレラなんかじゃない。
 私は、私だ。
 時計に目をやる。もう5分を切っていた。
「先生」
「うん?」
「ありがとうございます。私、行ってきます。」
 そう、私は笑った。
 先生は、一瞬驚いた顔をしたが、すぐに笑って
「うん。どんな結果でも、私は待っているから。」
「はい。」
「いってらっしゃい!楽しんでちょうだいね!」
 私は先生の上着を返すと、頭を下げ、そのまま楽屋から走って舞台裏まで行った。
 舞台裏に着くと、もう皆が待っていた。
 開演のブザーが鳴り響く。同時に魔法――いや、今までの努力が身に纏う。
 ごめんなさいね、シンデレラ。あなたの魔法はもうきれてしまったの。
 ここからは、私のターン。私が輝く時間だ。
 いつもより衣装が輝いているように見えた。
 私は、自信を持って、全ての私を持って。
 舞台袖を、後にした。

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