華音

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世界に一つだけ

 木の格子から差し込む暗闇。 僅かに聞こえる虫の声。
 少し座る位置をずらすとぎしっと音を立てる木の床。
 着物の袖口から入り込む冷たい風。
 あの日から何日経ったか。私はもう忘れてしまった。
 この村のために、神の元へ迎え。そう村長から告げられ、突然この小屋に入れられた。
 明日は、その神様という人の元へ向かう日。
 もう何も、悔やむことなど無い。
 全て諦めてしまった私に、思い残すことなど無いのだ。
 私は、神様の元へ向かうという仕事をまっとうするだけ。
 ただ、強いて言うなら、あの女の子だろうか。
 いつの日か、深夜に彼女は私の小屋の高い格子から顔を覗かせて、よく話をしてくれた。
 毎晩。それも見張りが居ない深夜に。
 彼女と話す時だけは、満月のように満ちた気持ちだった。
 そんな彼女を、置いていくことだけが不安だ。
 私は、今日も彼女が来るのを、いつものあの格子の近くで待っていた。
「よっ!今日も来ちゃった。」
 草むらから、ガサガサと音が鳴るのが徐々に近付くと、トン。と小屋の天井が揺れる。
 格子に、彼女の姿がうつった。
「毎日、飽きずにここに来るよね。」
「そりゃあ、あんたと話すの好きなんだもん。」
 太陽のような明るい声。身なりからわかる彼女の身分の高さ。
 私には勿体ないくらいだ。
「ねえ、あのね」
「ん?」
 私は、彼女にいつもの口調で伝えた。
「明日、私行くんだ。」
「行くって……え」
 彼女の顔がぴしりと固まる。
「行くって……その……神様の元へ?」
「うん。」
 彼女は苦しそうな顔をした。なんで、そんな顔をするんだろう。
 別に、貴方が神の元へ行く訳じゃないのに。
「ねえ……」
「ん?」
 しばらくして、彼女から口を開いた。
「……ねえ、逃げようと思わないの」
 それは、疑問ではなく、圧が少し籠ったような言い方だった。
「うん。」
「どうして」
 怖くないの、そう聞いてくる彼女の声は震えていた。
「……この役割は、私にしかできないから。」
 だから、怖いもない。そう呟くと、
「っ、何言ってんのよ!!」
 彼女は突然、隙間から腕を伸ばして、私の手を掴んだ。
 冷たく赤切れた私の手とは違って、彼女の手は温かい。
「仮にあんたが神の元へ行っても、来年も、きっと、同じような子が来るわよ!!」
 あんたが死んでも、きっと、あんたの代わりなんていくらでもいるのよ。
 それは、怒っていたのか。それとも泣いていたのか。私には分からなかった。
「でも……私には、あんたしかいないのよ。私、まともに友達がいないの。ちゃんと話せるの、あんたぐらいしかいないのよ……」
 だから、と今にも消えそうな声で
「……神様の元へ行くのなんて、やめてよ……」
 彼女は、腕を震わせていた。

 私は、父も母も嫌いだった。
 人の事は悪く言うし、金目のものに目がない。
 いつでもジャラジャラとしていて。怒る時は、そのからだを震わせて私に怒鳴っていた。
 私はそんな人になりたくなかった。
 自分から欲しがることはしなかった。学校でも、人とつるまなかった。
 結果、私は自分の意思がない子と思われ、冷たい人間だと言われた。
 別に、それで構わない。
 少なくとも、自分の事を話して満たせる人と、関わりたくなかったから。
 あるとき、あまりにも嫌気がさして。家から飛び出した。
 その道中、小さな小屋を見つけた。私はお嬢様だが、人一倍身体能力が高い。
 屋根までそう高くは無い。隙間から除けば私と同じくらいの女の子がいた。
 ただ、髪はボロボロで、細くて、あまりにも白い。
 最初は、ただの面白半分でその子に話しかけた。
 幽霊だとしたら、それはそれで面白いな。と。それだけ。
 ただ、私の話をしっかり聞いてくれて、自慢を一切しない。
 謙虚で、優しい子。
 そんな子が神の元へ行く――死ぬという事を。人々から勝手に決められ、それを受け入れている理不尽さに嫌気が差した。
 自分の位は高いのに、それを利用してこの子を救えない事に腹が立つ。
 でも、だからといって私とて諦めるわけない。
 私は、今自分が持っているありとあらゆる衣装、アクセサリーを持ち出す。
 明日、私はこれを全て着飾る。マントさえ被れば、もう誰か分からないだろう。
 明日、私が神になろう。
 そして、友達を迎えに行きましょう。
 世界で1人の私の友達。
 あなた以外にあと何も望まない。
 これが、自己満足だったとしても。
 明日は彼女を確実に助けてみせる。
 そう誓った。

9/9/2023, 11:26:31 AM