こっこ

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8/11/2024, 10:40:28 PM

麦わら帽子


小学校3年生の夏。家族3人で海水浴へ父の愛車で出掛けた。
久し振りの家族旅行で私は、とてもはしゃいでいた。
海の家で食べる焼きとうもろこしもラーメンも格別だった。泳ぎの得意な父の背中に捕まって、浮き輪を持ちながら波乗りも楽しんだ。
海の家で借りたパラソルで母だけは、ずっと海を見つめていた。
夜は花火も楽しかった。最後の線香花火で誰が最後まで残るか勝負した。殆ど私の勝ちだった。
母の手元が小刻みに揺れて、目には涙がうっすらと浮かんだのを不思議な気持ちで見ていた。
夜は疲れて私は一番に寝入った。夜中トイレに行きたくなって目が覚めた時、父と母が話し合う声を聞いてしまった。
「これで、家族で出掛ける日も最後だな。荷物はもうまとめたのか?」
「はい。」
「麻帆のことは、心配するな、俺の両親もついてる。家に戻ってから、お前の口から麻帆に話しなさい。」
「わかりました。」
私は、ショックと気まずさでトイレを朝まで我慢した。
味のしない朝食を食べた。母に選んで貰ったお気に入りの麦わら帽子を被って、父の車に乗り込んだ。
私は車に酔いやすいので、クーラーもかけつつ窓は全開だった。
海岸沿いを走ってカーブを曲がったその時、強い風が吹いて私の麦わら帽子が飛んでいってしまった。
私は、感情を抑えられずに声をあげてわんわん泣いた。
「又買ってあげるから。」
と母は優しくなだめてくれた。
その夏、麦わら帽子と一緒に、大好きだった母もいなくなってしまった。
遠く遠く手の届かない場所まで…。
大人になった今でも、麦わら帽子をみると胸がちょっと苦しくなって…優しかった母を思い出す。
潮の香りとともに。

8/11/2024, 5:59:04 AM

終点


月曜日は憂鬱だ。広告代理店に大学の就活で滑り込みセーフで入社して3年…。
代わり映えの無い単調な仕事に嫌気がさしてきた。
クライアントの要望に答え、自分なりに頑張ってきたつもりだが、ここでも男尊女卑というのだろうか…。
納得のいかない仕事ばかり私にまわってくる気がしてならない。
今日は、サービス残業もした挙げ句…いつものねちっこい上司のめがね親父にさっきから1時間以上も捕まって、文句を言われ続けた。
あーもう限界だ。
疲れた体に、居酒屋のウーロンハイと焼き鳥が染み渡る。
西武新宿の高田馬場の駅近の焼き鳥チェーン店でやけ酒だ。
お一人様上等!今日は終電まで飲んでやる…。
千鳥足で電車に乗り込み、「新井薬師前〜」とアナウンスを聞いたのが最後、うとうととうたた寝をしていた。
かなりの瞬殺で爆睡に入った模様。
田無で降りるはずが…終点の本川越まできてしまっていた。
駅員さんに肩を叩かれるまで、全く気づかなかった。
手に持っていたお気に入りのDEAN&DELUCAのトートバッグも床にストンと落としていた。
慌てて拾い上げて、本川越の改札に向かう。タクシーなんてお給料日前で痛い出費だ。
どうしようか…と悩んで改札を出たすぐのタクシー乗り場でとりあえず並んでいた。
私と同じように、肩を落として並ぶ男の人の横顔に見覚えがあった。
あ!中学3年生の頃、1年間だけお付き合いした元カレだった。
「拓哉?」私はこんな偶然に嬉しくなって思わず声をかけた。
「え?もしかして…美咲?」
結局私達は地元が同じなので、田無までタクシーを乗り合わせた。
タクシーの中で近況報告をし合った。拓哉も今の職場での不満が多いらしい。
たまたま、職場が近いことが判明して、私達は来週居酒屋でストレス発散する約束をした。
あの頃はよく一緒にMacで夜遅くまで勉強したな。お小遣いが出た次の日だけ、スタバだったっけ。優しくて穏やかな人柄が当時のままだった。
憂鬱な月曜日から、華の月曜日(古!)に変わろうとしている。
来週何着ていこうかな。そんなことを考えながら、眠りについた。
終点で巡り会えた奇跡に感謝しながら。

8/9/2024, 10:22:28 PM

上手くいかなくたっていい


仕事を辞めた。長く大手引っ越し会社で働いてきたが、腰を悪くして治療で通っていた病院の先生にも、「これ以上、無理は出来ませんね。」と。
知り合いのつてで、先月まで飲食店だったお店が閉まり今なら居抜きで安く始められると紹介された。
駅近で立地も良い。
大学生の頃、飲食店で厨房も接客もレジ締めも経験がある俺は、これはチャンスかも知れない…と、妻に相談する前に即決していた。
夜泣きをする長女をあやして、リビングのソファーに腰をおろした妻に冷蔵庫のルイボスティーをグラスに注いで渡した。
「ありがとう。夜泣きも大変だけど…これも成長のあかしらしいね〜あともう少しの辛抱かなぁ。」
実は…と、例の飲食店の話をしたら、少し間があってから「いいと思うよ。あなた昔、自分のお店持ちたいって話してくれたことあったものね。」
倹約家の妻が、コツコツと貯めてくれていたまとまったお金を嫌な顔ひとつせず通帳ごと渡してくれた。
それからが、大変だった。
いくら居抜きとはいえ厨房の掃除やら古いレジの入れ替えや、クロスの総張替え、食器の調達、食材の仕入れ先の確保、スタッフの募集に面接、飲食店に必要な資格は2つとも持っていたのは自分でも幸いしたが、保健所や消防署など行政機関への届け出などでお店のOPENまで、体がふたつ欲しいと何度も思った。
この店が、潰れることになったら…俺達家族は…と不安もよぎった。
青ざめて目にくまもできた顔で、妻に、素直にそのことを話した。彼女は言った。
「そんなに。頑張りすぎなくていいよ。私はいつだってなんとかなると思って生きてる。お店だって繁盛するに越したことはないけれど、上手くいかなくたっていいじゃない!」
ずっと重くのしかかっていたものから、解放されて不覚にも涙を流していた。
妻の優しい言葉が有り難かった。救われた。
この店に人生をかけよう!と意気込んでいたけれど、今は肩の力を抜いて、なるようになるさと失敗を恐れたりしない。
目の前が段々と明るくなる気がした。
最近、ケラケラと大きな声を出すようになった長女の心乃葉がケ・セラ・セラと笑ってるように見えた。
OPENまでは後少しだ。
家族が俺の背中を優しく押してくれた午前3時。
残暑の厳しさからも抜け出して、秋が少し顔を覗かせた。

8/9/2024, 9:15:00 AM

蝶よ花よ


「ママ、いつまでも元気でいてよ。」
常連のハンチング帽がお似合いの、仁さんがお会計を済ませて帰り際、カウンターの和代ママに声をかけた。
駅前からちょっと裏道に逸れた場所にスナックを構えてもう30数年、客足が絶えないのはひとえにママの人柄だと皆口を揃えて言う。
「私なんてね、この土地に流れ着いた正体不明の怪物なのよ〜。」とガハハと笑う豪快な様も、大柄な体型にマッチしていて可愛らしくて憎めない。
初見のお客様には、オーダーが入る前にキンキンに冷えた生ビールや、角ハイボール、焼酎の梅割り、レモンサワー、時には山崎のロック…お客様もびっくりする位、今日の気分のお酒が一杯目になる。
もう、占い師も心理学者も敵わない。神業だ。
ママは決まって、「何か、そういう顔して入ってらしたから。」「ヤマ勘!ヤマ勘!当たったからママにも一杯サービスしてね〜。」とおねだりも忘れない。
ただ、おつまみに関しては決して充実しているとは言えないが、ママが気まぐれに急に作リ出す焼きそばや、キャベツと卵だけのお好み焼き風のそれや、じゃがいもの明太子炒めなんかも、イレギュラーだから、それにありつけた日のお客様は皆、飼い慣らされたワンちゃんよろしく嬉しそうに頬張る。
「私はお料理が苦手だから、男の人はみんな愛想つかして逃げちゃうのよね〜。やっぱりいい女ってみんな料理上手!真逆よ〜。」
「ママ俺、料理上手だから通ってあげるよ~。」
なんて冗談とも本気ともとれる、トラック運転手の城さんには、急に真顔になって
「わたし、もう男はこりごり…ひとりが一番。」
「こんな私でも、子供の頃は蝶よ花よで甘やかされてワガママ娘で大変だった頃もあったのよ〜懐かしいわ~。」
と、お客様がついでくれたサッポロ黒ラベルの冷えたビールのグラスを呑み干すママは、どこか寂し気に見えたりもする。
そんな時ママは決まって大好きな煙草を燻らせて、「煙くない?ごめんね〜、やっぱりハイライトはやめられないわ~。」
そして、「禁煙なんてクソ喰らえ!あ、健ちゃん禁煙中だったわね!失礼〜。うちのお店では煙はお酒のスパイスだと思ってね〜ヨロシク♡」
と、お茶目にウインクをするママは、ヘビースモーカーの怪物だけど、やっぱり憎めない。

8/8/2024, 2:12:00 AM


最初から決まってた


歌声には自信があった。町内会の盆踊り大会の、のど自慢では子供ながらに、いつもトロフィーを手にしていた。
カラオケで友達の前で歌う度に「瀬奈!絶対歌手に向いてる〜」と言われた。
その時々に流行する、特に若い世代に響く歌を好んで歌った。家で寛ぐ時などは、EDMもクラシックもJAZも耳障りが良くて聴いている。もちろんロックも。
母のお腹の中にいた時から、音楽は私の側にあり、まさにノーライフ、ノーミュージック。音楽に恋している高校1年生の女子である。
歌姫にも憧れがあって、母の影響か海外アーティストではホイットニーヒューストンやリアーナ、シャーデーの歌声が好きだ。日本でも、UAや椎名林檎、宇多田ヒカル、昭和歌謡の80年代アイドルも大好きだ。
解散してしまったBiSHのアイナ・ジ・エンドの歌声は親子で虜になってしまった。
たまたまTVで観ていた、カラオケの採点で王者を決める番組に「出てみれば?」の、母の一言で出演を決めた。
選んだ曲は、Adoの新時代だ。
駅前のカラオケ店に通い詰めて、99点を何度も叩き出した。歌はずっと自己流だったので、アルバイトで貯めたお金でボイトレにも通った。
本番当日。控室に通された私は、同じ高校生の出演者を目の当たりにして、少し緊張していた。
仕事だった母も会場には来れなかったので、付き添いなしは私ひとりだけだった。
歌う前は、がんばれ!わたし!と自分を鼓舞した。
出場者の中でも、取り巻きというのだろうか…スーツ姿の男性と世話役の母親らしき人総勢5人に囲まれた女子がいた。制服姿が多い出場者には珍しく、どっしりと構えた着物姿が印象的だった。
本番がスタートした。皆90点超えの接戦となった。
司会のタレントが、その着物姿の女子にだけ妙に馴れ馴れしい感じがしたのは、私だけだろか…。
その娘は、堂々とした歌いっぷりは良かったものの、抑揚があまりなくせっかくの演歌なのに少し残念な歌声だった。その娘の後に歌った爽やかな男子の、スキマスイッチの奏の方がとても響いた。
トーナメント制で勝ち抜き一騎打ちになったのは、私とその娘だった。
先発で歌ったその娘は音を、置きにいくような単調な歌声に感じたけれど、安定感というやつなのか、99.78という高得点を叩き出した。
負けたくない。私も決勝では勝負曲の宇多田ヒカルのFirst Loveを熱唱した。会場の拍手が嬉しかった。
しかし…結果は惨敗…。97.58という点数だった。
これが現実なのかな、と肩を落として帰り支度をしていた。TV局のトイレで私服に着替えて廊下に出たその時に見てしまった。
今日はありがとうございました〜とその番組のお偉いさんに、菓子折りと封筒を渡すスーツ姿の取り巻きの姿を。
控室からのそのトイレ前は丁度死角になっていた。
最初から決まっていたんだ!
なんだ出来レースだったのか…。TVの裏側と権力を見せつけられた気がした。
後で噂で聞いたが、あの娘はTVの関係者の親戚で地方の地主らしく県庁にも顔が利いて、子供の頃からのど自慢荒らしと言われて有名だったらしい。
私はどこ吹く風で、今もオーディションに通う日々だ。
返って反骨精神が宿ったらしい。
もし、この先夢が叶って有名なアーティストになった暁には、「あのタレントとエラが張ったプロデューサーの番組はNGで!」と声高らかにマネージャーに宣言するつもりだ。
がんばれ!わたし!

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