華音

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時を告げる

大きなホールのとある一角。
 壁から射し込む光を覗けば、スポットライトに照らされるステージ。
 開演時間の合図を待つ、ザワザワとした観客席。
 余興で流れるミュージック。
 私は、舞台袖で開演の時間をただ待っていた。
 まだ、開演までには時間がある。ここにいる人は私とあとはスタッフだけだ。あと5分ばかりすれば人も多くなってくるだろう。
 私は、ステージに1番近い場所に立って、心臓の高まりを抑えていた。
 ここまで、沢山努力してきた。
 この日を迎えるために、毎日練習を欠かさず、思い通りにいかずに泣いた事もあった。
 でも、それもここで発揮するために、諦めなかった。
だからここまで来れたんだ。ここに立てるんだ。
 だから、大丈夫。と何度も言い聞かす。
 それでも、覆い尽くすのは不安と焦りばかり。
 徐々に人が増えてきて、それを感じた。
 周りの人達は、私と同じようにキラキラした衣装を身にまとい、本番まで深呼吸をしたり、教えてくださった先生達と話したり、確認をしたり。
 各々やっている事は違う。でも、なんだかそれを見て余計に不安を感じる。
 もう、あと少しで本番だということをその光景から読み取れた。
 あれだけ練習を重ねてきたのに、本番前になるとそれらは吹き飛ばされるもので。
 他の人と比べて、私なんか、そんな劣等感を感じる。
 胸を締め付け、足が冷えていく。
 体温が、まるで奪われているようだ。
 私は、その場にいることも出来ず、楽屋の方へ戻った。
 逃げるようにふらふらとした足で舞台袖から抜けていく。
 今回は、本当にだめかもしれない。
 もう辞退してしまおうか。ズキっと胸が痛くなる。
 視界も、歪んでいく。
「舞ちゃん?」
 私のことを呼ぶ声が聞こえた。顔を上げると、心配そうに私を見る先生がいた。
 先生は、レッスン前から人見知りだった私の傍によく居てくれた。
 厳しいけど、優しい。
「先生……」
 私は先生と目を合わせた。緊張でここまで来るのは初めてで、おそらく先生も困惑しているだろう。
 でも、先生はそんな素振りを見せず
「ちょっと、休憩しよっか。」
 そう笑って、私を楽屋へと続く道へ誘導した。

「大丈夫?飲み物持ってきたよ。あ、ここにお菓子あるから、食べたかったら食べていいからね。」
「本当に、ありがとうございます……」
 先生は私を椅子に座らせ、目の前にあった箱に入っていたお菓子と、温かいペットボトルのお茶を私の横に置いた。
 私は、お茶を手に取り蓋を開けて飲む。
 温かい液体が、喉へ流れていくのを感じると、少し緊張が収まった気がした。
「大丈夫だよ。もしかして、緊張しすぎちゃってるかな?」
 先生は私の肩を優しく撫でる。私はその手の温かさに安心しながら、ただ首を頷けた。
 今まで何回も舞台に立っていても、この待ち時間は慣れない。
 先生は、なんて言うんだろう。
 怒るのだろうか。私は先生の言葉を待った。
 すると、先生は怒る訳でも呆れる様子もなく、いつものように私に言った。
「舞ちゃん、おとぎ話のシンデレラってお話知ってる?」
 そう、突然。
 私は俯いてた顔をあげた。先生は、次の言葉を言う。
「シンデレラはさ、魔法が一定時間経つと解けちゃうじゃん?それって、どうしてだと思う?」
 何を、急に言い出すのだろう。私は先生に目を向けた。
「それは、シンデレラは『借り物』の力を貰ったからだよ。」
 確かに、シンデレラは魔法使いに魔法をかけられ、綺麗な姿になったが……
 何故、その話を今するのだろう。
「借り物の力。シンデレラの場合は自分の力は使わずに魔女に力を借りて綺麗になったよね。でもね、舞いちゃん。」
 先生は私にの肩に手を回し、こう笑って言った。
「貴方は、自分の力でここまで上り詰めたでしょう?努力して綺麗になった姿は、そう簡単に解けないわよ。」
 私は、ハッとして先生の顔を見る。
 先生はにっこり笑って私の背中をぽんぽんと叩いた。
「舞ちゃんなら、きっと大丈夫。魔法なんかより、もっと確実なやり方で会場にいるんだから。」
 ね、と先生は笑った。
 そうだ。私は。
 小さい頃から、シンデレラに憧れていた。
 それは、何もしなくても、綺麗になったシンデレラが羨ましかったから。
 でも。
 私は。
 魔法なんかに頼らない。
 実力だけで、ここまで来たんだ。
 私は、いつの間にか先生が羽織ってくれた上着をギュッと握りしめる。
 そうだ。私は。シンデレラなんかじゃない。
 私は、私だ。
 時計に目をやる。もう5分を切っていた。
「先生」
「うん?」
「ありがとうございます。私、行ってきます。」
 そう、私は笑った。
 先生は、一瞬驚いた顔をしたが、すぐに笑って
「うん。どんな結果でも、私は待っているから。」
「はい。」
「いってらっしゃい!楽しんでちょうだいね!」
 私は先生の上着を返すと、頭を下げ、そのまま楽屋から走って舞台裏まで行った。
 舞台裏に着くと、もう皆が待っていた。
 開演のブザーが鳴り響く。同時に魔法――いや、今までの努力が身に纏う。
 ごめんなさいね、シンデレラ。あなたの魔法はもうきれてしまったの。
 ここからは、私のターン。私が輝く時間だ。
 いつもより衣装が輝いているように見えた。
 私は、自信を持って、全ての私を持って。
 舞台袖を、後にした。

9/7/2023, 7:11:26 AM