放課後の教室にチャイムが鳴り響く。窓の外を見れば、運動部が各々片づけを始めていた。友人との楽しいおしゃべりもそろそろお開きのようだ。友人は帰ろっかとカバンを持ち、私に下校を促す。頷き、自分のカバンを持ち教室を後にした。
校舎の外に出れば、夕焼けの赤と橙に染まった世界が広がる。眩しいと言わんばかりに彼女は顔をしかめる。その顔に噴き出すと、余計に顔をしかめながら私の肩を軽く殴ってきた。軽い謝罪をするとやっと機嫌を直してくれた。
彼女はしばらく夕焼けを見ていたが、何かを思い出したかのようにこちらを向いた。そう言えば、アルバイト始めたんだよねと明るく言う。どんな仕事をしているのか尋ねると、夜の仕事!と言った。脳内に疑問符が飛び交う私の表情を勘違いしたのか、彼女はニヤニヤしている。何を想像したの、そのままの意味だよと私から目を逸らし夕焼けを眺める。そのままの意味とは何なのか。仕事内容を詳しく聞こうと口を開く。
それよりも早く、あーと彼女は声を漏らす。
もうすぐ夜だから、カーテン閉めなきゃ。
困惑する私に苦笑し、今から仕事だからと彼女は制服の胸元の赤いリボンをほどいた。また明日、と彼女はその場でくるりと一回転した。と思うと、バレリーナのようにクルクル回ったり、ピョンピョン跳んだりしながら移動する。彼女の奇行に動揺しながらも、追いかける。ここの道は確か、街を一望できる展望台に繋がっている。展望台へ行って何をするつもりなのか。私に気づいたのか彼女は手を振る。私は必死に追いつこうと走り、彼女に手を伸ばした。が、彼女は展望台の柵に飛び乗りそのまま眼下の夕暮れの街へと飛び込んでいった。ふわりと広がる紺色のスカートの裾に見惚れていると、いつの間にか街は紺色に染まっていた。
図書室で本を読んでいると、彼がやって来た。最近、転校してきて私の隣の席になった。それだけで何故か親しげに振る舞ってくるのだ。転校直後の知り合いがいない環境で心細いのかもしれない。そう少し同情して構ったのが良くなかった。まるで最初から友達だったのかと勘違いするほど、一緒にいることが多くなった。移動教室の時も昼食の時も休み時間も。隣良い?と私の答えも待たずに隣に座る。相変わらず話を聞かない男だ。無視して本を読もうとするが、話しかけてきて集中できない。
「ねえ、読書好きなの?どんなジャンルが好き?」
「私が何読もうが関係ないでしょ」
彼は本の題名を盗み見ると、小さく声を上げた。
「あ!この本、この間映画化したやつだよね。たしか、恋人の片割れが転校して離ればなれになったけど最終的に結ばれるやつ」
「ああ、よくある恋物語なんだ…って、ネタバレしないでよ」
「俺はありきたりでも好きだよ、こういうのは」
「ふうん」
まあ、人の感性なんてそれぞれだし。彼との会話を終わらせ、本の世界に没頭しようと活字を追い始める。
「ところでさ、架空の二人のハッピーエンドだけで満足?」
「…何が言いたいの」
「白々しいよ、俺が君のことずっと気になってること知ってるでしょ?」
「ストーカーみたいに付きまとう男は嫌なんだけど」
「だって、そうしないと君は俺に興味持ってくれないじゃないか」
彼は拗ねたように頬を膨らます。こんなんでも顔が良いから、なかなか様になっている。
「昔からそうだよね、君は。俺のことには全く興味なくて他の子とばかり遊んで」
彼からの言葉に耳を疑う。
「は?私、あんたと会ったことないけど」
「酷いよ、近所の公園でいつも遊んでたのに、引っ越すから挨拶したのに。やっぱり覚えてないんだ」
早口で詰め寄る彼に少し恐怖を感じ、距離をとるために席から立ち上がった。だが、彼はその分距離を詰めてくる。
「でも、また会えた。会えたんだから、この恋だって成就するはずだ。君だってこの本の二人みたいに」
物語はハッピーエンドが良いよねと頬を赤らめ、手を握られた。
「悪いけど、私の人生にあんたとのハッピーエンドはないよ」
手を払い睨むと、彼は少し目を丸くしたが不敵に笑った。
真っ暗な部屋で携帯端末を触る。明日も仕事なのに、眠れないのだ。何とか眠気を誘えるように難しい話を電子書籍で読んでいたが、画面の明るさで目が冴えてきた。寝る前に、携帯端末を触るのが悪手なのは分かっている。でも、目を瞑れば今日の脳内反省会が始まってしまう。散々反芻した自分の今日の反省点を脳内の小さな自分たちがあげつらう。それから帰りの会の公開処刑のごとく、今日の行動について意見が飛び交い、結局自分が悪いと言う結論になるのだ。毎晩眠るまで内省で悶えるぐらいなら、睡魔で気絶するまで携帯端末を触っている方が良い。気が紛れるし、考えなくて済むからだ。端末の時計は午前二時を表示している。もう二時か。この調子だと寝坊するかもしれない。それでも頭は覚醒したままだ。まあ、無理に寝ようとしない方が精神的には良いだろう。肉体的には良くないが。SNSのアプリをタップし、開く。この時間帯は皆深夜テンションで投稿しているのか、怪文書がよく流れてくる。次の日の夜になっても残っているので、正気で書いている可能性もありそうだ。トレンドを確認すると、箱というワードが入っていた。開くと、部屋の中で箱型に潰された人間の遺体が見つかった事件の記事が出てきた。興味本位で記事を読む。遺体は綺麗な正方形ではなく、どうやら部屋の形に沿って潰れているらしい。まるで部屋ごと圧縮されたかのような書き方だが、記事の写真を見る限り、部屋は潰れていなかった。被害者の血痕は部屋の壁の至る所に飛び散っていたが。ベッドの上で布団と一緒に圧縮された状態だったので、寝ている間に潰されて死んだようだ。コメント欄を読むと、ある都市伝説の仕業じゃないかという書き込みを見つけた。検索すると、最近出来た噂のようだ。要約すると、真っ暗な部屋で寝る人間を無差別に狙うらしい。検索結果には似たような事件の記事や現場らしき部屋の写真が数枚出ている。起き上がり、部屋の中を見回す。カーテンを閉めているため、真っ暗で何も見えない。この暗闇の中に、私が寝るのを今か今かと待ち望む噂の何かが潜んでいるのだろうか。…寝る前に読むんじゃなかった。いや、見つけて正解だったのか。取り敢えず、今日からは常夜灯をつけて寝ることにしよう。欠伸が出て、まぶたが重くなってくる。そろそろ眠れそうだ。常夜灯をつけ携帯端末の電源を落とし、目を閉じる。意識が薄れていく中、ミシッと部屋の角から音がしたような気がした。
「宇宙旅行に行くことにしたの」
真夜中の訪問者は重そうな旅行鞄を持ち、楽しげに言った。寝ぼけた頭で彼女の言葉を反芻していると、彼女は続けた。
「あなたも、私と一緒に宇宙に行かない?」
彼女は旅行鞄から、紙切れ二枚を取り出した。
「ほら、あなたの分のチケットも用意してもらったし」
手渡された紙切れを見る。彼女がチケットと呼ぶ紙切れには、満点の星空を背景に真ん中には『地球⇔宇宙の果て』と印刷されていた。往復できるようだ。
「いつ帰ってこれるか分からないけど、あなたと一緒ならきっと楽しいだろうし。ねえ、私と行かない?」
彼女にすがり付くような目で見つめられ、返答に詰まった。彼女は僕が行かないなんて、言わないと思っているのだろう。だって、僕たちは友達だし。でも宇宙の果てまで行ったら、きっと家族や友人たちに二度と会えなくなる。それが怖いのだ。だけど、彼女を帰ってきたときに一人ぼっちにするのも気が引ける。
「行かないって選択はないの?」
「どうして?ただの旅行だよ」
「家族に二度と会えなくなるかもしれないんだよ」
「別にいいよ。あなたが隣にいてくれればそれで」
彼女は不安そうに眉を寄せた。
「もしかして旅行に乗り気じゃない?」
「そんなこと…」
「あるでしょ。家族のことなんか心配して…」
彼女はうつむいてしまった。どう声をかけようかと考えていると、彼女は顔を上げた。
「ねえ、だったら夜明けまで待つから来てよ。荷物まとめていつもの公園で集合ね」
彼女は一気に言うと泣きそうな顔で待ってるから、と家を出ていった。家族と彼女を天秤にかけて考えていたが結局答えは出ず、そのまま眠ってしまっていた。目が覚め、日が高くなっていることに気づいたときにはもう彼女は地球にいなかった。
昼食を食べた後の眠気は心地よい。すぐに眠りに落ち、夢を見た。底が見えないほどの深さの池を見つけ覗き込むと、ゆらゆらと何かの影が底から上がってくるのが見えた。両腕を広げたぐらいの大きさの鯉だ。鯉は私を見つけると急上昇し、水面に顔を出した。パクパクと口を動かしている。何だか面白くて池のそばにしゃがみこむと、鯉が話しかけてきた。
「一年後」
酷くしゃがれた声が鯉の口から聞こえ、ばしゃりと水しぶきをあげると底へと消えていった。と、同時にチャイムが聞こえ目を覚ます。もうすぐ午後の授業が始まるようだ。